クレルモンの風・11
二月だというのに小春日和のうららかさだった。
ルコック庭園というのは、クレルモンの街の真ん中ちょっと南側。ノートルダム・デュ・ポール聖堂「Basilique romane Notre-Dame-du-Port」から一キロ南、モンジュゼ公園の南南東三キロ、うちの大学からは二キロほどのところにある、代々木公園をちょっと小さくしたような公園。パスカルで有名なアンリ・ルコック自然博物館「Muséum Henri-Lecoq」のすぐ南。行くのは初めてだけど、お手軽な街中の緑の庭園として解放されている。オープンな付き合いとしてはふさわしい。ハッサンの気配りが感じられる。
『お早う、ミナコ』
気軽にスマホで挨拶。寮の前に行ってタマゲタ。
白いリムジンがドデンと、そう広くもない寮の前の道を独占していた。
『お嬢様方、こちらへどうぞ』
アラブ系の白いスーツに身を固めたオニイサンが、うやうやしく後ろのドアを開けてくれた。
『さあ、君たちはこっち側へ』
ハッサンは、向かい合った後部座席の後ろのシートを示した。運転席は壁で仕切られている。
『これ、ハッサンちのリムジン?』
『うん、普段はミシュランに預かってもらってるんだけどね。今日は特別なんだ』
『ルコック庭園なら歩いてでも行けたのに』
アグネスの反応は素直だった。でも、TPOを考えて欲しかった、両方とも……。
『一度乗ってみたかったの、「プリティープリンセス」で、アン・ハサウェイがこんなのに乗ってるじゃん。なんだか王女さまになったみたい!』
と、間を取り持つ。なんで、あたしが気を遣わなきゃなんないのよさ!
ルコック庭園につくと、さすがにリムジンはどこかに行った。きっと迎えには来るんだろうけど。
『初めて来たけど、いいとこね』
『クレルモンって、周りは自然に囲まれてるけど、ちょっとした公園てのが無いのよね』
『ぼくの国じゃ、こういう緑は、とても贅沢なことなんだ。土を入れ替えて……というか、砂だらけだからね。保水性のある土をいれざるをえない。そして育つのは暑さに強い椰子とかね。あんまりきれいな花の咲くものは、温室がいる』
『砂漠で温室?』
『うん。強すぎる日の光から花を守るためにね。ブラインドが付いてるんだ』
『そうなんだ』
ハッサンは、植物の話から温室の話、水の話、日本の淡水化プラントがいかに優れてるか、そんな話ばかりだ。
『ちっとは、通訳の要る話をしなさいよ』
アグネスが業を煮やす。
『そうだよね、ぼくね……来週国に帰るんだ』
『お家の都合?』
『うん……』
『で、いつ帰ってくるの』
「ユウコ、お土産おねだりするとええよ。アラブのお土産て、ごっついよ(* ´艸`)」
「ああ……お土産はないよ」
「ハッサン、日本語できるの?」
『ユウコが、ここに来て一カ月目のフランス語程度』
『お土産ないって……』
『コーランにでも書いてあるの?』
『もう、ここには戻ってこられない』
「「ええ……!」」
アグネスとあたしの日本語のビックリがハモった。
『どうして?』
『お祖父ちゃんが勉強しちゃったんだ』
『え……お祖父ちゃんが勉強すると、なんでハッサンが辞めなきゃなんないのよ?』
『知っちゃったんだ、クレルモンが十字軍発祥の地だって』
あたしは「?」だったけど、アグネスは理解したようだった。
『ああ……ウルバヌス二世、1095年、クレルモンの公会議か』
『いや、別に世界が終わるほど重い話じゃないんだけどね』
『そりゃそうだ、お祖父ちゃんの気持ちさえ変わればいい話なんだから』
『それが一番の難問なんだけど。ま、気楽に話したいからチェスでもやりながら、話そうよ』
ハッサンは、デイバッグから、チェス盤と駒を取りだした。
『このチェス変わってるね?』
『ああ、シャトランジって言って、チェスの原形。アラブじゃ、これなんだ。ルールはチェスといっしょ』
『あたし、チェスのルール知らないから』
『『え、マジ!?』』
今度は、ハッサンとアグネスがハモった。
「ほんなら、ウチがやってみるさかい、ユウコは、横で見て勉強し」
で、あたしは見学になってしまった。
『チェックメイト!』
『くそ!』
アグネスが一時間ほどやって、勝負がついた。
『いやあ、アグネスもなかなかやるね!』
『お姉ちゃんとよくやってたからね。ハッサンは誰の手ほどき?』
『ああ、お祖父ちゃん……思い出してしまった』
『ハッサン、チェス無しで話しできないの? あたし、この一時間無言で勝負見てただけなんだけど』
「あ、かんにん。ユウコのこと忘れてた」
『チェスがないと、また淡水化プラントの話ししそうだ』
「それも、困るわなあ」
『じゃ、オセロやろ。これならルール簡単だから』
あたしは、こういう時のために持ってきたオセロ盤を広げた。
「ああ、これリバーシやんか!?」
『アグネス知ってんの?』
ハッサンは、初めてのようだったけど、すぐにルールを覚え熱中しだした。
『……で、話しってなんなの』
『うん、ボクの嫁さんになってくれないか?』
『なーんだ……え、今、なんてった!?』
あたしは、危うく息をするのを忘れかけた……休日のルコック庭園だった。