つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

消えてしまったので。。

2024年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム
更新が遅くなり大変失礼致しました。
先週土曜日に新しい記事を公開させていただけたとすっかり思い込み、2日間の休日をのんびり過ごさせていただきました。

今日、午前中にお客様より私の体調をご心配くださるメールをいただいて🤪びっくり!

白昼夢を見てしまったのか????
書いて公開させていただいたと思った記事がどこにも見当たりません💦

がっかり。。。

仕方なく、急いで書き直しをさせていただくことにいたします。

すみません、少しだけお時間をいただきますね。






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絵の中の花たち

2024年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日はお客様がいらっしゃらなかったので、少し画集を見て過ごしました。

一度や二度通り過ぎることはあっても、菊の花を描くことに真剣に取り組んだ画家は近代にそういなかったように感じています。

白い菊は麦僊の手による作品です。麦僊も菊を多く描いています。そして 麦僊の菊は透き通るような美しさを秘めて、この作家晩年の境地をよく表しているようです。






菊という花には、精神性や思想性が宿りやすいのかもしれません。
宗教的な意味の強い蓮の花の方が絵の中ではよっぽど気楽で無責任のように感じられてしまいます。
どう描いても美しい花ということでしょうか?










神泉の菊は益々美しく感じられるのが不思議です。麦僊の菊に比べて「華」装飾性に足りないところがあるように思えますが、「実」その存在感は圧倒的です。形を超えようとする神泉の作品は見れば見るほど見せてくれると言えばよいのかもしれません。華岳の観音様に供えるのなら本物の菊ではなく、この菊だと思えます。











絵の上手い画家に限って、花を描くのが下手という事もよくあることだと感じます。

単に絵が上手いというだけでなく、御舟が天才と言われるのは、その描く絵が一瞬に水仙なら水仙の真に迫ってしまうからだと思います。






徳岡神泉への共感は、多分元々の性質も近く、私は大変強い方だと思いますが、これでも一応女性であるので、女性として捨てたいと願ってきた「嫉妬心」に焦点を当てる時、1番理想としたいのは






以外に平凡に見えるこの画家の描く花たちかなと思えます。(水仙と岩菲です)
さて、どんな画家の作品でしょうか。



人生には何度か、ギリギリのところを歩いているような思いで生きる時間が訪れるのではないでしょうか。
あちらに一歩寄ってしまうと谷底に落ちてしまいそうな。。そんな苦しい迷いの時間です。



神泉はその境地から抜け出す術を探しに探し続け、画鏡を深めていきました。華岳に憧れ、富田渓仙に直接道を問い、勇気を得て進み、長い道のりに得たその解決もまた神泉らしかったと晩年の作品を見て思います。

私自身は、現在のところですが、その答えに「清明、清澄」を掲げたいと思っています。平凡と見える生活の中に美とはなにか?を問い続ける心と言い換えられるかもしれません。


それにしても益々日本画は本当に素晴らしいと思えて参ります。


絵を見ればその描き手の本質が見える。人の真心に触れる。
ひく線を見ればその人の目指すものが見える。宇宙とつながる。

日本画を愛おしむということはそういうことだと思っています。
多くの作品に学び、ぜひ「観る力」をこれからも養いたいと願っています。
芸術に触れること、観る力を養うことは、独りぎりぎりのところを歩くときの命綱になるのだと信じています。
















コメント (3)
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徳岡神泉

2024年06月01日 | 徳岡神泉



昨日は雨が降りそうな曇りの一日で、ご来店のお客様はいらっしゃいませんでした。

展覧会中、接客のお仕事をさせていただくときには事務仕事は難しく、また事務仕事をしだすとお客様とのお話がしどろもどろになることが多いので、かえって今日は事務仕事の日として過ごせ良かったと思います。

先日ご紹介させていただいた今泉篤男著作集に徳岡神泉の章をみつけました。

「徳岡神泉の芸術」という章は1ページ半の短い文章ですので、ここに写させていただこうと思います。


徳岡神泉は現在日本画壇のなかで、他に彼の画風を追随する画家がほとんど見られないほど卓然としてユニークな存在だ。この画家の作風が独特な型式を持っているからというよりも、作情の微妙な深さと厚さは他の画家がまねようとしてまねることの出来ない神泉独自のものだからだろう。それは形と色彩の醸し出す一種幽玄の世界である。

若い頃、徳岡神泉は京都の絵画専門学校をおえたのち、文展に出品して何回か落選の憂き目をみた。その時に彼はなぜ自分の絵が落選するのか解からなかった。そして人と顔を合わせることも回避するような孤独地獄に陥った。
そしてただ一人、京都近郊の野山を歩き廻り、ふと名も知らぬ寺に立ち寄ったりした。そのとき、そこの安置してある仏像を見つめてじーっと対座しているとき、仏像と自分が溶け合うような主客一体の境地を経験した。この経験は仏像に対してだけでなく、その後野原の一本の樹木に向かい合っていても感じるようになったーと徳岡神泉は私に語ったことがある。

その主客一体に溶け合う境地に彼の描く「鯉」があり「菖蒲」があり「富士山」があるのだろう。だからこの画家の表現には、ふしぎに孤独な魂にくいいるしんしんとした深さがある。現今の多くの日本画の見せている単なる視覚的なきれい事に終わらないものがある。

彼は永年京都の等持院に近い質素な家に住みつき、ときたま画因を探して野山を歩くくらいで、ひっそりと画室に籠もったきりの日が多い。画室でも筆をとっている時間よりも、考え込んでいる時間が多いらしい。人と会っても寡黙である。挿話めいたものも全くない。この画家の日常である。ひたすらにひと筋の画想に打ち込み、悩み、考え続けては仕事に向かっている毎日であるようだ。その悩みがまた彼の作品に近代的な表情を加えているのでもあろう。きわめて寡作である。
徳岡神泉のような画家は、今後の日本画壇からは容易なことでは生まれてきそうに思われない。

徳岡神泉の孤独の日常を決して可哀そうなどとは思いません。
若い頃の落選の経験も、その後の孤独の生活も全て徳岡神泉という人に与えられた運命、天命のさせたことなのだろうと思います。それは神泉が心に望んだ画業だとも考えます。

そして、この著者の今泉さんの素晴らしいところは「その悩みがまた彼の作品に近代的な表情を加えている」という一文にあるように思います。

日本は近代化に歩みを進め始めたその時から、神泉と同じ「問題」を一様に抱え始めました。神泉の作品を私たちが今、とても魅力的に感じるのは、その問題や悩みが私たちの心底にふつふつと生きているからです。
現代ではその不安を挑発するような芸術、絵画も沢山ありますが、神泉はきちんとその不安に一つの答えを描き込んでいてくれる。私はそう思っています。その答えを求めてやまなかったこの画家の姿自体が神泉の作品です。それは毎日毎日一生懸命に生き、心ある画家が描いた日本画作品を眺めているうちに必ず見えてくるものだろうと思います。

夕方になってやっとおひとり東京からいらしたオークションにお勤めの女性がお立ち寄りくださいました。随分以前に佐橋のことを知り、それでもどのようにここに立ち寄ってくださろうか?お考えくださっていたそうです。お仕事を超えた、損得を超えたそういった皆さまがお寄せくださるお気持ちが、この店を作ってくれているのだろうと思い、私はいまそのことを強く信じられるようになりました。

今日はとりあえず目標にしていた最後の一日です。
大切に過ごさせていただこうと思います。


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