つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

方向音痴のいちにち。

2023年11月20日 | おススメの展覧会、美術館訪問
昨日は、どうしても観ておきたかった須田国太郎の展覧会に出かけてきました。

確か何年か前、佐橋が入院していた間に一人で碧南まで出かけたはず!
ご遠方からの皆さんだって行かれるのだもの、いくら方向音痴の私でも大丈夫!

自信をもって出かけたのですが、早速乗換の刈谷駅で右往左往、googleに出てくる三河線って名古屋鉄道の線なのだと初めて知りました。知らなすぎ?



それにしても、佐橋とお別れしてからは、いままで以上に頭をさげることが多くなりました。

「まぁ~ありがとうございます」

「あのーすみませんが~」

「あっ、ごめんなさい」

多用し過ぎて、もはや発する言葉に心がこもっていないような気がいたします。反省⤵

碧南駅に着いてからの道のりは何となく覚えていましたし、近いので大丈夫だと思っていましたが、結局少し遠回りしてしまいました。
あの美術館さん並びの十一八(じゅういちや)さんという鰻屋さんの甘いにおいにつられてしまいました(;'∀')

といっても、私はいつものように美術館の1階のカフェで酵素玄米をいただきました。自宅の炊飯器も酵素玄米炊き専用ですが、少し時間がかかるので面倒でこの頃なかなか作れません。酵素玄米は、お腹を綺麗にするので時々食べると体調がよくなります。



昨日はそういう方向音痴全開の日だったのですかね?この記事も横道に逸れました。

須田国太郎展はとても良い展覧会でした。

私にはあの大阪の佐伯展以来の大掛かりな展覧会鑑賞になりましたが、見応えがありました。

特に展示の第二、第三章は須田国太郎という画家をより身近に感じられる工夫がなされていたと思います。須田の撮影した写真にも見入りました。




ただ絵を見ているだけでは、須田国太郎の作品は随分遠く感じられるものだと思います。ある種の鈍さが須田作品の素晴らしさとなり、また鑑賞者を遠ざけるのですね。

「鈍さ」と言うと、選ぶ言葉が悪いのかもしれませんが、西洋絵画の古典的技術を学び、東洋人である自身の観念の世界の表出に努めた須田のその作品に、一貫して流れる「風格」はやはり須田国太郎という画家独自の世界観であると思えます。

けれど、またそこに「動き出してしまう心」を求めるのも鑑賞者の常であるように感じられてなりません。

大阪の佐伯祐三展で、佐橋の体調への心配もあり、その作品の哀しさに心がパンクしそうになって会場を後にした半年前。

名古屋の都会から小一時間電車に揺られ、あっという間の「地方」である碧南に須田国太郎展を訪ね、その風格に圧倒されながらも「もっと感動を」とせがんでいる今。

ふと今年の私はどこにいたのだろう?いるのだろう?と立ち止まります。


なぜ須田国太郎はもっと人物を描かなかったのだろうかと、ときどき展示に登場する人物像に感動しながら、そんなことを思っていました。

とくに幼いころから親しんだといわれるお能の登場人物を描いた作品は本当に素晴らしいものでした。

そして私にとっての須田の最高作品はやはりこの大原御幸です。



風景画に感じるあの風格、重厚さの扉を突き抜けて、真心に迫るものを感じます。

須田国太郎展はこの碧南を皮切りに大分、兵庫、広島、最後の東京世田谷美術館さんまで巡回される予定だとお聞きしています。皆様のお近くで開催されるようでしたらぜひお出かけいただきご感想をお寄せいただきたいと思います。

そうです!この東海海地方のみなさまもどうぞご感想をお寄せくださいね。




 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来週?今週の佐橋美術店

2023年11月19日 | 佐橋美術店の展示・展覧会
少し時間が空いてしまいましたが、ひきつづき展示作品のご紹介をさせていただきます。

図書室には、朝井閑右衛門の作品と筧忠治のキャンバス・油彩6号の「花」を飾らせていただきました。筧作品は、質のわりには大変お値打ちなので特に当店の前をお通りのお客様に版画も含め、ときどきお求めいただいています。





ちょうど先日浅野弥衛の作品を家具屋さんからお戻しいただいたので、当店には珍しく通路には抽象画を幾つか掛けさせていただくことにしました。

まず版画家の二人の作品から。

先日ご紹介させていただいた清宮のガラス絵と駒井哲郎の銅版画です。


清宮は版画だけでなくガラス絵や水彩画も手がけましたが、駒井は版画一筋の作家。



それでも十分に見どころをわけてくれるのがこの作家の良いところだと思います。いつもとてもおしゃれで、品がよいですね。







つづいて、浅野弥衛のパステル画2点とスクラッチ・フロッタージュの作品。


浅野は私が名古屋に住むようになり感じている三重県ご出身の方たちの
優しい感じ、温かい感じ、そしてどこか理知的な感じをそのまま作品に表現しているような作家だと思います。

ただひたすら感じること。
抽象画の鑑賞には一番大事なことではないかとこの頃考えます。
具象画の鑑賞で「見ること」に信頼を寄せすぎてしまっている私たちにはよい刺激になるように感じます。

珍しく応接室の作品たちも画像に収まってくれました。






土壁に、近代日本洋画作品はしっくりなじみます。特にこの寒い時期には独特の空気を醸し出してくれます。


ざぁーとですが、展示作品をご紹介させていただきました。ショーウィンドウの作品はまた後日ご紹介いたします。

ホームページの移設で各作品の価格表示がご覧いただけない状態になりましたので、今回ご紹介した作品の価格についてもみなさまに何かお伝えできる方法を考えたいと思っています。

しばらくお時間をいただきますようお願いいたします。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅原龍三郎 ブロンズ作品

2023年11月17日 | 佐橋美術店よりのお知らせ
三連休をいただいた後の今週は、とてもお寒くなりました。

ひとりで過ごすことが多くなると、季節感が狂っているのは自分のせい?かと思ってしまったりすることがあり

地下鉄などのみなさんの服装から「あぁ、寒いのは私ばかりではないのか」と妙に安心したりします。


「こんにちは〜今日は寒いですねぇ〜」のお決まりのご挨拶もこの頃の私には大切な確認作業です😊



展覧会が終わった後ですし、今週はご来客も少ないかと思っていましたが、お客様や画商さん、お世話になっている業者さんなどが順にお立ち寄りくださっています。





夜が長い季節になると、ブロンズ作品の存在価値が高まるように思います。

佐藤忠良、船越保武、柳原義達、淀井敏夫という彫刻家作品もそれぞれ魅力はありますが、


梅原龍三郎のブロンズはとても単純で無骨のようでいて、その存在感は圧倒的なもののように感じます。

高山辰雄のブロンズ作品も同様です。画家の作る立体は面白い。香月の玩具などもそうですね。

それぞれのブロンズ作品についてもまた書かせていただこうと思っています。


梅原龍三郎 ユーロップ 高さ16.5㎝ 共箱
現代日本美術全集梅原龍三郎 集英社 掲載
150,000


同作品に関する以前の記事へ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

seimiya naobumi

2023年11月13日 | 清宮質文
このブログをご覧くださるみなさまの中に清宮の作品をご所蔵の方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。

清宮作品の人気は以前から知っていましたが、多分当店が清宮の作品を扱わせていただくのはこれで2回目?ではなかったかと思います。版画を一度、ガラス絵は今回がはじめてです。




画集を開けば、清宮がとても魅力的な画家であったことは一目瞭然でしょう。
ただ、清宮の作品を「絵」といってよいのか?少し疑問が残ります。





絵というよりは「詩?」そんな印象をみなさまもお持ちになるのではないでしょうか?






群馬県館林美術館2017年展覧会パンフレットからの引用
木版画家・清宮質文(せいみや・なおぶみ)(1917-1991)は画家・清宮彬(ひとし)の息子として東京に生まれ、中学生のころにエドヴァルト・ムンクの版画に強い感動を覚えますが、本格的に版画に向き合うまでには比較的長い時間を要しました。1942年、東京美術学校油画科を卒業後、長野や東京の美術教師、商業デザイン会社勤務を経て、1953年、グループ展をきっかけに本格的な木版画家としての道を歩むことになります。以後、春陽会展や個展を中心に作品を発表し、洗練、浄化された世界を追求し続けました。「外の限界を拡げることは不可能ですが、内面の世界を拡げることは無限に可能です」。これは清宮芸術を語る時、もっとも多く引用される清宮自身が書いた言葉です。自らの内なる世界をずっと旅した清宮は、切り詰めた形と深く澄んだ色彩によって、小さな木版画の中に無限に拡がる抒情の詩を謳い続けました。

木版画、水彩画、ガラス絵。それが清宮の残した主な仕事です。
狙いをもち、計算をしながら、しかしそのときどきに変化する刷りの妙、絵の具の動きをまるで楽器を奏でるように楽しんでいるのが清宮の世界だと思います。

私自身が若い時には、清宮はただの青臭い画家だと思っていました。自分に酔っているだけの、詩人きどりの画家?



けれど、今更ですが、当店にあるこの作品を見ていると、もっともっと深いところに清宮が居るのだと気づきはじめました。





絵の具がガラスの上を静かに流れ出すように、色と色がそっと混じりあうように、私の心に少しづつ清宮の世界が広がっていき、決して動きをとめません。





内なる世界、海の底に向かうときの孤独にはどのようにも耐えられる。そして、必ずそこに美しい、幸せもみつけてみせる。

けれど、一度は水面に顔をだして呼吸をしなければならないとき、ふと欲しくなるのはぬくもり、人間への郷愁。

私は今、清宮にそんなイメージを持っています。


とてもお寒くなりました。インフルエンザも流行りだしました。
どうぞみなさまご自愛いただきますようお願いいたします。

今週もよろしくお願いいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

林檎

2023年11月04日 | 佐橋美術店の展示・展覧会
ブログの更新が遅くなりました。
おかげさまで展覧会も、今日と明日、残すところ2日となりました。

当店としては予想外に多くのお客様にご来店をいただき、大変光栄に思っておりますが、「一昨日のご来店のお客様を、できることならその前日と昨日に分けてお迎えしたかった」と思えるようなことが多々あり、せっかくご予約をいただきご来店いただきましたお客様とゆっくりお話しさせていただくこともできず、そのままほかのお客様にお席をお譲りいただくことになってしまうこともありました。展覧会中とはいえ大変申し訳なく、お心づかい、ご協力をいただきましたお客様にあらためてお詫びとお礼を申し上げます。


ひとりで多くのお客様をお迎えした一日は、勿論ほかのことは何もせずお台所を片付けて店を後にするのがやっとですが、ご来客0という一日は、かといって私自身はどうやら臨戦態勢にはいっているようなので、事務仕事などには手をつけられず、画廊の中をうろうろと歩きまわるか、画集をぺらぺらとめくるしかすることはありません。

けれど、そうした時間は案外私には大切で、一種の「晴れの舞台」である展覧会を終えたあとに引き戻される現実生活、種々の問題に自分を向かわせる準備を整えるよい機会となります。

先日の記事で山口薫はあまり林檎を描いていないのではないか?と書かせていただきました。

けれど、柿ほどではないようですが、林檎を描いた作品も画集に多くみつけることができました。










しかも、とてもいい。


いまは色々な果物が出回り、しかも南国系の果物が多くなっていますので林檎は種類は増えても、全体の消費量は減っているのではないかと思います。
私は佐橋の病気を通し、食養について少し勉強をさせていただいたので林檎をとても身近な食材として意識しています。

西洋でも林檎は医者いらずといわれていますね。

秋、その目をもって、山積みされた旬の林檎を見ていると、ほかの果物に比べ実に色々な形があるのに驚きます。

そして、和林檎など、その形は素朴でとても神々しいと感じることがあります。

今回画集を開き驚いたのは、薫の描く林檎は、色、形すべてが違い、リズムも違い、「私以上に林檎を見ている」「なんて美しいのだろう」ということでした。



ものの哀れということを考えて仕方ない
これは東洋人であるためであろうか

なぐさめあうこと 

今、心の中にあたたかいものがあればそれでよい 僕




薫の底の底の力。

一日たりとも、一瞬たりとも佐橋との別れのこの深い悲しみを無駄にしたくない。そう思い、今までを過ごして参りました。そしてあらためて薫の日本人としての心を今少し垣間見ることができているような気がします。

土壁の床の間に飾らせていただいた薫の柿もいままでにない落ち着きと美しさを放ってくれています。それにお気づきくださるお客様もいらっしゃいます。


再度、佐橋美術店の作品に出会っていただく、佐橋に出会っていただく、そして佐橋とのお別れをしていただく・・そういう展覧会にしたいと思い、「最後の無眼界展」とさせていただいています。

ご都合よろしければ、ぜひお立ち寄りいただきますようお願いいたします。









コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする