ライトノベルベスト
世の中に痛車というのがあるのは知っていた。
アニメなどの萌えキャラをデカデカとペイントした「オレはオタク!」と宣言しているような車のことだ。
バイト先のコンビニの客で、そういうのが来たことがある。オレは、そういうのに偏見はないほうだけど、その客は嫌な感じだった。太っているわけじゃないけど、体全体の肉に締まりが無く、なんとも男のあり方としてルーズ。買った物は今でも覚えている。
萌パラダイスって、タイトルのまんまの雑誌。こういうものにも偏見は無い。ただ、そいつの買い方。
「うん」
「380円になります」
やつはノソっと千円札を出した。
「1000円お預かりいたします……お釣り620円になります。レシート……」
やつは、何も言わずにレジ袋に入れた雑誌を持って出て行った。で、店を出るとレジ袋を路上に捨て、表紙の萌えキャラにニタニタすると、そのまま痛車に乗って行ってしまった。
店にいた女子高生三人が、いかにもキモそうに顔を見合わせた。
夢ちゃんを見ると、困ったように照れ笑いをしていた。
そーなんだ、今日は、その夢ちゃんの歓送会なんだ。
二人っきりの!
オレは、数少ないプチブル友だち祐介のマンションに行く途中だった。その途中で痛車を見てしまったもので、こんなつまらないことを思い出してしまった。約束の時間まで40分しかない。
「すまん、ジャケット貸してくれ!」
祐介のワンルームに入ると「上がれよ」を背中で聞いて、目の前に吊ってあったジャケットを掴んで、そのまま回れ右をした。
「おい、涼太、おまえに貸すのは、こっち!」
「直ぐに返す。あ、このフリース置いとくから」
後ろで祐介が、なにか言っているが、オレはシカトして階段を降りた。
あと30分……。
地下鉄のホームに着いたとたん、電車が出て行ってしまった。
ついてない、5分のロス。
夢ちゃんは、半年前から、うちのコンビニにバイトに来るようになった。トンボメガネでシャイな子だ。高校三年生相応の可もなく不可もない子だと思っていた。
よくシフトが重なって、いっしょになることが多かった。最初は失敗の多い子だったが、注意すると一発で覚える。どうやら、注意事項をメモっている。事務所兼休憩室でそれを見つけたとき、その字の美しさと、真面目な書き込みに感動した。
「あ、見ちゃったんですか……あたし、ドジっ子ですから(#^_^#)」
そう言って頬を赤らめた。
それから、夢ちゃんに対する認識が変わった。よほど恥ずかしかったんだろう、メガネをとって滲んだ涙を手で拭った。メガネを取ると別人のように可愛い。
「夢ちゃん、メガネ無いほうが……いや、余計なことだよね、ごめん」
「バイト中は、お勘定とか間違えちゃいけないから掛けてるんです。今度お給料もらったらコンタクトにしようと思って」
そして、最初のギャラが振り込まれたんだろう、次からはメガネをしなくなった。
夢ちゃんには、苦手な客……というより、商品がある。アダルト雑誌や萌雑誌だ。客の顔も商品も見ないようにして済ましてしまう。
まあ、お客さんも可愛いとは思ってくれているようなので、あえて注意はしなかった。
そんな夢ちゃんが、今日を限りにバイトを辞める。歓送会をしたいと言うと、喜んでくれた。
あ、もう時間だ!
待ち合わせの場所に行ったら、3分遅れだった。夢ちゃんはバルーンスリーブのセーターにサス付きスカート、頭はオレには分からない大きめのモコっとしたベレーを被っていた。
「ああ、よかった、場所間違えたのかと思っちゃいました」
人待ち顔が、とびきりの笑顔になった。
「ごめん、シフトがタイトだったもんで」
言い訳が言えたのは、肩の凝らないイタメシ中心の志忠屋という店のシートについてからだった。
「すみません、あたしのために」
二時間近く喋ったあと店を出た。高校生だ、早く帰さないと。
「一駅だけ歩きません。お話できるから」
「あ、うん、いいよ」
その時、ビル風が吹いてきて、ボタンを留めていなかったジャケットが風に煽られてたなびいた。
「あ……!」
夢ちゃんが、ジャケットの裏側を見て声を上げた。オレも驚いた。
ジャケットの裏側は、萌えキャラで一杯だった。
「あ、これは……」
オレは正直に言った。ジャケットは持っているけど、兄貴のお下がりで、ここしばらくクリーニングもしていない。いっそ、新しいのを買おうかと思った。が、買ってしまうと、今日のデート……いや、歓送会の費用が苦しい。そこで祐介のを借りたってことを。
「ハハ、オレって浅はかだなあ。ごめん夢ちゃん」
「ううん……」
夢ちゃんは、暖かくかぶりを振った。
「あたしにも秘密があるんです……」
「なに?」
「ウソみたいですけど、あたしアニメのキャラなんです」
「え……?」
「あまり視聴率が上がらないんで、ワンクールで打ち切り。で、お別れなんです。バイトしたりしてがんばったんですけど、アニメの制作費って高いんです。最後まで秘密にしておこうと思ったんですけど、涼太さんが正直に話してくれたから……じゃ、ここで!」
夢ちゃんが駆け出した、電柱一本分行く間に、その姿はフェードアウトしていった。
それから、三か月後。オレは就職の面接を受けに行った。
第一志望の中堅企業……お手軽かと思ったら、人の思いは同じようで、面接会場の廊下は面接待ちの学生でいっぱいだった。
――こりゃ、ダメだな――
ほとんど諦めて、面接を受けた。開き直ったせいかスラスラと答えることができた。
可も無し不可も無し……で、通るご時世じゃないよな。
『そんなことないわ』
「え……?」
見渡したが、だれもいなかった。
「ダメだな、気弱になっちゃ……幻聴がするようじゃな」
アパートに帰って、リクルートスーツを脱いで驚いた。背中の裏地に夢ちゃんがいた。むろんアニメキャラとしてであるが、特徴や印象は夢ちゃんそのものだ。これは洋服の秋山で買った、どこにでもある、リクルートスーツだ。むろん、こんなものは最初からついてはいなかった。
夢ちゃんは、上に羽織るものなら、たいていのモノには付いてきた。そして、着ているとき、背中から、時々声をかけてくる。
就職は、夢ちゃんが言ったように難関を突破して受かった。
そして、何年かあって、オレにリアルな彼女ができたとたんに姿が消えた。
でも、また会えるような気がする。
どんな時かって?
そりゃ、人生いろいろある。
その、いろいろのいつの日かに……会えるだろう。