乙女と栞と小姫山・28
来客用のお茶をすすりながら、乙女先生は考えをまとめていた。
といって、校長室で乙女先生が来客の待遇を受けているわけではない。
直前まで来ていた来客が口も付けずに飲み残していったお茶がモッタイナイからである。
更年期……と言ったら張り倒されそうだが、乙女先生は、よく喉が渇く。昨日栞とさくやを連れて行った『H(アイのてまえ)』でも、コーヒーを二杯、水を三杯も飲んだ。まだ連休前だというのにすぐに汗になる。タオルハンカチで遠慮無く汗を拭く。
校長は苦笑いした。着任当時より乙女先生は飾らない態度をとるようになった。なんせ生まれも育ちも『ド』付きの河内、岸和田のネエチャンである。仲良くなれば、すぐにメッキが剥がれる。その年齢相応な河内のオバチャンぶりと、見ようによっては20代の後半に見える若々しさのギャップが、楽しくも哀しくもある。亭主も時々言う。 「せめて、脇の下拭くときぐらいは、見えんようにしてくれへんか」 「ええやんか、又の下とちゃうねんから」 亭主は、見てくれの段階でプロポ-ズしたことを後悔しているのかもしれない。
「職会でおっしゃっていた、改善委員会に地元の方を加える話ですが……町会長さんは、考え物ですねえ」
「同感です。学校を見る目がアウェーだ」
「言うときますけど、アウェーやない人なんかめったにいてませんよ」
「その中で、あえて推薦していただけるとしたら、どなたでしょうなあ……」
校長は、さりげなく窓を開けに行った。乙女先生が考える間をとるためと、さすがにブリトラでは暑いせいだろう。
「確認しときますけど、校長さん、この改革が上手いこといくとは思てはれへんでしょうね」
「は……?」
「梅田はんら三人を懲戒にかけて、改善委員会つくって。言うたら、学校が全部被って、府教委は何にもせえへんのでしょ?」
校長は、空いた湯飲みに水を入れ、観葉植物に水をやった。
「なるほど、言わずもがなでんなあ。水やるフリやいうのんは、とうにご承知」
「いや、これは、単なるわたしの癖です。これでもけっこうゴムの木は育つようです」
「枯れぬよう、伸びぬよう……」
「辛辣だなあ……こいつは、わたしが赴任したころには枯れかけていたんですよ」
そう言って、校長はゴムの鉢植えの向きをを変えた。植物用の栄養剤が二本刺されていた。
「失礼しました。そやけど府教委は、学校を鉢植えのまんま大きい実を付けろいうてるようなもんです」
「ごもっとも、そんなことをしたら鉢植えは枯れるかひっくり返るか……」
「ひっくり返る頃には、エライサンはみんな定年で、関係なし」
「それでも水をやり続けるのが、我々の仕事でしょう」
「それやったら、津久茂屋の恭子さんでしょ」
そのころ、新子とさくやは、第二音楽室を使って、歌とダンスの練習の真っ最中だった。
君のハート全て ボクのもの 好きだから ラブ・フラゲ~♪
「ああ、汗だくだあ(;'∀')」
「今日、昼から夏日ですからね(^_^;)」
栞はガラリと窓を開けた。思いがけない涼風が吹いてきた。
「ああ、生き返る……」
ポカリを飲みながら体操服の上をパカパカやった。
「先輩、おへそ丸出し」 「いいの、男子いないから」
「でも、こう言っちゃなんですけど、わたしらエエ線いってる思いません?」
と、不思議に汗もかかない顔で言った。
「自分のことはよく分からないけど、サクチャンかなりいけてんじゃん」
「先輩のパワーには、負けます」
「今の、チェックしとこうか」 二人でビデオを再生してみた。
「先輩、ほんまにイケてますよ。こないだの偉い先生との対談からは、想像できませんよ!」
「わたしって、つい真面目で、真っ直ぐな子だって思われるじゃない」
「昔から?」
「うん、小学校のころから」
「弁護士の子やし」
「ああ、それ言われんの、一番いや!」
「それで、家ではハジケてたんですね」
「ほんとは、賑やか好きのオメデタイ女なの。サクチャンこそ、これだけ踊って、なんで汗かかないの?」
「顔だけです。首から下は汗びちゃ」
体操服とハーパンをめくってみせた。チラっとイチゴのお揃いの下着の上下が見え、湯気をたてていた。
そのとき、さくやは視線を感じ、窓の下を見た。
「お、お姉ちゃん!?」
さくやのおねえちゃんは「は・し・た・な・い」という口をして、校舎の玄関に入っていった。
さくやの顔にどっと汗が噴き出した……。