連休の後半は、二人で奈良に出かけて参りました。
女人高野で皆さまにお馴染みの室生寺。
十一面観音像を拝見に伺いましたが、思いがけず石楠花の開花時期にあたり
沢山のお花に癒されました。
真言宗豊山派の総本山、長谷寺は花の寺でお馴染みですね。
実家がお世話になっているお寺の総本山ですので、一度伺ってみたかったのですが
灯籠の吊るされている長い登廊(のぼりろう)はとても美しく、父のことを色々思い出しながら前へ前へ歩きました。
東大寺では、修学旅行とは違う感慨で仏像の数々を拝見しました。
若草山の近くに宿を取りましたので、朝の比較的早い時間に三月堂をゆっくり拝見。
国宝ばかりのお堂にいて何だかとても涙が出ました。
勿論、大仏さまもあらためて拝見、
「大きさ」のなかにも「美」が宿るということを初めて知りました。
美術館では、国立博物館の「快慶展」でこちらも鎌倉の仏像の数々を鑑賞。
「なら仏像館」の常設展でも多くの仏像を拝見。。もうそのころには頭の中が仏像だらけで、どれがどの時代の制作だったか??
わかったような、全くわからなくなったような。。になりました。
最後に伺ったのは中野美術館さんです。
以前から何度がお邪魔していますが、開館時期と合わず、今回が初めての入場となりました。
お分かりになりにくいでしょうか?
村上華岳のスケッチ、風景画「山科写生」大正5年の作品です。
びっくり!若いころの風景画を私は初めて見ました。
どこにも手を抜かず華岳らしい集中力。そしてどこかロマンチック。
今回拝見した絵画のなかでは、一番に感動した作品でした。
こちらもわかりにくいですね、ごめんなさい。
中野美術館さんは日本画では華岳、波光、そしてこの冨田渓仙の蒐集で有名です。
これは大正初めころの「鵜飼」。
この作品とは違いますが、このころ渓仙は「鵜飼」を出世作としたそうです。
東大寺の裏道には土塀が続き、とても静かな風景が続きます。
奈良は京都より、少し古い時代の美術品を
自然の中でゆっくり鑑賞できるところが魅力的ですね。
お食事も山菜料理など京都より少し田舎風であり、精進風でもあり
私たちにはびったりです。お料理の器も漆器が多く、とても楽しめました。
このゴールデンウィークはお茶碗と仏像を沢山鑑賞させていただきました。
本当に沢山。
自分の眼が少しづつ変わっていくことも実感できました。
そして、
「ゴールデンウィーク明けには、うちの店の作品が甘く感じられてしまうのでないか?」
という心配もなく、今日は当店の作品に接することができました。
50代の半ばを過ぎ、佐橋も私も、少しづつ、目がまとまってきているのかもしれません。
本当の自分へ、本当の美へ。
これからも近づいてゆきたいと願っています。
今日は朝から佐橋と京都に向かいました。
お道具の交換会の作品下見と知恩院界隈の器のお店に伺うためです。
美術品の市である交換会は、春は大会として主に東京、京都、大阪で数多く開かれます。
下見では魯山人や憲吉など、立派な作品が多すぎて日常に使えそうな雑器が少なく残念でしたが、京都の美術倶楽部の近くには美術商さんや骨董のお店が沢山並んでいて、少しの間ですが二人で散歩が出来ました。
勿論、京都には私達も敷居が高くてなかなか入れないお店もありますが、日常の器を探すのに面白いお店も幾つかあります。
(本日伺った新門前梅本町 ギャラリー四君子さん 染め付けの器が多くありました)
時代がついてしまうと器の価格もぐんと高くなってしまいますが、明治、大正期の器になると、[少しだけ贅沢なお値段]で器を求めることも出来ます。
私はよく器を壊したり、傷つけたりしてしまいます。
このところ、また特にお気に入りの器を失っってしまったので幾つか買い揃えることにしました。
壊れてしまうものにこそ美があり、愛着が湧くという意味も少しずつわかって参りましたので、
お値段に関わらずこれからは大切に器を扱えるような暮らしをしたいと思います。
佐橋はお仲間と一泊して明日の絵画の市に。私は昼には京都を離れて自分の店に戻りました。
4月は29、30日、
5月は3〜7日まで連休をいただきます。
よろしくお願い申し上げます。