林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

所沢で第九

2006-12-14 | 歌の翼に


所沢MUSE アークホール

「第九」はご勘弁願いたかった。それでも聴きに出かけたのは、所沢偏屈さんのお招きがあったからである。
氏は春先から[所沢で第九を歌う]会に入って、猛練習をしているらしかったから、である。
また、「第九」を辞退するようではこれから先、街を歩けないと慮ったからである。なにしろ、重厚深刻なベートーベンなのだ。敬愛すべきで敬遠では拙いのだ。

会場の[ミューズ]は所沢市が競輪で潤っている頃に建設した壮麗な施設。今では維持に四苦八苦しているはずである。大ホールは一寸蕎麦屋か天麩羅屋のような和風な内装で美しく、真正面のパイプオルガンは楚々として鎮座している。
いい席を取ろう、と保谷偏屈さんと会場1時間も前からパティオの日向に並んでいたが、意地悪警備員が日陰の吹きさらしに行列を移動させたので、体の芯から冷え切って入場した。

「第九」が苦手な理由は、大昔、この種の演奏会に行くと、深刻顔で演奏を楽譜で確かめている嫌味な奴等が多かったからだ。お前さんたち、ほんとに楽譜が読めたのかい。
ところが今日日、「第九」は家族団欒音楽祭なのである。やたらに和やかなのだ。
聴衆は所沢偏屈さんの場合と同様、合唱団の家族や知人友人ばかりらしいのである。
[所沢フィルハーモニー管弦楽団]も趣味でやっている人ばかりだから、全聴衆は応援団なのである。2000席は3階席を除いてほぼ満席の盛況だった。
開演前は子供たちが走り回り、演奏が始まっても合唱団背後の3階席では、おばさん二人が立ったり座ったり席を移動したりと落ち着かない。

そういう雰囲気の中での演奏だったが、約百人の管弦楽団の演奏が上手いのだ。チェロ群がちょっと軽いように聞こえたが、本格的な演奏なのだ。奇音怪音フライングは皆無だった。トライアングルを最後に数回鳴らすだけのお嬢さんまで参加している贅沢な管弦楽団であった。
また、202人の大合唱団も奮闘した。楽譜(いや、ドイツ語カナ書きのアンチョコかな)を誰も持ってない。
いつもはシニカルな所沢偏屈さんが、幼稚園児のように大口開けて、顔を赤くして、

  O Freunde, nicht diese Tone !
    sondern lasst uns angenehmere anstimmen, 
    und freudenvoiiere !

などと絶唱しているのは、声は聞こえなかったが、可笑しかった(失礼)。また羨ましくもあった。後で寝込まなけりゃいいけどね。

指揮とソリストさんたちはプロだそうで、森男には分からないが、上手く演ったのだろう。少なくともステージ衣装は本格的だった。
ま、上々出来の「第九」だった。
出演の皆さん、後で盛り上がったろうな。本当に羨ましい。
生演奏の全曲を聴いたのは初めてだが、しっかり聴いてみれば「第九」も悪くない。
「第九」が好きなら、鉋くらい持ってるはず。入場券が有料だったのなら、鰹節のお礼くらいはしなければ義理が廃る、と考えているほど立派な演奏会だった。

それにしても、年末に植木屋が忙しいのは分かるが、何故「第九」が忙しいのだろうか。森男が「第九」を敬遠していた理由はここにもあったのだ。
流行りものは嫌いなのだ。

♪言い訳
  歌詞の「Tone」の「o」には、上にチョンチョンウンムラウトを付けるのだが、見つからない


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