つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

鏑木清方 「高砂雛」

2023年01月12日 | 鏑木清方

清方のお雛様をご紹介したいと思います。






「高砂雛」 絹本 共箱






表装も粋で、かと言って派手なところなく大変品のある仕上がりになっています。

軸先は金蒔絵も施されています。






お能の「高砂」に登場する松の化身である老夫婦になぞらえ
背景に松、そしてこの可愛いらしいお雛様にも箒を持たせ、
清方はこの作品に長寿と男女の永遠の愛への願いを込めました。

めでたさ際立つお雛様。

来週にでもショーウィンドウに飾らせて頂こうと思っています。



鏑木清方 軸 「高砂雛」 絹本 共箱  税込660,000

作品サイズ  36.5×50㎝
軸全体サイズ 126×64㎝





※ 能「高砂」について以下に引用させていただきます。

醍醐(だいご)天皇の御世の延喜年間のこと、九州阿蘇神社の神主友成(ともなり)は、都見物の途中、従者を連れて播磨国(兵庫県)の名所高砂の浦に立ち寄ります。友成が里人を待っているところに、清らかな佇まいをした、一組の老夫婦があらわれました。松の木陰を掃き清める老夫婦に友成は、高砂の松について問いかけます。二人は友成に、この松こそ高砂の松であり、遠い住吉の地にある住の江の松と合わせて「相生(あいおい)の松」と呼ばれている謂われを教えます。そして『万葉集』の昔のように今の延喜帝の治世に和歌の道が栄えていることを、それぞれ高砂、住の江の松にたとえて、賞賛しました。老翁はさらに、和歌が栄えるのは、草木をはじめ万物に歌心がこもるからだと説き、樹齢千年を保つ常緑の松は特にめでたいものであるとして、松の由緒を語ります。やがて老夫婦は、友成に、自分たちは高砂と住吉の「相生の松」の化身であると告げると、住吉での再会を約して夕波に寄せる岸辺で小船に乗り、そのまま風にまかせて、沖へと姿を消して行きました。

残された友成の一行は、老夫婦の後を追って、月の出とともに小舟を出し、高砂の浦から一路、住吉へ向かいます。住吉の岸に着くと、男体の住吉明神が姿を現しました。月下の住吉明神は、神々しく颯爽と舞い、悪魔を払いのけ、君民の長寿を寿ぎ、平安な世を祝福するのでした。



高砂は、室町以来現在に至るまで、能の代表的な祝言曲として、広く人々に親しまれてきました。能を見たことがない人でも、「高砂」の名を一度くらいは耳に入れる機会があるでしょう。たとえば婚礼の席で、この曲から取られた「高砂やこの浦舟に帆をあげて…」や「千秋楽は民を撫で…」といった謡を聴いたことがあると思います。

「高砂」では、松が作品の中で重要な役割を果たしています。松は、古来、神が宿る木とされ、常緑なところから「千歳」とも詠まれることが多く、長寿のめでたさを表します。また、雌雄の別があり、夫婦を連想させます。

世阿弥はこの能を、「古今集」仮名序の「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」という一節を題材として作出しました。「播州高砂、摂津の国住吉と、国を隔てて住みながらも、夫婦として暮らす老人老女」という人物設定で、長寿や老夫婦の睦まじさを称えるとともに、松の長生のめでたさを和歌の道の久しい繁栄になぞらえ、美しい詞章と、清々しい所作、舞いとで、傑出した表現を創り上げたのです。

寿ぎ、祝いといっためでたさに貫かれ、どこまでも明るく、崇高で清らかな雰囲気に満ちた、気品のある、名曲中の名曲です。素直に見て、聴いて、感じて、楽しめる能です。清めの体験を我が物にできるのではないでしょうか。

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鏑木清方 

2022年07月01日 | 鏑木清方
鏑木清方の作品「奴凧」は、なにげない作品ではありますが、とても品よく、可愛らしく、多分こうした作品こそ清方しか描けないのではないかと思えます。






松園では、少し古めかしい。

深水では、少し重い。

小坡では、少し淡い。

契月では、少し大人びてしまう。

そんなところではないでしょうか?


清方の美人図は要らないけれど、この作品なら「飾れる」そう思ってくださる女性も多い気が致します。








利行、藤島の壁と青樹、清方の壁は向かい合っています。


違った趣をお楽しみいただければと思います。


鏑木清方 額 色紙大 奴凧 紙本・彩色 
S31年第二回東西大家日本画小品展出品作 画集掲載
660,000



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