つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

どこから?3 今泉篤男著作集

2024年04月03日 | 梅原龍三郎
結局ですね~私は梅原の章を一番初めに読み、次に岡鹿之助→金山平三→熊谷守一→楽しみに後にとっておこうと思っていて、とうとう我慢しきれなくなって山口薫→小磯良平→小絲源太郎の順に読みました。これから脇田和に入ります。

大変参考になったのは、やはり梅原と守一でしょうか。

梅原の章のつづきから

梅原が何よりも信頼しているものは、自らの体質、自らの感覚、おのれの天分である。というのは結局は、梅原は自分の仕事を観る人たちを最も信頼している画家だということにもなるわけだ。すぐれた芸術の作家は、すべて自分の仕事が人から理解されるかされまいかなどという疑いを抱くまい。そういう疑いを抱かないこと自体が天分本来の条件である。自分を納得させるためにやっている仕事であってみれば、人を納得させるかどうかの疑いは問題の外だ。その少しも危惧するところのない自己信頼の力が人々の信頼に呼応するのである。
人々はその信頼の虜になる。人々の心にはすでに帰依の微候が萌す。帰依するものにとっては、梅原の芸術は闊達無障に歩き出せば出すほど、いかにも無縫のものに見えてくる。梅原の芸術をめぐっておこなわれるおびただしい礼讃は、すべてその帰依の言葉である。全く見当違いの礼賛の言葉でも、もっともらしい嘆賞の言葉でも、ひとしく帰依の言葉であってみれば、言葉の内容などはどうでもよいのだ。

この著作のなかで今泉氏は自らも梅原の芸術に帰依してみようと決意をします。その作品を愛してみなければ、結局梅原の芸術を理解することも解釈することもできないと述べています。

梅原の作品を毛嫌いする人は、梅原が何も考えずただ才能に従って簡単に、自由気ままに、作品を仕上げていることを想像しているように思います。確かに作品からそう感じることもあります。そして私もずっとそう思っていました。けれど、実際に梅原の作品と暮らしてみると、きっと梅原には梅原なりの人としての苦しみもあったのだろうと思えてくるのです。

梅原は69歳の時、フランス文学者であった39歳のご子息を喪っています。また夫人が急逝された際には表立って誰にも頼らず荼毘に付し、その火葬場にも行かず、自宅に戻った夫人の遺骨が花に埋もれている様子を大きな画布に描き続けたと今泉氏は紹介しています。梅原なりの鎮魂の作業であり、その後少人数で夫人を偲ぶ食事会を催された際には、「私は不人情者だから、少しでも早くこの気持ちを思い諦めて、絵を描くことに没頭したい」と泣きながら挨拶をされたと書かれていました。

「思い諦めて」
そんな言葉を、普段何も考えていない人が口に出せるでしょうか?

梅原龍三郎という画家は、「真理」の近くにいた人だということが、「不人情だから」「思い諦めて」という言葉だけでも感じられるように思います。真理というよりは「自然の摂理」といった方がぴったりくるかもしれません。

今泉氏は梅原に帰依するとしながらも梅原がその才能をやたらに浪費しているように思えてならない。梅原の仕事に本質的な意味での進歩はあったのか?と書いています。

多くの画家がその画業を通し、精神を磨き、段階を経て真理に一歩づつ近づくというイメージが、美術評論というジャンルを育てたと言ってよいように思います。が、結局は真理に近づく作業というのは、「自分を諦めていく」ということ。

梅原のあの一気呵成の筆のリズム感は、この諦める力の強さと無関係ではないように思えます。普通の画家が画業を通して得ていくその諦観を、梅原はすでに持っていたといえるように感じるのです。だからこそ、梅原の作品には評論は要らないのです。




画家梅原龍三郎は、自然から触発されることなしには絶対に制作しない。何千枚の薔薇図を描いてきた現在でも、また新たな薔薇の実物を眼前にしなければ薔薇の絵を描こうとしない。自然から触発されることが、この画家にとって絵画表現の永遠の大道なのである。


梅原の作品と暮らしていると、その温かさにどっぷりと浸っている自分に気がつきます。 梅原の描く自然観に癒されるのです。
私には、今のこの悲しみを梅原のように一気呵成に「思い諦める」力など無いけれど、こうして梅原の作品に温かさを感じられているうちは、きっときちんと自分の悲しみを見定められているだろうと信じ、いつかこの悲しみが静かで美しい姿に変化してくれるよう祈りたいと思っています。

またこの著作集については折に触れて、書かせていただきたいと思っています。よろしければ、お付き合いください。














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どこから?2

2024年04月02日 | 梅原龍三郎
今泉篤男さんの著作集をどの章から私が読み始めたか?について先日記事を書かせていただきましたところ、コメントをいただくことができました。

とても面白く読ませていただきましたが、そういえば!!先日ご来店くださったときに後輩のKさんに、梅原の作品のことをお話したなぁと思い出し、
もうネタバレの記事であったか‥と少しがっかりいたしました😢ですので
早速正解をお知らせいたします。



そうです。正解は梅原龍三郎の章からでした。

若いころからずっと梅原龍三郎より安井曽太郎の作品の方が好きでした。もちろん今でも安井は憧れの画家ですが、年々梅原の魅力を感じられるようになり
自宅にも今梅原のホノルルを描いた水彩画を飾っています。またミニの裸婦も毎日見ています。

魅力は感じていても、どういうわけか?梅原の作品について記事を書かせていただこうとすると、言葉が出てこないのです。天衣無縫とか、梅原の人物の大きさ的なことはいくつも思い浮かびますが、梅原が何を描いていたのか?結局よくわからずにきました。ですから、今泉氏がどんな言葉を使ってこの画家をとらえるのか?大変興味がありました。

以下今泉氏の文章

梅原の作品の前で、私は自分の理解し得たと考えている要素から出発して、何か解釈の埒外に出た抵抗にぶつかる。その抵抗は、私にとって梅原の絵の中で一番魅力なのだけれども、何だかよくわからない。いやあまりはっきりわかろうとなどしたくない魅力なのだ。

Kさんに梅原についてお話したのは、佐橋を喪ってどんなに悲しくても、絵だけは毎日しっかりと見ておこう!と心に決めたことでした。当初すぐに目に留まったのは当店の牛島憲之の「初日」という作品でした。とても静かで心を落ち着かせてくれました。今泉さんの著作集によると牛島は坂本繁二郎に大変憧れをもっていたとあります。なるほど、「静謐」ということばは坂本についての方がぴったりときます。

梅原の作品ははじめ牛島ほど何も応えてくれませんでした。けれど、別に嫌な感じもしませんでした。ところが、昨年、夏が近づいた2週間ほどだけなんだかとても梅原を見るのが辛くなりました。「私を馬鹿にしているの?」と思いました。

身近な人を失って月日は過ぎていけば楽になることもあるかと思っていましたが、それは大きな間違いで、月日が経つほど苦しくなることもあるのだとわかり始めたのはお盆を過ぎたころです。そして、そんなどん底にいたときに、ふと梅原が温かい目を向けてくれていると気づきました。

梅原については色々は評論があります。沢山は読んでいませんが、梅原の天才性は揺るぎない美への直観力、絵画的、色彩的感覚にあるのだということはわかりました。梅原が薔薇をみるとき、その薔薇はもう絵画になっているのです。

けれど。。それだけが梅原の魅力ではありません。

今泉氏も梅原作品への評論が実に難しいと書いていることに大変安心しました。そして、何年かをかけて梅原作品について述べられつづけ、やがて梅原の作品への決着を「愛憎」の問題としています。
つまり、梅原へのアプローチは、その作品が好きか嫌いか?どちらかだということだろうと思います。

「愛憎」まで掘り下げられたら、確かに梅原の作品について何も言えなくなってしまいます。私はなるほど~と感動し、しばらく他の章を読めなくなりました。


つづく








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お花

2023年01月31日 | 梅原龍三郎
先週ご来店いただいたお客様にブリザードの紅い薔薇を頂戴致しました。

しばらく店に飾ってみようと思い、1番似合う場所を見つけるのに、あっちへ、こっちへ。

説明書を読んで、ケースから外しても良いのだと知り、結局ここに落ち着きました。





絵の為にお花を飾ることはいつもの事ですが、お花の為に絵を出して飾ることは初めての事で新鮮でした。

私がこの梅原を買おうか?迷っていることをご存知のお客様は「買うといいよ」とニヤッとお笑いになります。

「予算が足りないのねぇ」とこぼすと
「持っている絵を売れば〜」「ひき取ってあげるよ〜」とさらにニヤリ。





「むむむ、それは嫌だなぁ」と私。



どちらが画商でどちらがお客様だかわからない会話ですね。







けれど、こんなお話をさせていただけるのはなんて幸せなことだろうと思います。

「佐橋さんのところのあれが欲しい。あれも良いな」

「まだ売れていないのか。どうしてだろう?やっぱり買うのは自分か?いやそれならあの作品の方が?」

今の私の気持ちと同じように思ってくださるお客様がお一人でもいてくだされば、私たちはまた
店を開けさせていただけるように感じるからです。

何を喜びにして仕事をさせていただくか?

これもまた各画商の自由です。


その時その時の「大切にしたいこと」の優先順位にしたがって、人は暮らしています。

時には絵のことが1番!になり、時には絵のことなどどうでもよくなって忘れてしまう。。

そんな日々にもそこに絵がある。



そうしたお客様の全ての日常の選択に負けない、本当に強く本当に美しい一枚の絵を
今日からまた探して参りたいと思います。

立春まであと少し。

今週もどうぞよろしくお願い致します。








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梅原龍三郎

2022年01月30日 | 梅原龍三郎
昨日ご来店のお客様に、梅原の「裸婦豹」をお褒めいただきました。

「いつごろの作品?」

「大正時代、若い頃の作品ですよ」

「そうだよね。晩年の裸婦とは肉付きが違うものねぇ
 久しぶりに佳い梅原を見たなぁ」

と何度もご覧くださいました。


目の高さは天下一品のお客様!

が、卒なく画商とお付き合いをされるので、
本当にその作品を評価してくださっているか?の判断は
短い在店時間に、何度もその作品をご覧になってくださる事
お値段のプライスを参考までにとご覧になる事
の条件が揃うか?で決まります😊今回は二つとも見事にパス💮









2メートル以上離れて見ると、
女性の胸の膨らみも足の肉付きもとても立体的に感じられて
さすが〜とため息が出ます。


来週には安井の素描作品、湯河原風景と並べて飾ってみようかと思っています。

巨匠二点。小さな作品でも、素描作品でも、きっととても面白い空間になると思います。




さて、納品準備のため、朝井閑右衛門の額の裏の紙を取り合えようと板を外してみますと






このようになっていました。



朝井のこのサイズの作品を「カマボコ」と呼ぶのは、本当に蒲鉾板に絵を描いていたからでした。

この画像をお送りすると、納品先のお客様は「板は、小田原の山上商店のを見たことがありますが、紀文も使っていたのですね。

朝井はかまぼこが好きだったのでしょうか?」とお返事をいただきました。

日常にも色々なエピソードを残した朝井閑右衛門です。

蒲鉾をかじりながら、絵を描いている姿が頭に浮かび、1人で笑ってしまいました。


作品をお届けするとこのお客様は「どこに飾ろうか?悩む楽しみが増えました」ともお伝えくださいました。

そういえば、昨日ご来店のお客様はお納めした織田作品をお持ち帰りになるのを楽しみにしてくださり
「玄関の壁にスペースを作ってきました」ともおっしゃってくださいました。


こうしたお客様にお会いするとき
またお納めした作品達を愛し、楽しんでくださるご様子を想像するとき
コロナのことも、病気のことも、この寒さも、全て忘れられるような気がいたします。


明日、セール期間を終えさせていただき、
2月よりまた新しい気持ちで営業をさせていただきます。

引き続き、お引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。
















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梅原龍三郎

2022年01月09日 | 梅原龍三郎
いつものエントランス。










昨日まで、飾らせていただいていた朝井閑右衛門の「薔薇」をおろし、
梅原龍三郎の作品を掛けさせていただきました。











梅原は色々な裸婦を描いていますし、この〝豹〟のシリーズの裸婦も数多くありますが
小さな横長のサイズ、そしてこの裸婦の表現に梅原独特の洒脱さが感じられ、2人ともにとても気に入って
仕入れさせていただいた作品です。







大正13年、36歳、この年、春陽会を脱会し、翌年には国画創作協会に合流を果たした梅原は
岸田劉生との交流を更に深め、いよいよ巨匠としての道を確固たるものとしていきます。







梅原の作品の中に見る鑑賞者それぞれの「自分」はみなそれぞれ違う姿をしているのが当たり前でしょうけれど、
若き日の梅原には、既に「どんな私」も受け入れてくれる大きな「用意」があったのだとつくづく感じられます。


煩わしい現実から遠く、あたたかく、優しい絵画の世界へ!
決して無理なく私達を誘ってくれるのが梅原の魅力ではないでしょうか。




梅原龍三郎 「裸婦 豹」キャンバス・油彩 共板 梅原龍三郎の会鑑定書

198万円 税込




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