四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

あれから63年。

2008-08-15 | Weblog
終戦。

未だにこの傷を引きずっている。
あれから63年経って、戦争を知らない世代が大多数占めているのに、
戦没者追悼行事はいらないと思う。

確かにあの悲劇、戦争は忘れてはならないのは事実である。
問題は、戦争に駆り立てた背景と軍部の阻止が出来なかった政治家と天皇に問題がある。
国のため、天皇のためと言って死んでいった彼らの悔しさは、年月で解決されるものでないし
遺族の心中考えるとその悔しさは計り知れないものである。
それだからと言って国が、靖国に御霊を崇め祀ると言うのも問題である。
神として崇め祀るのでなく、国立の墓地を作り弔うべきである。

戦争。

無くならない。
無くなるわけがない、人間の歴史は戦の歴史である。
思想、宗教、貧困、権力、人種、格差、独占、歴史が戦争を起こす要因であり、
その怒りが頂点に達したとき悲劇が生まれるのである。
そのいい例ガグルジアとロシアの戦争であり、アラブとイスラエルである。
どこかの人が言っているように、物事は話し合いでという流暢なことを言っているから、竹島も国後も占領されたままになっているのである。

戦争は強さの誇示である。
スポーツと同じで、勝つ事によって君臨できるのである。
戦争に聖戦はない。
あるのは殺し合いである、それも国が認めた殺しである。
相手に情けや、愛をかければ自分の命がない、殺すか、殺されるかである。
綺麗ごとではなく自分の命は自分で守らないと駄目なのが戦争である。

そしていつも命を落とすのはいつも一兵士である。

宗教。

神を信じれば戦争はなくなるか?NOである。
神の下で平等であると説いているが、貧困は無くならないし、愛だけでは生きていけない、
人は食べる事で満たされるのである。
民族の確執は宗教さえも否定して戦争になる。

なぜなら信じる神が違うからである。

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1 コメント

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あれから僕たちは何かを信じてこれたかな? (pohh)
2008-08-20 01:02:50
>綺麗ごとではなく自分の命は自分で守らないと駄目なのが戦争である。
>そしていつも命を落とすのはいつも一兵士である。

その通りですよね。
そして、私たちは、
懸命に命をつないできてくれた人たちによって、
今を生きています。
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