大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・不思議の国のアリス・番外編『アリスのアルバイト』

2016-10-23 06:45:25 | 不思議の国のアリス
不思議の国のアリス・番外編
『アリスのアルバイト』
        


――週末にアルバイトせえへん?――

 フランスに留学中の妹、アグネスから妙なメールが、慣れた大阪弁で届いた。
 確かに、この週末は空いている。
――フランスから、バイトの勧誘するかあ?――
 そう返事を送った。
――細かいことは言われへんけど、めったに無いバイト。ハッピー間違いなし!――
 折り返し、返事が返ってきて、イエスかノーか答を迫ってきた。

 ガキンチョのころから、イタズラしあってきた姉妹なので、とりあえず乗ってみることにした。

――ほんなら、金曜の晩11時にお迎えが来るよって、待ってるわな(^o^)!――

 そして、金曜の夜。どうせ駄洒落のようなメールがきてお終いだと思ったので、パソコンの前で、待っていた。
 いつになく、眠気がさしたアリスは、モニターの時間が10:59を指したところで眠ってしまった。

「アリス……アリス……迎えにきたよ」

 密やかだけど、はっきりした声に、アリスはすぐに目覚めた。
 お使いは、可愛いブルネットの女の子で、いわゆる女子用サンタのナリをしていた。顔つきはハリポタのハーマイオニーの初期に似ていて、胸なんかアリスの1/3……は言いすぎだけど、アリスのコンプレックスを刺激しない程度の大きさしかなかった。そして、なにより気に入ったのは、その子が大阪弁でしゃべるところだった。どこからどう見ても日本人なんかじゃないんだけど、アリスに負けないくらいの大阪弁である。
「あ、いま着替えるさかい……」
「なに言うてんのん、あんた、もう用意でけてるよ」
 気づくと、アリスは、いつのまにか、その子と同じ女子用サンタのナリになっていた。
「うわあ、いつの間ぁに?」
「アリスが、その気になってくれたときからや」

 パパもママも眠っているのか、気配がしない。
 通りに出ると、トナカイに繋がれたソリが待っていた。

「ほんなら、行くよ!」
 サンタ娘が声を掛けると、トナカイはゆっくりと夜空にソリをひき始めた。
「アリス、どこ行くねんな?」
 お隣のタナカさんのバアチャンが、声を掛けた。
「ちょっと、アルバイト~!」
「不思議やね、並の人間には、うちらのこと見えへんはずやのに……」
「あの、オバアチャンは……半分魔女みたいなもんやさかい」
「ハハ、東洋の魔女やね」

 次に意識が戻ったのは、妹のアグネスが居るフランスの街の上空だった。街はクリスマスの飾り付けやイルミネーションでいっぱいだった。おかげで、だれにも気づかれずに街一番の教会の裏から地下に入れた。

「いや、ほんま助かるわ。そこのAの3065のベッドで寝てくれるか?」
 サンタクロースから、いきなり言われた。
「あ……寝てて、なにしますのん?」
「寝てるだけ」
「え……?」
 サンタは、質問にも答えず、忙しそうに行ってしまった。
「まあ、とにかく寝てたら分かるよって」
 サンタ娘まで、どこかに行ってしまった。

 気づくと、隣のベッドで妹のアグネスが幸せそうな顔で眠っていた。

「しゃあないなあ……」
 横になると、アリスも直ぐに眠ってしまった。で、分かった……。

 プレゼントは、無限にあった。カタチのあるものだけじゃなく、希望の学校に行けるや、別居しているお母さんと会えるという、カタチにならないものまであった。
 そのプレゼントを仕分けて、発送できるようにするために、優しく人を思う心がエネルギーとして必要なんだ。
 そして、なぜサンタの配送センターがこの街にあるのかも分かった。

 この街は、クレルモン・ヘラン……くれるもん減らん……だから。

 分からない人は、無理に分かろうとしないほうがいいようだ。

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高校ライトノベル・あすかのマンダラ池奮戦記・5『フチスミの依代・1』

2016-10-23 06:29:01 | 小説5
あすかのマンダラ池奮戦記・5
『フチスミの依代・1』
        


 人影は黒髪の女子高生の姿をしていた……。

 女子高生の姿をしたそれは、神の間で通じる独特のあいさつをする。イケスミ、同じあいさつをかえす。あすかたじろぐ。

「トヨアシハラフチスミノミコト?」
「……昔どおりのフチスミでいいわよ」
「フチス……?」
「フチスミさん……わたしの親友。わあ、三百年ぶりだ!」
「あ、さっき鬼岩に名前のあった?」
「その姿は……依代?」
「ええ、わけあって……おいおい話すわ」
「あの……」
「言っとくけど、今の土砂崩れは、わたしのせいじゃないわよ」
「今のは地震でしょ?」
「もともとはね……でも、今のは違う」

 あすか、うろんげにフチスミを見る。 

「そんなに怖い顔で睨まないでくれる。このへんに(自分の額を指す)穴が開きそうよ」
「ごめんなさい……」
「あなた、イケスミさんの依代ね?」
「は、はい」
「名前は?」
「あすか、元宮あすか……です」
「いい名前ね。でも、そんなに固くならなくていいのよ。もっとリラックスして」
「は、はい。あ、あたしはめられちゃったんです。こっちの神さまに……」
 
 イケスミ口にチャックをするしぐさ。

「モゴ、モゴモゴ……」
「イケスミさんに何かされたの?」

 口チャックの魔法を解く。

「(堰を切ったように)元々は自分が悪いんだけど。成績票を池におっことして、そしたら、紙と金の成績票のどっちかって言うから、言うから……あたし正直に紙のほうですって、そしたら六甲おろしに神が宿るとか正直者だとか言って、金の成績票もくれたわけ。それが開いてみればオール零点のサイテー『池に落ちる』と『成績が落ちる』って、オヤジギャグみたいな、へたなキャッチセールスみたく……」
「で、ひっかかっちゃったわけだ。でも、あすかにも下心があったからなんだよ。あわよくば……」
「だって、だって……」
「さっきは、水上バイクでかっ飛ばすとか言って喜んでたじゃん」
「だってだって……」
「性格悪くなったわね、イケスミさん」
「だって、本人の同意がなきゃ、依代にはできないもの。苦労したのよ、狙いをつけて、シナリオ練って、猫まで仕込んで……」
「ま、前から目をつけていたんだ……ストーカーだよ、未成年者略取誘拐罪だよ……イカスミさん」
「イケスミだっつーの!」

 再び軽い地震、先ほどとは違う方角で何かが崩れる音がする。三人、音の方角に顔をむける。

「まただ……」
「いったいここはどこなの、鬼岩こそはそこにあるけれど、ミズホノサトへは、どこをどういけばいいの!?」
「ここがそうよ。ここがわたしたちの土地、オオガミさまの知ろしめすトヨアシハラミズホノサト」
「ここが?」
「この水の底」
「水の底?」
「ええ、伴部、美原、樋差の三ヶ村も、ミズホノウミも、みんなこの途方もない量の水の底に沈んでしまった」
 
 イケスミ、金魚のように口をパクパクさせる。 

「あ……地震で沈んでしまった村ってここなんだ!?」
「なにそれ?」
「ニュースとかで、やってたじゃん、ちょこっと東京も揺れちゃったじゃん何ヶ月か前に」
「イケスミさん、知らなかったの?」
「わたしの池には、ほとんど人が来ない。来れば、その人間の心の中からニュースも読み取ることができるんだけれど」
「そんなに人が来ないの?」
「この程度のオネーチャンとか野良犬、時に酔っぱらい程度はね……」
「このテードってのはないでしょ。だってちゃんと思い出したじゃん」
「……地名もわからないほどおぼろげにね」
「だって、自分とこに被害のない地震なんて忘れちゃうって、ふつー。だって関係ないでしょ、よその地震なんて……言い過ぎた? ごめん、だって、このテードなんてイカスミさん言うんだもん」
「イケスミだっつーの」
「山が両側からドーッと崩れてきてね。あっという間にダムのように川をせきとめて……ここまで水位が上がるのに十日もかからなかった」
「弥生の昔からここにいるけど、こんなことは初めて、この三百年の間に……」
「この六十年ほどよ」
「……戦後?」

 イケスミの心に怖気が走った。マンダラ池と同じではないか……。


※このお話は、もともと戯曲です。実演の動画は下記のURLをコピーして貼り付けて検索してください。

 http://youtu.be/b7_aVzYIZ7I

※戯曲は、下記のアドレスで、どうぞ。

 前半: blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/.../2bd8f1bd52aa0113d74dd35562492d7d‎

 後半: blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/e/5229ae2fb5774ee8842297c52079c1dd‎
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・71『そして父になる』

2016-10-23 06:14:23 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・71
『そして父になる』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


結婚すらしていない俳優が二組の家族を演じ、それを父に成れなかった60男が見ている。

二人の子供がいて、6年前、同じ病院で生まれた。看護婦の悪意で取り違えられ、別人の子供とは知らず育てて来た。
 育てて来た年月をとるのか、血の繋がりをとるのか、究極の選択を迫られる大人達……。
 当然、「自分ならどうするのか?」と、問うてみるけど、結論など出ない。自分がやりそうなのは、無理苦理にでもなし崩しに二家族を一つにしてしまう方法を考える? 全く違う家族が大人同士は互いの異質さに感じる嫌悪を隠しながら、子供に真実を告げる日を先延ばしにする……臆病な自分ならそうするだろうなぁ、今は子供を傷つけたくない、と 言い訳しながら。映画は結論を出していない。
 ある意味、今後、今自分が考えたような関係になって行くのかもしれない。子供の取り違えによって、新たに親戚が増えるようなものである。二組の家族で二人の子供を育てる。血縁に対する我欲(支配欲)を押さえ切れるならば……残念ながら親に成れなかった身には確答が見えない。

 自分にも取れる立場はあるが、それは後にして、まずは映画の話。

 監督の是枝裕和は日常の切り取りが巧い人だ、決して結論を急がない、押し付けない。“誰も知らない(柳楽優弥/カンヌ史上最年少最優秀男優賞)”“歩いても、歩いても”“空気人形(ビニールのダッチワイフに命が宿る)”これらが私の知る監督の全て、いずれの作品もまったく押し付けがましい結論は無い。
 福山雅治は半人前の父親として顕在していた。スター福山雅治はどこにもいない。そして“父”になろうとする、一人の男として実在していた。リリー・フランキーの演じる斎木は、野々宮(福山)より少し年上、強い嫁さん(真木よう子)に支えられて気のいい親父を演じる。父と言うよりは一番デカい子供の雰囲気。野々宮はエリートサラリーマンで、何でも与えてくれそうだが、子供の目からは斎木の方が気楽だろう。
 その意味で斎木も未だ父親になりきってはいない。
 二人の妻は、その点立派に母親である。母性愛はやはり最強の愛情の在りようだと思う。斎木ゆかりは三人の子供を揺るぎなく抱き留めている。野々宮みどり(尾野真千子)は慶太を産んだ後の予後が悪く、その後、子供を持てなくなったが、その分慶太への想いは大きい。夫を深く愛しながらも、慶太に「このまま二人で遠くに行こうか」と語りかける。おそらく、その時慶太が「パパは?」と聞かなければ実行しただろう。
 女性は出産を通して本能的に母親となる(中には、その本能の弱い方もいらっしゃるようですが)。 映画は、その本能的強さの上に「そして“母”になる」行程をも描いている。それは、野々宮の母(事情有り)の姿を通しても語られる。

 えらそうな言い方を許して貰えるならば、人間は毎日を自ら選択しながら生きている……などと思うから傲慢になっていく。しかし、これを“与えられている”ととらえるならば感覚が変わるのじゃないだろうか。  野々宮は選択の繰り返しの中で、常に勝ち上がって来た強者であるが、この究極の選択の前で「選択出来ない自分」を発見したのではないだろうか。
 押し付け、説教のない作品ながら「人は子によって親にしてもらうんだよ」というメッセージだけは、一本の大黒柱として屹立している。親になりそこねた私が言うのはおこがましい限りではありますが……そんな私が、この作品を自分なりに受け止める視点は「子供の視点」です。
 いかに、取り違えられた存在であろうとも、子供にとって両親と暮らした6年は自分にとっての全てです。まったく幼い自我とはいえ、それは両親から与えられ育まれて培ってきたものです。この映画の事情は6歳の子供には100%の理解は不可能です。しかし「今日からお前は、あちらの家の子供だよ」と言われる意味は理解できる。幼い魂にどれだけ深い傷が残るか……こんな残酷な仕打ちもないだろう。
 私にも、ほんの短い間だが、両親と離れて母方の祖母と暮らした時期がある。両親が離婚の際にあり、暫く離れて暮らした。弟と一緒に預けられ、毎日が宙に浮いたような頼りなさの中で過ぎて行った。幸い、両親との日常は取り戻されたが、暫くは親の顔色をうかがい、しかし、決してうかがっていることを知られてはならないという事も解っていた。 だから、外に飛び出すより、静かに本を読んでいる方が落ち着いた。
 年を経るに従い、両親のあり方への理解もついて、今やこの事は傷でも何でもないが、ユングやフロイトに言わせれば「立派にあんたのトラウマだっせ」といわれるんだろうなぁ。
 歳と共に行動範囲は広がり、自分なりの世界を築くようになる。自分を築くのは両親ばかりでななくなり、人は社会的生き物になっていく。しかし、ここに至っても不動なものは“家族”という存在であり、人は「そして“親”になる」のであり、かつまた「そして“子”になる」のである。
 私の家は、映画ほどではないにせよ「野々宮家」に近かったかもしれない。だから二人の子供の内、野々宮慶太の傷により感情移入できる。描かれざる本作の結末に、幸多かれと願うばかりです。私事ばかり書くようですが、映画を見終わっての一番の感慨は、今や亡き両親への感謝でした。

 ありがとう、あなたたちの子供で幸せでした。俺はあなたたちの子供として、少しは幸せを伝える事ができたのでしょうか。

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