せやさかい・164
たった二週間の夏休みが終わって二学期が始まった。
去年の夏休みはさくらと留美ちゃんを連れて、わたしのもう一つの母国であるヤマセンブルグとエディンバラに行った。
ヤマセンブルグの王家は英国(正確にはスコットランド)の爵位も持っていて、厳密に言うと、わたしはイギリス人でもある。
将来、どういうふうに生きて行こうかと、世間の15歳なら考え始めることをわたしも考えている。
まあ、並みの15歳では考えもしない国籍の問題。わたしは日本とヤマセンブルグの二重国籍。二重国籍の人って、そこそこ居ると思うんだけど、わたしの場合、一国の王位に関わる問題なので、自分の趣味とか好き嫌いとか想いとかでは決められない。
正直言って、そういう重たい選択からな逃げ出したい、あるいは先に延ばしたい。
でも――真剣に考えています――という姿勢は見せておかなきゃならないので、半月あまり後輩二人を道連れの旅行だった。二人には申し訳ないと密かに手を合わせていたんだけど、さくらも留美ちゃんも胸時めかせて「有意義でした!」と言ってくれているので救われている。
今年の夏は、コロナウィルスのことがあって日本もヤマセンブルグも鎖国状態。だから、ヤマセンブルグどころか、東京の大使館にも、大阪の領事館にも顔を出さずに済んでいる。
思いもかけずにモラトリアムが延長されたわけなんだけど、それを生かせるようなことは何もできずに新学期を迎えてしまった。
なんか、取り留めのない愚痴でごめんなさい。
部活を決めなくてはならない。
真理愛学院は全生徒が部活に入ることになっている。むろん絶対にという義務的なものでは無いんだけども、外見的にも立場的にも目立つわたしが特例的に部活に入らないという選択肢は避けなければならない。
コロナで決定を猶予されていたようなもんだけど、まだ八月とは言え二学期が始まった今日、いつまでも未定のままではいられない。
ソフィアは、さっさと弓道部に入って、もともとアーチェリーの有段者でもあって、メキメキと腕を上げている。
さくらの従姉の詩(ことは)さんが部長を務める吹部には心が動いたけど、拘束時間が長いので候補から外さざるを得なかった。先生は中学の経歴から文芸部を勧めてくださったけど、安泰中学の文芸部が名ばかりで会ったことは、みなさんご存じの通り。と言うよりは、あのマッタリした中学の文芸部からいまだに抜け切れていないのかもしれないなあ、あの如来寺本堂裏座敷の部活は、それほどに楽しかった……。
わ!?
そんなことでボンヤリ廊下を歩いていると、角を曲がったら階段というところで人とぶつかって尻餅をつくところだった。
「す、すみません、ボンヤリしていて……!」
「だいじょうぶ夕陽丘さん?」
ぶつかった相手が手を差し伸べてくれる、反射的に手を掴んで、その感触に――これは生徒ではない?――と直感、手の先には腕があって、腕の先には顔があって、その顔は夏用のライトグレーのウィンプルを身に着けた学院長先生だった。
「あ、ありがとうございます。危うく尻餅をつくところでした」
「よかった、廊下はコンクリートだから、打ちどころによっては尾てい骨骨折ぐらいになったかもしれないわね」
「尾てい骨骨折ですか?」
「ええ、六十年前、まだ生徒だった頃にやっちゃって、しばらくはおザブに座るのにも悲鳴を上げてたわ」
学院長先生は、うちの出身だったんだ。ちょっと、嬉しくなった。
「ひょっとして、部活の事とか気にしてた?」
「あ、はい……どうして分かったんですか?」
「そりゃ、この学校の学院長ですからね、よかったら相談にのりますよ。今から会議だから、放課後にでも院長室においでなさいな、年寄りの茶飲み話の相手だと思って」
「は、はい」
校長先生や教頭先生は知っていたけど、学院長先生はネット入学式の画面で見ただけだ。うちのお婆さまと同じ雰囲気がする。
「殿下、大丈夫ですかああああ!?」
ソフィアが吹っ飛んできた。
「申し訳ありませんでしたです!」
「なんでソフィアが謝るの?」
「ソフィアは殿下ガードです、です!」
「いや、わたしがボンヤリしていただけだから」
「尾てい骨とか聞こえてましたけど」
「え、わたしに盗聴器でも仕掛けた?」
「いえ、窓からお姿が見えたです、殿下と学院長先生の唇の動きで」
「ああ、読唇術」
ソフィアは代々王室に使える魔法使いの家系なんだ。
「学院の中なので、ソフィアは油断していたです」
「あ、だいじょうぶだから」
「大事ないか、ソフィアが見分するです、お尻を見せていただきますです!」
「ちょ、だいじょうぶ! すんでのとこで院長先生が手を取ってくださったから!」
「安全を確認するのはガードの務めです、です!」
ちょ、両手をワキワキするのは止してくれる、ソフィア……ソフィアアアアアア!!