つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

今週の山口薫作品

2024年11月26日 | 山口薫展
すっかり忘れてしまっておりました。慌てて「浮き上がるマリモ」を一点掛けにさせていただきました。



「浮き上がるマリモ」と「娘と牛」を並べてみると、全く性質の違う作品に見えて、本当に同じ画家が手がけた作品ですか?
と改めて聞いてみたくなってしまいます。









結局「浮き上がるマリモ」は「どこに飾ってもらっても私はわたしよ!」という感じで、いつもと変わらずの表情を見せてくれています。そういう意味の個性の強さはこの作品が1番なのかも知れません。

上の二つの作品画像。少し暗めと明るめで撮影してみました。

背景の色の見え方の変化に伴ってマリモの緑色も変わり、奥行きや立体感に違いが出るように思います。いかがでしょうか。











結局一点移動させると他の作品も掛けかえないと気が済まなくなるのが難です。

「たわわの柿」「つたの塀と鉄の門」など60年代の作品もとても良いなぁ〜と富岡鉄斎を見てきた眼でも、そう感じます。
甘さがあるように見えて、全く甘さを感じさせない作品ということが言えるのだと思います。

結局最後まで、お悩みくださる各お客様へのオススメの一点を選びきれないでおります。

山口薫展は、そういう意味で、つまり納品という意味で予想外に難しい展覧会になりました。

どなたにどんな作品がお似合いなのか??全くわかりません。
あえてオススメしないというのではなく、どれをオススメしたら良いか?わからないというのが本音です。


きっとこのまま困ったなぁと思いながら展覧会を終えるのだと思います。

そして、終わってしまったら誰よりも私が寂しいのだと思います。






















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富岡鉄斎

2024年11月25日 | おススメの展覧会、美術館訪問
結局いまの私に出来ることは何かな?と考えると、やはり沢山の作品に触れて、画集を開いて学ぶことしかないように思えています。

一昨日の土曜には、同じ愛知県内の碧南市藤井達吉現代美術館さんに伺って富岡鉄斎展を拝見しました。

こちらも昨日までで終わってしまった展覧会です。ごめんなさい。
若い頃から日本画の最高峰は鉄斎!そう教えて頂いていましたし、ずっとその認識でこの仕事をしてきました。

けれど、展覧会に出かけても、画集を何度見ても、正直「良い!」とは今まで余り思えませんでした。

鉄斎は生前自分は絵描き👨‍🎨つまり画家でなく、儒学者だと言い続けていました。

確かに画家といっても文人画家。
絵に添えられる讃も難しくて読めないし、歴史や故事についての作品は知識がなければわからない、、そう自分の中で決めつけて作品を観ていたこともその原因になっていたと思います。


歳を重ねても、そうした知識が増えているわけではないので、今回もきっと同じような印象、感想に終わるかも知れないと思ってはいましたが、何というのでしょうか?肝試し?腕だめし💪?

兎に角行ってみようと思ったのです。







画像では何もお伝え出来ないのが残念ですが、会場に入り、展示の一点目を見た時から感動が大きくて、涙が溢れ出しました。

どの作品も本当に素晴らしいと思えました。

鉄斎ってこんな画家だったのかと驚きました。

勿論絵の内容も讃も昔と同じようによくわかりません。

けれど、軸装の作品の良さというか、お軸自体の存在の意味も深く納得でき、最初から最後まで本当に圧倒されっぱなしでした。


 世に「最後の文人画家」と称えられる富岡鉄斎(1836-1924)。幕末、京都の商家に生まれた彼は、近世都市の商人道徳を説いた石門心学を中心に、儒学・陽明学、国学・神道、仏教等の諸学を広く学びながら同時に、南宗画、やまと絵等をはじめ多様な流派の絵画も独学し、深い学識に裏付けられた豊かな画業を展開しました。良い絵を描くためには「万巻の書を読み、万里の路を行く」ことが必要であるという先人の教えを徹底して守ろうとした彼は、何を描くにもまずは対象の研究に努め、北海道から鹿児島まで全国を旅して各地の勝景を探りました。そうして胸中に思い描かれた理想の山水を表出し、人間の理想を説いた鉄斎の絵画は、画壇の巨匠たちから敬われ、京・大阪の町の人々に広く親しまれただけではなく、むしろ新世代の青年画家たちからもその表現の自由闊達で大胆な新しさで注目され、生前から今日まで国内外で高く評価されてきました。
 幕末に人格を形成して明治初期には神官として古跡の調査と復興に尽力し、やがて官を辞して市井の画家として生き、1924(大正13)年の大晦日に数え年89で亡くなった鉄斎は、2024(令和6)年末で没後100年を迎えることになります。このたびの展覧会では、この記念のときに向け、彼の画業と生涯をあらためて回顧します。名作として繰り返し取り上げられてきた作品はもちろんのこと、名作として知られながらも名作展では目にする機会の乏しかった作品や、近年になって再発見され、あるいは新たに見出された作品などもご覧いただきます。また、京都御所の近所の、室町通一条下ルに邸宅を構えていた彼の書斎(画室)を彩っていた文房具や筆録(旅行記や研究用メモ)等も取り上げ、都市に生きた彼の日常も、垣間見ていただこうと考えています。
 文人画というと、何か難しい世界のように思われがちですが、鉄斎の生きた時代にはむしろ縁起物として都市の商人たちの間で親しまれていたともいわれます。京都では27年振りの開催となる展覧会が、鉄斎に親しんでいただく機会ともなれば幸いです。



上の文章は今年春に京都国立近代美術館さんで開かれた富岡鉄斎展の際の紹介文です。

こちらを読ませていただいて、今回私が鉄斎の作品に深く感動できた理由がわかったように思えました。



初め、鉄斎にこんなに感動できたのは、私が佐橋とお別れして、色々な思いや考えを巡らせ苦労をしたから、つまり自分が成長したからだと感じてしまっていたのですが、決してそうではないと気づくことができたのです。



「万巻の書を読み、万里の路を行く」


「先人の教えを徹底して守ろうとした彼は、何を描くにもまずは対象の研究に努め、北海道から鹿児島まで全国を旅して各地の勝景を探りました。そうして胸中に思い描かれた理想の山水を表出し、人間の理想を説いた鉄斎の絵画は、画壇の巨匠たちから敬われ、京・大阪の町の人々に広く親しまれただけではなく、むしろ新世代の青年画家たちからもその表現の自由闊達で大胆な新しさで注目され、生前から今日まで国内外で高く評価されてきました」


まさに松尾芭蕉につながる言葉。

まさに山口薫が憧れた画家の姿。

そう気づきました。






重いのにこんな本まで美術館さんで買ってしまいました。

自宅学習に使おうと思います。


当店の山口薫展もとりあえず今週いっぱいになりました。

山口薫展は皆様だけでなく私にとっても大切な展覧会となりました。

それを富岡鉄斎が認めてくださった。。そんな気がしています。

薫の作品を日々眺められたこそ、鉄斎作品に感動することができたと思うのです。


作品に感動する。その画家を認めるということは、その画家に自分を認めてもらうという事でもあると思っています。

それこそが、絵を見る、絵を持つ醍醐味ではないでしょうか。

できるのなら、もっと山口薫に認められ、富岡鉄斎に認められる人になりたいと、いま、そんな憧れをいただいています。






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伺った展覧会

2024年11月24日 | おススメの展覧会、美術館訪問
ご報告が遅くなってしまいました。


しかも期日が今日で終わってしまうという〜💦

先週の日曜日に三重県のパラミタミュージアムさんに伺って参りました。

途中近鉄特急の網棚に忘れ物をするなど😭予想通りのドタバタ1人旅でしたが、鈴鹿のお山も見えて、なんとものんびり過ごせたので私には最高の休養になりました。




肝心の展覧会は、兎に角沢山の日本画にびっくり!自分の知っている京都の日本画家が如何に少ないか?また京都の町、地理を如何に把握していないかか?の問題が如実にわかりがっかりしました。






仕方なくざぁーと作品を拝見していて、それでも「いい絵だなぁ」と作品に近づくと、小野竹喬だったり➁、堂本印象➃だったり、
なるほどなぁと思うことが多くあり、勉強になりました。


せめてと思い、パラミタミュージアムさんと三重県立美術館さんの展覧会のチラシを頂いてまいりましたのでご紹介致します。








ご参考までにご覧くださいませ。


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佐久間友香さん

2024年11月24日 | おススメの展覧会、美術館訪問
日本画家の佐久間さんの展覧会にうかがって参りました。

彼女が愛知県立旭丘高校に通っていらっしゃる時から作品を拝見しています。その後愛知芸大に進まれ、現在35歳。

今日はこの方がすっかり大人の女性になられ、ご自分の作品への愛着が増していらっしゃた印象を受けました。

制作にはとても大切なことだと思います。

絹本に描くことに魅力を感じている。美人画、清方などに興味を深めている。

と、ご本人からお聞きしてとても嬉しくなりました。

画家として作品を描きつづけるのは現代特に難しいことだと感じています。
兎に角、描きつづけていただきたいと今の私からはそれだけしかお伝えでできませんでしたが、彼女のこれからに期待したいと思います。

ご紹介が遅くなりましたが、26日来週火曜日まで名古屋栄三越七階美術サロンさんで展覧会が開催されています
。最終日4時まで。

よろしければご覧ください。


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長くなりますので、ご気分が向いたときにお読みください。 薫と芭蕉 セザンヌ 梅原

2024年11月21日 | 画家の言葉
松尾芭蕉に「言語は 虚に居て実をおこなふべし 実に居て 虚にあそぶ事はかたし」という言葉があります。

下に抜粋させていただきましたが、芭蕉が弟子たちに残した言葉として
知られる一文です。


芭蕉翁が言うに、俳諧というものには三つの境地(寂寞・風流・風狂)がある。寂寞(ものさびしさ)とは「情」を意味するもので、それは色事や美食を味わいながらも粗食の味わいも楽しむ境地である。風流(みやび)とは「姿」を象徴するもので、上等で美しい着物を着ていても古びた粗衣を着ている人も忘れない境地である。風狂(風雅)とはそれを表現する「言語」のことで、この言葉の世界とは、自在の心(虚)でいながら俗世間(実)の言葉で俳句をつくるべき境地であるが、一方で、俗世に心が染まって居ながら(俳句を作るような)自在な心であそぶことは難しい。この三つの境地は、俗世間(ひくき所=実)に染まって居る人が自在の心(高き所=虚)を表現できるようなものではなく、自在の心に達した人が俗世間のことを表現できる境地で、それがいわゆる俳諧である。
(『風俗文選』巻之九より)


また山口薫の詩やエッセイ的なものも、いくつかご紹介しようと思います。



梅原さんはあえて渋を わびを
求めない
生動を求めるのみ
なんとなくわびしき日かな
この屋並み
独り身の
わびしき日かな
今日去りぬ
君に来てくれと
いうのではなく
絵画の色や形は作家によってちがうから
自説を固持することは出来ない
只作家が如何に深く自然にふれたか
又ふれているかということに基本がある




雨戸をあけると一面の白い霜である
枯れかかった菊の葉に 飛石の上に
ショウコウの白い粉末に似た清冽な緊張感
アア 新しい季節が来た
ーさればこそ荒れたきままのこの霜の宿ー 芭蕉
わずかな空間に生き
わずかな食事に生き
貧しい思念に生きる暮
ヒユーマニズムって
嬉しいものなのだ
淋しいものではない
僕たちは学校教育の問題に苦しんでいる
それは確かだ
理性を中心に




小雪サラサラ
どうにかなるだろう
全く頼りない
絵描きの生活ってそんなもんだよ
そうかなァ
人生とは
そのかわり
何を自己にとり込むか?の問題
造形の上のメカニズムの祖は誰かといえば
セザンヌといえるのである
形にはめなければ
人間の千差万別な性格は手におえないというのなら
ふへん的に
人間の偉大と尊厳を逆に証明す




私はときどき思う
眼の前に自分のかいた絵が目に入るのが
何かつらさを感ずるのである
時がたてばその辛さも薄れてゆくが
しかしそのときは只これまでと思う
こうした気持ちの中に尾を引くつらさは
それは僕には明日へのつながり
そこに絵を描く楽しさが湧く
僕のような抒情性の尾を断とうと思っても切れないもの
それは何だろう
出来れば象徴まで絵を持っていきたいのであるが
はるかなる
おどろおどろの雷よ
迅く近よりて
光を放て
手術2日前


つまり「生命をつかむ」私はその方法をここに書くことはできない。
ある個所では指に力が入り 形は強く ある個所では力を抜いて流れ動き
それらが統合されてかたまりとなる。しかもなおそのものの感じを持って失わず 哲学では生命の解明を空間と時間という二つの言葉で表している。空間の問題には時間がなければならない。時間の問題には当然空間がある。
造形美術はその究明である。
中略
微妙に観察してそのものをつかみ 知り そして更に簡明化する
それが表現だ
価値づけだ
人間の心
人間性があって初めてそれが可能である
ものを見 開き 入り込む それがとりもなおさず「人間像のイメージ」ということになる
実際に実在するそのものから空間も時間もそこにあり 
いいかえればそれがあるのだ
もっと別の何かがあるのであろうか
あったら私はそれを教えて貰いたいのだ
只作る者はそれを技術でつかむ外に道はないのだ
私は芭蕉の在り方を思慕するけれども私の生活のあり方は一茶であるかもしれない
やせがえるもののあわれと云うことは  一茶




西行が居て、芭蕉が居て
セザンヌがいて 梅原がいて

けれど既に山口薫の生きた時代にはどんな芸術家も「虚に居て実を行う」ことがもっともっと難しくなってしまっていたのではないかと思っています。

簡単に言えば人間が「人間について」を問い続けることが難しい時代になったということだと思います。

そして、それはその後の今を生きる私たちに より「困難」な状態になってしまっているようにさえ感じます。

もしかしたら不登校やひきこもりと言われている皆さんのほうがきちんと「虚」の世界を保っているかもしれません。ただ、その虚さえも実に戻る道を塞がれてしまっているようです。


実にいて虚を見上げることばかりに、私はこの60年を過ごしてきてしまったなぁと思っています。実生活の逃げ場として虚の世界に憧れてきました。 けれど、確かに芸術家ではないけれど、人は常に虚を耕し続け、そこに居て、実の生活をたんたんと大切に暮らす。虚を実に簡潔に投影することができたら嬉しいのではないか?と考え始めました。


薫でさえ難しかったのですから、そんなことは不可能のようにも思えますが、もしかしたら老年期にはその実現に可能性が残っているのではないか?とふと思ってしまったのです。薫は61歳で他界してしまいました。

山口薫は大変立派な画家であったということ。いまも立派な画家であるということ。
そして、山口薫作品を扱う、或いは所有するということは、何よりも自分自身の情、姿、技術,仕事を肯定することにつながるのではないかと考えています。


そういった意味で、山口薫は小林一茶というよりも、戦後日本の 西行であり、芭蕉であり、セザンヌであり「薫はあえて渋 わびを求めたけれど〜」梅原であったと思います。

11月も残りわずかとなり山口薫作品とのお別れを惜しんでくださる方達が今日もご来店くださっています。

今回は本当に沢山の方にお会い出来ました。そして、最後までみなさまに元気でお会いしたいと思っています。















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