前回のテーマ「学術会議の赤い影」に引用した桜井よしこ氏の論考の下記の部分(赤字)に対し、「世界史も大好き」氏から、否定的なご意見を頂いた(前回のコメント欄参照)。ついては、今回のテーマを「公職追放」として、公職追放を大局的観点から論じることにする。
当時20万人もの優れた日本人が追放されて生まれた空白を、共産主義者や社会主義者をはじめ、GHQの意向に従う二流三流の人材が埋めた。学術会議の学者もその状況下で選ばれた。
【公職追放とは何だったのか】
1946~8年(S21-S23)に占領軍総司令部(GHQ)は戦争に協力した人々を公職から追放した。しかし、それは名目上の理由であり、実質的には日本弱体化作戦の一環だった。
被追放者のリストはWikipedia から<公職追放>で見ることが出来るが、鬼籍に入って今なお名を残している人々を思いつくままに挙げてみよう。
政界では、石橋湛山、鳩山一郎、河野一郎、市川房枝、岸信介、など
財界では、五島慶太(東急電鉄)、堤安次郎(西武鉄道)、松下幸之助(松下電器)、出光佐三(出光興産)、渋沢敬三(日本銀行)、伊藤忠兵衛二代目(伊藤忠商事)、小林一三(阪急電鉄)、など。
マスコミ・文学界では、正力松太郎(読売新聞)、武者小路実篤(思想家・ジャーナリスト)、山岡荘八(作家)、徳富蘇峰(ジャーナリスト・元国民新聞)など。
要するに、被追放者は当時の各界の指導的立場にあった人たちで、地方公務員も含めて、総数は約20万人。この時、日本は柱を失ったのである。
ところで、桜井よしこ氏は「・・・共産主義者や社会主義者をはじめ、GHQの意向に従う二流三流の人材が埋めた」と述べた。この「二流三流の」という表現には差別的ニュアンスがあるが、この形容句は「共産主義者や社会主義者」に対するものではなく、「GHQの意向に従う(人々)」に対するものである。つまり、桜井氏は「GHQの意向に従う人々」を暗に批判したのであって、差別的感覚はなかったと解釈すべきである。
【公職追放のデメリット】
GHQの狙い通り、公職追放による各界の打撃は大きかった。しかし、GHQが予想しなかった事態がおきた。企業や官庁のトップによる指導力低下が共産党勢力の伸長をもたらし、労働組合や教職員組合の力が強くなったのである。また、学界やマスコミ界に共産党もしくは極左勢力が浸透した。
そこで、GHQは方針を変更し、公職追放を解除した(1950~1年)。しかし、走り出した勢いは止まらず、労組・教職員組合(日教組)における極左勢力は生き残った。また、学界やマスコミ界でも、極左勢力は温存されたままになっていた。
その結果が今議論の的になっている学術会議の勢力図であり、朝日新聞や毎日新聞の反政府的傾向である。
さて、前段で公職追放は「実質的には日本弱体化作戦の一環だった」と述べた。では公職追放以外の日本弱体化作戦は何だったか。それは三菱・三井・住友・安田の四財閥解体である。しかし、この件は本稿とは無関係なので論じない。