シンシアリー*のブログに興味深い記事があったので、お目にかけたい。本論に入る前に、徴用工問題の争点を確認しておく(青字)。
1965年における日韓基本条約交渉の過程で、日本側は民間補償も支払う用意があるむねを韓国側に伝えたところ、韓国側は「民間補償もまとめて韓国政府に支払ってほしい。それは韓国政府が対処する」と要望したので、日本政府はそれを受け入れた。ところが、韓国政府は請求権資金の全額を経済基盤の整備などに使ってしまったため、民間への補償がなされぬままになった。
その後、いわゆる徴用工は日本企業を被告とする訴訟をおこし、韓国の大法院はその主張を認めたが、被告の日本企業は1965年の日韓基本条約で決着済みとして、支払いを拒否している。
さて、シンシアリーの9月1日のブログから抜粋して引用する(赤字)。
https://sincereleeblog.com/2020/09/01/tukareta/
日本との請求権協定により、『念願のお金を手に入れた!』とワクワクしていた韓国政府。しかし、自国民への補償という問題が残っていました。協定の段階から日本に対しては「民間は韓国政府がなんとかするから早くお金くれ」だった韓国政府。しかし、1966年1月の時点でも「国民に補償すべきかどうか」で政府の意見が統一できていませんでした。
そこで、「やはり政府が民間請求権(法人・個人など民間の対日請求権の分)を補償する」という結論になり、1966年2月にそのための法律が作られます。
中略
「大韓民国国民が持っている1945年8月15日までの日本国に対する民間請求権は、この法律で定める請求権資金の中から補償しなければならない」となっています。すなわち、請求権協定で日本からもらった資金、およびその資金の運用で発生した資金以外で補償してはならない、となっています。
請求権資金を「日本が韓国政府に渡す」ことが日韓の請求権協定の内容だったから、当然、1966年2月時点でその「請求権資金内で韓国民に補償する」主体は韓国政府となります。
それからこの法律がどうなったのかというと、70年代に細かい内容(どんな場合にいくらまで補償するのか、など)が作られていきます。そうやって「対日民間請求権補償に関する法律」となり、全斗煥政権のとき、1982年に廃止となりました。
以下省略
この記述によれば、韓国政府は1966年時点では、民間への補償は韓国政府が行わねばならならいことを認識し、そのための法律まで用意されていた。しかし、その法律は廃止されたという。ではその廃止の根拠とは何だったのか。
民間請求権は政府が対応すると法律で定めておきながら、その法律を廃止するのは韓国の勝手だが、その後半世紀も経ってから、その請求権が生き返り、しかも被告が日本企業になるのは理不尽ではないだろうか。
さらに、“民間補償は請求権資金の中から補償されなくてはならない”と規定しているが、その時点で請求権資金はすでに使い切っていたのではないだろうか、という疑問がわいてくる。
“なんでもありの国”だと言ってしまえばそれまでだが、割り切れない気分だ。爺はシンシアリーのファンだが、こんな割り切れない問題提起なら、黙っていてくれた方がよかった(笑)。
*(注)シンシアリーは日本に最近移住した韓国人で、韓国の理不尽ぶりをブログに紹介している。