林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

骨のうたう

2010-08-15 | 歌の翼に

きょうは敗戦の日。
「終戦」ということが多いけれど、曖昧に美化せず、「敗戦」としたい。

今朝、天声人語に竹内浩三という人の詩の一部が紹介されていた。
有名な詩らしいが、知らなかった。

       骨のうたう     
               竹内浩三  補作 中井利亮

      戦死やあわれ
      兵隊の死ぬるや あわれ
      だまって だれもいないところで
      ひょんと死ぬるや
      ふるさとの風や
      こいびとの眼や
      ひょんと消ゆるや
      国のため
      大君のため
      死んでしまうや
      その心や

          白い箱にて 故国をながめる
          音もなく なんにもなく
          帰っては きましたけれど
          故国の人のよそよそしさや
          自分の事務や女のみだしなみが大切で
          骨は骨 骨を愛する人もなし
          骨は骨として 勲章をもらい
          高く崇められ ほまれは高し
          なれど 骨はききたかった
          絶大な愛情のひびきをききたかった
          がらがらどんどんと事務と常識が流れ
          故国は発展にいそがしかった
          女は 化粧にいそがしかった

      ああ 戦死やあわれ
      兵隊の死ぬるや あわれ
      こらえきれないさびしさや
      国のため
      大君のため
      死んでしまうや
      その心や

竹内はフィリッピンで従軍中にこの詩を書き、戦死したそうだ。

        ●●●

今日は、茨木のり子の詩を転記するつもりだった。胸に刺さる詩だ。しかし記事が長くなる。
この夏はとりあえず、加賀美幸子さんの朗読で済ませます。

      「わたしが一番きれいだったとき

        ●●●

海ゆかば」。
天皇に忠誠を誓う万葉歌人大伴家持の長歌に、信時潔が作曲したこの歌は、本来は戦意高揚を意図した歌だ。
しかし学生が戦地に赴く事態に、信時は苦しんだそうだ。
今は長歌の意味を曲げて解釈し、鎮魂歌として受け止めたい。

「玉音放送」は覚えていない。ラジオが壊れていたのかもしれない。
中学生たちが、家の前を道路を無言で、ぞろぞろと歩いて帰って来た異様な光景は覚えている。学徒動員から解放され、学校に戻ってきた、と親から聞いた。

あの日の空が、天井が抜けたように蒼黒く澄んでいたことも覚えている。

運が良く、家族に直接の戦死者はいない。空襲も受けなかった。
戦後、不在地主として農地を二束三文で取られた祖母は、昭和天皇を良くは言わなかった。無責任、と言っていた。

そして、凄まじい筍生活が始まり、いつも腹がへっていた。

社会面に、「全国空襲被害者連絡協議会」が結成され、被害者救済法の成立を求めるそうだ。
空襲で家族を失い、塗炭の苦しみを味わされた76歳女性は、「国は謝ってくれ」、と言っている。

それはそのとおりだが、アメリカの無差別殺戮を非難する言葉がない。
空襲は天災ではない。朝日新聞がアメリカに遠慮してるのか。

        ●●●

きょうは、高麗川の川原にバーベキューの煙といい匂いが漂っている。
今日一日くらいは慰霊と覚悟の日として、歌舞音曲野球グルメ番組を自粛したい。
 ね。

100815



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