雑学、人の構成は何からなっている。
宗教。
宗教は誰が作り広めたか。
一人の人間である、確かに彼は神の教えを伝える長であったけど、神を信じることで病気がなくなり、富を得て幸せになれるとは限らない。
確かに心が癒される事はあるだろうが、救われることはない。
神の名の下で幾つかの争いが起きて戦われた戦争の傷は歴史となって残り、それがひとつの教えになっている。宗教は人の歴史と共に変化する。当然、そうなると今の宗教を否定する人間が現れ、原点にこそその心理があると説いて新興宗教が生まれる、当然そこは現、宗教との摩擦が生じる、それが今である。
宗教が必要ないとは言わないが、ようするに人は生きているし、弱いものである。
その弱みを突くべきではないし、その宗教に固持して、他を否定するのはどうかと思う。
我々はすべてのものと共存しているのである、相手の宗教に対応するのが、相手の宗教を信じることにはならないと思うのだが一部はそれを否定する。
魂。
人に霊は存在するか。
私には判らない。どうなの、そう言われたら文献とその宗教から判断するしかない。
霊魂の世界が存在する、そう言われるとそうなのかと信じるしかない。
確かに、人の身体は細胞で構成されている。
そのひとつが欠落すると病気になり、死に至ることになると考えるのですが、その細胞の中にひとつの魂、つまり核が組み込まれていて、細胞が死滅したときに、その核が放出されるのであれば、確かに、魂は存在するのかも知れない。
仏教の輪廻転生から言えば、人は再び生まれ変わると言う。
私はいまだ死んでいないし、体験もしていないが、それに似たような経験があるのですが、
これだ、という結論は出せないし出ない。
生きる。
私は生きているのでなく、生かされていると思っているひとりです。
この社会から、そしてこの星から、自然から命の源を貰い生かされていると思っている。
確かに私に命を与え、産んでくれた母がいてこそ私が生きているのであり、その源を維持してくれた祖父母、祖先があってこそ今日の私がいるのである。
それには感謝しているし、私の生きている糧にもなっているのである。
感謝という事は何も仏壇に手を合わせ、墓に参って手を合わせるのが全てでない。
墓石に霊が宿っているとは思わないし、それが祖先の供養になるとは思わない。
大切なのは、私たちが口にするすべての物に対して常に感謝して、食する物を残さないで食べる、可能な限りむやみに命を奪ったり、一花一枝に至るまで安易に折ったりしない、他の宗教を信じている人には敬意を払い、その教えに従って接し尊重して、否定するのでなく、いろんな言葉、国、宗教、考えを理解する能力を有することが大切である。このグローバル化が進む世界の中で幅広い知識と語学は大切だけど、人として、相手を思いやる寛容な心と感謝を忘れない事が一番大切である。
宗教。
宗教は誰が作り広めたか。
一人の人間である、確かに彼は神の教えを伝える長であったけど、神を信じることで病気がなくなり、富を得て幸せになれるとは限らない。
確かに心が癒される事はあるだろうが、救われることはない。
神の名の下で幾つかの争いが起きて戦われた戦争の傷は歴史となって残り、それがひとつの教えになっている。宗教は人の歴史と共に変化する。当然、そうなると今の宗教を否定する人間が現れ、原点にこそその心理があると説いて新興宗教が生まれる、当然そこは現、宗教との摩擦が生じる、それが今である。
宗教が必要ないとは言わないが、ようするに人は生きているし、弱いものである。
その弱みを突くべきではないし、その宗教に固持して、他を否定するのはどうかと思う。
我々はすべてのものと共存しているのである、相手の宗教に対応するのが、相手の宗教を信じることにはならないと思うのだが一部はそれを否定する。
魂。
人に霊は存在するか。
私には判らない。どうなの、そう言われたら文献とその宗教から判断するしかない。
霊魂の世界が存在する、そう言われるとそうなのかと信じるしかない。
確かに、人の身体は細胞で構成されている。
そのひとつが欠落すると病気になり、死に至ることになると考えるのですが、その細胞の中にひとつの魂、つまり核が組み込まれていて、細胞が死滅したときに、その核が放出されるのであれば、確かに、魂は存在するのかも知れない。
仏教の輪廻転生から言えば、人は再び生まれ変わると言う。
私はいまだ死んでいないし、体験もしていないが、それに似たような経験があるのですが、
これだ、という結論は出せないし出ない。
生きる。
私は生きているのでなく、生かされていると思っているひとりです。
この社会から、そしてこの星から、自然から命の源を貰い生かされていると思っている。
確かに私に命を与え、産んでくれた母がいてこそ私が生きているのであり、その源を維持してくれた祖父母、祖先があってこそ今日の私がいるのである。
それには感謝しているし、私の生きている糧にもなっているのである。
感謝という事は何も仏壇に手を合わせ、墓に参って手を合わせるのが全てでない。
墓石に霊が宿っているとは思わないし、それが祖先の供養になるとは思わない。
大切なのは、私たちが口にするすべての物に対して常に感謝して、食する物を残さないで食べる、可能な限りむやみに命を奪ったり、一花一枝に至るまで安易に折ったりしない、他の宗教を信じている人には敬意を払い、その教えに従って接し尊重して、否定するのでなく、いろんな言葉、国、宗教、考えを理解する能力を有することが大切である。このグローバル化が進む世界の中で幅広い知識と語学は大切だけど、人として、相手を思いやる寛容な心と感謝を忘れない事が一番大切である。
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