出会いから半年。
いよいよこの作品を皆様にご紹介させて戴く日がやって来ました。
というより、やってきてしまいました🤦♀️🤦♀️
良い作品であればあるほど、
皆さまに御覧にいれたい、自慢したい、当店に評価をいただきたい。
⇄どなたにも見せたくない、独り占めしたい、、、うぅ、どなたも買わないでぇ〜
の気持ちの行ったり来たりになってしまいます。
けれど、画商は何を持っているか?でなく、何をお客様にお納めしたか?だけが、評価される仕事です。
画商として生きた証は、本来、お客様方のコレクションの中に、そっと静かに消えていかなくてはいけないのですね。
ここはきちんと弁えて、作品のご紹介をさせて戴こうと思います。頑張ろうー
画家というものの本分を、よくよく弁え、それをその人生と画業に徹底させた。
それが入江波光であったと思います。
そして、その徹底は、結局画家に対する評価は画家本人でなく、画家が他界した後の作品の独り歩きのうちに得るものであるという信念に基づくものでした。
半年前、私はひとりで店番をしながら、この作品を受け取らせていただき、あの応接室の床に上がり、意を決してこのお軸を開きました。
今まで、こうした高価なお軸、しかも長物は佐橋が全て扱ってきました。
私がお軸を開いたり、閉じたりたしたら、変な癖がついてしまうのではないか?という心配もあります。
けれど、見たかった。早く見たいと思いました。
お軸を自在にかけ、開き始めてもなかなか絵が出てこないのです。
出てこないのだけれど、、その余白は今まで開いてきたどんな作品の余白より、美しく、軸を開いている自分の動作がストップモーションのように感じられました。既にここで波光はお軸という形態の本分を私達に教えています。
軸を開ききる手前にやっと、ささやかで、とても美しい山桜が咲き始め、その下に鴛鴦の雄が身を震わせ体の水を捨て、椿の花の咲く影に雌が静かに水面に浮かんでいます。
最後に散った桜の花びらの薄さ、水に濡れて透き通っては消えていく色の儚さを圧倒的に鮮やかな緑の苔の上に乗せ表現をし、
この場面、物語を終えます。
お軸の上から下へ時間が経過し、生きるということの美しさと儚さがこのひと巻きに展開される。
本当に美しく、感動に満ち満ちる作品です。
制作年ははっきり致しませんが、印譜から波光晩年の作品だと思われます。
(印譜の画像を撮り忘れました。明日以降追記させていただきます。)
入院中の佐橋の退院を待つことなく、独りでこの軸を開いてしまう私。
お客様にこの作品をお納めしたいと願いながら、ずっとこの作品を眺めていたいと思う私。
父母や妹、弟との思い出。子や孫への想い。
全ての私を許し、ますます歳を重ねていくことへの孤独を忘れさせてくれる。
波光作品は、本来の芸術のあり方、日本画の意味、お軸の素晴らしさをいつも私達に教えてくれます。護持尊の作品について書かせていただいた時にもお伝えしたと思いますが、波光はその画業の殆どを壁画修復に費やし、古画に学び、作品保存の研究に徹し、また家族との細やかで愛情に満ちた生活を大切にしようとした画家です。
開廊20年。佐橋が私の画廊での仕事を静かに見守り、私を育ててくれた20年でもございます。
その象徴ともいえる作品に出会えた事を何より幸せに感じ、お求めくださるお客様がいらっしゃいましたら、喜びと敬意を持ってこの作品をお納め申し上げます。
追記
入江波光 軸 鴛鴦 絹本彩色 共箱 酉一郎鑑 119×25㎝
軸 200×37.3. 軸先42㎝