大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

誤訳怪訳日本の神話・46『タケミカヅチ』

2021-06-22 09:08:04 | 評論

訳日本の神話・46
『タケミカヅチ』  

 

 

 イザナギ・イザナミのミトノマグワイ(男女でいたすこと)の最後に生まれたのが火の神(ホノヤギハヤヲ)であることは、5『イザナギ・イザナミの神生み』で触れました。

 イザナミを焼き殺したホノヤギハヤヲはイザナギによって切られてしまいますが、この時に使われた剣がイツノヲハバリで、このイツノヲハバリに着いた血から生まれたのがタケミカヅチです。

 アマテラスにすると、母の仇の火の神をやっつけた特別な剣で、その剣が神として神格化したものですね。

 

 アマテラスに命じらて出撃したのは息子に当るタケミカヅチです。

 

 タケミカヅチはアメノトリフネに乗って出雲の國の伊耶佐小濱(いぎさのおはま)に降り立ちます。

 この時の現れ方が、赤塚不二夫の漫画風なのです。

 最初に、このくだりを読んだ時は『天才バカボン』の一コマかと思いました。

 

 岩の上に突き刺さったトツカノツルギの上で胡座をかいています。

 ときどき、上下が逆さまになったりして、驚くオオクニヌシに凄いことを言います。

「オオクニヌシ、ここは豊蘆原の中国(トヨアシハラノナカツクニ)は天照大神のお子であるアメノオシホミミ(アマテラスの玉から生まれた)が治めることになった」

「え、初めて聞いたぞ」

「初めて言ったのだ」

「なんだ、それは!?」

「これまで、アマテラスさまは、三人の神を遣わされたが、ことごとく役に立たなかった」

「ワハハ、頼りない奴ばかりだったからだ」

「ちがうぞ、オオクニヌシ。アマテラスさまは、なるべく穏便に国譲りを果たそうとなさって、穏やかな神たちを遣わされたが、仏の顔も三度まで……神さまだけどな。もう、四の五の言わせねえぞ。俺は、イザナミノミコトを焼き殺した火の神をギッタギタにやっつけたイツノヲハバリの息子だ。でもって、親父よりも強いからな、逆らったらぶっ殺す!」

 バカボンパパのようなシュールな現れ方だけでも不気味なのに、その出自を聞いて、オオクニヌシはビビってしまいます。

「えと……わたしはね、根の国粗忽国の……」

「粗忽な国なのか?」

「いや、底つ国だ。いちいち変換ミスを言わんでもいい(^_^;)、で、粗忽国……うつってしまった」

「底つ国がどーした?」

「底つ国のスサノオノミコトから頂いた土地だ、簡単には渡せるか」

「アホか。スサノオなんて、とっくの昔にアマテラスさまに負けとるぞ。んなのは無効に決まっとるだろーが。粗忽国なんてめじゃねえ」

「あ、また変換ミス」

「変換ミスは、おまえがバカだからだ、さっさと譲れ。譲ったら、ちゃんと神社たてて祀ってやるぞ。嫌なら、ここで死刑だ!」

「わ、分かった(;'∀')」

 オオクニヌシは降参しますが、取り巻きの部下の神たちが剣を抜いたり、大岩を投げつけて抵抗しますが、タケミカヅチは特大の雷を落としてやっつけてしまいます。

 ガラガラ ピッシャーーーン!!

 タケミカヅチは剣の神でもありますが、雷神でもあります。

 オオクニヌシは出雲の多芸志(たきし)の小浜に神社を建ててもらって隠居することになります。

 こうやって、アマテラスは、改めて息子のアメノオシホミミを遣わすことにします。

 しかし、先にも書きましたが、このアメノオシホミミが、どうにも頼りない。

 一番最初に、中つ国遠征を命じられた時も、あれこれ理由を付けて断っていました。

 そのために、アメノホヒ → アメノワカヒコ → タケミカヅチ の三人が相次いで派遣され、その都度、アマテラスは気をもんで、皴の数を増やしてしまったのです。

 話は、まだまだ二転三転の気配です。

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誤訳怪訳日本の神話・45『豊蘆原中国攻略は最終局面に』

2021-06-16 09:44:29 | 評論

訳日本の神話・45
『豊蘆原中国攻略は最終局面に』  

 

 

 兵庫県の西向こうの本州を中国地方と言います。

 

 岡山 広島 鳥取 島根 山口 の五県です。

 日本の他の地方は、関東、関西(近畿)、東北、北海道という呼び方が一般的で、~地方という言い方はあまりしません。せいぜい天気予報で「明日の近畿地方のお天気」というくらいのことです。

 ところが、この五県に限っては、必ず『中国地方』と言います。

 石平さんが山陽地方の高速道路を走っていて『中国自動車道』の標識を見て驚いたとおっしゃっていました。

 自国での弾圧を恐れて日本にやってきたのに、なんの陰謀か、知らぬ間に中国の道に入り込んでしまった!?

 石平さんを驚かせたように『中国~』と書くと、非常に紛らわしいので、多くの場合『中国地方』と表現します。

 中国自動車道の場合は『中国地方自動車道』では長くて、語呂が悪いので付けられた例外的な表現だと思います。

 

 で、あの隣国と紛らわしい『中国』という名称を使っている事情は記紀神話に遡ります。

 

 神武天皇以前の神話世界は、大きく分けて二つの世界がありました。

 天照大神の天上世界である高天原(たかまがはら)。

 大国主が治める地上世界、豊芦原中国(とよあしはらのなかつくに)。

 中国地方の中国は、この中国(なかつくに)からきていることは、分かっていただけると思います。

 

 さて、その中国をアマテラスは、その支配下に置こうと人を遣わします。

 長男のアメノオシホミミ……こいつは、下界に下るのを嫌がって断りました。

 次男のアメノホヒは、逆にオオクニヌシに取り込まれてしまいました。

 三回目には、イケメンのアメノワカヒコを遣わし、ワカヒコはオオクニヌシの娘、シタテルヒメと結婚して、うまくやっているように見えましたが、シタテルヒメとの甘い生活に溺れて、事が進みません。

「オモヒカネ、どうなってんのよ!?」

 アマテラスは、雉の精のナキメを遣わしますが、アメノホヒは、ナキメを射殺してしまいました。

 射殺した矢は、勢い余って高天原の池のほとりを散歩していたアマテラスの足許のまで飛んできます。

「え、なによ、暗殺者!?」

 拾い上げた矢をオモヒカネはが拾い上げます。

「これは、アメノワカヒコをに授けた矢ですじゃ!」

「なんだって?」

「いえ、だから……」

「あの弓矢を授けろって言ったのは、オモヒカネ、あんただったわよね!?」

 オモヒカネは、天岩戸のころからの賢い知恵者の老人でしたので、大事にしてきたし相談役として尊重もしてきましたが、命を狙われてはアマテラスも頭に来ます。

「責任とんなさいよ、責任!」

「は、はい……」

「どーすんのよ!?」

「ええと……」

「もう、これで三回目なんですけど! 三回目!」

「いえ、ですから……ええい、この矢、射った奴に当れえええええ!」

 そう言って、オモヒカネは矢を池の中に投げ返します。

 

 ブス!

 

 アマテラスの怒りとオモヒカネのヤケクソが籠められた矢は、超音速で飛んで行き、シタテルヒメと励んでいたワカヒコの背中に当って心臓を貫いてしまいます。

 

「あ~あ~ 殺しちゃって……どうすんのよ、このあと?」

 自分で焚きつけておきながら、アマテラスはオモヒカネに解決を迫ります。

「いたしかたありません、かくなる上は……天の石屋戸(アメノイワヤド)のイツノヲハバリ……あるいは、その息子のタケミカヅチノヲを遣わしまする」

「あの親子って、情け容赦ない殺し屋だったりするわよ(;゚Д゚)」

「いたしかたありません、事ここに至っては、いささかの荒療治を……」

「マジ……?」

「マジ」

「分かった……そのようになさい」

 タカマガハラの豊蘆原中国(トヨアシハラノナカツクニ)攻略は最終局面を迎えようとしていました。

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・44『ナキメを遣わす』

2021-06-10 09:06:30 | 評論

訳日本の神話・44
『ナキメを遣わす』  

 

 

 長男のアメノオシホミミには嫌がられ、次男のアメノホヒを遣わしましたがうまくいきませんでした。

 三度目の正直!

 アマテラスは、オモヒカネの献策で、血筋にはこだわらず、自分の子ではないイケメンのアメノワカヒコを遣わしました。

 ワカヒコは、地上に着くや、幸先よく、熊に襲われそうになっていたシタテルヒメを助けます。

 シタテルヒメはオオクニヌシの娘で、ワカヒコは難なく、オオクニヌシの娘婿に収まることに成功しました。

 

「そろそろ、お義父さんのオオクニヌシにお会いして、きちんとご挨拶したいんだけど」

「挨拶は、結婚するときにしたじゃありませんか。父の所に行ったら、歓迎会やら宴会に連れまわされて疲れるだけだから、また今度。それより、新しいベッドが来たから、二人で試しましょうよ(^▽^)」

「え、ベッドを試すって(#*´ω`*#)?」

「決まってるじゃない(#^_^#)、あ、な、た……」

「わ、わかったよ、シタテル……(#'∀'#)」

 

 気持ちの上では、一刻も早くオオクニヌシに会って、取り入るか、力づくで打ち倒すかの判断をしたいワカヒコですが、中つ国でも一番と謳われるシタテルヒメに言われては断れません。

「坊ちゃま、姫を襲っていたクマですがね……」

 高天原から付き添ってきた乳母のサグメが内緒話をします。

 サグメは、正式には天佐具売・天探女と書きます。命(みこと)の敬称が付かないので、神さまよりも一級下の巫女的な女だったと思われます。ちょっとひねくれた婆さんで、あることないことを告げては人を惑わす性悪女です。

 一説では、天邪鬼(あまのじゃく)の第一形体であったとも言われています。

 ワカヒコは、慣れない中つ国(地上)にまで付いて来てくれた乳母だと信じています。

「なんだ、サグメ?」

「婆やは思うんですよ。あの熊は、姫さまに横恋慕していた男のなれの果て。恋しい恋しいという気持ちが高じて熊に変身してしまったんだと」

「なるほど、意馬心猿という言葉もあるよな。恋しい女を目の前にしたら、馬か猿みたいに野生にかえってしまうって」

「そうでございますよ、アマテラスさまの意に沿うという坊ちゃんのお心は見上げたものでございますがね、禁欲的になり過ぎては、いざという時には、それこそ意馬心猿……」

「ん? どうなると言うんだい?」

「猿のようになって姫に挑んでは、爪や歯で姫を傷つけてしまうでしょう。万一、あそこが馬や熊のようになっては、姫のお腹を突き破ってしまうことにもなりかねません」

「そ、そうなのか!?」

「はい」

「じゃ、姫から誘われた時は、躊躇してはいけないなあ」

「まことに……」

 というやり取りを妄想するのですが、まあ、こんな感じであったのでしょう。

 ワカヒコは寝る間も惜しんで、姫に挑みかかります。

 

「どーゆーことですかあ!?」

 

 中つ国の攻略が進展しないことにいら立ったアマテラスはワカヒコの様子を窺って頭に来ます。

「えと、それでは、雉の精のナキメを遣わして戒めましょう(;'∀')」

 アマテラスはオモヒカネの進言に従って、メッセンジャーのキジメを送ります。

 ナキメが地上の宮殿に着いた時も、ワカヒコと姫はベッドの中で励んでいる最中です。

「高天原からの伝言! 伝言!」

 そう言うと、ナキメはアマテラスの声で詰問します。

「アメノワカヒコ! 身内でもないそなたを地上に遣わしたのは、中つ国の下品な神々をまつろわせて、高天原に従わせるためです! それを、オオクニヌシに会うこともせずに、朝っぱらから、なんというザマですか! 反省しなさい! 反省!」

「ちょ、なによ、この雉、気持ち悪いんですけど!」

 邪魔された姫は機嫌が悪い。

「こ、こんな雉、知らねえよ! ええい、こうしてくれる!」

 プシ!

 ワカヒコは、アマテラスに持たされた弓矢で、ナキメを居殺してしまいました(-_-;)。

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・43『三度目はアメノワカヒコ』

2021-06-04 09:37:07 | 評論

訳日本の神話・43
『三度目はアメノワカヒコ』  

 

 

 二度目に遣わした次男のアメノホヒがオオクニヌシに取り込まれて家来のようになってしまいました。

 ミイラ取りがミイラになるを地でいったような失敗でした。

 高天原勢力の中つ国への浸透は一筋縄ではいかなかった。

 言い換えれば、アマテラスは、相手が靡かなければ「戦争するぞ!」などと力押しにすることなく、なるべく平和的に解決しようとしていたということでもあり、勢力的には拮抗していたことの現れだとも言えます。

 

 アマテラスはオモヒカネでは頼りないと思い、タカムスヒノカミ(高御産巣日神)も加えて相談し、天津国玉神(アマツクニタマ)の息子のアマノワカヒコ(天若日子)を遣わすことにします。

 タカムスヒはイザナギ・イザナミの前に出てきた創造神で、姿形がありません。

 おそらくは『困った時の神頼み』ということを現しているのだと思います。

 オモヒカネは高天原の長老的存在ですが、云わば高天原市民(住人は全員神さま)の代表というか町内会長であります。

 その市民代表との協議でうまくいかなかったので、神さまの神さま的なタカムスヒノカミに相談=神さまのお告げを聞く的な描写になっているのだと思います。

 日本に限らないことですが、人の頭で判断できなくなったり、力が及ばなくなると、人は神頼みになります。

 桶狭間に今川義元を迎え撃つ織田信長は出撃直後に熱田神宮に立ち寄って祈願しています(軍勢を整える間もなく清須城を飛び出したので、祈願することで家来たちが揃うのを待っていたという説もあります。ただ、祈願そのものは真剣で、勝利した後、熱田神宮に様々に寄進しただけではなく、神宮の塀を立派な土壁に作り替え、今でも『信長の壁』として残っています。たしか日本三大土壁の一つになっています)

 明智光秀が謀反を起こす時も、愛宕神社に神頼みした上にお御籤まで引いた話は有名です。光秀が引いたお御籤は「凶」ばかりなので「吉」が出るまで引き直したと言われています。

 さて、アマノワカヒコ。

 アマテラスは、彼に天のマカコ弓と天のハハ矢を授けて「みごとにオオクニヌシをぶち殺してきなさい!」と送り出します。

「承知つかまりました。このアメノワカヒコ、身命を賭してお役目を務めてまいります!」

 まるで大河ドラマの主人公が、乾坤一擲の出陣をするように地上に天下っていきます。もし、高天原にテレビがあったら、その出発式はCM抜きのライブ放送になって、視聴率の新記録になったでしょう。

 キャーーーー!!

 サグメという婆やを連れて地上に降り立ったアメノワカヒコは。降り立ったとたんに女性の悲鳴を聞きます。

「なにごとだ!?」

 マカコ弓にハハ矢をつがえて駆けつけますと、見目麗しい女の子が熊に襲われているところです!

「いま、助けるぞ!」

 アメノワカヒコは、叫ぶと同時にハハ矢を放って熊を退治します。

「サグメ、声を掛けてやってくれ」

 女の子は熊に襲われて、衣服も乱れて気が動転している様子なので、まず、サグメに介抱させます。

「大丈夫、お嬢さん?」

「は、はい、お陰様で……お婆さん、わたしを助けてくださった、あのお方は?」

「あのお方は、高天原のアマテラスさまがお遣わしになったアメノワカヒコさまですよ。ワカヒコさま、こちらへ」

「ワカヒコです、もう、大丈夫ですか?」

「はい、危ないところをお助け下さってありがとうございます。わたし、オオクニヌシの娘でシタテルヒメと申します」

「おお、オオクニヌシ殿のお嬢さんであったか!?」

 女の子は、オオクニヌシと宗像の女神との間に生まれたシタテルヒメであったのです。

 ワカヒコの降臨は、幸先よく転がり始めました……。

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・42『オモヒカネとアメノホヒノミコト』

2021-05-29 09:18:32 | 評論

訳日本の神話・42
『オモヒカネとアメノホヒノミコト』  

 

 

 八意思兼神(ヤゴコロオモヒカネ)、略してオモヒカネという神さまが登場します。

 

 スサノオが大暴れして高天原をメチャクチャにして、頭に来たアマテラスが天岩戸に隠れた話をしました。

 高天原の八百万の神さまたちは困り果てて、天安河原(あめのやすかわら)に集まって会議をしました。困った時には、みんなで集まって会議をする(大勢の時もありますし、主要メンバーだけの時もあります)のが、日本の神話から現代に至るまでの特徴だと申し上げました。

 その天河河原で議長になって話をまとめたのがオモヒカネなのです。

 自分を騙して岩戸から引っ張り出した張本人なのですが、逆に、そのことでアマテラスはオモヒカネを信頼して、相談役にしておりました。

 まあ、アマテラス自身、岩戸に隠れてみんなを困らせたのは更年期のヒステリー……思っていても、口にしませんし、指摘する不躾な神さまもいません。

 オモヒカネを重く用いることで、そういう反省や気持ちを現していたのかもしれません。。

 

 余談になりますが、日本神話や日本の歴史においては、人を糾弾するということが、あまりありません。

 世界史はズボラな勉強しかしませんでしたので証拠を挙げろと言われると困るのですが、外国では、糾弾が行き過ぎて魔女裁判的なことが、たびたび行われます。

 中世や独立前後のアメリカの魔女裁判は、文字通りそうですし。中世の異端審問(ガリレオがやられました「それでも地球は回っている」の呟きが有名ですね)。フランス革命のジャコバン派などの恐怖政治、ロシア革命、中国の文化大革命、東京裁判などがそうですね。日本人は戦犯として3000人あまりが処刑されましたが、アメリカ人など連合軍側で戦犯に問われた者は、わたしの記憶の中にはありません。

 その、オモヒカネにアマテラスは聞きます。

「ねえ、オシホミミが逃げちゃったんだけど、他に適任者はいないかしら?」

「そうですね……それでは、第二皇子の天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)をおつかわしになってはいかがでしょう?」

「そうね……血筋から言ったら、あの子になるかなあ……」

 ということで、アメノホヒが呼び出され豊芦原之千秋長五百秋之瑞穂国(とよあしはらのちあきのながいおあきのみずほのくに)……長ったらしいので、これからは地上と書きます(^_^;)。

「はい、兄に成り代わって、このアメノホヒが地上を治めます!」

 あたかも大河ドラマの主人公のようなカッコよさで引き受けて地上に向かいます。

 しかし、ミテクレはかっこよくとも、政治的な手腕というものは別物です。

 

 アメノホヒがとった政治は、徹底した融和主義とでもいうようなもので、何かにつけてオオクニヌシに相談して政治を行います。

 まるで、源氏の血筋が途絶えた後の鎌倉幕府の将軍です。摂関家や皇子から選ばれた将軍にはなにも決定権がない飾り物でした。

 融和主義というのは、無責任と紙一重なところがあります。

 なんの見通しもなく、ただ優しくすれば道が開けるだろうという、よく言っても楽観主義に陥ることがあります。

 

 幣原喜重郎という、大阪出身の唯一の総理大臣がいました。

 戦前は外務大臣で、大陸に対しては徹底した融和主義をとって、結果的に事態を混乱させ、現地の日本人が多く犠牲になることを防げませんでした。ワシントン軍縮会議では代表になって渡米、当時のタイム誌の表紙を飾ったこともあります。レジ袋を有料化した某長官同様、いわば人気者でした。

 戦後、軍部から遠く、任期もあって、融和主義であったということで戦後二代目の総理大臣になりますが、半年余りの任期では「平和主義」を看板にしただけで、なにもできずに吉田茂にバトンタッチしました。

 二十代の終わりころ、所用で門真市役所に行った時に『幣原喜重郎コーナー』を発見しました。各種受付が並んだ片隅に、学校の購買部ほどのショーケースがあって、レジカゴに三杯分くらいの写真や手紙などの資料が並んでいるだけでした。

 2018年に生誕150年のプロジェクトが企画されたようですが、ざっと見たところ、ちょっと寂しいものを感じました。

 

 脱線しましたが、アメノホヒは、その子の代でオオクニヌシの家来になってしまいました(^_^;)。

 

 アマテラスは、第三の使いを地上に送ることになりますが、今度は、自分の血筋ではない神を送ることになります。

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・41『オシホミミ、母はあそこが欲しい……』

2021-05-23 09:21:14 | 評論

訳日本の神話・41
『オシホミミ、母はあそこが欲しい……』  

 

 

 スクナヒコナと、それに続いたオオモノヌシのお蔭で、豊芦原中国(トヨアシハラノナカツクニ)は安定した豊かな国になりました。

 その繁栄ぶりを雲の上の高天原から見ていたアマテラスは思います。

「あそこが欲しい……」

 アマテラスは、続けて考えます。

——トヨアシハラノナカツクニを治めるオオクニヌシも、その妻であるスセリヒメも、わが弟であるスサノオの子孫。スサノオは高天原で好き放題に暴れまわって、ずいぶん迷惑をかけたわよね……損害賠償とかもしてもらってないし……わたしの子どもや子孫が治めてもおかしくない……というか、わたしの子孫こそが治めるべきよね——

 思い立ったアマテラスは息子であるアメノオシホミミ(正勝吾勝々速日天之忍穂耳命・まさかつあかつかちはたひアメノオシホミミノモコト)に命じます。

「わたしの名代として、あそこを治めなさい。名前も豊芦原中国から豊芦原之千秋長五百秋之瑞穂国(とよあしはらのちあきのながいおあきのみずほのくに)と改めなさい」

「ちょっと長すぎるんじゃないかな……お母さん」

「そう?」

「うん、瑞穂銀行だって、平仮名のみずほ銀行にしてるくらいだし」

「ああ、それって、なんだか子ども銀行みたいで、きらいなのよ」

「でもさ、豊芦原之千秋長五百秋之瑞穂国(とよあしはらのちあきのながいおあきのみずほのくに)銀行なんてありえないでしょ」

「ま、名前は考えるとして、とにかくオシホミミ、あなたが行きなさい!」

「いや、でも、スサノオ叔父さんの子孫の国だよ。ぼくなんか、とても(^_^;)」

「なに言ってんのよ、オシホミミ。生まれた時の事思い出してごらんなさいよ!」

「えと……」

 

 オシホミミは思い出します。

 

 はるか昔、スサノオが母のイザナミ恋しさに母親似のアマテラスを訪ねた時の事です。

 かねて乱暴者の評判が高く信用のならない弟に「真心を示しなさい」と注文。

 スサノオが差し出した剣をバキバキに折ってしまいました。

「な、なにすんだよ、姉ちゃん!?」

 頭に来たスサノオは、アマテラスが差し出した勾玉をバキバキに噛み砕いて吐き出します。

 その勾玉のカケラから生まれた男神の一人がオシホミミだったのです。

 アマテラスとスサノオ二人の因縁が込められているので、アマテラスは最適だと思ったのかもしれません。

 

「で、でもさ、あれってお母さんが、屁理屈で叔父さんやりこめて、ちょっと険悪な雰囲気になったじゃん」

「え、そう?」

「そうだよ。お母さんが叔父さんの剣を折って三人の女神にしたでしょ?」

「そうよ、あの子たちは今でも高天原キャンディーズって呼ばれてるわ」

「キャンディーズ……いつの時代だよ(;'∀')。ま、いい。叔父さんが噛み砕いた勾玉からは、ぼくを含めて五人が生まれてきてさ、高天原のスマップか嵐かって言われたもんだよ」

「あんたも古い」

「キャ、キャンディーズよりは新しい!」

「で、叔父さんは『姉さんは三人、オレは五人だから、オレの勝ちだろ!』って言ったら、『それって、わたしの勾玉から生まれたんだから、わたしの勝ちよ』って、言い負かしたんだよね」

「オシホミミ、ちょっと深呼吸してごらんなさい」

「深呼吸?」

「いいから、やってみる!」

「う、うん」

 スーーーーー

「そこで、息を止める!」

「う、うん…………………………………………………………………………」

「よし、吐け!」

 ハーーーーー

 いきなり言われたオシホミミは、盛大に息を吐きだして、全身の緊張が抜けてしまいます。

 ポコ

「ほらね」

「え?」

「力が抜けるとね、あんた、ポッコリお腹が出るのよ」

「い、いや、これは……」

「国を治めるのは、それくらいに緩んでる方がいいのよ」

「で、でも、ぼくは嫌だよお!」

「オシホミミ!」

「いやだったら、いやだあああああああああ!」

「あ、ああ……逃げちゃった(^_^;)」

 オシホミミはなりふり構わずに嫌がるので沙汰闇になってしまいました。

 

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誤訳怪訳日本の神話・40『オオモノヌシ・2』

2021-05-17 09:39:01 | 評論

訳日本の神話・40
『オオモノヌシ・2』  

  

 


 我を大和(奈良盆地)の東の山に奉れば国造りはうまく行くと宣言し、それを受けて大国主神はこの神を祀ることで国造りを促進したと古事記には記されています。

 奈良盆地の南に、揃って形のいい小さな三つの山があります。

 天香久山(あめのかぐやま) 畝傍山(うねびやま) 耳成山(みみなしやま)

 いずれも、標高200mに満たない単独の山で、山梨や長野など2000m級の山々が聳えている地方の感覚からは、丘に見える代物かもしれません。

 じっさい、大和三山は人工的に作られたものではないかという説があったぐらいです。

 この大和三山を含んだ奈良盆地の南部が飛鳥地方で、藤原京(平城京の前の都)ができるまで、古代大和朝廷が箱庭のように営まれていたところで、大和三山は鉄道模型のジオラマに置かれたように可愛い山です。

 

 春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣(ころも)ほすてふ 天の香具山    
  
             持統天皇

 

 持統天皇(聖徳太子の伯母さん)が宮殿の廊下を歩いていたら、宮殿の軒端に普通に見えているような近所の山です。

 その、大和三山から東北に行った山地と盆地の間にあるのが三輪山です。きれいな三角錐の山で標高461mですから、高さでは大和三山の倍以上、ざっと見た大きさは数倍に感じます。

 つまり特別に立派な山なんですね。

 この、特別で立派な山を依り代として迎えたのですから、大物主(オオモノヌシ)と言うのは、その名前の通り大物として扱われたのでしょう。

 麓には大神神社(おおみわじんじゃ)があって、今でも三輪山をご神体とする別格の神社としてあがめられております。

 古事記には、こんなエピソードが書かれています。

 三嶋湟咋(みしまのみぞくい)の娘の玉櫛姫に一目ぼれしたオオモノヌシは丹塗りの矢に化けて、用を足していた玉櫛姫のホトを突いてびっくりさせます。姫は、その矢を持って帰ると(なんで、持って帰るんでしょうねえ(^_^;))、その矢は麗しのイケメンくんになって、めでたく二人は結ばれます。のちに女の子が生まれて、その子が長じて神武天皇の后になります。

 もう一つは箸墓古墳にまつわる話です。

 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)という早口で言ったら舌を噛みそうな姫神さまがいました。この姫の元に夜な夜な通ってくる男神がいたのですが、この男神は、ぜったいに姫に姿を見せません。

「ねえ、一度でいいから、明るいところで姿を見せてくれないかしら」

 寝床の中で、姫は男神にねだります。最初は「無理!」とか「ありえねえ!」とか断っていましたが、姫の熱意にほだされて約束をしてしまいます。

「じゃ、正体見ても、ぜったい驚いちゃダメだぜ」

「うん、たとえ化け物でも驚かないよ(#・ω・#)!」

「じゃ、朝になったら、枕もとの小物入れを覗いてみろよ」

「うん、分かった!」

 まあ、姫は、どこか腐女子的なところがあって、少々の事なら夏コミの同人誌的展開になっても驚かない自信があったんでしょう。

 朝になって目覚めると、さっそく姫は枕もとの小物入れを覗いてみます。

「どれどれ……え? あ? あ? キャーーーーー!!」

 電気が走ったように、姫は驚いてのけぞってしまいます。

 小物入れの中には、一匹の白蛇が蟠っていました。

 で、悲劇が起こります。

 のけぞって尻餅をついた姫のお尻の下には箸が置いてあって、それが姫のホトに突き刺さって、姫はあえなくも亡くなってしまいます。

 そして、この倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)が葬られたのが、大和盆地でもかなり早い時期に造られた前方後円墳だと言われる箸墓古墳であります。

 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)は七代孝霊天皇の皇女ということになっていますが、箸墓古墳の被葬者は卑弥呼という説もあって、いずれにしろオオモノヌシが特別な神さまとして扱われていることが偲ばれます。

 しかし、玉櫛姫といい倭迹迹日百襲姫命といい、Z指定の死に方ですねえ。

 ゲームなどで、こういう描写をしたら、確実に問題になります。ホトという言い方も教科書ではNGワードになっていて、日本神話を教科書に載せられない、小さな言い訳の一つにされています。

 とにかく、オオモノヌシは、スクナヒコナと並んでオオクニヌシの国造りの柱石になった神であります。

 二人とも、海の向こうからやってきたということで、朝鮮半島からやってきたという学者もいます。

 そんな検証をするような知識はありませんが、オオクニヌシの政権は、けして独裁ではなかったことを示しているように思います。

 日本海側のさまざまな勢力の女神とのロマンスやスクナヒコナやオオモノヌシのエピソードが物語るように、妥協と協調によってできた政権のように思います。

 日本と言うのは、神話の時代から、どこか、みんなで話し合ってとか力を合わせてという印象があって、わたしは好きです。
 スサノオが高天原で大暴れして、ブチ切れたお姉さんのアマテラスが天岩戸に隠れた時も、天安河原(あめのやすかわら)に大勢の神さまが集まって相談しました。そして、アメノウズメやタヂカラオなどが役割分担してアマテラスを引き出すことに成功していましたね。一芸にだけ秀でた神さまがたちが大汗かいて協力している姿は、何度読み返しても微笑ましいですね。

 玉櫛姫と倭迹迹日百襲姫命は恥ずかしい死に方をしますが、歴史的には、男の歴史的人物で、もっとすごいのがあります。

 上杉謙信の急死は、大きい用を足している時に、武田の間者によって下から串刺しにされたというのがあります。

 大河ドラマで上杉謙信をやることになった有名俳優が引き受ける前に、死に方の確認をしたという、それこそ有名な話があります。脱線しすぎますので、それについては深入りはしません(^_^;)。

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誤訳怪訳日本の神話・39『オオモノヌシ・1』

2021-05-11 10:07:37 | 評論

訳日本の神話・39
『オオモノヌシ・1』  

 

 

 スクナヒコナ(少彦名)はオオクニヌシとの国造りの途中で海の彼方に帰ってしまいます。

 日本書紀の一説に寄りますと、国造りをしているうちに、とっても仲良くなった二人は、もう生まれながらの兄弟か親友のようになってしまい、ついオオクニヌシがからかってしまいます。

「おめまえ、ちっちゃいのに、よく働くよなあ(^▽^)/」

 スクナヒコナに「小さい」は禁句なのです(^_^;)。

 静かに怒りの湧いてきたスクナヒコナは、顔色を変えることもなく、その日のうちにオオクニヌシに一言も告げずに帰ってしまいます。

 他には、スクナヒコナは蛾とかの虫の妖精なので、寿命が短く、それで突然帰った(死んだことを婉曲に表現した)ともいう解釈もあります。

 日本書紀は、古事記と違って『一書』という別冊というか掲載してある異説が多く、分量は古事記の十倍以上あります。

 

 ついでなので、古事記と日本書紀について、わたしなりの解釈を述べておきたいと思います。

 

 古事記は712年、太安万侶によって語り部・稗田阿礼の記憶を描きとめる形で作られました。

 古事記は神話なので、出てくるのは神さまばかりです。

 神さまと言うのは、フィクションの中の存在なので、ニ十一世紀の今日ならば、どのように書いても問題はありません。

 ところが、八世紀の日本の豪族たちのことごとくは神話世界の神さまの子孫ということになっています。

 たとえば、貴族のトップの藤原氏は天児屋命(あめのこやねのみこと)の子孫と言った具合です。

 貴族・豪族のご先祖がみんな神さまなので、古事記が出されると「ちょっと、うちの言い伝えと違うんだけど」と、苦情が出てきます。

「あ、それは申し訳ないです(;^_^」

 ということになり、古事記完成後十年もたたない720年に修正版を出すことになりました。

 それが日本書記なんですね。

 ほとんどの『うちの言い伝え』を載せてしまったので、その分量は古事記の十倍を超えることになってしまいました。

 

 日本のいいところなんでしょうねえ。

 

 これが中国の史書になると、一本道です。

 皇帝や王様の意に沿うものが一つ作られ(大抵は、皇帝のご先祖だけが偉くて、他の豪族・貴族はめちゃくちゃに書かれるか、抹殺されます)てお終いです。

 とにかく、スクナヒコナに関しては『国つくりの途中で帰ってしまった』ということでしか書かれていません。

 そして、途方に暮れたオオクニヌシの元にやってきたのがオオモノヌシノカミ(大物主命)なのです。

 オオモノヌシは「オレに手伝ってもらいたかったら、東の方に立派な神社を作って祀ってくれよな」と注文を付けてきました。

「うん、分かった。じゃ、とびきりのを作るよ(^_^;)」

 そうやって作られたのが、奈良の三輪山をご神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)なのです。

 

 ふつう、神社の鳥居を潜ると、正面に見えてくるのが拝殿です。

 拝殿というのは、人間が神さまに挨拶やお願いをするところで、賽銭箱とガラガラの鈴以外は、まあ、お飾りです。

 拝殿の奥にあるのが本殿で、ここに神さまが居ます。

 本殿は、拝殿とは別に塀で囲まれたりして、特別に見えます。

 たいてい、鏡や石や剣とかが安置してあります。御神体ですね。

 この、拝殿と本殿がワンセットで、ほかに手洗所やお札の頒布所、社務所、狛犬があって、数十本から数百本のクスノキなどの緑に囲まれてワンセットの神社になります。

 ところが、大神神社には本殿がありません。

 わたしも、初めて大神神社を訪れて、拝殿の向こうがスカスカなのに驚いた記憶があります。

 大神神社の御神体は、拝殿の背後にある三輪山そのものなんですね。

 三輪そうめんという素麵のブランドがありますが、その三輪そうめんの神さまでもあるのがオオモノヌシであります。

 ええと……

 前説が長くなりました(^_^;)、中身は次回と言うことで、今回は失礼いたします。

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誤訳怪訳日本の神話・38『助っ人は海の彼方から・スクナヒコナ』

2021-05-03 09:13:48 | 評論

訳日本の神話・38
『助っ人は海の彼方から・スクナヒコナ』  

 

 

 かくしてオオクニヌシ(オオナムチ)は出雲を中心に北陸地方から中部地方の一部を含む地域の神(支配者)になりました。その間に、あちこちの女神と関係を持って、いや、仲良くなって180人も子どもの神さまが生まれます。

 オオクニヌシの女性関係の話ばかりしてきましたので、ここでは、オオクニヌシの国造りを補佐した神さまに触れたいと思います。

「女神のオネーチャンたちも大事だけど、ちょっとは国造りのことも考えなくっちゃなあ……近ごろはオオナムチじゃなくってオオクニヌシって呼ばれる方が多くなったしなあ……オオクニヌシって、漢字で書いたら『大国主』だもんなあ……大いなる国の主って意味だもんなあ……」

 そんなことを呟きながら出雲の海岸を歩いておりました。

 そもそもオオナムチで通っていたころ、兄のヤソガミたちの荷物を持たされて海岸を歩いていたら因幡の白兎と出会って運が開けたので、ゲン担ぎ、あるいは占ってみたら『海岸を歩きて吉!』と結果が出たのかもしれません。

 海岸を歩いていると、沖の方から小さな船が波に流されて海岸に漂着します。

 二十一世紀の今日では、海岸に打ち上げられるものは不審船かプラスチックゴミかとろくなものが無いのですが、昔の日本人の感性は、ちょっと違うのです。

 海岸に打ち上げられるものは尊いモノという感覚があります。

 日本のお寺や神社には、海岸や水辺に打ち上げられたものをご神体やご本尊に祀っているところがいくらもあります。

 たとえ、それが水死体であっても尊いものなので、七福神の一人『恵比寿・戎』の由来は海岸に打ち上げられた水死体を祀ったことが始まりと言われています。

 栃木県佐野市の龍江院には1600年に難破したオランダ船リーフデ号のフィギュアヘッドか船尾の飾りであったエラスムス象が貨狄尊者という神さまとして祀られています。

 オオクニヌシが見つけた小さな船には蛾の卵で作った衣を着た小さな神さまが乗っていました。

「この神さまは、いったい誰なんだろう?」

 小さな神さまは自分の名前を名乗らなかったのです。

 そこで、オオクニヌシは他の神さまや人やら、はては動物にまで「この小さな神さまを知らないか?」と聞いて回ります。最後に聞いたガマガエルが「それなら、田んぼの久延毘古(くえびこ)に聞いてみるといいよ」と教えてくれます。久延毘古とは田んぼの神さまで案山子(かかし)の姿をしています。

 カエルといい案山子といい、田んぼには知恵が詰まっているということなのかもしれません。

 その久延毘古が言います。

「そいつは、高天原のカムムスヒの神のお子さんでスクナヒコナ(少彦名)の神さまですよ」

「カムムスヒって言えば、俺の舅のスサノオノミコトの姉さんのアマテラスのブレーンじゃん、そんな偉い神さまの息子なのか!?」

 ビックリして手の中のスクナヒコナを見ていると、天上から声がします。

『やよオオクニヌシ、そいつは本当にわしの息子じゃ』

「え、その声は!?」

『オオモノヌシノカミじゃ』

「え、あ、恐縮です(^_^;)、で、なんで、そんな偉い神さまの御子息がわたしのごとき田舎の神のもとへ?」

『いやあ、あんまりチッコイので、儂の手からこぼれ落ちてしまってな。ま、これも縁じゃ、これからは兄弟ってことで、うまく葦原の中つ国を治めるといいぞ』

「ハハア、ありがたき幸せ!」

 こうやって、オオクニヌシはスクナヒコナと一緒に建国間もない葦原の中つ国を治めました。

 

 二つ妄想することがあります。

 

 一つは、スクナヒコナの素性を教えてくれた案山子の久延毘古(くえびこ)です。

 神代の昔から案山子があったことも面白いのですが、案山子が知恵者だということです。

『オズの魔法使い』にも案山子が出てきますね。

「ボクはね、カカシだから頭の中は空っぽでさ。オズの魔法使いに、ぜひとも知恵がいっぱい詰まった脳みそをさずけてもらいたいよ!」

 そう言って、カカシはドロシーたちと旅をしますが、実際はカカシは知恵が一杯あって、ドロシーを助けるということになっています。

 他にも、童話やお伽話に案山子が実は賢かったという設定があったように記憶します。

 たしかに、子どものころ母の里であった蒲生野の田んぼで突っ立っていた案山子は、どこか哲人めいて見えていたような気がします。

 二つ目は、スクナヒコナが高天原の出身だと言うことです。

 高天原は言うまでもなく、皇祖神で伊勢神宮の御神体であるアマテラスの世界で、天皇家の初代である神武天皇のご先祖の出身地であります。つまり大和朝廷そのものです。

 そこからやってきたスクナヒコナと共同で治めたということは、出雲政権には早くから大和朝廷の力が浸透していたか、古事記が成立した8世紀初頭には出雲と大和が協力関係にあって、目出度く合併していたということの現れではないかと思います。

 スクナヒコナは蛾の神さまであったという暗示の通り、長く出雲に留まることなく、高天原に帰ってしまいます。

「さて、まだまだ国造りはこれからなんだけどなあ」

 オオクニヌシがボヤいておりますと……

「女遊び止めたらいいんじゃね!?」

 スセリヒメが言ったかどうかは分かりませんが、高天原から、もう一人の助っ人の神さまがやってきます。

 オオモノヌシノカミという神さまなのですが、いろいろ面白い神さまなので次回、ゆっくりと語りたいと思います。

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誤訳怪訳日本の神話・37『ヌナカハヒメとスセリヒメ』

2021-04-27 09:46:08 | 評論

訳日本の神話・37
『ヌナカハヒメとスセリヒメ』  

 

 

 越の国はヌナカハヒメの館、その門前に立って、ヤチホコノカミ(オオクニヌシ)は歌を詠みます。

 最初、返事は返って来ませんが、何度か門の中に歌を投げ入れている(ヌナカハヒメの従者が取り次いだのか)うちに返事が返ってくるようになり、ヤチホコノカミは邸内に招じ入れられていい仲になります(n*´ω`*n)。

 しばらくは越の国に留まって楽しく暮らしたと記紀神話にはあります。

 ヤマガミヒメ、スセリヒメと数えて三人目の妻です。

「この調子で、もっと妻を増やしなさい!」

 ヌナカハヒメが言ったかどうかは分かりませんが、ヤチホコノカミは西日本のあちこちに出かけては妻を増やします。

 ヤチホコノカミ(オオクニヌシ)はヤチホコ(沢山の武器)を背景に西日本のあちこちを従えます。

 武力を背景にしていますが、力ずくという感じではなかったんでしょうねえ。

 地方の神々を妻にする(きちんと地方の神々を祀る)ことで信用を得て行ったのだと思います。

「越の国だけじゃなくて、山の向こうの、そのまた向こうの湖の国にも行って、豊かで平和な暮らしを広めてあげてください。わたしたちには子供も生まれましたし(^▽^)/」

 二人の間には建沼河男命や建御名方神(たけみなかたのかみ)=諏訪大社主神などが生まれています。

「え、いいの?」

「わたしのところだけが平和では申し訳ないです。あなたはスサノオノミコトからウツクシタマノカミの名もいただいているのですから」

「あ、それ忘れてたけど、めちゃくちゃイケメンの男って意味なんだよなあ(〃´∪`〃)」

「いいえ、魂までも美しい……」

「そ、そう? じゃ、じゃあ行ってみようかなあ(^_^;)」

 鼻の下を伸ばしてヤチホコノカミはあちこちに足を延ばして妻を増やしました。

 タキリヒメ(アマテラスがスサノオの剣を嚙み砕いて生まれた女神)、カムヤマタテヒメ、トトリノカミ(鳥取県の語源になった)などがそうですね。

 収まらないのがスセリヒメです。

「おい、ヤチホコ! オオクニヌシ! オオナムチ! いや、アシハラシコオ!」

「あのう……なんと呼んでくれてもいいんだけどね、そのアシハラシコオってのは日本一の不細工男って意味だから、ちょっと傷つく……」

「ふん、アシハラシコオで十分よ! それに、シレっと意訳してんじゃないわよ! シコオってのは不細工なんて生易しい意味じゃないわよ、一円玉ってことよ、一円玉!」

「え、なにそれ?」

「これ以上は崩せないって意味よ! それくらいに醜いって意味よ!」

「アハハ、うまいうまい(^▽^)/」

「笑ってごまかすなああ!!」

「ほんと、お父さん(スサノオノミコト)の直感は正しかったわよ、ほんと日本一のクズよ! あんたは!」

「いや、だから、これはね、ヌナカハヒメも言ってるけど、世の中を平和にするためなんだよ。うん、世界平和のためなんだよ。いや、ほんと、タケミナカタノカミが生まれてこなきゃ信濃国とも上手くいかなかったし、トトリノカミが生まれなきゃ『鳥取県』の名前も無かったわけだしさ」

「そいうことをシレっと言ってしまえる男なのよ! あんたみたいなのがいるから日本の男の浮気が停まらなくなんのよ!」

「いい加減にしろ!」

 ヤチホコノカミはスセリヒメに背を向けて馬の鐙に足を掛けます。

「いいえ、やめないわ! 今度は、ヤマトに行くつもりでしょ!? お願い、ヤマトだけはやめて!」

「うっせえ! ヤマトで待ってる女(ヒト)がいるんだ!」

「ヤマトに行ったら、今度は、あんたが呑み込まれるから、お願い、わたしのヤチホコ……」

 スセリヒメは手綱と鐙に手をかけビクともしません。

 手綱と鐙に掛けた手からは血が滲んでいます。父のスサノオによく似た黒目がちの瞳からは滂沱の涙が溢れ、涙の川となって道を隠してしまいます。

「……わかった、わかったよスセリヒメ。もう、どこにも行かないよ、この出雲で静かに暮らすことにしよう」

「そうよ、わたしのアシハラシコオ……」

 こうして、ヤチホコノカミは、やっと出雲に腰を落ち着けました。

 スセリヒメが最後にアシハラシコオと呼んだので、ヤチホコは、それ以上にはモテることもなくなり、大国主命として落ち着きました。

「でも、やっぱり心配!」

 スセリヒメは、亭主が浮気の虫を起こさないように、出雲大社だけは日本一の美しい巫女さんで揃えましたとさ……。

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誤訳怪訳日本の神話・36『門前のオオクニヌシ』

2021-04-22 09:37:58 | 評論

訳日本の神話・36
『門前のオオクニヌシ』  

 

 

 オオクニヌシがヤチホコノカミとして越の国(福井・富山・新潟)に向かったのはヌナカハヒメを口説き落とすためと古事記には書いてありますが、これはオオクニヌシに代表される出雲勢力が北上して、北陸地方に力を伸ばしたことを現しているのではないかと思います。

 大和朝廷の勢力は、その名の通り大和(奈良県)が本拠で、4世紀に勢力を広げて、5世紀には関東以南を支配下に置きます。

 当然、それぞれの地方には支配者が居たわけで、大和勢力は、硬軟様々な手法で地方政権と渡り合いました。

 その実相を明らかにするような能力はありませんので、得意の妄想で迫ったり脱線したりしたいと思います(^_^;)。

 越の国は古くから宝玉である翡翠(ひすい)の産地であります。薄緑の宝石で、古代には玉や勾玉に加工されて、単なる装身具だけではなく、呪術的な力を持った宝器とし扱われました。

 その翡翠の女神様がヌナカハヒメで、おそらくは越の国の主神、あるいは主神クラスの女神に違いなく、令和の今日でも糸魚川あたりの三か所にヌナカハヒメを祀った神社があります。

 

 オオクニヌシはヌナカハヒメの宮殿の前まで来ると、歌(和歌)を送って、姫のご機嫌をうかがいます。

「越の国に美しい姫がおられると聞いて、矢も楯もたまらずに、出雲からやってきました。美しい姫とはヌナカハヒメ、貴女の事です。どうか門を開いて、このヤチホコノカミに顔を見せてください!」

 意味としては、上のような和歌を門の外から姫に送ります。

 どんなニュアンスであったのかを訳す能力がありませんので、おおよその訳です(^_^;)。

 古代における恋愛は妻問婚が基本です。近年まで使われた言葉では『夜這い』でありましょうか。

 話は飛びますが、西郷隆盛が西南戦争で政府軍に夜襲をかけようと、深夜、鹿児島部隊を引き連れ、息を殺して敵陣地に向かいます。部隊の薩摩士族たちは、ものすごく緊張して息を潜めて進みます。

「まっで、ヨベのごたる」

 口語訳すると「まるで、夜這いに行くみたいだなあ」になりますが、鹿児島弁でないとおかしみが伝わりません(#^―^#)。

 西郷が呟くと、夜襲部隊のあちこちからクスクスと笑い声が起こります。

 この、ユーモアの感覚は独特のもので、西郷の魅力の一つなのですが、主題ではありません。

 鹿児島士族の若者には『夜這い』のイメージを浮かべるとクスクスになるのですね。

 真剣で、時めきながらも、どこか可笑しい男の姿であります。

 いまでは、夜這いという風俗はありません。遊学旅行で「おい、あそこから女子の風呂が覗けるぞ!」と情報を得て、男子こぞって覗きに行く感覚に近いと言えましょうか。

 ヌナカハヒメの門前に立った時のオオクニヌシは、むろん一人です。

 ヌナカハヒメは返事を寄こしません。一度の手紙や歌で反応するのは無作法なのですねえ。

 なんだか、女の方がガッツいている印象になります。

 何度か、オオクニヌシからの便りがあって、やっとヌナカハヒメは返事を出します。

 そういう駆け引きややり取りが合って、やっと男女の関係になります。

 

 昔は、よく手紙を書きました。

 あ、オオクニヌシのではなく、わたしの昔です。

 わたしの青春時代にも電話はありましたが、一家に一台の固定電話です。

 携帯電話ではないので、誰が出るか分かりません。

 彼女の父親などが出たら最悪です。

 本人が出たとしても、娘に男から電話がかかってきたというのは丸わかりになってしまいます(^_^;)。

 また、電話で発する言葉はリアルタイムですので取り返しがつきません。

 そこで、いきおい手紙になります。

 手紙は、考えながら書きますし、書き直しもできます。

 電話やメールやラインと違って、やり取りに間合いがあります。ラインと違って既読のシグナルもありません。

 昔……ばかり枕詞のように言って恐縮です。

 かつては、雑誌に文通コーナーというのがあって、文通相手の募集とかやっていました。

 そういう、文通コーナーや、友だちの紹介や、部活の付き合いなどから「手紙書いていいですか?」とか「文通してもらえますか?」から始まって、やっと手紙を書いて、相手に着くのに二日。

 相手が読んで返事を出すのに、早くても二日。

 特急で、手紙が着いたその日に返事を出すことやもらうこともありましたが、ちょっと軽い感じがしないでもありませんでした。オオクニヌシが最初の歌に返事が来ると、こういう感じがしたでしょうね。

 相手が手紙を出してポストに投函して、着くのに二日。

 文通と言うのは往診と返信で、最低一週間、普通は十日から一か月。

 ライン一本、短い返事なら数秒で戻って来る21世紀の今日の便利さや性急さは隔世の感があります。

 ダークダックスだったかの『幼なじみ』という歌の中に、こんなのがあります。

『出す当てなしのラブレター 書いて何度も読み返し 貴女のイニシャルなんとなく 書いて破いて 捨てた~っけ(^^♪』

 脱線しました(;^_^A

 次回はオオクニヌシとヌナカハヒメのその後に戻りますm(^_^;)m。

 

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誤訳怪訳日本の神話・35『ちょっと怪しいんですけどお(;一_一)』

2021-04-16 09:37:15 | 評論

訳日本の神話・35
『ちょっと怪しいんですけどお(;一_一)』  

 

 

 オオクニヌシは名乗りをヤチホコノカミと変えて越の国(福井・富山・新潟のあたり)に向かいます。

 ヤチホコとは沢山の武器を持っているという意味で、武神としてのオオクニヌシの性格を現しています。

 オオクニヌシは他の日本神話の神々と異なって、沢山の名前が付いています。

 ご先祖であり妻のスセリヒメの父であるスサノオは、後にも先にもスサノオの名前しかなく、姉のアマテラスも同様です。

 素人考えですが、オオクニヌシの姿が定着する過程で、いろんな神さまの話が一緒くたにされたのではないかと思います。

 なぜ一緒くたにされたのかと想像しますと、以下のように妄想します。

 オオクニヌシを頂いていた西日本の地域は大和朝廷に対立する大きな勢力であったので、大和政権に帰順させるにあたって特別扱いをされた。

 特別扱いなので、元々出雲にあった神々や大和の神々の話がまとめられてオオクニヌシという神格になった。

 だから、出雲を治めていた首長は国造として残され大和政権からも敬意を払われて、令和の今日でも天皇家と並ぶ古い家系として出雲大社の神主を務めておられると想像します。

 日本人は、一般的に大虐殺をやりません。

 相手を服属させても、地方長官として残して、彼らの文化や信仰を汚すような真似をしません。

 弥生時代の遺跡から銅鏡や銅鐸がまとめて出てくることがしばしばあります。

 おそらくは、他の集落や部族を従えた時に取り上げた、あるいは帰順のしるしに差し出されたものでしょう。

 世界的に見ると、服属した者の神は否定され、時には邪神、悪魔の扱いになり抹殺されます。神々の依り代や神具は壊されたり、金銀なら鋳つぶされて、金貨や装身具に鋳なおされます。

 日本では、祭祀権を取り上げるというか、より高次の神に統合することで継承されます。

 この感覚が、後に仏教が伝来した時には神仏習合という便利な考え方になり、ほとんど平和的にまとめられたのではないかと思います。たとえば、天照大神(アマテラス)は大日如来の垂迹(すいじゃく=仮の姿)であったなど。

 

 話をオオクニヌシに戻します。

 スセリヒメはスサノオの娘だけあって、非常に気の荒い女神であります。

 亭主のオオクニヌシが浮気を目的に越の国まで出かけるとあっては、決して許さなかったでしょう。

「ちょっと、あんた、馬を引き出させて、いったいどこに行くのよ!?」

「いやあ、狩りだよ、狩り。俺って『ヤチホコノカミ』って武神でもあるんだからさ、平和になったとは言え、そういう精神を忘れちゃいけないと思うんだよ。だから、武神のたしなみっていうか、腕が鈍らないためと言うか、部下の神々に示しを付けるためと言うか……ま、そんなノリでさ」

「ちょっと怪しいんですけどお……いつになく多弁になってるしい」

「違う違う、久々の狩りでさ、ちょっと興奮してんのさ。そ、そう、おまえを背負ってお義父さんのところから走って逃げたときみたいにさ。いやあ、あの時のスセリちゃんは可愛かったあ!」

「あ、それって、今は可愛くないって間接的に言ってない?」

「違う違う(^_^;)」

「そ~お、首筋を汗がつたってるんですけどお」

「あ、これは、気負ってるからっすよ。久々の狩りってゆったじゃん」

「そ~お?」

「とにかく、お義父さんがそうであったように、俺も武神の端くれ、腕がなまってはお義父さんに申し訳が無い。どうか、この俺の男を立てさせてくれよ!」

「そ、そう……そこまで言うなら。じゃ、早く帰って来るのよ」

 記紀神話の中では、原則的に女神は移動しません。あちこちほっつき歩いているのは男神ばかりです。

 アマテラスは高天原ですし、イザナミは死んでからは黄泉の国です。

 その点は、日本神話をモチーフにしたアニメも守っていて、記紀神話の女神の名前を付けられたキャラは移動しません。

『ノラガミ』でも大活躍する女神は『毘沙門』という外来の仏神の名前にしています。

 さて、なんとかスセリヒメを言いくるめたオオクニヌシ、いや、ヤチホコノカミは一路腰の国を目指します途中アリバイ工作の狩りを怠ることなく、やがて、ヌナカハヒメの屋敷の門前にたどり着きます……。

 

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誤訳怪訳日本の神話・34『スセリはスサノオの娘だぞ』

2021-04-09 09:20:59 | 評論

訳日本の神話・34
『スセリはスサノオの娘だぞ』    

 

 

 かつて出雲市と出雲大社のある大社駅を結ぶ大社線というのがありました。

 国鉄時代の盛んな頃は、大阪あたりからも直通列車があったといいます。

 

 名前の通り出雲大社に行くことを目的として作られた路線で、駅を降りると、一本道が伸びる先に出雲大社の鳥居が見えました。

 ご存知の通り縁結びの大元締めの神社で、巫女さんのグレードが高いと聞き及び、いささかけしからん動機で友人四人で大阪から訪れた事があります。

 聞き及んだ通り、玉砂利の境内を掃いている巫女さんも、お札・お守りの販売をしている巫女さんも素敵な女性でありました。

 出雲大社の本殿は伊勢神宮と並んで古式ゆかしい神社建築なのですが、創建当初は、本殿を支える柱の高さが、今の数倍あって、100メートルほどもあったといいます。

 まさに、スサノオが最後に叫んだ「高天原にも届くほどに高くて千木のある新宮を建てろ!」の新宮のようです。

 出雲大社の宮司さんは千家という姓で、その家系は天皇家の次ぐらいに古いと言われています。

 そして、その肩書は出雲大社宮司の他に、出雲の国造(いずものくにのみやつこ)の名乗りがあります。

 国造とは、日本史の授業でも習う、古代の律令制において地方豪族(もとは大和政権に敵対していた勢力で、帰順して地方長官たる国造の姓(かばね))が与えられものです。

 大方は律令制が崩壊した平安時代には姓ごと滅んでしまいましたが、出雲大社のある島根県では、まだまだ現役なのです。令和の現在でも国造を音読みして「こくぞうさん」と親しみを込めた呼び方をするそうです。

 地元の元日の新聞には、新年を寿ぐ挨拶が県知事と共に国造たる宮司さんのそれが、それも『国造』の肩書で並び立ちます。

 その出雲大社に祀られているのが、大国主命、つまり、この段で主役のオオクニヌシ(元のオオナムチ)であります。

 

 こうやってスサノオの娘であるスセリヒメと結ばれたオオクニヌシですが、彼にはすでに妻が居ます。

 そうです、因幡の白兎の下りで、兄のヤソガミたちを袖にしてオオナムチの妻になったヤマガミヒメです。

 父のスサノオに似て激しい気性のスセリヒメはなにかと本妻のヤマガミヒメをいじめて、ヒスを起こしては辛く当たります。

「もう、やってられません!」

 ヤマガミヒメは、心が折れてしまい、生まれたばかりの子を残して因幡の国に帰ってしまいます。

「どおよ……もう、これからは、わたしの事だけ見てなきゃ承知しないわよ(#-_-)!!」

「わ、わかったよ(;゚Д゚)」

 

 話がそれますが、友人のお母さんがおっしゃっていたことが思い出されます。

「息子に彼女ができたらね、できるだけ向こうの親御さんに会うことにしてるの」

 子どもと言うのは、親のコピーですから、若いときは違っても歳をとると似てきます。

 姿形もそうですが、気性が似てきますね。

 むろん例外はあって、親を反面教師として自分を磨く者もいますが、まあ、高い確率で似てきます。

 スセリヒメと相思相愛であったころのスサノオの仕打ちを見ていれば想像がついたと思います。

 想像がついたのなら、オオクニヌシはヤマガミヒメとスセリヒメが上手く行くように手を打つべきでした。

 記紀神話が成立した時代、豪族たちは一夫多妻で、むろん神さまの世界もそうです。

 そういう気配りや甲斐性は、男としての常識でした。

「ああ、どこかに、優しい理想の女の子は居ないもんかなあ……」

 オオクニヌシは、自分を省みることもなく、ただただ理想の女性を夢想するばかりです。

 そんなある日、宮殿の回廊でため息をついていると、一羽の鳥のさえずりが聞こえてきます。

『越の国にヌナカハヒメって気立てのいいお姫さまがいるよ』

 鳥のさえずりを、そう聞いてしまったオオクニヌシはスセリヒメに見切りをつけて出かけてようとします。

「ちょ、あんた、どこへ行くのさ!?」

 立ちふさがるスセリヒメに、シレッとして言います。

「あ、ちょっとね、狩りに行ってくるから」

「もお……一狩りしたら、とっとと帰ってくんのよ」

 亭主にストレスが溜まっているのも承知しているスセリヒメでしたから、モンハンの要領で亭主を送り出してやりました。

 はてさて、この夫婦の行く末やいかに?

 

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誤訳怪訳日本の神話・33『駆け落ち 追いかける親父』

2021-04-04 09:37:04 | 評論

訳日本の神話・33
『駆け落ち 追いかける親父』    

 

 

 オオナムチが鏑矢を持って焼け野原から帰還して、スサノオはやけ酒を飲んで寝てしまいます。

 

 ちょっと前のスサノオなら暴れたでしょうね。

 愛するものには見境が無くなるのがスサノオです。高天原では、亡き母にそっくりな姉のアマテラスが冷たくて、その歓心を買うために暴れまわりました。ヤマタノオロチをやっつけたのはクシナダヒメに恋をしていたからこその鬼神の働きでありました。それまでと同じキレやすい男なら、きっとオオナムチに体を張った勝負を挑んだでしょう。

 それが、やけ酒のふて寝ですから、そこらへんの親父と変わらない反応です。

 愛娘を持っていかれる父親の浅はかさと哀感に満ちております。

 オオナムチも、そんなスサノオを「このクソオヤジ!」などと抗うこともなく、ちょっと困った顔をしただけで、同じ屋根の下で普通に寝てしまいます。

「……ねえ、起きて、起きてよオオナムチ!」

 方やまんじりともできなかったスセリヒメは、こっそり起きると、ぐっすり寝ているオオナムチを起こします。

「え、え……?」

 起こされたオオナムチの頭はすぐには回りません。

「シーッ! わたしの言うこと、しっかり聞いて!」

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』を読んだ時に、このスセリヒメの下りを思い出しました。

 寝ている兄貴に馬乗りになって頬っぺたを張り倒して「人生相談があるの!」と迫って、大きくドラマが展開していく、あのシーンと同じポテンシャルを感じました。

 スセリヒメは生太刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)を袖に包み持って「これを持って駆け落ちしよっ!」と迫ります。モノは違いますが、桐乃が京介を自分の部屋に連れて行って禁断のコレクションを見せて、自分の趣味への共感を強いるシーンと被ります。

「ス、スセリは大胆だなあ……」

 押し切られて、オオナムチはスセリと二人で根の国を脱出する決心をしますが、暗い中なので天沼琴(アメノヌゴト)を踏んでしまいます。

 ポロロン♪

 その音で目を覚ましたスサノオが追いかけてきます。

 ヤマタノオロチをギタギタにやっつけたスサノオですが、娘が自分を捨てて好きな男と逃げる姿を見ては怒りも冷めてきます。おそらくは寂しさだけが胸を締め付けたでありましょう。

 両手をメガホンにして、若い二人に声をかけます。

「若造! その太刀も弓矢もくれてやる! それを持って、どこへでも駆け落ちしろ! いいか! その代わり、娘を、スセリヒメを幸せにしてやるんだぞおおおおおおお!!」

「お、おとうさん……」

「いいか、娘の為に高天原まで届くような立派な千木のある宮を建てるんだ! 名前も、婿に相応しいのに変えるんだ! ウツシクニノタマかオオクニヌシと名乗るんだぞ!」

 そして、オオナムチは先につけられたアシハラシコオ(日本一の醜男)からウツシクニノタマの神になり、スサノオのところから持ってきた武器で兄弟のヤソガミたちを従えてヤチホコの神、そして、偉大な国の神という意味の大国主神、つまり大黒様になっていきました。

 このオオナムチの変遷ぶりがモチーフになって『ノラガミ』の大黒のキャラが生まれますが、それは紹介にとどめ、先に進みたいと思います。

 オオナムチ、いえ大国主の神さま生活。それは、始まりドラマチックな割には、なかなか上手くは進みません。

 次回は、大国主とスセリヒメのその後をたどってみたいと思います。

 

 

 

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誤訳怪訳日本の神話・32『やっぱり、こいつは大っ嫌いだ』

2021-03-29 09:18:30 | 評論

訳日本の神話・32
『やっぱり、こいつは大っ嫌いだ』    

 

 

 スサノオの意地悪の三回目の続きです。

 

 一回は蛇の岩屋、二回目はムカデの岩屋に放り込みますが、オオナムチはスセリヒメが機転を利かせて事なきを得ました。

 三回目は、自慢の強弓で鏑矢を撃って、それを取りに行ってこいとオオナムチに命じます。

 弓矢の射程距離はせいぜい400メートルですから、小学校の外周を一周するほどの距離。

 ひとっ走り行ってこようと張り切るオオナムチですが、スサノオの矢は見渡す限りの草原の中に落ちてしまっています。

 草はオオナムチの腰の高さほどに繁茂していて、容易に見つけることができません。

「ええと……どこに落ちたかなあ……」

 オオナムチという若者は、言われたこと、命ぜられたことに疑問を持ちません。

 白兎のところでも兄のヤソガミたちに言われるままで、怒るということがありません。

 手間山の赤猪と偽って真っ赤に焼けた岩に押しつぶされ……これは一度死んでいます。体を押しつぶされたうえに、石焼き芋のように焼かれてしまいますが怒った様子がありません。

 スサノオの二度のいじめに遭っても、翌朝には「おはようございます」と挨拶しているようなありさまです。

「こいつ、どんな神経しとんじゃ!?」

 スサノオは、逆に切れやすいオッサンです。

 感情の量が大きい男です。

 子どものころは母親のイザナギが居ないと言っては手足をジタバタさせてしょっちゅう地震を起こしていましたし、高天原でも姉のアマテラスがブチギレて天岩戸に隠れるほどの悪さをします。

 そもそも、高天原に行ったのもスサノオの乱暴を持て余したイザナギに「お姉ちゃんのアマテラスには母の面影がある」と父に言われ、矢も楯もたまらなくなったからです。その勢いは凄まじく、アマテラスは「バカ弟が攻めてきた!」と、高天原の軍勢を引き連れて出撃したほどです。

 ヤマタノオロチを退治した時は、痛快な働きをしますが、その原動力は彼の大きすぎる感情量です。

 古事記を素材にした東映アニメに『わんぱく皇子のオロチ退治』がありますが、ここでのスサノオはオロチをやっつけるため神話世界第一の名馬と言われたアメノフチコマを乗りこなします。

 アメノフチコマは「あんたを乗せてやってもいいけど、あたしの走りっぷりを〇十分(時間は忘れました)瞬きせずに見てんのよ!」と言われ、一度も瞬きせずに見極め、見事自分の乗馬にしています。

 こういう激しく感情量の多いオッサンは、何を考えているか分からない、感情の揺らめきさえ見えないオオナムチは、たまらなくイライラする若造なんでしょう。まして、愛娘のスセリヒメがぞっこんなのですから、いらだちはマックスなのです。

 スサノオは、オオナムチが正直に鏑矢を探している草原に火矢を射かけて焼き殺そうとします。

 キャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 スセリヒメはムンクの『叫び』のような悲鳴をあげます。

 草原は一晩燃え続け、とてもオオナムチは生きていないだろうと思われました。手間山の赤猪の時も、オオナムチはちゃんと焼け死んでいますから。

「いいか、ああいうなまっちろいクソ男は、こういう死に方をするんだ。目を覚ませスセリヒメ!」

 理不尽な説教を垂れる父親にスセリヒメは言葉もありません。

 すると、ブスブス煙る焼け跡の向こうから声がします。

―― おとうさーーーん、ありましたよーーーーー ――

 呑気な表情で焦げた鏑矢を掲げてノンビリと歩いてきます。

「!?」

「オオナムチ!」

 スセリヒメはピョンピョン飛んで喜びます。

 スサノオは苦虫を嚙み潰したような顔をして思いました。

―― やっぱり、こいつは大っ嫌いだ ――

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