誤訳改訳日本の神話・6
『ヨモツヒラサカ 女は怖い! その①』
母殺しのホノヤギハヤヲの神を切っても、イザナギの気持ちはおさまりません。
ま、切っても数が増えるだけということもありますが、とにかく、最愛の妻を失った気持ちはおさまりません。
で、イザナミが逝ってしまった黄泉(よみ)国へ会いに行くことにしました。黄泉国とは、今の島根県の東部にあたりますので、古代において大和政権と並んで力があった出雲の国の説話の影響があるとも考えられます。
でも現世と死者の国が地続きであるというのは、仏教伝来以前の日本人の死生観を知るうえでもおもしろいことです。
日本の古代の文化が残っているとされる沖縄では、死者は海のかなたのニライカナイに行くとされ、けして地獄極楽でも天国でもありません。
黄泉国についたイザナギは、洞窟の中から出てきたイザナミに、こんな話をします。
「なあ、カアチャン。まだ国生みも神生みも終わってないから、戻ってきてくれないか」
素直じゃないですね。
「カアチャン死んで悲しくて、寂しくて、どうもなんねえ。お願いだ、愛してる! 帰って来てくれ!」
そんなノリでいけばいいのに、国生み神生みのためと理屈をつけてしまいます。男は神話の時代から言い訳がましいのであります。だからイザナミは、こう答えます。
「あんたね、来るの遅いのよ。あたし、もう黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)しちゃったもんね」
黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)とは、黄泉国の食べ物食べたから、簡単に戻れないという意味のことを言います。
「でもさ、そこんとこなんとかならないかな~」
「分かった。んじゃ黄泉国の神さまと話しするから、それまで絶対覗いちゃだめよ」
鶴の恩返しみたいなことを言って、イザナミは洞窟の奥に消えます。
でも、待てど暮らせどイザナミは出てきません。
「……ちょっとぐらいなら覗いてもいいだろ~」
こういう設定はギリシャ神話から、『鶴の恩返し』まで、世界中に転がっている話です。
イザナギは櫛の歯を一本折って、それに火を灯して狭い洞窟の通路を進んでいきます。そして、ひときわ大きな石室にたどり着くと、石のベッドの上に腐りはてたイザナミが横たわっています。
ギョエーーーーーーーー!!
と悲鳴をあげたかどうかは分かりませんが、イザナミはゾンビになって起き上がります。
「見たなああああああああ、あれだけ覗いちゃいけないって言ったのに!」
個人的には、イザナミは理不尽だと思います。
覗くなというのは、相手の好奇心をかき立てる言葉です。で、イザナミも一応神さまなんですから、おおよその待ち時間を言っておくべきでしょう。
なんとなく学校の無期停学を連想します。無期なので「期限はない!」と生指部長は言いますが、担任は、こっそり「まあ、お前次第やけど、二週間ちょっと」と、こっそり言います。中には無期というだけで腰砕けになってしまう子がいるからです。
脱線しますが、むかしこんなことがありました。喫煙が見つかってしまった三年生が居ました。秋の半ば過ぎで、もう就職先も決まっていました。
「お前の、就職は取り消し!」
と、生指部長は言います。信じられないことに、担任はなんのフォローもしませんでした。悲観した生徒は、帰り道電車に飛び込んで死んでしまいました。
人間と言うのは期限というか希望と言うか、目標がないと辛抱できないもののようです。
この神話は古事記に基づいています。古事記は言うまでも無く、712年に太安万侶が稗田阿礼から聞き取ったものを文章化したもので、8世紀、あるいは、それ以前の風俗や習慣が反映しています。
イザナミが通った通路は、6・7世紀に流行った横穴式古墳の構造を感じさせます。通路は石室に至る羨道(せんどう)を思わせます。奥の広い部屋は横穴式の石室そのものです。古墳=死の世界というイメージがそのままだと思います。
で、起き上がった蛆虫だらけのゾンビイザナミが、どうしたか、次回に続きます。