頑固爺の言いたい放題

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「絆」「自助」への反発

2020-09-27 12:55:18 | メモ帳

朝日新聞(9月25日)に掲載された読者のある投稿に興味を持った。そのわけは後段で説明するとして、まずはその全文をご覧いただきたい(赤字)。

国民の「自助」は見ていますか             

                                                                  無職 東京都 76歳女性

「アベ政治」を踏襲する内閣ができあがった。菅義偉首相が、目指す社会像として告げた「自助、共助、公助、そして絆」にはがっかり。あなたに言われなくても、国民は今まで、何かあるたびに泣きながら助け合って乗り越えてきています。

大震災や大雨洪水の時も、全国あちらこちらで事が起きるたびに、どれだけ国民がつらさを経験してきたことか。今さら「絆」ですと? 一体、全国のどこをどう見てきたのですか?近所のボランティアの力の大きさ、助け合うことの尊さに本当の意味で気付いていますか?

「国民から信頼される政府」「既得権益、悪しき前例主義などを打ち破って、国民のために働く内閣」というなら、政府に好都合なことだけでなく、残された数々の疑惑を再調査し、沖縄の民意に耳を傾けて。新型コロナ対策もワクチンを急ぐあまり、安全が十分確認されないのは困ります。国民をモルモットにしないでください。

我々はマスクや手洗いをし、友人にも会わず、行事もせずに我慢しながらこの半年余りを過ごしています。高所から「まずは自助で」と言われても安心、納得できません。

「自助、共助、公助」の標語を見たときの爺の所感は、“今さら言われるまでもなく、これまでそうしてきたじゃないか。月並みな標語だな”である。要するに、“ごく穏当な標語”と感じたのである。

だから、このご婦人の強烈な反発を目にして、呆気にとられた。彼女が言うように、これまで国民が幾多の困難を乗り越えてきたのは事実だが、だからといって「自助、共助、公助、絆」という言葉に“がっかり”とはどういう論理なのか。

この半年余り、我慢を重ねてきたが、その我慢は自分を守るためだったから、爺は苦情を言う気はない。だから、“高所から「まず自助で」と言われても安心、納得はできません”という論理にもついていけない。

察するに、このご婦人は菅内閣に嫌悪感を持っているのではないか。冒頭に「アベ政治」とあえて片仮名を使ったことにも、安倍継承内閣に対する底意を感じる。だから、「絆」とか「自助」というごく当たり前の言葉に、過剰かつネガティヴに反応したのではないか。

朝日新聞の世論調査では、71%が菅内閣を支持したというから、このご婦人は残る29%の内の一人に違いない。爺は、読者の投稿がその新聞に取り上げられる場合は、その意見が大多数の考えを代表しているからだと思っていたが、このケースは明らかにそうではない。

少数派の意見であっても、建設的な意見なら採用されるだろうが、どう考えても、この意見が建設的とは思えない。

つまり、爺には朝日新聞がこの投稿を採用した意図が読めないのである。他の新聞ならこの投書を採用することはないのではないか。

そこで気づいたのだが、朝日新聞はこの投書を利用して、間接的に菅内閣不支持を表明しているのではないだろうか。下司の勘繰りと言われればそれまでだが、そう考えないと、つじつまが合わないのも事実である。

今後、朝日の投書欄を読むときは、真意はなにかをしっかり見定めることにする。