誤訳怪訳日本の神話・5
『イザナギ・イザナミの神生み』
日本の八百万(やおよろず=たくさん)の神さまの総元締めは伊勢神宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)であります。
ヨイショっと、ここで自分に掛け声を掛けます。
なんちゅうか……アマテラスが生まれて、神さまの総元締めになるには、むかしジブリの宮崎駿らが映画のアニメ『腕白王子のオロチ退治』を書いた話をクライマックスとして、そのあとのエピローグで、さらにもう一本長編アニメが作れるぐらいの質と量があります。
今日は、とりあえずイントロのところだけ語ってみたいと思います。
国々を生み終つて、イザナギ・イザナミは、さらに神々を生みます。
これはキリスト教で万物は神がお創りになったということとモチーフは一緒です。
とりあえず、生まれた順に並べてみます。はまずオホコトオシヲの神、次にイハツチ彦の神、次にイハス姫の神、次にオホトヒワケの神、次にアメノフキヲの神、次にオホヤ彦の神、次にカザモツワケノオシヲの神。そんで、次に海の神のオホワタツミの神、次に水戸の神のハヤアキツ彦の神とハヤアキツ姫の神を生み。オホコトオシヲの神からアキツ姫の神まで合わせて十神。
ヨイショ!
でもってハヤアキツ彦とハヤアキツ姫が河と海とでそれぞれに分けて生んだ神は、アワナギの神・アワナミの神・ツラナギの神・ツラナミの神・アメノミクマリの神・クニノミクマリの神・アメノクヒザモチの神・クニノクヒザモチの神。
アワナギの神からクニノクヒザモチの神まで合わせて八神です。次に風の神のシナツ彦の神、木の神のククノチの神、山の神のオホヤマツミの神、野の神のカヤノ姫の神、シナツ彦の神からノヅチまで合わせて四神です。このオホヤマツミの神とノヅチの神とが山と野とに分けて生んだ神は、アメノサヅチの神・クニノサヅチの神・アメノサギリの神・クニノサギリの神・アメノクラドの神・クニノクラドの神・オホトマドヒコの神・オホトマドヒメの神。アメノサヅチの神からオホトマドヒメの神まで合わせて八神です。
次にトリノイハクスブネの神(天あめの鳥船とりふね)。そんでオホゲツ姫の神を生みます。
ああ、長い……そして、最初の大転換。
次にホノヤギハヤヲの神(ホノカグツチの神)。
この子どもの神さまは、とんでもない火の神さまで、生んだイザナミは御陰(みほと……わかりますか、よく東京都のマークによく例えて描かれる女性のデルタ地帯ですな)が焼かれて病気になり。イザナミの反吐でできた神がカナヤマ彦の神とカナヤマ姫の神、ウンコでできた神はハニヤス彦の神とハニヤス姫の神、オシッコでできた神はミツハノメの神とワクムスビの神。この神の子はトヨウケ姫の神。こんな具合でイザナミの命は、ジブリ映画でいえば、近いところで『風たちぬ』の里見菜穂子、古いところでは『ハウルの動く城』のソフィー、ディズニーで言えば『アナ雪』のエルサ女王がクソまみれ反吐まみれで子どもを産んだのと同じ描写になります。
こんなアニメを作ったら、さすがのジブリや京アニでも客はそっぽを向くでしょう。
これは母神が苦悩の果てに神々を生んだことにより、お産の大変さを今に伝えるとともに、さらに先に用意されているアマテラスの出現を荘厳するための前奏曲です。
でもって、火の神を生んだため、ついに亡くなってしまいます。
しかし、下ネタというかスカトロじみてばかリというのは、子どもの感性でもあると思います。子どもと言うのは、そういう話が好きですね。ちょっと前『うんこドリル』というのが流行ったことがありました。子どもが苦手とする算数をウンコを入れることでとっつきやすくしたものだったと思います。日本民族も黎明期の日本は、人手例えると子どもの時代に当るのかもしれません。
そして、これらの神さまは、ただのエキストラではなく、古事記・日本書紀に時々顔を出します。日本が多神教であることの萌芽がここにあります。
一つだけ例を。ホノヤギハヤヲの神=火の神さまは、怒ったイザナギによって切られます。ところがホノヤギハヤヲの神は切っても切っても分裂してあちこちで山火事などをおこします。風の強い乾燥した日など、自然に森や山が火事になることがあります。そういう自然現象の畏怖から生まれたものでしょう。
次回は、このあたりから繋いでいきたいと思います。