「篤姫」もいよいよ佳境に入りました。あと12,3話くらいで完結ですね。
長州征伐、薩長連合と、物語りも加速的に進んできています。ここ数回は嫁(和宮)姑(篤姫)の心の行き違いが主な内容だったのですが、これからは多分、篤姫を中心に大奥の女性たちがいかに一致団結して江戸城開場の時を迎えるかまでが描かれることでしょう(あくまで予想です)。
「女の道は一本道」という作品全体を貫くテーマが、まさにその時生きてくるのでしょうね。
そんなことを予感させたのが、滝山の言った「天障院様と同じく、ここを死に場所とする所存でございまゆえ」という台詞でした。(正確な台詞でないかもしれません)。
この作品は本当に伏線の張り方が上手いですよね。前にも書きましたが、最後に大奥に鍵をかける人物が滝山だったそうです。
稲森いずみさんの滝山はもう完璧なのではないでしょうか。出番も台詞も決して多くはない滝山ですが、稲森さんは立ち居振る舞いや言葉使い、目線、と、一寸の隙もなく「聡明なキャリアウーマン滝山」を演じています。「静寂」が着物を着ているような風情すら感じます。
ところで、「篤姫」ではいわゆる「大奥モノ」にありがちな、ねちねちとした湿度がほとんどありませんよね~。これも多くの女性ファンを獲得した要因じゃないかな、と私は思うのです。正直なところ、私も番組の予告を観て「大奥かぁ~」と、観るのどうしましょうかね~なカンジだったのですから(^^;)。でもフタを開ければ、そんな「大奥」など作風に合わないのもわかりましたし、何より作品で描きたかった「大奥」の女性たちは、自分できちんと物事を考え、見つめ、行動できる、現代の私たちと同じ「女性」であった、ということが私にも感じられてきたのです。
そんな中、「ここを死に場所と。。」と言える滝山は、なかなかそうも言えない現代の真面目に働く女性のあこがれかもしれません。
そういう意味で、滝山にそう言わせた脚本は、もうお見事としか言いようがありません。
ちょっと褒めすぎの私でもありますが(^^;)えへ、今後の「篤姫」はそういう女性たちの歩み方にも注目したいところです。
長州征伐、薩長連合と、物語りも加速的に進んできています。ここ数回は嫁(和宮)姑(篤姫)の心の行き違いが主な内容だったのですが、これからは多分、篤姫を中心に大奥の女性たちがいかに一致団結して江戸城開場の時を迎えるかまでが描かれることでしょう(あくまで予想です)。
「女の道は一本道」という作品全体を貫くテーマが、まさにその時生きてくるのでしょうね。
そんなことを予感させたのが、滝山の言った「天障院様と同じく、ここを死に場所とする所存でございまゆえ」という台詞でした。(正確な台詞でないかもしれません)。
この作品は本当に伏線の張り方が上手いですよね。前にも書きましたが、最後に大奥に鍵をかける人物が滝山だったそうです。
稲森いずみさんの滝山はもう完璧なのではないでしょうか。出番も台詞も決して多くはない滝山ですが、稲森さんは立ち居振る舞いや言葉使い、目線、と、一寸の隙もなく「聡明なキャリアウーマン滝山」を演じています。「静寂」が着物を着ているような風情すら感じます。
ところで、「篤姫」ではいわゆる「大奥モノ」にありがちな、ねちねちとした湿度がほとんどありませんよね~。これも多くの女性ファンを獲得した要因じゃないかな、と私は思うのです。正直なところ、私も番組の予告を観て「大奥かぁ~」と、観るのどうしましょうかね~なカンジだったのですから(^^;)。でもフタを開ければ、そんな「大奥」など作風に合わないのもわかりましたし、何より作品で描きたかった「大奥」の女性たちは、自分できちんと物事を考え、見つめ、行動できる、現代の私たちと同じ「女性」であった、ということが私にも感じられてきたのです。
そんな中、「ここを死に場所と。。」と言える滝山は、なかなかそうも言えない現代の真面目に働く女性のあこがれかもしれません。
そういう意味で、滝山にそう言わせた脚本は、もうお見事としか言いようがありません。
ちょっと褒めすぎの私でもありますが(^^;)えへ、今後の「篤姫」はそういう女性たちの歩み方にも注目したいところです。