松尾芭蕉に「言語は 虚に居て実をおこなふべし 実に居て 虚にあそぶ事はかたし」という言葉があります。
下に抜粋させていただきましたが、芭蕉が弟子たちに残した言葉として
知られる一文です。
芭蕉翁が言うに、俳諧というものには三つの境地(寂寞・風流・風狂)がある。寂寞(ものさびしさ)とは「情」を意味するもので、それは色事や美食を味わいながらも粗食の味わいも楽しむ境地である。風流(みやび)とは「姿」を象徴するもので、上等で美しい着物を着ていても古びた粗衣を着ている人も忘れない境地である。風狂(風雅)とはそれを表現する「言語」のことで、この言葉の世界とは、自在の心(虚)でいながら俗世間(実)の言葉で俳句をつくるべき境地であるが、一方で、俗世に心が染まって居ながら(俳句を作るような)自在な心であそぶことは難しい。この三つの境地は、俗世間(ひくき所=実)に染まって居る人が自在の心(高き所=虚)を表現できるようなものではなく、自在の心に達した人が俗世間のことを表現できる境地で、それがいわゆる俳諧である。
(『風俗文選』巻之九より)
また山口薫の詩やエッセイ的なものも、いくつかご紹介しようと思います。
梅原さんはあえて渋を わびを
求めない
生動を求めるのみ
なんとなくわびしき日かな
この屋並み
独り身の
わびしき日かな
今日去りぬ
君に来てくれと
いうのではなく
絵画の色や形は作家によってちがうから
自説を固持することは出来ない
只作家が如何に深く自然にふれたか
又ふれているかということに基本がある
雨戸をあけると一面の白い霜である
枯れかかった菊の葉に 飛石の上に
ショウコウの白い粉末に似た清冽な緊張感
アア 新しい季節が来た
ーさればこそ荒れたきままのこの霜の宿ー 芭蕉
わずかな空間に生き
わずかな食事に生き
貧しい思念に生きる暮
ヒユーマニズムって
嬉しいものなのだ
淋しいものではない
僕たちは学校教育の問題に苦しんでいる
それは確かだ
理性を中心に
小雪サラサラ
どうにかなるだろう
全く頼りない
絵描きの生活ってそんなもんだよ
そうかなァ
人生とは
そのかわり
何を自己にとり込むか?の問題
造形の上のメカニズムの祖は誰かといえば
セザンヌといえるのである
形にはめなければ
人間の千差万別な性格は手におえないというのなら
ふへん的に
人間の偉大と尊厳を逆に証明する
私はときどき思う
眼の前に自分のかいた絵が目に入るのが
何かつらさを感ずるのである
時がたてばその辛さも薄れてゆくが
しかしそのときは只これまでと思う
こうした気持ちの中に尾を引くつらさは
それは僕には明日へのつながり
そこに絵を描く楽しさが湧く
僕のような抒情性の尾を断とうと思っても切れないもの
それは何だろう
出来れば象徴まで絵を持っていきたいのであるが
はるかなる
おどろおどろの雷よ
迅く近よりて
光を放て
手術2日前
つまり「生命をつかむ」私はその方法をここに書くことはできない。
ある個所では指に力が入り 形は強く ある個所では力を抜いて流れ動き
それらが統合されてかたまりとなる。しかもなおそのものの感じを持って失わず 哲学では生命の解明を空間と時間という二つの言葉で表している。空間の問題には時間がなければならない。時間の問題には当然空間がある。
造形美術はその究明である。
中略
微妙に観察してそのものをつかみ 知り そして更に簡明化する
それが表現だ
価値づけだ
人間の心
人間性があって初めてそれが可能である
ものを見 開き 入り込む それがとりもなおさず「人間像のイメージ」ということになる
実際に実在するそのものから空間も時間もそこにあり
いいかえればそれがあるのだ
もっと別の何かがあるのであろうか
あったら私はそれを教えて貰いたいのだ
只作る者はそれを技術でつかむ外に道はないのだ
私は芭蕉の在り方を思慕するけれども私の生活のあり方は一茶であるかもしれない
やせがえるもののあわれと云うことは 一茶
西行が居て、芭蕉が居て
セザンヌがいて 梅原がいて
けれど既に山口薫の生きた時代にはどんな芸術家も「虚に居て実を行う」ことがもっともっと難しくなってしまっていたのではないかと思っています。
簡単に言えば人間が「人間について」を問い続けることが難しい時代になったということだと思います。
そして、それはその後の今を生きる私たちに より「困難」な状態になってしまっているようにさえ感じます。
もしかしたら不登校やひきこもりと言われている皆さんのほうがきちんと「虚」の世界を保っているかもしれません。ただ、その虚さえも実に戻る道を塞がれてしまっているようです。
実にいて虚を見上げることばかりに、私はこの60年を過ごしてきてしまったなぁと思っています。実生活の逃げ場として虚の世界に憧れてきました。 けれど、確かに芸術家ではないけれど、人は常に虚を耕し続け、そこに居て、実の生活をたんたんと大切に暮らす。虚を実に簡潔に投影することができたら嬉しいのではないか?と考え始めました。
薫でさえ難しかったのですから、そんなことは不可能のようにも思えますが、もしかしたら老年期にはその実現に可能性が残っているのではないか?とふと思ってしまったのです。薫は61歳で他界してしまいました。
山口薫は大変立派な画家であったということ。いまも立派な画家であるということ。
そして、山口薫作品を扱う、或いは所有するということは、何よりも自分自身の情、姿、技術,仕事を肯定することにつながるのではないかと考えています。
そういった意味で、山口薫は小林一茶というよりも、戦後日本の 西行であり、芭蕉であり、セザンヌであり「薫はあえて渋 わびを求めたけれど〜」梅原であったと思います。
11月も残りわずかとなり山口薫作品とのお別れを惜しんでくださる方達が今日もご来店くださっています。
今回は本当に沢山の方にお会い出来ました。そして、最後までみなさまに元気でお会いしたいと思っています。