明治憲法の特徴は、その第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とある通り、天皇が絶対的存在であると規定した点にある。そして、第3条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」とし、“絶対的存在であることについては、あれこれ考えるな”と命じた。では、なぜ天皇を絶対的存在としたのか。
当時の憲法起草者たちは欧州諸国の憲法を調べた結果、彼らの憲法は神を絶対的存在としていることに気づいて困惑した。日本では、神道にしても仏教にしても、国民に共通した絶対的存在ではないし、教典もなかったからである。そこで彼らは西欧の神に相当する存在を天皇に求めた。
国のかたちをまったく変えた制度化改革の根幹に明治憲法があり、その中心に天皇を据えたことは国民の意識を統一する観点では、名案だった。しかし、それは両刃の剣だった。
すなわち、軍部が天皇に直属する形にしたことで、その後軍部は権威を笠に着て主導権を握り、議会を圧迫して亡国への道を突っ走ることになってしまった。起草者たちもその欠点に気づいていたようで、軍人勅諭で「軍人は政治に関与するな」と規定したが、その規定が十分機能しなかった。
では、軍隊をどう位置づければよかったのか。内閣に直属する形にすればよかったのか。今さらそんなことを詮索しても仕方がないが、残念至極である。
さて、戦後に発布された新憲法では、天皇の位置づけが「絶対的存在」から「象徴」に変化した。それでも、国民の精神的支柱の役割は変わらず、国民が天皇に尊崇の念を持ち続けていることには、国体の維持という観点から誠に喜ばしいことである。
問題は、明治憲法で失敗した軍隊の位置づけである。占領軍がやっつけ仕事でこしらえた新憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあり、これで日本を武力面で骨抜きにすることに成功した。
しかし、ここで今さら論じるまでもなく、その後の70余年で世界の状勢は一変した。それにもかかわらず、憲法の金縛りによって、日本は自衛隊という誰が見ても軍隊である組織を軍隊と認めることさえできていない。
戦前は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と、教育勅語で兵士の意気を高揚したが、今は「諸君は憲法上存在しない組織だが、敵に攻撃されたら闘ってほしい」という虫がいい要求をすることになる。これでは闘うモチベーションが生まれるはずがない。
明治憲法では軍隊の位置づけを間違えたが、今度はまったく逆の間違いにより、国を亡ぼすことが起こりかねないのである。