結局いまの私に出来ることは何かな?と考えると、やはり沢山の作品に触れて、画集を開いて学ぶことしかないように思えています。
一昨日の土曜には、同じ愛知県内の碧南市藤井達吉現代美術館さんに伺って富岡鉄斎展を拝見しました。
こちらも昨日までで終わってしまった展覧会です。ごめんなさい。
若い頃から日本画の最高峰は鉄斎!そう教えて頂いていましたし、ずっとその認識でこの仕事をしてきました。
けれど、展覧会に出かけても、画集を何度見ても、正直「良い!」とは今まで余り思えませんでした。
鉄斎は生前自分は絵描き👨🎨つまり画家でなく、儒学者だと言い続けていました。
確かに画家といっても文人画家。
絵に添えられる讃も難しくて読めないし、歴史や故事についての作品は知識がなければわからない、、そう自分の中で決めつけて作品を観ていたこともその原因になっていたと思います。
歳を重ねても、そうした知識が増えているわけではないので、今回もきっと同じような印象、感想に終わるかも知れないと思ってはいましたが、何というのでしょうか?肝試し?腕だめし💪?
兎に角行ってみようと思ったのです。
画像では何もお伝え出来ないのが残念ですが、会場に入り、展示の一点目を見た時から感動が大きくて、涙が溢れ出しました。
どの作品も本当に素晴らしいと思えました。
鉄斎ってこんな画家だったのかと驚きました。
勿論絵の内容も讃も昔と同じようによくわかりません。
けれど、軸装の作品の良さというか、お軸自体の存在の意味も深く納得でき、最初から最後まで本当に圧倒されっぱなしでした。
世に「最後の文人画家」と称えられる富岡鉄斎(1836-1924)。幕末、京都の商家に生まれた彼は、近世都市の商人道徳を説いた石門心学を中心に、儒学・陽明学、国学・神道、仏教等の諸学を広く学びながら同時に、南宗画、やまと絵等をはじめ多様な流派の絵画も独学し、深い学識に裏付けられた豊かな画業を展開しました。良い絵を描くためには「万巻の書を読み、万里の路を行く」ことが必要であるという先人の教えを徹底して守ろうとした彼は、何を描くにもまずは対象の研究に努め、北海道から鹿児島まで全国を旅して各地の勝景を探りました。そうして胸中に思い描かれた理想の山水を表出し、人間の理想を説いた鉄斎の絵画は、画壇の巨匠たちから敬われ、京・大阪の町の人々に広く親しまれただけではなく、むしろ新世代の青年画家たちからもその表現の自由闊達で大胆な新しさで注目され、生前から今日まで国内外で高く評価されてきました。
幕末に人格を形成して明治初期には神官として古跡の調査と復興に尽力し、やがて官を辞して市井の画家として生き、1924(大正13)年の大晦日に数え年89で亡くなった鉄斎は、2024(令和6)年末で没後100年を迎えることになります。このたびの展覧会では、この記念のときに向け、彼の画業と生涯をあらためて回顧します。名作として繰り返し取り上げられてきた作品はもちろんのこと、名作として知られながらも名作展では目にする機会の乏しかった作品や、近年になって再発見され、あるいは新たに見出された作品などもご覧いただきます。また、京都御所の近所の、室町通一条下ルに邸宅を構えていた彼の書斎(画室)を彩っていた文房具や筆録(旅行記や研究用メモ)等も取り上げ、都市に生きた彼の日常も、垣間見ていただこうと考えています。
文人画というと、何か難しい世界のように思われがちですが、鉄斎の生きた時代にはむしろ縁起物として都市の商人たちの間で親しまれていたともいわれます。京都では27年振りの開催となる展覧会が、鉄斎に親しんでいただく機会ともなれば幸いです。
幕末に人格を形成して明治初期には神官として古跡の調査と復興に尽力し、やがて官を辞して市井の画家として生き、1924(大正13)年の大晦日に数え年89で亡くなった鉄斎は、2024(令和6)年末で没後100年を迎えることになります。このたびの展覧会では、この記念のときに向け、彼の画業と生涯をあらためて回顧します。名作として繰り返し取り上げられてきた作品はもちろんのこと、名作として知られながらも名作展では目にする機会の乏しかった作品や、近年になって再発見され、あるいは新たに見出された作品などもご覧いただきます。また、京都御所の近所の、室町通一条下ルに邸宅を構えていた彼の書斎(画室)を彩っていた文房具や筆録(旅行記や研究用メモ)等も取り上げ、都市に生きた彼の日常も、垣間見ていただこうと考えています。
文人画というと、何か難しい世界のように思われがちですが、鉄斎の生きた時代にはむしろ縁起物として都市の商人たちの間で親しまれていたともいわれます。京都では27年振りの開催となる展覧会が、鉄斎に親しんでいただく機会ともなれば幸いです。
上の文章は今年春に京都国立近代美術館さんで開かれた富岡鉄斎展の際の紹介文です。
こちらを読ませていただいて、今回私が鉄斎の作品に深く感動できた理由がわかったように思えました。
初め、鉄斎にこんなに感動できたのは、私が佐橋とお別れして、色々な思いや考えを巡らせ苦労をしたから、つまり自分が成長したからだと感じてしまっていたのですが、決してそうではないと気づくことができたのです。
「万巻の書を読み、万里の路を行く」
「先人の教えを徹底して守ろうとした彼は、何を描くにもまずは対象の研究に努め、北海道から鹿児島まで全国を旅して各地の勝景を探りました。そうして胸中に思い描かれた理想の山水を表出し、人間の理想を説いた鉄斎の絵画は、画壇の巨匠たちから敬われ、京・大阪の町の人々に広く親しまれただけではなく、むしろ新世代の青年画家たちからもその表現の自由闊達で大胆な新しさで注目され、生前から今日まで国内外で高く評価されてきました」
まさに松尾芭蕉につながる言葉。
まさに山口薫が憧れた画家の姿。
そう気づきました。
重いのにこんな本まで美術館さんで買ってしまいました。
自宅学習に使おうと思います。
当店の山口薫展もとりあえず今週いっぱいになりました。
山口薫展は皆様だけでなく私にとっても大切な展覧会となりました。
それを富岡鉄斎が認めてくださった。。そんな気がしています。
薫の作品を日々眺められたこそ、鉄斎作品に感動することができたと思うのです。
作品に感動する。その画家を認めるということは、その画家に自分を認めてもらうという事でもあると思っています。
それこそが、絵を見る、絵を持つ醍醐味ではないでしょうか。
できるのなら、もっと山口薫に認められ、富岡鉄斎に認められる人になりたいと、いま、そんな憧れをいただいています。