この2ヶ月、私は必死でこの店に通い続けました。
佐橋美術店の作品はどれも思い出深く、そして真っ直ぐに私を癒してくれました。
今、やむを得なく日本画を中心に作品を幾つか手放していますが、残している作品の中でも
断然1位に、私に力を与えてくれているのは、この牛島憲之の「初日」です。
苦しみや悲しみが、麻痺状態になっている時に
視線を変える事を促してくれる作品。
一緒に前に進もうと励ましてくれる作品。
主張は少なくてもただそこに居てくれる作品。
色々ある中で、牛島憲之の特にこの作品に感じる「品」は格別なものです。
品とは、徳という言葉に置き換えることも出来るかと思います。
徳と言っても決して大袈裟なものではありません。
「ある実感の共有」というものかと思います。
牛島の画集に「炎昼」という作品と作家自身の文章が掲載されていました。
炎昼は昭和21年、牛島46歳の作品です。
これより先、更に51年もの時間を長く生きるとはきっとご本人もこの時思っていらっしゃらなかったと思いますが
この頃確立された様式、或いは世界観は、きっと牛島本人さえも癒し、その生命を長らえさせたのではないか?とさえ思います。
前作「残夏」の炎天下の緑という構成は、自分でも気に入っていたので、引き続き描いたのがこの「炎昼」です。
これは糸瓜ではなくカボチャ、近所の友人の家の庭にあったものです。
何もかも死んだような真夏の昼、独り絵筆を動かしていると、気力が満ちてくるような気がしました。
私は8月生まれ、夏が好きなんです。
93歳の今日まで、夏が辛いと思ったことはありません。
そのお陰か、この年の第二回日展でこの絵が特選をいただきました。
以後の私のスタイルがこれで確立したと言って良いかもしれません。
夏を辛いと思ったことのない牛島が現在のこの気温をどう捉えるか?少し意地悪な興味を持ちますが
ただこの「炎昼」という作品を観る時、昭和21年と現在のその気温差を感じさせることのない
「暑さ」を感じることができるように思います。
それは、牛島が「炎昼」という言葉から想起させられるイメージの世界、
また人間にとっての「夏」「暑さ」の本質を絵画の中に大胆に、かつ大変丁寧に表現しているからだと感じます。
今のお若い方たちの感じる「暑さ」は、きっと日本が世界に誇るアニメの世界にもきちんと表現されるのでしょうけれど、
ただ時間を重ねて、経験をしてゆく「夏」への思いや「暑さ」への感触は、きっといつかこの牛島憲之の織りなす手触りの
静かな、深い優しさに溢れる「夏」のイメージに近づいていくような気がしています。
私は夏に生まれたので夏美という名前なのだとずっと思っていましたが、先日妹が父になんとなく聞いた気がすると言って
「夏の子供のように、裸で放っておいても元気に育つように」という意味もあったと教えてくれました。
だからって、60過ぎて丸裸にされて放っておかれてもね、、お父さん‼️雅彦さん‼️
「初日」
その言葉のイメージも、作品の内容も私に確かな「初めての力」を与えてくれていると実感しています。
丸裸だからこそ感じる静かな美しい力です。
やはり、牛島額より、この額の方が深みを感じる気がしますが、いかがでしょうか。