小説大阪の高校演劇・3
『演劇部ブログかブログ演劇部か』
クラブのブログは四月に入ってアクセスが10万を超えた。二年で10万。いけてると思う。
R高校の13万には及ばへんけど、大阪の演劇部としては敢闘してると思う……思うねんけど……思うねんけど……。
自分がブログを書く番になったら、正直しんどい。
その日やった練習のことを300字ほど書いて、おしまい。セーヤンなんかは、部員の個人的な変化を書いたりするけど、あたしはよう書かへん。
「近頃〇〇の演技は『聞く』ということができるようになり役者として成長。今後の活躍が期待される!」
と、去年の秋に書いたけど、うちは予選敗退。〇〇は個人演技賞ももらわれへんかった。〇〇はしばらく凹んでた。
せやから、あたしは個人のことは書かへん。日直の学級日誌みたいに、その日の稽古の内容を羅列して「がんばります」で締めくくる。
うちは偏差値がちょっと高いから、お行儀はええ。言われたことには「ハイ!」と元気よく返事もするし挨拶もしっかりしてる。
去年来た芦原先生は、こない言う。
「おまえら返事と挨拶はええねんけどな、進路実績が伴えへん。見かけ倒しの茶臼山やのう。悔しかったら国公立に二ケタ合格してみいや!」
「はい!」
「おちょくっとんのか!?」
とキレられた。悪気はあれへん。元気な返事が習慣になってるだけ。
最初は「この新入りが!」とむかついたけど、うちの学校の進路実績は、確かにお寒い。それと演劇部が重なってくる。
うちは兼業部員も認めてるせえか、数だけは20人もいてる。
演技演出部と製作部に別れてる。製作は制作のミスタッチとちゃいます。舞台で演じること以外の作り物を道具から音響まで全部やるから、下に衣が付く「製作」です。
最初は本格的とか、かっこええとか思たけど、今は、ちょっと違う。兼業部員もいてることやさかい、必要に応じてみんなでやった方がええと思う。それに主力は演技演出やと思う。
いくら裏の道具・照明・音響がよかっても、去年の御手毬高校みたいに予選落ちすることもある。
むろん審査に不満があることは言うまでもない。せやから御手毬高校には「かわいそう」と「ざまあ見ろ」との二律背反。
二律背反いうたら、再び審査。
審査基準がないよって、審査員は、どうしてもダブルスタンダードになる。
分かる、ダブルスタンダードて?
自分の好みに合う芝居やったら、無意識に「ええとこを探す」 好みに合わへんかったら「悪いとこを探す」 つまり二重の基準で観てしまういうこと。
悔しいけど、常々大阪の高校演劇を批判してるブリジストンと同じ意見になってしまう。
「あかんやろ、こんなことブログに書いたら!」
セーヤンが文句を言う。あたしも、このままブログに載せるつもりは無い。思うこと並べて、そこから削ったり表現を変えたり。結局は学級日誌みたいなもんになってしまうねんけど、最初から大本営発表書いてどないすんねん!
正直、うちはセーヤンがいてるから演劇部に入った。
イケメンやったし、カッコ良かったし、優しかった……気いつきました?
全部過去形。今のセーヤンはちゃう。
最初は聖也先輩やった。苗字と違うて名前にさん付けいうとこに、うちらの憧れと尊敬があった。それが今は落語の登場人物みたいにセーヤンや。本人には親しみの現れ言うたある。しかし実際は、値打ちが下がったことの現れ以外のなんでもない。
うちは正直、高校演劇が嫌になってる。
地区総会なんかでは先生もセーヤンみたいなやつもええカッコ言いよるけど、地区の講習会のテンションの低いこと、平気で休みよるし、遅刻はしよるし、台詞も課題も半端にしか準備してけえへん。盛り上がるのは休憩中の雑談。
コンクールも地区予選は、観客が少ない。
「みんな仲間の芝居も観よう!」と、地区総会で決まる。
そやけど、観客席はガラガラ。どないかすると上演してる学校のキャスト・スタッフの方が多い。
こないだ『ちちんぷいぷい』でサブカルチャー部のある女子高を紹介してた。
クラブの名前を縛らんと、そのときそのときやりたいことをやる。なんか無責任みたいやけど、月に一回みんなで企画書出して会議にかけて、OKの出たものを全員で力とアイデアを出しながら実現していく。もちろん編集は入ってるやろけど、今の演劇部よりは面白そう。
さあ、清書しよか……。
あ、間違うてエンターキー押してしもた!
……まあ、ええわ。うちの署名はしてないし、気いついたらセーヤンが削除して書き直すやろ。