つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

店内作業日

2023年07月02日 | 金山平三
佐橋美術店の営業がレンダーに、週に何日か🟢店内作業日を設けさせていただきました。

事務仕事は勿論、各種手続きに来ていただく、逆に私から伺う場合の時間の確保、倉庫内のお客様にお納め予定の作品のチェック、法人さまからお預かりしている作品のチェック、この夏の間に手放す作品の整理など、1人で行わなくてはいけない作業が増えましたので気持ちの切り替えの為にも、お客様をお迎えする日を限らせて頂くことに致しました。







昨日は佐橋の法要の為に集まってくれた私の弟と息子に手伝ってもらい、大きな作品を倉庫から運び出す作業を終えることができました。作家さんにお届けする予定です。



少し倉庫を整理するとすぐギャラリーが作品と箱でいっぱいになります。


その箱の中に、金山平三の秋の十和田湖を描いた作品、「くろぶなに山葡萄」を見つけ、もう一度作品を見てみることにしました。


今までも何度か機会がありながら市場に手放さずにいた作品です。お客様にはなかなか振り向いていただけない、売りにくい作品である事は十分承知でありながら、2人で長く持ち続けて参りました。

今、ひとりになってみて、あらためて眺めていると、やはりこれは金山だけが描ける作品だ、名品だなぁと思えてきます。

何が描いてあるかを一生懸命探すより、燃える秋🍂を画面全体で味わった方が感動の深さが増すのだと、今まで長く眺めてきたからか?或いは今の私の心がそう思わせるのか?兎に角、また今までとは違う感じ方になりました。

そういう全体を捉える目で金山は自然に身を置き、この絵を描いたのだろうと思えるのです。






ふと考えるのです。佐橋と私が逆の立場になっていたら、そして作品をどうしても幾つか手放さなくてはいけなくなった時、佐橋はどのような順に作品を選択していくのだろうかと。

きっと、結局、私と同じように、佐橋も自分のすきな、良いと思える作品を残していくのだろうなぁ、もう私たちが2人揃って相談しながら処分する作品、新しく仕入れさせて頂く作品を決めることは出来ないのだから〜

そう悲しくなる時と、いやきっと最後に残してゆく作品は2人ともに同じ!そう思える時が順にやってきて、そして結局、後者、2人で残していく作品は同じ!に軍配をあげるのです。


「流れに逆らわない」それを今、私の周りにいてくださる方達と目の前にいなくなってしまった佐橋が強く私に教えてくれているように思います。

やっと、私も、皆様の温かいお気持ちを感じられるようになって参りました。暗い穴蔵から顔くらい出せているかな?



「絵を感じられる幸せ」をこれから時間を惜しみながら、ゆっくりと味わい、取り戻していきたいと思います。


















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「金山平三」 飛松實著

2022年11月21日 | 金山平三
上記の一冊の本から、金山に関する言葉をいくつか抜粋し掲載させていただきます。


「妻 らく」

らくは専攻の数学の他に、本多光太郞博士の講義を受け、又平三の友人画家田邊至の兄の哲学者田邊元博士に「科学概論」を学んだりしている。田邊はらくの才を高く評価し、「貴女は哲学を専攻すればよかったのに」と残念がったという。
らくは言う。哲学は理科や文化にも関係が深い。代数などは数式で解けるが、幾何学となると哲学的な部面が非常に加わってくる。そのために数学者といえど哲学をおろそかには出来ない。又数学は絶対ごまかしがきかない。嘘が入っては数学が成り立たない。
このごまかしのない点が数学の美である。金山の絵は、どこにもごまかしがなかった。省略はあっても真実を捕らえていた。「数学の好きな作家の絵はまとまりがよい」と平三も言っていたが、そこに絵画と数学と一致するところがあるのである。


思うに幸福だった最晩年は別として、帝展騒動後の画業生活の大部分は、孤独に堪えるおのれ自身との酷しい対決の連続であった。
生来人一倍感受性が強く鋭い金山平三は、この孤独な己れとの戦いに幾度か屈伏しようとする危機があった。「自殺する」「自殺したい」としばしば口走っては人を驚かせ嘆かせている。世間に絶望したのでなく、自分自身に絶望しかけたのである。こうした金山平三を背後から力強く支え励まして、その資質を遺憾なく発揮結実せしめたものが、主人の「こやし」になると決心した婦人の献身であった。これについて金山平三は晩年私に語ったことがある。「家内は、本当は絵のことはよく分からないと思います。ただ私に描きやすいように心を配り、出来た絵は私の作品だというだけで大切にしてくれます。有難いことだと思っています。」




「平三の描きぶり」

「大石田へ来て本格的に絵を描き始めた」斎藤茂吉の絵を、平三はどうみていたか。
〈斉藤さんの絵は、デッサンが実にこくめいで真面目すぎるほどで、中川一政さんも、これは真面目すぎる、もっと気楽にやりなさいと言われましたが、あそこに斉藤さんの性格が表れているのでせうね。〉
かつて平三の写生ぶりを見て、「やはり大家は違う。実に丹念に観察し、省略すべきものはドシドシ省略する。いや驚くより外ない。」と較べて興味深い。実相観入、自然自己一元の生を写す、という「短歌写生の説」の茂吉も、絵の上では所詮素人で、専門家には舌を巻かざるを得なかった。


若い頃に体を鍛えられただけあって雪の中での仕事の頑張り方は到底我々に真似が出来なかった。日が沈むと急に冷たさが身にしみてくるが、先生は納得のいくまでいつまでも描き続けておられた。「金山の剣術」と言われていた独特の方法で、無心に仕事を続けられるお姿を遠くに拝見して、一種の神々しさを覚えたものである。「金山の剣術」とは、前方の景色や画面の調子を見る場合、筆をもった右手の中指と薬指と小指を開き、それを縦にしたり、横にしたり或いは前方に突き出したり顔に近づけたりする一種独特の目まぐるしいポーズをされるのを友人画家の諸氏が名付けていたのであった。(松村菊麿)


 「金山平三の評価」


世間には、金山平三を単なる風景画家と思っている人が案外多いのではなかろうか。中略
金山の作品には、平明淡々として技巧を感じさせない美しさのものが多いため、真の鑑賞眼を持たない人々から、時にそうした誤解を受けやすい点も否めない。しかしわれわれは、一見平淡で目立たぬ技法の中に、鋭く厳しい自然観照の底知れぬ深さ、饒舌を拒否し主観の露出を抑制し、枝葉末節を惜しみなく切り捨てて、自然の内奥深く参入した本質把握の美事さ、斎藤茂吉のいう自然自己一元の生を写すところの真の風景画であることを改めて認識し直さなくてはならないのではなかろうか。

純粋生一本の性格とその生き方は、画業は言うまでもなく、余技や趣味の方面でも全て本格正統を尊び、似非、虚偽をいやしんだ。
心血を注いだ作品を愛憎し、手放すことを惜しんだのは、一人密かに自ら頼むところがあったからである。目まぐるしく変転してやまない画壇などに重きを置かなかった。五年、十年の流行に左右されるものは本物とは言えない、という確固たる信念のもと、知己を百年ののちに待つべく決意していた。若くしてその師黒田清輝の熱愛と嘱望を受け、専門作家となっては先輩藤島武二らに心から畏敬された金山平三の、赤裸々な人間性とその作の真価を熟知するのは、既述のように久しく親灸した画家たちであった。



最後の入院の時、見舞いに行った佐竹徳に苦しい呼吸の中から聞いたそうである。
「佐竹君。僕の作品の中には泰西諸大家のものにも負けないだけのものがあると思っているが、君はどう思う。本当のことを言ってくれ」誠実な作家として、最も信頼を寄せていた佐竹徳に初めて自信のほどを打ち明けたのであった。
「勿論です先生。たくさんありますよ。」この言葉に何度もうなずきながら、嬉しそうに涙を伝わせたという。



以上















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石蕗

2022年11月12日 | 金山平三
自宅に植えた石蕗の花が咲きました。

一昨年の夏、佐橋の背中に粉瘤ができ腫れて、布団に背中を置くこともできなかった時
このツワブキの葉が大いに助けてくれました。

葉を少し火で炙り、ぐちゃぐちゃと揉んで背中に当てて置くと、腫れが少しひき、痛みが和らぎました。

応急措置としてですが、この一年中艶やかに濃い緑の葉はとても強く、抗菌作用に優れているようです。

はじめは近くの神社の庭から一枚だけいただいてきましたが、バチが当たりそうで怖く(涙)
苗を求めここに植えました。

今ではもっぱら観賞用ですが、元々お薬はほとんどが植物由来であったと思い、おばあちゃんの知恵や
民間療法も優れた日本の知識、伝統だと思えます。

洋花に比べ派手さは全くなく、よく見れば不思議な植物ですけれど、石蕗を植えたこと、そしてこうしてこの季節に黄色いお花を見るたびに、あの時の辛かったこと、よく佐橋とがんばれたことなどを思い出します。

自然の営みは、人間にとって時には無情で残酷なものですが、その美しさの発見や生活の糧としての価値づけは地球上で人間だけがしてきたことですので、その伝統と美意識の再確認は、これからを生きる私達にもとても大切なことのように思えます。

金山平三の作品について、いろいろ書かせていただこうと思いましたが、少し調べ物をしてみると金山のその破茶滅茶な個人像に
翻弄されて、頭がごちゃごちゃになりますので少し時間を置いてからにさせていただこうと思います。

とりあえず、
金山平三 - [ひろしま美術館]

金山平三 - [ひろしま美術館]

ひろしま美術館は、印象派を中心としたフランス近代美術と、日本洋画や日本画などの日本近代美術コレクション、約300点を所蔵しています。

ひろしま美術館

 

ひろしま美術館さんのサイトがとても簡潔に金山の紹介をしてくださっているのでご紹介致しますね。






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この秋も

2022年09月26日 | 金山平三
この秋も金山平三の風景を出させていただきました。

なかなかお納めが決まらない作品ですし、別の金山作品を求めても良いのではないか?と
昨年、佐橋が市場への出品を考えましたが、上京の機会も逃し、また私が渋ったので😁
今年も再度この「秋」に出会う事が出来ました。






季節というのは、それぞれの心の中にあるものだろうと思います。

今の私の心にはこの「秋」が一番ピン!とくるのです。

白いTシャツを着た私が、くろぶなのトンネルの中の自分の心の中を覗き込んでいるようです。


プレートの画像を撮り忘れました。

サイズなど後日あらためて追記させていただきます。









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くろぶなに山葡萄

2020年08月26日 | 金山平三

この「つれづれ」を長くご覧くださっているお客様から、先日夏のご挨拶をメールでいただきました。

奈良にお住まいのお客様ですが、名古屋の九平次さんのお酒をお飲みになる機会がお有りだったそうで

「名古屋のような都会に酒造メーカー?」と不思議に思われたようです。

「九平次って知ってる?」と私がひとこと言うだけで、佐橋が「あぁ、醸し人九平次ね」と直ぐに答えてくれてびっくり‼️

さすが、昔取った〜です。同じように名古屋市内にも以前はいくつかの酒蔵があったようですが、今は随分と減ってしまったようです。

また機会がございましたら、愛知や岐阜県内の老舗酒蔵のご紹介をさせていただきますね。


さて、このお客様からのメールには

あらためて、ブログでご紹介いただきたいのは、金山平三「くろぶなに山葡萄」です。不思議な絵です。」とありました。

ブログの記事にリクエスト?をいただくのは、初めてなのでとても嬉しく読ませていただきました。

お客様は軽いお気持ちでお書きくださったのでしょうけれど、、そして、各お客様は、勿論、半分冗談くらいのお気持ちで当店へのメールやお問い合わせをお書きくださればそれで良いのですが、、


私は昨年末に、この金山の「くろぶなに山葡萄」を倉庫にしまってから、ずっとこの作品のことを考えていましたのでドキッとして、夏休みの宿題をいただいた気持ちになったわけです。

そして、それを知ってか知らずか。。私が留守をしている間に、先週佐橋はこの作品をとうとうギャラリーに飾りました。



むむむ



書かざるを得ない。。作品の年代などは、昨年も書かせていただきましたのでそちらをご覧いただいて。。

今この作品を私がどう見ているかを書かせていただこうと思います。

まず



本当はこんなことをしてまでお話することではないのですが、思い切って

① くろぶなの木です。傾いて向こう側に向かって伸びています。

②多分この幾つかの緑の点が山ぶどうです。くろぶなに蔓が巻きついているようです。

③白く見えるところを遠くからご覧ください。川が流れています。

④奥に紅葉の木々が見えます。

⑤これはきっと植物で、誠に金山らしいタッチで描かれていますが、実際には何か?はわかりません。

けれど、この描写のおかげで川と紅葉の奥行きが分かります。トンネルの始まり!のように見えます。






いかがでしょうか?

先回、先先回と書のお話をさせていただいたのは、突然のことではありません。

この金山の作品を楽しむには、書を鑑賞するような眼でご覧いただかなくてはいけません。

その時に、最後に1番素晴らしい!と思えるのは、この小さく描かれた白いシャツの人物の立ち位置、

姿勢です。この人物に目をやると、動画のように風景画がぐるーと一回転でもしそうに感じます。そして人物の右側にオレンジの線で階段が続いているようにも見えてきます。


私達は毎日色々なことを感じながら、考えながら、飽きずに同じ作品を鑑賞しています。時には,

このような風景が実在しないかとネットで十和田湖の画像を探したりしながら。。です。



若き空海の書に感動したように、





この金山のサイン一つを見ても、金山がどんな作家であったか?は想像がつくように思えます。

佐橋はこの金山を「最高の金山に出会えた」と言って求めてきました。そして驚くことに、その時は上記のようにどこになにが描いてあるかは、はっきりとわからなかったようです。

「結局は日本の油絵画家は梅原も金山も宋元画の所までたどり着こうとしたんだ」といういつもの佐橋の一言に尽きるのだと思います。

「そんなこと、昭和の時代ではあるまいし、どなたがご理解くださり、感動してくださるのだろう?」と思いつつ
私は、どんどんそうした日本の油絵画家の描く世界に魅力を感じ、引き込まれていくのです。
そして、幸いにも若い頃銀座でみていた作品達のお値段が今は何十分の1にもなり、私達のような者でも、そうした作品を扱えるようになりました。


何が起こってもできるだけ長く、私達の良いと思う作品をずっと皆様にご紹介申し上げたい!今はそれだけを願っています。












コメント (2)
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