大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

コッペリア・32『十日遅れの離任式』

2021-06-23 06:09:56 | 小説6

・32

『十日遅れの離任式』  

 

 


 発育測定も内科検診も問題なかった。

 何もかもが普通の人間の状態を示していた。

 この世で栞が人間ではなく人形であることを知っているのは、名目上の保護者になっている大家のジイチャンと不動産屋のジイチャン。それに命を吹き込んでくれた颯太の三人だけ。

 そして、もしかしたらと思って家に帰って颯太に言ってみた。

「ねえ、あたしのスケッチしてくれる?」

 颯太は気安く二三分で仕上げた。

「ああ、やっぱしフー君には、こんな風に見えてるんだ……」

 描きあがったスケッチは、贔屓目に見てもアナ雪のアナがハンス王子に会った時の、生き生きしてはいるが、いかにも人形くさい姿だった。

「まあ、いいじゃん。人形みたいだけど、アナみたいに生き生きしてるところがオレは好きだよ」

 とりあえず、その言葉で満足しておくことにした。

――もし、あたしが人間みたいに見えたら、フー君は、どんな反応するんだろう?――

 一瞬頭によぎって、心臓(今度の検診で存在が分かった)がドッキンとした。

 あくる日の学校は、なぜか45分の短縮授業だった。一時間目の先生に聞いてみた。

「ああ、都合でノビノビになってた離任式を放課後やるらしいよ」

 そう言えば、始業式に付き物の離任式がなかった。

 こういうイレギュラーなことについては、生徒の耳は地獄耳だ。

「ハハ、なんだか教頭先生が転勤や退職した先生に連絡し忘れていたみたいだよ」

 昼休みに咲月が面白そうに伝えてくれた。咲月もAKPのことが上手くいったので、急速に学校に馴染み始めている。目出度いことだ。

 離任式は、先生によってまちまちだ。

 欠席した先生もいたし、気のない挨拶で済ます先生もいた。

 その中で福原という退職した先生は感動的だった。
「みなさん、こんにちは……」

 そこまで言って、福原先生は声がつまってしまった。生徒たちもシーンとした。

「38年間の教師生活を、ここで終えました。ちょっとした行き違いで、今日の離任式になりましたが、複雑な気持ちです……平気な顔でみなさんの前に出られる自信が無かったので、このままでいいと思う気持ちと、会ってけじめをつけたいという気持ちと両方です。わたしは、嘱託でいいから、もう5年学校に居ようと思いました。でも、あたしには介護しなければならない母が居ます。このまま続けては、どちらも中途半端になると思い、きっぱり退職の道をえらびました……」

 福原先生は、あてがわれた5分をきっちり中身の濃い話をして、転退職の先生の話の中で一番感動的だった。

「いやあ、水分さん、元気に来てるじゃない!」

 離任式が終わると、福原先生は生徒たちにもみくちゃにされた。

 先生は目の合った生徒一人一人に声を掛けている。

 なんと二三年生全員の顔と名前を憶えているのだ。

「あなたの留年を決める時は断腸の思いだった。でも、よく元気になってくれたわね」

「鈴木さんのお蔭なんです!」

 咲月は、栞を前に引き出して説明した。

「そう、念願のAKPに入ったの。学校と両立出来ているようね、安心したわ……鈴木さんは転校生ね」

 さすがである。自分の記憶にない生徒は転校生に違いないと確信を持って言える。なかなかできないことである。

「鈴木さん、なにかクラブには入った?」

「いいえ、なかなか縁が無くって」

「それなら、ぜひ文芸部に入って!」

 アもウンもなかった。福原先生の元気と好意の混じった目で見られれば嫌とは言えない。

 文芸部は、栞の担任のミッチャンがやっている。部員がいないので気楽に引き受けた顧問だが、福原先生のお声がかりで部員が出来ては放っておくわけにもいかない。

「よかったわね」

 そう言いながら、ミッチャンの顔は困惑していた。

「それから、出来る範囲でいいから、お掃除してね。神楽坂は良い学校だけど、ホコリが多いのが玉に瑕ね」

 福原先生は、さりげなく学校荒廃の兆しを指摘していった。


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