人恋ふは悲しきものと平城山に もとほり來つつ堪えがたかりき
古へも夫に恋ひつつ越へしとふ 平城山の路に涙おとしぬ
北見志保子が詠んだ短歌2首に平井康三郎が曲を付けた、ご存知「平城山」です。
この歌は以前、朝日新聞土曜版で紹介され、森生は北見志保子の積極果敢な生き様を知り仰天し、感動した。
志保子は夫の弟子で12歳年下の慶大生と恋に落ち、平城山に登り、燃えて切ない胸の内を詠んだというわけ。
しかし更に驚かされた。
ブログ「エムズの片割れ」に、北見志保子が後に協議離婚した橋田東声の短歌が紹介されているのだ。
かりそめにちぎりしことと思はねど 去りゆくこころつなぐすべなし
おお、可哀想。涙なくして読めませんね。.......ったく、女性は残酷だわ。
だが残念ながらこの場合、歌格はどう贔屓目にみても、志保子の方が時間的、空間的なスケール感が勝っている。
東声だって相当な人物だったそうだ。余程うろたえたのだろう。
以前林住記で、「How insensitive 」というボサノバの名曲と 「恋はフェニックス」というアメリカンポップスの名曲を並べて論じたことがある。(.......論じたなんて僭越ですが)
英語はよく分からないけれど、この2曲、歌詞が偶然一対になってるんですね。いやグレン・キャンベルが意図したのかも。
こちらの場合、男は女を捨てて町から町へ彷徨い、いい気味だ、と思いながらも捨てた女を諦めきれない呟き。
女は、今思へばあたしが鈍感だったから大切な男に逃げられちゃったワ、というぼやき。
平城山の場合もどなたか、東声の歌にも曲を付けて頂きたい。アメさんに負けない一対の歌になるだろう。
もっともドリスとハリーは未練たらたらのようで、もしかすると撚りを戻す可能性があり、希望がある。
平城山に登った志保子はキッパリしていて.......。やっぱり覆水は盆に還らないだろうな。
ところで......。「エムズの片割れ」さんを森生は毎日読んで、いたく感心しております。
特に楽曲紹介記事は、珍しい音源を探し出し、他の追随を許さない。
この記事もそうですが、ヒントをいくつも頂いております。
また、リンク先の「うたのうらばなし2・平城山」は格調高いゴシップ記事なので、そちらも是非どうぞ。
ま、それはともかく、森生が愛蔵しているドリス・デイとハリー・ベラフォンテの絶唱は胸に迫る。
この2曲を是非お聴き頂きたいが、エムズ夫人の旦那さまのように、この林住記に貼り付ける知識も機材もない。
つくずく情けないね。
平城山は「エムズの片割れ」さんに、藤山一郎と島田祐子の歌唱が載ってますので、そちらをクリックして下さい。
How insensitiveは小野リサ嬢を、恋はフェニックスはグレン・キャンベルの自作自演をどうぞ。
花は昨年、森林公園内梅花園ほかで撮ったものです。
120213
やはりそうですか
「繋ぐすべなし」ですが......
平城山は、高校の音楽の教科書に載っていました。音楽の先生がこの曲が好きで、印象に残っています。
「繋ぐすべなし」って入ってますよ 始めから
でも良かった
こんなドラマがあるとは知らず 森生もこの歌 好きでした
そして もっと好きになりました
......やっと 繋がりました
柳原百漣しかり…
想いを歌う短歌には熱情をそのまま表現できるからでしょうか…
しかし残念なことにワタクシ、平城山をならやまと読むこともしらず、この歌を聴いたこともありませんでした
まだまだ知らないことが山ほどあり、知る喜びを得るという幸せが山ほどあることを嬉しく思います
それにしても森生さんは古今東西の音楽に精通していらっしゃいますね
おかめの大好きな小野リサさんを推薦してくださり嬉しいです
だったら 長生きしませうね お互いに
ところで リサ嬢はじめボサノバ歌手は全体に気が抜けたような歌い方ですね
ドリスやペリー・コモのボサノバは 切々と歌い上げて 平城山のようですよ
飲み会の二次会で「平城山」!
随分格調高いお付き合いですね
森生は お先に失礼しますね