つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

長くなりますので、ご気分が向いたときにお読みください。 薫と芭蕉 セザンヌ 梅原

2024年11月21日 | 画家の言葉
松尾芭蕉に「言語は 虚に居て実をおこなふべし 実に居て 虚にあそぶ事はかたし」という言葉があります。

下に抜粋させていただきましたが、芭蕉が弟子たちに残した言葉として
知られる一文です。


芭蕉翁が言うに、俳諧というものには三つの境地(寂寞・風流・風狂)がある。寂寞(ものさびしさ)とは「情」を意味するもので、それは色事や美食を味わいながらも粗食の味わいも楽しむ境地である。風流(みやび)とは「姿」を象徴するもので、上等で美しい着物を着ていても古びた粗衣を着ている人も忘れない境地である。風狂(風雅)とはそれを表現する「言語」のことで、この言葉の世界とは、自在の心(虚)でいながら俗世間(実)の言葉で俳句をつくるべき境地であるが、一方で、俗世に心が染まって居ながら(俳句を作るような)自在な心であそぶことは難しい。この三つの境地は、俗世間(ひくき所=実)に染まって居る人が自在の心(高き所=虚)を表現できるようなものではなく、自在の心に達した人が俗世間のことを表現できる境地で、それがいわゆる俳諧である。
(『風俗文選』巻之九より)


また山口薫の詩やエッセイ的なものも、いくつかご紹介しようと思います。



梅原さんはあえて渋を わびを
求めない
生動を求めるのみ
なんとなくわびしき日かな
この屋並み
独り身の
わびしき日かな
今日去りぬ
君に来てくれと
いうのではなく
絵画の色や形は作家によってちがうから
自説を固持することは出来ない
只作家が如何に深く自然にふれたか
又ふれているかということに基本がある




雨戸をあけると一面の白い霜である
枯れかかった菊の葉に 飛石の上に
ショウコウの白い粉末に似た清冽な緊張感
アア 新しい季節が来た
ーさればこそ荒れたきままのこの霜の宿ー 芭蕉
わずかな空間に生き
わずかな食事に生き
貧しい思念に生きる暮
ヒユーマニズムって
嬉しいものなのだ
淋しいものではない
僕たちは学校教育の問題に苦しんでいる
それは確かだ
理性を中心に




小雪サラサラ
どうにかなるだろう
全く頼りない
絵描きの生活ってそんなもんだよ
そうかなァ
人生とは
そのかわり
何を自己にとり込むか?の問題
造形の上のメカニズムの祖は誰かといえば
セザンヌといえるのである
形にはめなければ
人間の千差万別な性格は手におえないというのなら
ふへん的に
人間の偉大と尊厳を逆に証明す




私はときどき思う
眼の前に自分のかいた絵が目に入るのが
何かつらさを感ずるのである
時がたてばその辛さも薄れてゆくが
しかしそのときは只これまでと思う
こうした気持ちの中に尾を引くつらさは
それは僕には明日へのつながり
そこに絵を描く楽しさが湧く
僕のような抒情性の尾を断とうと思っても切れないもの
それは何だろう
出来れば象徴まで絵を持っていきたいのであるが
はるかなる
おどろおどろの雷よ
迅く近よりて
光を放て
手術2日前


つまり「生命をつかむ」私はその方法をここに書くことはできない。
ある個所では指に力が入り 形は強く ある個所では力を抜いて流れ動き
それらが統合されてかたまりとなる。しかもなおそのものの感じを持って失わず 哲学では生命の解明を空間と時間という二つの言葉で表している。空間の問題には時間がなければならない。時間の問題には当然空間がある。
造形美術はその究明である。
中略
微妙に観察してそのものをつかみ 知り そして更に簡明化する
それが表現だ
価値づけだ
人間の心
人間性があって初めてそれが可能である
ものを見 開き 入り込む それがとりもなおさず「人間像のイメージ」ということになる
実際に実在するそのものから空間も時間もそこにあり 
いいかえればそれがあるのだ
もっと別の何かがあるのであろうか
あったら私はそれを教えて貰いたいのだ
只作る者はそれを技術でつかむ外に道はないのだ
私は芭蕉の在り方を思慕するけれども私の生活のあり方は一茶であるかもしれない
やせがえるもののあわれと云うことは  一茶




西行が居て、芭蕉が居て
セザンヌがいて 梅原がいて

けれど既に山口薫の生きた時代にはどんな芸術家も「虚に居て実を行う」ことがもっともっと難しくなってしまっていたのではないかと思っています。

簡単に言えば人間が「人間について」を問い続けることが難しい時代になったということだと思います。

そして、それはその後の今を生きる私たちに より「困難」な状態になってしまっているようにさえ感じます。

もしかしたら不登校やひきこもりと言われている皆さんのほうがきちんと「虚」の世界を保っているかもしれません。ただ、その虚さえも実に戻る道を塞がれてしまっているようです。


実にいて虚を見上げることばかりに、私はこの60年を過ごしてきてしまったなぁと思っています。実生活の逃げ場として虚の世界に憧れてきました。 けれど、確かに芸術家ではないけれど、人は常に虚を耕し続け、そこに居て、実の生活をたんたんと大切に暮らす。虚を実に簡潔に投影することができたら嬉しいのではないか?と考え始めました。


薫でさえ難しかったのですから、そんなことは不可能のようにも思えますが、もしかしたら老年期にはその実現に可能性が残っているのではないか?とふと思ってしまったのです。薫は61歳で他界してしまいました。

山口薫は大変立派な画家であったということ。いまも立派な画家であるということ。
そして、山口薫作品を扱う、或いは所有するということは、何よりも自分自身の情、姿、技術,仕事を肯定することにつながるのではないかと考えています。


そういった意味で、山口薫は小林一茶というよりも、戦後日本の 西行であり、芭蕉であり、セザンヌであり「薫はあえて渋 わびを求めたけれど〜」梅原であったと思います。

11月も残りわずかとなり山口薫作品とのお別れを惜しんでくださる方達が今日もご来店くださっています。

今回は本当に沢山の方にお会い出来ました。そして、最後までみなさまに元気でお会いしたいと思っています。















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求め合う心

2021年01月29日 | 画家の言葉

情致の線の局所を求め工夫致居候。

局所は美にてはなく超越的玄妙なるものに帰し可申存候、

美を八釜敷云出したるは西洋舶来にて

東洋的には美は極致には無之候。

              小川芋銭



趣のある描線の極みを求めて色々工夫してきたのです。

その求める極みは、「美」に繋がるものでなく、どうやらそれを超越した世界、

つまり幽玄の世界、無の世界に至る道筋にあるように思えます。

「美」について、とやかく言い出したのは西洋舶来文化であって

東洋的には「美」の概念は芸術の求める極致には存在していないように思えます。




誠に勝手な解釈ながら、私は芋銭の言葉をこう捉えさせていただきました。


さて、先のいくつかの記事に書かせて頂いたように

身土不二。

また1960年代から始まるカッコイイ。


から察するに、私たちには今


せっかくこの日本に育んできた美意識をどこかに忘れてきてしまったか??

或いは初めから持っていなかったのか??という疑問がわいてきます。


勿論、私にもその答えは持ち合わせませんが

唯一、少し分かったことがあります。


それは、


佐橋美術店が多く選ばせていただく作品達が持つ情致は、どうやら「美」「かっこよさ」に繋がるものではなく

玄妙の世界。筆を動かし続けた者だけが至る境地に由来するものである。


ということ、そして


それならば、「かっこいい」や「美」を越えて。。。

私たち「鑑賞者」も、美術鑑賞を通して、更なる高みに自分を精進させていくことができる!


ということです。


美意識やカッコイイの感覚は生理的なもの。

その感覚をさらに超えて、もっと自由で広い世界に誘ってくれる作品達をこれからも求めていきたいと思います。



絵の上手い!下手!を超える、絵がわかる!わからない!を超える作品。


ひたすら自然、宇宙に帰ろうとする作品。


そして、唯一、生きる愉しさをひそかに讃える作品を!です。




本日も最後までお読み頂き光栄に存じます。ありがとう存じました。




本日ホームぺージの更新をさせて頂きました。

よろしければご覧ください。

佐橋美術店 ホームページ




























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画家の言葉

2020年02月20日 | 画家の言葉

ホームページの「今月の画家の言葉」を草間彌生から長谷川麟二郎に替えさせていただきました。

先日まで掲載させていただいた草間彌生の言葉は大変わかりにくく、読み手によってどのようにも解釈できる一つの「詩」のようであったと思います。

 

~~

トルストイの童話に「イワンの馬鹿」という話がありますが、

悪魔が根負けするまでは私の仕事もつづくのです。

何故なら悪魔は芸術の敵であり、それ以上に親友だから・・。

つまり悪魔は自由の中にのみ住むのです。

全て決定されたものからは、彼はたちまち離れます。

・・・内面の悪魔は新しい真実と、その形式を作るためには宿るのですが、既に出来上がった形式や概念の中に、芸術そのコピィの中には一瞬たりとも安住してくれません。

草間彌生 芸術新調 1955年 26歳

~~~

 

この頃より1970年代の草間彌生の仕事は大変生き生きとしていました。

そしてその個性的な仕事は当時、現在の「日本中どこへいっても草間アート」を想像させる要因を微塵も持たなかったように思います。

草間作品が本当の「個性」を失い、それこそコピィ化した時代から、皮肉にも草間作品は圧倒的な勢いで日本中、またアジア、世界に拡散していきました。

 

草間にとっての、「芸術の敵であり、親友である悪魔」とは、やはり「孤独」ではないかと私は想像しています。26歳の草間はとっくに孤独の苦しさとその意味を知っていた。

 

自由の中に生きようとするとき、人は深い深い孤独を味わうことになります。

例えば作品に何か方向性を決めてしまえば、画家は一挙にその孤独からは解放されますが、その途端、作品は形だけの抜け殻となり、そこには何もなくなってしまうのです。それでも、草間は孤独に耐え、幻聴や幻覚を作品にし行動し続けたのだと思います。


拡散に終止符が打たれる頃になれば、きっと冷静な草間作品への評価がくだり、草間の「手」や「声」が直接聞こえ、感じられる作品に価値が見出されるのではないかと期待をもって想像しています。

お通いくださるお客さまによくお話するように、今の当店がありますのは、以前に草間弥生の作品を多く扱わせていただくことができたからだです。


小さな本にふと見つけた草間の言葉を、ホームページに引用させていただき、私達の草間作品への思いを少しお伝えしたいと思いました。







 

 

 

 

 

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画家の言葉 小林古径

2020年01月21日 | 画家の言葉




セザンヌが懸命になって写実に苦しむのは林檎そのものを再現しようとしてではない。

かれは、林檎と必死に取り組むことによって個性を試そうとするのである。

個性とはなにか?個性は作品にむかっておのれを試みることによって刻々と発見され、築き上げられ、成長するものだ。

人には無論わからず、自分にもわからないのが個性というものの本質である。

あらゆる芸術家は作りながら己を知り、己を確かめ、己を育てあげていくものなのだ。


よい絵というのは個性のあらわれた絵に他ならぬ。作者の個性がいかされていない、良い絵というものはない。それなら個性が表れたり表れなかったりするのは何によるか?素朴さの有無によるものである。

すぐれた芸術の持っている力は素朴さというものの持つ力に他ならぬ。

 

 

昨年末から本日まで当店のHPに掲載させていただいた小林古径の言葉です。

 

二人で並んで絵を描いていた若いころ、小林古径は奥村土牛によくセザンヌの画集を見せていたと

読んだことがあります。

 

セザンヌに魅了された後、自身の素朴さに出会うために、古径がどれほどの修行を積んだかを想像すると、人が自分に出会うことの難しさを痛感せずにはいられません。

 

今の時代に、本当に「自分に出逢えた画家」の作品を見つけることは難しいものです。

道ですれ違う人のように、気づかなれば眼の前を通り過ぎていってしまうからです。

近代日本絵画の画家たちの作品は、今はもう胸に大きな勲章をぶら下げてくれていません。






 

けれど、もし本当に出会えたら・・

西行が旅の途中、同じように道を求める人々と寒さをしのぐ庵に夜を過ごしたとき、

向かい合って温かい言葉を交わすようなことはしなくても、お互いを思いあい、背中合わせに座り、

微かな温もりをわかちあったような


…「交わりの心」を得ることができる。

そして、普段私たちが自分以外の人に求め、大切にし続ける「間柄」の関係には生まれにくい

「交わりの心」は人のどんな孤独をも癒し、生きる力を与えてくれる。

そう感じています。


掲載させていただいた古径の言葉は

古径がセザンヌに出会った意味、また私たちが古径に出会う意味をよく教えてくれる言葉であったと

思います。



画家の言葉、明日からは草間彌生の若いころの言葉を取り上げさせて頂こうと思っています。



※画像は小林古径の画集から抜粋させていただきました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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