先日名古屋市美術館さんにお邪魔したとき、藤田と同じ髪型をしていらした学芸員さんに
お会いし、あれ?と思っていましたが、その後そのことが新聞にも掲載され・・
この藤田展に関することだったのかとわかりました。
いざ展覧会が始まってみると、
刈谷市美術館さんとは入り口から全然違うのにびっくり。
藤田はともかく、イヤホン解説のオダギリジョーさんがカッコイイ
藤田についてはもう皆さんがよくご存じなのでお伝えすることはありませんが
この展覧会は切り口が面白く、「はじめて藤田を知る、さらに藤田を知る」にはとても
よい展覧会だと思えました。会場の解説はもちろん、カタログは個々の作品の解説まで細やかです。
今回の私の収穫は
1、藤田の父が軍医、しかも後には陸軍の軍医総監まで上り詰めた経歴の持ち主で、嗣治が画家になりたいと希望したとき当時としては珍しく一つも反対をしなかった立派な人であったこと。2、藤田がその四人の子供のうち末っ子であったこと。
そして3、「人生は思いの通りになっていく」 ということです。
前述の和田英作は早くからその描写力が認められ、日本で画家としてエリートの道を歩みました。
佐橋が英作の絵を観たとき「この人は人のなかで苦労し、自分の絵を高めていった画家だね」とぼそっとつぶやきましたが、エリート故に派閥のなかに苦しんだ時期も長かったようでうです。
それに比して
藤田は絵を描く自体の才能には恵まれず、それでも世界の画家をめざし、苦心をし、世界の画家になった画家。
波瀾万丈の人生や戦争絵画への思い、晩年藤田は名実ともに世界の画家になれたとおもいますが、その本人の胸のうちは誰にもわからず、
戦前のあの白い肌を発見したときの活気に満ちた作品群をよしとするのか、
後年のカトリックの洗礼を受けたあとの優しい母子、子供たちの作品をよしとするのか。。
私のなかで改めて藤田を感じ直す機会となりました。
生誕130年記念 藤田嗣治展 ~東と西を結ぶ絵画~ 名古屋市美術館は
7月3日まで。その後兵庫県立、府中市立美術館を巡ります。