もう1週間前のことになってしまいました。
守一展を拝見した後は、2人で東京の国立劇場に向かいました。
前日に席を予約した文楽を鑑賞するためです。
佐橋はどんなに良い舞台(お能や歌舞伎は勿論、各お芝居、クラッシックコンサートなど)を見ていても100パーセント鼾をかいて寝続けるという特技を持ち、私は隣でハラハラ、時々思いっきり佐橋の足を蹴る!という荒業を出して、なんとも居心地悪く何時間かを過ごすことが多いのですが、そんな佐橋でもどういうわけか、この文楽に限っては、ほとんど寝ずに一所懸命見てくれて、私は安心して鑑賞に集中できるので、時々こうして文楽にでかけるのです。
今回は夜の部嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)と艶容女舞衣(あですがたおんなまいぎぬ)を拝見しました。
といっても、やはり文楽鑑賞は入門編、まず筋をあらかじめ理解しておこうとプログラムを求めました。
勿論この中に簡単なあらすじや見どころ、大夫、三味線、人形の技芸員の方たちの紹介もきちんとあるのですが、
文楽のプログラムにはついているのですね。
浄瑠璃の床本集です。
この内容は舞台両横の電子掲示板にもテロップとなって流れますので、鑑賞しやすくはなっているのですが、文楽は休憩も短く、ひたすら椅子に座っての鑑賞時間が長いので、やや首が疲れました。
急遽鑑賞を決めたので、お席も舞台全体を見渡すには少し辛いこともありました。
けれど、人形は本当に愛くるしく、見事な動きで、「人間」を表現してくれるのです。
時が止まったかのような、オール手創りの世界。本当に気持ちの良い、優しい世界です。
文楽劇場は名古屋にはないので、東京か大阪に伺わなければなりませんが、「また見に行きたい!今度はオペラグラスを忘れないように」と珍しく2人仲良く劇場を後にしました。
勿論、休憩の間に、劇場内の数々の絵画を拝見しました。
土牛、森田曠平、人形が本当に可愛らしく、美しく、魂を込めて描かれています。
東京に一泊し、翌日は
三井記念美術館さんで、高麗茶碗をたっぷりと拝見。
高麗茶碗は、高麗時代に作られたということでなく、朝鮮時代の16世紀以降に作られた茶碗を指します。
そして、当時朝鮮で日常に使われた器のなかから日本人が茶の湯のために見立てた茶碗と
逆に朝鮮の職人たちが、日本向けに焼いた茶碗の二つに大別されます。
見立てられた茶碗だけでもその種類は実に多く、種類を覚えるだけでも大変なので私はいつものようになんとなく、綺麗だなと思う茶碗を追いかけましたが、気づいてみるとやはり上の画像の「見立てられた茶碗」にとても魅力を感じ、
日本向けに焼かれたこうした茶碗は実にみごとでありながら、なにか・・かえって芯に少し固さを感じました。
結局同じ茶碗なのに、見方を変えると気になる事があるのですね。
こちらの展覧会は12月1日まで続きます。
数々の名器のなかでも、三井記念美術館さんご所蔵の作品は特に品格が高く感じられ見応えがあります。
よろしければどうぞお出かけくださいますように。
この日は私がクタクタに疲れてしまっていて、日本橋を足早に過ぎ、東京駅へ。
岸田劉生展を拝見して名古屋に戻る事に致しました。
劉生展はこのブログでも何回か触れさせていただいているほど、今まで色々と伺っています。
やはり、画面に向かう集中力、熱情、粘着性。。だんだん言葉がわるくなってしまうかな?
劉生のエネルギーは観るものを圧倒致します。
けれど、最初に守一を見て、文楽を観て、お茶碗をみたせいでしょうか?
今回は案外劉生は頭で絵を描いているのだろうと思えました。
何を探していたのだろう。。と思うほどの技法の変化。日本画への傾倒。
下手と言ってはそれまででつまらなくなりますが、頭でどんなに絵のタイプをかえてみても、
どこにでも溢れる劉生という人間。
劉生が求める愛。生きる不安。孤独。
道を求めれば、求めるほど、人との交りを広げれば広げるほど、
劉生自身の意識の底に、とてつもなく大きな力が蓄積されていったように感じます。
私達はあの劉生の絵の中に必ずそれを感じているのですね。
劉生の絵の中では、私はやはり短い人生の後半に描かれた静物。特に冬瓜を描いた作品が大好き
です。
包丁を突き刺さなければ、冬瓜は腐る事なく長くその形を保ちます。
また、白い粉をふいた厚い厚い皮に、包丁をひと度刺せば、中身は案外淡白で子供のように単純な瓜であります。
劉生の求め続けたリアル。
彼の画家としての人生と作品そのものが、近代日本美術が背負ったあの「個」の象徴のように考えるのです。
劉生の手触りは、守一の手触りと違い、人懐っこく、「何故か気になってしまう、ひっかかる」てざわりです。