つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

奥村土牛の言葉

2023年05月21日 | 牛島憲之
佐橋も私も若い頃には、いろいろな画家さんのお宅にお使いに伺いました。

その当時、2人の勤めていた画廊は名古屋に本店、東京に支店を持っていましたので

都内、また鎌倉、大磯などに多く住んでいらした作家さんのお宅に「お使い」に伺う機会も多くあったというわけです。



お届け物をしたり、新しい作品を受け取りに伺ったり、、「画家ご本人のご性格と作品は別々の物」と考えた方が良いとは思いましたが、やはりこちらも人間ですので、先生方のお姿、来客に対するご対応などの印象は強く残り、今もついその感覚で作品を見てしまうということは多くあります。

残念ながら、私自身は牛島さん、奥村土牛さんにお会いしたことはありません。

ただ、奥村土牛さんのお書きになる文章は、大変素晴らしいと普段から思っていて、描かれる作品よりも
文章の方に、土牛さんの人としての深みを直接感じることができ、癒されます。







1979年冬の別冊アサヒグラフに次のような記事があります。
ご覧になりにくいと思いますので、少し抜粋させていただきます。

個性と信念の人 奥村土牛

それだけでなく、お人柄から申しましても、洋画畑の先生方には珍しく、この方がと思うくらいに静かな方でね。
人格者と申しますか、すべての態度や物腰が柔らかで自然なんです。それに謙遜家のうえに寡黙の方で、つまりは
芯の強い、個性と信念の人なのですね。

それが絵の上でもよく現れていると思います。例えば牛島さんの色彩ひとつにしてもです。ちょっと見た目には非常に
淡いようですが、よく見るとその淡さの中に、深みともうしますか、口ではいえない複雑な奥深さがどの作品にも
色濃く出ているのです。これだけはちょっと真似できません。それだけに制作なさる気構えと申しますか、ご苦労は
決して並たいていの物ではございませんでしょう。

風景や他の作品でもいえることですが、いったん、一つの対象を選ぶと後は他のことを考えず、そのもの
ひとすじにぶつかっていかれるという気迫が感じられましてね。私は、牛島さんの、そんな一途なところが好きなんです。
自分でもそうありたいと思っております。

洋画家では、いま一人、先日亡くなられた岡鹿之助さんの作品も好きでしてね。それがどう申しますか、このお二人の
作品からは、不思議に東洋的な感じを受けるのです。とにかく、このお二人だけは、洋画家の中で私の最も好きで
尊敬する画家なんです。

牛島さんは、岡さんと同じように、風景などを描かれるときは、現場ではデッサンだけで、画室にお帰りになってから
制作をなさるということです。・・・・そのようなお二人の手法にしても、私たち日本画家の制作過程と相通じる面が
あるわけですね。

それに、見ればすぐわかりますが、牛島さんの絵は一見リアルな感じですが、そこには随分深い味わいがあるということです。
これは、写生をしつくしたうえで、完成した形の中に、複雑な自然そのものの内側というようなものが表現されているのだと思います。非常に格調の高いものになっています。






苦労や悲しみ。
そんな簡単な言葉で処理されるものではなく、人はいつもその内に何か「うごめくもの」を内包しながら、それでも真っ直ぐに生きている。

牛島作品の表現の本当はそんなところにあるのではないか?と今の私は考えています。





そして、大変な手前味噌ですが、その牛島が「初日」とタイトルを付けたこの作品にも
牛島の晩年の本当は深く刻まれていると感じています。

今日、明日、お休みを頂戴いたします。

今週火曜日からは少し営業時間の変更をさせていただくことがございますので
ご来店の際には、ご予約かお電話を頂戴いたしたく存じます。

まことに勝手を申し上げますが、よろしくお願い申し上げます。






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今週の佐橋美術店

2023年05月16日 | 冨田渓仙
昨日、今日と出社していますが、落ち着いて店内を見渡してみますと展覧会時と内容にそれほど変化がないようにも思えてしまいました。

ですから新しい作品だけ、少しご紹介申し上げます。






ショーウィンドウに佐野繁次郎の「ボンボン売り」を飾らせていただきました。

前をお通りの方達の目を引くのか?思ったより多くの皆さんが足を止めてくださっています。



そして、エントランスには牛島憲之の小品と
久しぶりにお軸を当店でパネル仕立てにさせていただいた作品を飾らせていただきました。










冨田渓仙の「寒牡丹図」

お軸の状態で仕入れさせていただきましたが、長ものになっていて少し間伸びした印象を受けましたので、
思い切って、表装屋さんに周りに細い棹で額を作っていただいてパネル調に仕上げていただきました。

ガラスやアクリルが入っておりませんので、大変軽く、扱いも簡単です。










額と作品パネルの隙間には、下地に布が貼ってあります。

表装屋さんはピンク系統の色をご提案くださいましたが、私たちの趣味で「ここは茶色で!」とお願いしました。

作品内に使われている枝の色などに反応して作品が締まって見えるはずだと思いました。


この形にしようと決めたものの、出来上がってくるまではドキドキでしたが、
完成品は軸であった時よりも冨田渓仙らしい、いきいきとした印象が強くなり、とても良かったと思っています。




そのまま黄袋に額を縦に入れ、箱に仕舞っていただきます。

段ボールの箱は、摩擦を少なくするよう、作品を横に入れていただくように作ってあります。

共箱の場合は、お軸のがらをそのままお持ちいただくか?箱の部分だけ(作家が箱書きをした軸箱のふた)切り取って
段ボールの箱に仕舞っていただくことになります。



今までも同じスタイルで作品をお客様にお納めしておりますが、今のところ問題なく作品をお飾りいただいているようです。


ぜひ一度、ご来店の際などにご覧ください。




冨田渓仙 「寒牡丹図」 絹本 共箱  
サイズ125.5×34.3㎝









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佐伯祐三展 終わり

2023年05月11日 | おススメの展覧会、美術館訪問
今回の展覧会で、佐橋と私が最も良いと思えたのはこの佐伯自身の自画像でした。

斜めに走る線は、デッサンを取る前に引かれたものでなく、
描いた自画像の上に、あとから引かれています。

佐伯祐三展

「自画像としての風景」

このサブタイトルはまことに奥深く、また佐伯という画家を鋭く捉えていて

この展覧会の素晴らしさをよく物語っていると感じられました。







色々な角度から佐伯祐三の技術の高さが実感され






佐伯調に向かう予感を秘めながらも、佐伯のいきいきとした姿を垣間見ることの出来る作品達にも出会える事ができました。







青年の、限りない自己顕示欲と鋭く強い自己否定。

佐伯は、命をかけて見事にそれを描ききり、私達の前に表現をしてみせました。

そして、それは、最も日本人らしく、であったことを忘れてはいけないと思います。


展覧会場をひとり歩きながら、
佐伯には更なる画格を目指して欲しかったという山本氏の言葉が頭に残り、
なぜか心寂しく、、私は冨田渓仙や入江波光、小林古径の待つ自分達の店に早く帰りたいと思いました。

連休中、店に数日ぶりに入った佐橋は、私に開口一番「やっぱりうちの店の作品達は情があって温かい」と言いました。

世界的レベルの芸術という観点からすると、佐伯より藤田嗣治なのです。

けれど、日本的レベルの油彩画の最高峰は間違いなく藤田より佐伯祐三なのです。


佐伯のあんなに苦しい作品達が、私達の心を捉えて離さないのは、彼の作品が「情」や「温かさ」を感じさせる
多くの予感を秘めているからです。本当の日本人の美意識をパリ風景に描いたからです。
その美意識は西洋の方たちにはなかなか伝わりません。





大阪の光徳寺、寺の子として生まれた佐伯の精神とセンス、画力。全ての才能は日本近代洋画の象徴であり、
30歳から先を生きてきた私達は、彼の未来を見てみたかったと悲しくなるのです。


佐伯作品に芸術の本質を見抜き、
年長者として夭折の画家の才能を深く惜しんだ純粋な山本氏の気持ちに、こちらもまた日本人コレクターとしての真の姿を
垣間見ることができます。懐の深さこそ、日本人コレクターが努力を重ね目指すところではないでしょうか。




会場には、お若い男性が多くおひとりでいらしていて、「佐伯祐三」が現代に与えてくれる力を感じさせてくれました。

山本氏のように佐伯の死を惜しむだけではなく、またその先!
もっと歳を重ねて、佐伯の短い命をもっともっと肯定出来る自分に出会いたい、「佐伯は佐伯、これで良いのだ」と感じきれる自分になりたいと、佐伯展に伺い10日を経て今強く思います。



あえて会場の説明もあまり読まず、画集やカタログを読み直さず、佐伯についての記事を書かせていただきました。
読み苦しい部分のございますこと、お許しください。

私としては、一生懸命感じ、考え、書かせていただいたつもりでおります。

そうさせてくれた展覧会でした。

みなさま、ぜひ佐伯祐三展にお出かけくださいませ。



大阪中之島美術館










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佐伯祐三展 2

2023年05月11日 | おススメの展覧会、美術館訪問
今回の展覧会の特徴の一つは、風景画、特に日本の下落合風景作品を多く展示してくださったことだろうと思います。


佐伯といえば、第二期パリ時代とそれ以降の作品が最も評価され、日本の風景は描きにくいと画家本人が言っていたように他の風景画は見落としがちになりますが、今回再び認識を新たにしたのは、やはり佐伯は「線の画家」であるということで、その意味からすると

下落合を描くときに必ず登場するあの電信柱の縦に長く伸びる線の独特の描写。

そして、その縦の線をいかす横に広がる空の表現には、いつの時代も変わらぬ佐伯がいた!と強く感じられました。

「いつの時代も変わらぬ佐伯」という言葉には、佐伯の生きたのはたった30年ほどで、しかも本格的な画家としての製作は5年にも満たない程だったので語弊があるかもしれませんが、

第一パリ〜第二パリ時代にかけての所謂「佐伯調」の到達までの間には、ブラマンクやセザンヌなどに影響を多く受け、表面上はその画風も大きく変化を見せましたので、あえてこの言葉を選ばせていただきました。



さて、夏美散歩🚶‍♀️?編




佐伯の壁といったら、例えば普通はこちらの作品だろうとは思いますが





私はこの作品が好きでした。
この壁と扉には、佐伯の心がよく現れているように思います。

縦と横、線と面。

佐伯の自画像を見るようです。









以前の、今より少し若かった頃の私は、特に第二期パリ時代の作品たちを
この画家の孤独感に胸を締め付けられそうになりながら、
それでもそのセンス、色に感動し、痺れながら眺めていることが出来ました。

けれど、それなりに経験を積み、、
今回出会った2度目のパリの佐伯は、すっかり死に取り憑かれ、がんじがらめになっているように感じられて、とてもひとつ一つの作品に対峙することができませんでした。苦しすぎて、感動がどこかに追いやられてしまいました。







壁や広告の文字は、いつしか文字ではなく、ただの線になっているように見えてきました。

うじゃうじゃとした、短い線を幾重にも描く佐伯は、すでに自分で何をしているかわからない時間を
過ごしていたのではないだろうか?と佐橋とも話しました。








そして佐伯の決着は、案外単純、明快なものであったと思われました。




絶筆となったこの「煉瓦焼」との出会いから、佐伯祐三作品の蒐集を始めた山本發次郎氏に
ついては、以前の中之島美術館さんの紹介の記事に書かせていただきましたが

私は今回の展覧会 「佐伯祐三 自画像としての風景」を拝見し、1番に思い出したのは
山本氏のあの言葉でした。


寂嚴、慈雲、良寛の書を見せて死なせなかつたことは実に残念です。私はこのことだけでも彼の夭折を心から惜しみます」(「佐伯祐三遺作蒐集に就いて」)と残念がり、佐伯が寂嚴や慈雲を見たら、ヴラマンクやユトリロ、ゴッホの傑作に接した場合とも違う、もっと奥の心に触れた衝撃を受けて、画格が一段と高くなったと付け加える。 


つづく

















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佐伯祐三展 

2023年05月10日 | おススメの展覧会、美術館訪問

なんとか拾えたタクシー🚕の乗り込んで、車窓から久しぶりに大阪の街を眺めてみると、とてもスタイリッシュで驚くほどの大都会!

私の大阪のイメージが大きく崩れ、すっかり更新されました🤯



中之島美術館さんについては、少し検索して頂くと沢山情報を得られると思いますので省略させて頂きますが、立地環境も良く、とにかく広くてとっても綺麗でした。














置かれている家具もデザイナーさんによるもので、製作は当店でもお馴染みのカンディーハウスさんが手がけていらっしゃいました。

どこを見ても、全てが最新型の美術館さん、そんな印象を受けました。


けれど、美術館に足を運ぶのは実際には高齢者も多く、また扱うのは結局、過去の芸術品が多いのですから美術館全体にもう少し「手触り感」のようなものがあっても良いのではないか?と感じました。

このままですと、ショッピングモールや駅ビルの商業施設と同じ様に、どこの美術館さんも同じ!になってしまいそうに思うのです。




さて、いざ佐伯祐三展、主に「佐橋散歩編🚶」から。







佐橋は学生時代の美術の教科書に出ていた作品を驚くほどよく覚えています。

この2点も出ていたそうで、懐かしそうに見ていました。

お馴染みの作品たちですが、私は何処かで見た様な?と思い。。




ふと、当店の長谷川利行作品を思い出しました。

佐伯祐三作品の前では、案外あの哀しい利行作品さえも「呑気」に感じたりするものだなと思えました。






佐伯祐三は同じ場所を何度か描くことも多かったようで、この2点についても佐橋はよく見比べていました。

必ずきっと向かって左の作品に軍配は上がるのでしょうが「それは何の差か?構図と空の描き方か?」とか、二点の価格差についてを考える🧐  そんな感じでしょうか。






どの作品も、不自由な足を止めて、佐橋はよく見ていましたが、この2点の小品は特に熱心に見ていたので理由を聞いてみると「可能性があるでしょ」と言うので、ああ、こんな作品が目前にもし出てきたら、、を考えていたのかと笑えてしまいました。やっぱり目線はいつも画商さんです。

お好みは、特に向かって右の作品なのだそうです😊



続く。

多分、明日以降になります・













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