Bribri Brier(ブリブリ・ブリエ)先生に呼び出された。
覚えてる? あたしたち留学生のフランス語の先生。
呼び出しの見当はついていた。
『ユコ、あなたは、最初の頃は、とても上達が早かったわ。感心していたのよ』
『ありがとうございます』
『でも、夏からこっちは、ちょっとね……』
『はい……』
『はっきり言うわ。あなたアニエス(アグネス)に頼りすぎ。いまだに講義中はアニエスについてもらってるのよね』
『はい……』
言わんとするところは分かっているので、自分から言った。
『今日から、自分だけで講義に出ます』
『ウイ、さすがにユコ、飲み込みが早い。がんばってね(^▽^)』
ブリエ先生は、膝に置いたあたしの手を握った。きっと言い出したくなかったんだろう。
「なんで、うちに相談もなしに!」
案の定、アグネスは怒った。
「ユウコのフランス語は、まだ小学生並みや。ウチがついてなら、講義なんか分からへんで!」
あたしは、理由を言った「このままじゃ、あたしは自立できない」って。
ガバ!
アグネスは涙をいっぱい溜めて、ウルウルとあたしに抱きついてきた。
「せやね、ユウコの言う通りやわ。ユウコのためにならへんもんな(৹˃ᗝ˂৹)」
「よしてよ、アグネス。ルームメイトに変わりはないし、三度の食事もいっしょじゃん」
「うん、半年もいっしょにおったら、なんか姉妹みたいな気になってしもて」
「ハハ、そのわりにゃ、アネキのアリスの話は、あんまりしないよね」
「そら、アリスとは死ぬまで姉妹やしな」
「あたし、アグネスは、一生の友だちだって思ってるよ……」
「ユウコォ(#˃ᗝ˂#)!!」
アグネスの目が、またまた涙で溢れてきた。
正直、アグネス抜きの講義は辛かった。1/3程は意味が分からない。質問されても、言葉がぎこちなく、クスクス笑われることもあった。ほんとうにアグネスのありがたみが辛さといっしょに分かった。
でも、あたしより辛い人間が現れた。
それがハッサンだ……。
『ユウコ、こんどの休みつきあってくれないか?』
いつものようにニコニコのひげ面で話しかけてきた。でも、個人的に話しかけられるのは初めてだった。
『ルコック庭園なんかどう。ボクまだ行ったことがないんだ』
『あたしもまだだけど』
『じゃ、ちょうどいい。あ、サラート(お祈り)の時間だ。時間とかは、また教えるから』
言うだけ言ってしまうと、いなくなってしまった。
「ハッサンがなあ……」
半日分溜まっていた大阪弁のお喋りしたあとで、ようやくアグネスは話を聞いてくれた。
「あんまり話したこともない人でしょ」
「せやけど、ハッサンは行く気満々やねんやろ」
「うん、さっきこんなメモもらった」
「ハッサンらしいなあ、きれいなフランス語で書いたある」
「ハッサン、ニッコリしてたけど、なんか目がマジなんだよね……」
ハッサンの佇まいは好きだった。
サロンにいても控えめに人の話を聞き。笑うときや喜ぶときには、腹の底から楽しそう。そして、サラートの時間や、自分で決めた就寝時間になると、みんなが白けないようにサラリといなくなる。穏やかだけど日本の男が失ったものを持っているなあ……という印象。
でも、こんどの「お誘い」は、それを超えるモノを予感させた。
アグネスがお風呂している間にYou tubeでイスラムのお祈りを聞いた。とても旋律や節回しがきれい。とても、こんなきれいなお祈りをする人たちが戦争をするなんて信じられなかった。たった二分足らずだったけど、発見があった。「アラー アクバル」じゃなくて「アッラー アキュバル」て言う。思っていたより繊細で、ハッサンとイメージが重なる。
「ユウコ、ええこと考えたわ!」
髪をバスタオルでターバンのように巻き、歯ブラシをくわえたままアグネスが出てきた。
「ユウコのフランス語は小学生並みやさかいに、通訳にウチが付いていく!」
「え、アグネスが!?」
「うん。『大事な話やったら、しっかり聞いときたいさかい』とか言うたらええねん!」
失望、困惑、沈思、閃き、ハッサンの目は目まぐるしく色を変えて、口をして、こう言わしめた。
『うちの王様とアメリカの大統領が話すときも通訳がつくからね。そう元首級の話ができそうだ』
『まあ、肩張らずにお気楽に……』
あたしは、日本のオッサンのように手をヒラヒラさせるばかりであった……。