つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

展覧会のご案内

2020年11月25日 | 佐橋美術店の展示・展覧会
昨日愛知県豊田市美術館さんから展覧会のご案内が届きました。

チラシを拝見して「小磯良平展か?これは楽しみ!」と開催はまだ先ですが思わず写真を撮りました。

写真を撮ってからよく見てみると小磯展ではなく、その同期生を扱う展覧会でした。





「上杜会」ジョウトカイ は
昭和2年の春に東京美術学校西洋画科を卒業した若者40名で結成された同期会だそうです。

当初からおしなべて優秀と評された画家の卵達で、そのうち10名以上がヨーロッパ留学を果たしたとチラシには書かれています。

小磯、牛島、荻須という3名の文化勲章受賞者を輩出したこともこの年の卒業生の優秀さを物語っていますね。

チラシには岡田謙三、高野三三男、猪熊源一郎、山口長男などの名前も載っています。

主催者の欄には、神戸市立小磯記念美術館さんの記載もありますので、小磯作品も幾つか出品されることでしょう。

久しぶりに「なかなか渋い」展覧会を企画していただいたなぁと思っています。
今から楽しみにしています。











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銀杏

2020年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
先日お伝えした愛知県内祖父江のイチョウの紅葉の様子がテレビで紹介されました。




とても綺麗でしたので、こちらに掲載させていただきます。

今日からまたお寒くなるようです。皆さまどうぞご自愛ください。

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詩と絵 おまけ。訂正とおわび

2020年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム
ご安心ください!

もう詩と絵についての記事はございません。

が、一つ佐橋よりクレームがつきました😵😵


この薫の作品についてです。
私は何も調べずにこれは甲斐犬のクマちゃんを描いた作品だろうと思っていましたが、
佐橋が「これは風景画でしょ!」というのです。





あぁ、確かに木が描かれています。

「サラサラ粉雪ふる」は1960年の制作、しかも油彩・キャンバス130.3×162.0㎝、100号の大作です。

これはどう考えてもクマちゃんではありません。

皆さま、大変失礼を致しました。


こちらの作品は群馬県立近代美術館さんの御所蔵だそうです。
きっと実作品は、抽象と具象の間をゆきつ戻りつし、薫の詩の世界に満ち満ちていることでしょう。

いつかこの作品を目の前にし、「コロナ問題の最中に大変お世話になりました」とご挨拶したいと思います。

どこかでこの作品を実際にご覧の皆さまはぜひ、ご感想をお聞かせください。




コメント (3)
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「詩と絵」にいただいたコメントについて

2020年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム

先日の記事、「詩と絵画」につきコメントをいただきました。

ーーーーー🌺ーーー🌺ーーーーーー

絵画と詩のテーマ、やはり興味深いです。

この前、メナード美術館に行って色々良い作品を拝見できたのですが、ふとこれらの美術品は近代のそれであって現代ではないのだということに気づきました。
そこで少し考えてみました。現代芸術と近代芸術の差(違い)とは何か?

何事にも例外があるにせよ、やはりコンセプチュアルという言葉は現代アートとは切り離せないでしょう。つまり社会(テーマは環境やジェンダーなど多岐に渡りますが)に対するメッセージ性がないと相手にされないという時代性。そして目新しさ。新鮮さ。そしてその切り口を第一に評価する資本は、そうしたものを強欲に飲み込んでいきます。

今ではそこにデジタルテクノロジーが介入してきているので、一部絵とか彫刻の範囲を超越してきていますが、それが現状です。

つまり現在芸術と認知されていないものが、周回遅れで将来芸術と認知される、そんなことがいくらでも起きうるということです。

コンセプチュアルアートの生みの親は、マルセル・デュシャンと言われています。
なるほど彼は早々に絵を描くことを放棄して、小便器にサインを入れて芸術品として出品することを「思いつき」ました。そしてそれから100年以上が経っています。

そして現代評価されているものは、あの手この手で姿かたちを変えながら、しかしこの流れの上にあるものが多いように思います。

つまり現代アートと言われるものはこれをずっと引きずっているわけです。

一方近代アートは、こちらのブログでも紹介された通り

【近代的な自我の自覚と世界のシュルレアリスムという流れの中で、日本において一挙に詩と美術の動向が交差する稀な時代が続き、それは、私どもの大好きな「近代日本絵画」の一つの大きな個性となりました。

どこか青臭く、大変繊細な心。つまり、過剰な自意識と感傷的な敗北感。】

つまり自我やエゴに重きを置く芸術です。確かにコンセプトは必要ありません。

メナード美術館には、マネやセザンヌなど印象派の錚々たる顔ぶれの作品があり、日本画では大観や靫彦、洋画では梅原や安井、坂本などが見れます。
個人的にはそうしたものを見て満足できます。「良いものを見れたと。」

例えば裸婦が数点あります。
岡田三郎助、小出楢重、梅原龍三郎のそれは当然個性が違います。各作家の対象を捉える眼差しの違いがその差となって現れてきます。
なぜ裸婦を描くか?裸婦や風景、静物を描くという行為はアカデミズムの賜物であって、コンセプトではありません。どのような裸婦を描くかが問題になるわけです。観る側はその中の何かに反応する。これがシンパシーで、好き嫌いの元になるわけです。例えば梅原が好きならば、梅原の持つ何かしらに共感していることになる。その反対も然りなわけです。

詩は、個の内面からしか生まれません。
一方コンセプトは頭でひねり出すものです。そのうち人工知能のほうが、優れたコンセプトを生み出すかもしれません。

佐橋さんの指摘する、叙情性の危うさはこうしたところから来ているのかもしれません。

日本近代芸術における詩と絵画の関連性、その認識に関する記述に大きく共感しました。

最後に絵画の絵画性を追求した作家たちの将来の評価に関する懸念ですが、これは確かに難しい問題です。

ただノスタルジーを求める人は一定数いるはずです。そこに共感がある限り、何かしらの形で作品は残るのではないでしょうか。

素敵な作品をこれからも紹介し続けてください。応援しております。

ーーーーー🌺ーーー🌺ーーーーーー


美術作品の鑑賞の方法はそれぞれでいらして、学芸員さんだから、画商だから、コレクターさんだからという専門性は不要であると思っています。同じ仕事をしていても佐橋と私の絵の見方は全く違います。

私はどちらかというと自分の人生に引き寄せて絵を見ている方だと思いますので、このブログをお読みくださる皆さまには「何もここでそれほど立ち止まらなくても〜」と思われることも多いかと感じます。

特に今年は「コロナの入口で引っ掛かり、今出口で引っかかっている」という、そんな感じの私です。

そんな私の文章を読んでいただき、また共に考えようとしてくださるお客さまがいらっしゃることは、私にとって最大の喜びなのです。コメントをいただきとても元気が出ました。誠にありがとうございました。

現代アートについては、鑑賞する初めから、どうも拒否反応が出てしまっていました。

けれど、今回コメントをいただいて、少し考えが変わりました。
そして、詩と絵について書かせていただいて良かったと思えました。

つまり、資本主義社会の進んだ今を生きる私達には近代文学や近代美術にみる抒情性は重すぎるのではないか?という感想です。
コンセプト、概念に芸術的心を預けておく?逃げておく?ことがなければ、その科学の進歩のスピード、生活様式の激変に人間はついていけない、気持ちを持って生きようとすれば精神が崩壊してしまう。このコロナ禍の自殺者の数もそれを証明しているようです。


近代に詩という文学に近づいた美術は、現代においては記号、デジタルなど映像に近づき、また政治や科学や生活に近づき、その抒情性を封印したように思えます。封印しなければ、美術は生き残れなかった。

そして、その芸術運動はコメントに書いていただいたように画家、彫刻家、陶芸家としての鍛錬の時間を不要なものにしてしまいました。誰もがアーティスト!そんな時代になったのです。

私はその事を大変憂い、時代を巻き戻すことばかりを考えていました。そこに近代絵画をご紹介させていただく意味も求めていました。

けれど、デュシャンの登場から100年も経つのですから、「今」を認めなくてはいけない。その先が見えない!と思えるようになりました。

どんなに大きな地震が来ても、放射能が漏れても、破壊的な台風が来ても、知らんぷり!の世の中に、もう多分皆疲れ切ってしまっているでしょう。何よりこれからを生きる若い方達がどんなに不安を抱えていらっしゃることでしょうか。

資本主義の行き詰まりはもう目に見えているように思い、またその新しい時代の到来にはきっと新しい芸術の主張が生まれると期待しています。叙情性の回帰とはいかないまでも、きっと人々は「心」に帰っていくだろうと思っています。それは近代芸術の持つ重さ、方向性とは少し違うように思えますが、何かもう少し温度のある芸術、深みと鍛錬を要する芸術が生まれてくれるだろうと想像します。



そのための足掛かりとして、絵画性の高い日本近代美術作品を厳しく選び、イベント化している現在の展覧会とは違ったご紹介の仕方で数々の名作を皆さまにご覧いただきたいと思います。

きっとそれが目に見えない世界、他者への想像力を養い、新しい時代を生む原動力となるとも信じています。












コメント (4)
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行った気になる!

2020年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は交換会に出席の予定があり、佐橋は朝早めに東京に向けて出かけていきました。
画像は先ほど届いた、今日の新幹線からの富士山です。

富士山は、本当に色々な顔を見せてくれますね。















名古屋市内の官庁街でも、紅葉が進み、かなりの枯葉が舞っています。

沖縄にお住まいのお客様から「沖縄では紅葉が見られない」とお聞きし、紅葉の見られない生活をいろいろ想像してみては
不思議な気持ちになり。。今年はかなり興味深く、また抒情的に身近な紅葉を楽しめています。

知識や情報は、こうした発見や経験のためにあるのだと改めて思います。

できましたら、皆様のお住まいの地域の紅葉や雪景色、山、海を少し拝見させていただきたいと思います。
行った気になるのが得意なわたくしです!
お気が進まれましたら、コメントは不要ですのでぜひ画像をお送りください。


📩 sahasi2009@castle.ocn.ne.jp





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