勝間の小船に乗って海底に向かったヤマサチは、やがてワタツミの神の宮にたどりつきます。
シホツチに言われた通り、井戸の傍の桂の木の陰に隠れていますと、神の宮の侍女が発見し、トヨタマヒメに報告します。
「姫さま、姫さま!」
「なんです、騒々しい、埃がたつでしょ」
「海の底だから埃はたちません」
「水が濁ります!」
「すみません、実は……」
「え、そんなにいい男なら、すぐに食べ……いえ、お迎えしなければ!」
桂の木の下まで出向くと、次女の報告よりも、自分の想像よりも清げで立派な若者です。
こいつを逃す手はありません。
「まあ、なんと清げで凛々しい殿方でありましょう! お父様に紹介します、直に下りてきてくださいませ!」
「は、はあ(めっちゃきれいな女の人だなあ)」
トヨタマヒメに連れられて宮殿の奥に行くと、三国志の劉備と曹操と孫権を足したような立派な王様が居ました。
日本版ポセイドンのワタツミの神であります。
ちょっとした矛盾があります。
ワタツミの神はオオワタツミの神(大綿津見神・大海神)とも言いまして、イザナギ・イザナミの間に生まれた神では海を支配するように命ぜられます。後にスサノオが生まれた時に、イザナギは「スサノオ、おまえは海を支配しなさい」と命じています。
海の神さまはどっちだ?
子どものころに古事記を読んで、ちょっと混乱して投げ出したことがあります。
日本人と言うのは、大ざっぱに言って、ツングース系(朝鮮半島、満州、シベリア)の北方民族、台湾・フィリピンから南西諸島に渡って来た南方の民族、大陸から渡ってきた中国南部などから渡ってきた人たちの混血だと言われています。
それぞれの民族は、それぞれの神話を伝承していて、縄文・弥生と時代を経るうちに、神話が融合してできあがったのが記紀神話ではないかと思います。
だから、まあ、ゴッチャになってしまったんでしょうね。
ちなみにワタツミの神は、生まれた時の描写で途切れてしまって、この下りまで出てきません。
それはさておき、ワタツミの神は、ヤマサチが貴人であることを見抜きます。
「これは、高天原系の偉い神さまではないか! どうか、このワタツミの神の宮に留まっておくつろぎのほどを。これ、皆の者、おもてなしをせぬか! トヨタマヒメ、しっかり励むのだぞ!」
「は、励むだなんて、お父様(n*´ω`*n)!」
こうやって、ヤマサチは釣り針の事も忘れて、ワタツミの神の宮で何日も過ごします。
勝間の小船とワタツミの神を除くと、デテールは『浦島太郎』とソックリです。いわゆるおとぎ話にも神話の影響が残っている証拠なんでしょうねえ。
というか、神話とおとぎ話の境目と言うのは、そんなにハッキリしていないように思います。
ようは、古事記・日本書紀に載っているかどうかの違いだけではないでしょうか。
記紀神話の成立過程で取捨選択されたり、変形された話がいくつもあるのではと思ったりします。
おとぎ話という括りでも構わないと思います。
ちなみに、幼稚園の頃『因幡の白うさぎ』は『ぶんぶく茶釜』や『カチカチ山』と同じ並びの紙芝居で教わりました。
さて、次回は、ヤマサチが釣り針のことを思いだすところから続けたいと思います(^_^;)。