クレルモンの風・8
早くも、日本文学概論の宿題の日がやってきた。
フセイン君の「アラブと、日本の武士道に共通点が多い」というのはサンプルの羅列だった。名誉を重んずるということを、日本語の「名こそ惜しけれ」という古い慣用句を持ち出して熱烈にプレゼンテーションしたのは、中身はともかく、その熱意は高く評価されたようだ。
すると、トルコのケマルって学生が、手を上げた。
『トルコと日本は、先祖が一緒なんです』
みんなは唖然とし、コクトー先生はニヤニヤ。あたしは面食らった。
『その昔、アジアの真ん中に馬に乗る勇敢な民族がいました。それが、いつの時代か西と東に別れ、西へ行った者達がトルコ人になり、東に行った者達が日本人になったんです』
『根拠は? 熱意だけじゃフセインと同じ点数しか出ないよ』
先生が意地悪く言う。
『言語が同じアルタイ語です、単語を置き換えるだけで、双方の文章は読めます。て・に・を・はに当たる助詞もトルコ語にはありあます。言語学用語では膠着語といいます。それになんと言っても、日本は、あのロシアをやっつけてくれました!』
『ロシア人の学生もいるから、表現には気を付けて』
すると、ロシア人学生のアーニャが手を上げた。
『いいんです。歴史的な事実ですし、今のロシアとは体制が違います。それに、正確には、あの戦争はロシアの負けではありません。停戦です。その証拠に賠償金は1ルーブルも払ってません』
『しかし、領土を割譲したんじゃなかったっけ?』
ケマル君が発言し、フセイン君たち数人が拍手した。
『あ、それ誤解です。居住地を原則にして国境をはっきりさせただけです』
「今がチャンスや、ユウコ!?」
「え、なにが?」
あきれた顔をして、アグネスが発言した。
『つまり、正しい国境線にしたってことよね、アーニャ?』
『そうよ、だから露日戦争で、ロシアが負けたということじゃないの。あくまで停戦』
『じゃあ、今は、なぜ、その正しい国境線になっていないのでしょうか?』
フランス語を喋っているアグネスは、別人のようにカッコイイ。
『それは……』
『それは、デリケートな問題だから、深入りはよそう。日本人自身からの発言も無いようだし』
あたしのスイッチが入った。
『すみません。国後、択捉、歯舞、色丹は日本領です』
この程度のフランス語は喋れるようになった。アグネスがガッツポーズをした。
『この講座は、文学と、それに伴う文化についてまでだ。ユウコにも宿題があったはずだが』
『あ、はい……』
答はしたものの、気乗りがしない。調べてみたら、あまりいい答えが出てこなかったのだ。
「1942年に南洋庁という南太平洋の植民地を統括する役所が文部省に申し入れしました。それまでの日本語は、左書き、右書きが混在していました。日本の植民地になるまではドイツやオランダの植民地で、現地の人たちは、横書きの場合、左から読むクセがついていました。で、植民地の人たちが困らないように、左書きの要望を出しました。で、戦後内閣から1952年「公用文作成の要領」が出され、今に至っています」
アグネスがフランス語に訳したあと、少し付け加えた。
『一部誤りがあります。当時南洋の島々は日本の植民地ではなく、多くは国際連盟からの委任統治領でした。だから、そこでの日本の施政権は正当なものだったのです。日本人は第二次大戦に過剰すぎる贖罪意識を持っています。そこのところを受け止めて理解してあげてください』
『でも、日本が日本の文化を強制したことには違いないわ』
と、お隣の国の留学生が言った。
『当時は世界中がそうだったんです。現に旧フランス領から来た学生はフランス語に不自由しないでしょ』
『だけど、日本がやった事はね……!』
『あたしは昔の話しをしてるの。なんなら今でもやってるアジアの国について論じましょうか!?』
『アニエス、ここは文学の講座だからね』
コクトー先生がたしなめる。
『残念、いつでもお相手したのにね』
アグネスは、勝ち誇った笑顔で、あたしを連れて席に戻った。
「ユウコ、もっとディベートの勉強せんとあかんな……」
アグネスは、放課後マルシェ(市場)の買い物にあたしを連れて行き、フルーツの見分け方や、値切り方を教えてくれた。
で、気がついた。アグネスの買い物は、一人で持ち帰るのには量が多く、どうやら要領よく荷物運びの要員に使われた……ちょっと気の回しすぎだろうか?
ま、いいや。持ちつ持たれつ。
クレルモンを吹く風は今日も爽やかだしね(^▽^)/。