画像は「芸術新潮」2月号に多数掲載
出光美術館の「書のデザイン」展は素晴らしかった。書の展覧会をこんなに楽しめたのは初体験だった。書の名筆1、2を見逃したのは残念だ。
会場は以下の甲乙丙丁のテーマに別れている。
甲.書はデザイン?!....形象(かたち)と個性
乙.動中の工夫....挑む姿
丙.連ねる美、流れる旋律....かな書の彩り
丁.見立てと飾り....デザインとあそび
甲は拓本が多く、字体の変遷を辿る。何と、伝聖武天皇の「大聖武・賢愚経断簡」があった。
ここでは、爨寶子碑(さんぽうしひ・中国東晋時代・405年・拓本)の字体が気に入った。説明カードには現代の「見出しゴシック体MB31」の活字体を較べて並べ、中国古代と現代日本の書体の類似性に驚いた。爨寶子碑の字体はグラフィックデザイナーの氏原忠氏の字体によく似ている。先生、ここから.....、と可笑しかった。隷書体ほか色々あったが、これが一番好きだ。
乙は文字を絵のように扱っている書を集めている。
草野心平の「ゆき」という詩を書にした作品が素晴らしかった。紙面一杯に「しん しん しん しん しん しん.....」と続けて、真ん中に「ゆきふりつもる」と書いてあり、雪国の風景が目に浮かぶ。青木香流書、1972年作だ。
宮沢賢治の「風の又三郎」から採った「どっどどどどう どっ ......あまいざくろをふきとばせ.....ど ど ど.....」も良かった。これは森田安次書、1949年作。
それぞれ、字が絵になるのが見事だった。古い書も沢山あった。こちらは、いまいちだった。
丙は圧巻である。小野道風、藤原行成、紀貫之、藤原佐理、藤原定家....。溜息が出るほど達筆、流麗。俵屋宗達や、下手だが徳川家康、現代書家作品まである。
藤原定信書「石山切・貫之集下」は、紙面の中央に藍色の流水を描き、特に美しかった。和歌がまた良かった。
からころも あたらしくたつ としなれど ふりにし人の なきや恋しき
いやはや参った参った。
徳川家康は「日課念佛」。経理係長のような几帳面な字で「南無阿弥陀佛」を数十行書き込んである。細かい字を崩れもせず、几帳面に書き連ねた家康は、聖武天皇のおおらかな貫禄と較べると、大分、人物が小さい。「陀佛」のところを「家康」と数箇所変えてあるのは、いかにも家康、セコイね。
西行法師の「中務集(なかつかさしゅう)」というメモ帖が、これまた、素晴らしい。ガラスケースに入っていなければ万引きしたくなる、小さな手帳式歌集だ。
丁は技巧的過ぎて、始めはあまり感心しなかった。字を変形して絵画の中に隠したり、豪華な着物の柄に混ぜていたりする。「芦手」というそうだ。駒場の日本民藝館の展示品の中にも、こういう手法の朝鮮民芸があったと思う。
通り過ぎようとしたら、凄いのがあった。近衛信尹の「渡唐天神図」である。絵としても迫力がある。信尹は流刑処分まで受けた桁外れの貴族だったらしい。
小林一茶の「朝顔画讃」。これが一茶か、と思うほど洒落た字配り。朝顔の蔓と俳句が絡んでいる。余白を生かして、絵としても上等である。画讃としての俳句も良かった。
朝顔の 花でふいたる 菴哉 (「朝顔」は書でなく朝顔の花の絵)
この展覧会は書道展のかび臭さが全く無く、楽しくて刺激的だった。
作品の説明カードの文言が、文章言葉でなく、話し言葉になっているのが特に良かった。門外漢には読めない草書体を活字で翻訳しているのが親切だった。
学芸員の笠嶋忠幸氏は、
「書は必ずしも読めなくてもいい、墨による造形そのものを味わえばよい。
そんなふうに書の見方を開放したくてこの展覧会を企画しました。」
と言っている。話せますね。
あまり広くはない会場だが、2時間近くも滞在した。
9階の休憩室から。1階は帝國劇場。
休憩所の広い窓からは、桜田門を正面に、皇居前広場と、皇居の森が良く見える。都内で屈指の景勝地である。しかも、ほうじ茶、ウーロン茶、上煎茶の暖冷計6種のお茶の無料サービスがある。お菓子が出ればなおよろし。
時々行ってみたくなる、お勧めの美術館です。
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