滅鬼の刃 エッセーノベル
自分の親をなんと呼んでいらっしゃったでしょうか。
お父さん・お母さん お父ちゃん・お母ちゃん パパ・ママ 父ちゃん・母ちゃん 父上・母上
おっとう・おっかあ おとっつあん・おっかさん おでいちゃん・おもうちゃん ムーター・ファーター
ダディー・マミー 親一号・親二号 おとん・おかん
散歩をしていると、たまに子どもが親を呼んでいるところに出くわします。たいてい、公園で遊んでいる小さな子が回らぬ下で母親を呼ぶ声です。
たまに、スーパーとかで「おかあさん、これ買ってぇ」とか「お父さん、さき行くよ!」とかを耳にします。
いちど、そばを通過中の車から「お父さん、ブレーキ!」という切羽詰まった呼びかけを聞いたことがあります。呼びかけたのは奥さんで、年恰好から見て旦那さんのことであったようです。
自分の配偶者を「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶのは日本だけではないのかと思うのですが、これは主題から外れそうなので、別の機会に触れたいと思います。
思い返すと、友だち同士やご近所同士の会話の中で三人称として使われているのを耳にするのが大半なのだと思い至ります。
「きのう、お母さんと買い物行って……」「お父さん、会社の帰りに猫拾てきて……」「お母さん、めっちゃ怒って……」「うちのおとんも歳やからねえ……」など二人称として聞こえてくることが多いですね。
近ごろは流行り病のこともあって、屋外や電車の中で人の話し声を聞くことも稀ですが、おおよそは、こんな具合なのではないかと思います。
なぜ、名前のことを書きだしたかというと、孫の栞が、あまり「お祖父ちゃん」と言わなくなったからです。
これまでは「お祖父ちゃん、ごはん!」とか「お祖父ちゃん、あした燃えないゴミだよ」とか「お祖父ちゃんの年賀状多いねえ」とか枕詞のように言っていました。
「ご飯だよ」「あした燃えないゴミ」「はい、年賀状」とかで済まされます。
まあ、そういう年齢なんだろうと思っているのですが、ちょっと寂しいのかもしれません。
小学三年生のとき、国語科なにかの授業で時間が余ったのか「うちで、親の事をなんと呼んでいますか?」と先生が聞いたことがあります。先生は、みんなに手を挙げさせ、学級役員選挙のように「正」の字を書いていきました。
「お父ちゃん・お母ちゃん」というのが一番多かったですね。次いで「お父さん・お母さん」。「父ちゃん・母ちゃん」はクラスで二三人、「パパ・ママ」と同じくらい少数派だったと思います。
わたしは「父ちゃん・母ちゃん」と呼んでいました。
近所の子たちは「お父ちゃん・お母ちゃん」がほとんどであったように記憶しています。
近所のニイチャンが「パパ・ママ」と呼んでいて、ええしの子や! と、たじろいでしまったのを憶えています。
上皇陛下の結婚パレードを、そのニイチャンの家で見ていました。
白黒の14インチで、カメラが引きになって馬車全体が画面に収まるようになると、人物の目鼻立ちもはっきりしないくらいの画質でしたが、姉とニイチャンと三人で見ていてドキドキしたのを憶えています。
馬車が何度目かのアップになった時、急に画面が歪んで上下に流れるようになりました。昔のテレビは不安定でした。
「ママー! テレビ変になったー!」
ニイチャンが叫ぶと、エプロンで手を拭きながらママがやってきて「こうするとね……」といいながら、テレビを張り倒しました。
パンパン!
すると、テレビは正気に戻って、ご成婚パレードの続きを映し出します。
ご成婚は、昭和33年ですから、リアル『三丁目の夕日』の鮮やかな記憶です。
ニイチャンは、町内でただ一人、校区の違う小学校に行きました。
「やっぱし、ええしはちゃうなあ」
同い年で、ひそかにニイチャンとの集団登校を楽しみにしていた姉は、残念を通り越して嘆息していました。
孫の栞を引き取るにあたって、ちょっと勇気を出して聞いてみました。
「どうだ、お祖父ちゃんの事『お父さん』て呼んでみるか?」
学校へあがると、いろいろあるだろうと思い、聞いてみたのです。
「………………………」
栞は、沈黙をもって答えにしました。
数秒、わたしの顔を見上げて俯いてしまいました。気が付くと、両手をグーにして目をこすっています。
「そうかそうか、むつかしいよな、むつかしいこと聞いてごめんよ。ま、いままで通りでいこうか、とりあえず」
ひそかに『パパ』という呼び方も思っていたのですが、それは止めて正解でした。
わたしは、両親の事を「父ちゃん・母ちゃん」と呼んでいましたが、両親は自分の親(わたしの祖父母)のことは「お父さん・お母さん」と呼んでいました。
母の里は、蒲生野(いまの東近江市)の真宗寺院で、五人居た叔父叔母も母と同様「お父さん・お母さん」でした。
おそらくは、最初に所帯を持った町のマジョリティーに合わせたものだと思います。
小三の調査で少数派と知って少しショックでしたが。おそらく、日本人の四人に一人ぐらいは呼んでいたであろう、この呼び方は好きです。『ニ十四の瞳』だったと思うのですが、大石先生の受け持ちの子が、親の事をそう呼んでいて親近感を持ったのを思い出して、コーヒーを淹れなおしました。