プッハーーーー!
顔をあげると田中さん。
ワァ! ちょ……!!
言う間もなく、抱き付かれてプールの中へ。水中で一回転して、二人で立ち上がる。
「やった! やったよ酒井さん! 五メートル泳げたよおおおおおおおおおお!」
「え? え? ほんま!?」
「ほんま! ほんま! ほんまあ!」
ザッブーーーン!
再び二人で水中に……。
わたしが、生まれて初めて泳げた瞬間。泳げたわたしよりも田中さんの方が感激してる。
金槌……A班に分けられて、四回目の授業で泳げるようになった。
田中さんは、我がことのように喜んでくれた。自転車に乗れるようになった時に似てる。
せや、あの時はお父さんやった。瞬間、お父さんの顔がうかんだけど、頬をスリスリして喜んでる田中さんが圧倒的なんで、オボロなお父さんの顔は、田中さんに置き換わってしもた。そう思うと、同じように感激が湧いてきた。
「ありがとう、田中さんのお蔭や。めっちゃ嬉しい!」
「ううん、酒井さんが努力したからよ。わたしは手助けしただけ!」
「ほんまに、ありがとう! これからは師匠て呼ばせてもらうわ!」
「やめてよ、恥ずかしい!」
「師匠、師匠~♡」
先生も、その場でB班(苦手班)への昇段を許してくれて、お昼を二人で食べることを誓い合った。
せやけど、お昼を二人で食べることはでけへんかった。
……田中さんは早退してしもたから。
あくる日、田中さんは欠席やった。
次の日も欠席で、その次も欠席やったら菅ちゃんに聞こと決心した。
「田中さんは転校することになりました。ご家庭の事情です……」
それだけ言うて菅ちゃんは、どうでもええ諸連絡の話題に移っていった。
家庭事情で転校なんて嘘や。いつも生徒の名前は呼び捨てにするのに「田中さん」と呼んだのがしらこい。田中さんが、もう関係ない他人やいう感じにしか聞こえへん。
「ほんなら、朝礼おわり」
それだけ言うて、そそくさと教室出ていく菅ちゃんを追いかけた。
「先生、待って!」
「なんや、一時間目始まるぞ」
「ちゃうでしょ、田中さん家庭事情なんかとちゃうでしょ、やっぱり、制服切られたからでしょ、いじめとかがあったんでしょ、あったんでしょ……答えてえよ! 答えてくださいよ!」
「…………」
「せやさかい、せやさかい、事件が起こった時に言うたでしょ! ちゃんと調べてて! 調べてくださいて!」
菅ちゃんは、なんにも言わんと職員室に入ってしもた。わたしも勢いで入ってしもたけど、先生らの困ったような圧を感じて立ちつくしてしまう。
もう一発「せやさかい」を言うたら、取り返しのつかん言葉が出てきそうで……唇をかみしめて回れ右した。職員室は気遣うような安心したような空気になる、それを背中に感じて階段を上がる。
階段の踊り場で手すりを握りしめて留美ちゃんが迎えに来てくれてた……。
☆・・主な登場人物・・☆
- 酒井 さくら この物語の主人公 安泰中学一年
- 酒井 歌 さくらの母 亭主の失踪宣告をして旧姓の酒井に戻って娘と共に実家に戻ってきた。
- 酒井 諦観 さくらの祖父 如来寺の隠居
- 酒井 諦一 さくらの従兄 如来寺の新米坊主
- 酒井 詩 さくらの従姉 聖真理愛女学院高校二年生
- 酒井 美保 さくらの義理の伯母 諦一 詩の母
- 榊原留美 さくらの同級生
- 夕陽丘・スミス・頼子 文芸部部長
- 瀬田と田中(男) クラスメート
- 田中さん(女) クラスメート フルネームは田中真子
- 菅井先生 担任
- 春日先生 学年主任
- 米屋のお婆ちゃん