昨日、今日と一人のお店番が続きましたので、楽しみにしていた中野弘彦の作品集を
パラパラと眺めています。
今年の桜のころに、いくつか中野弘彦の言葉を書き留めておこうと思います。
存在の根源
この世に存在している我々の足元は実に不安定。そのようものの上に生活している。
いつ砕けるか分からない。
にもかかわらず、一ときの禁断の甘い蜜に誘われ、一喜一憂する。
まさに浅き夢見しである。
この世は無常であることを十二分に心得て生きてゆかねばならぬ。
精神性について
浄化されたもの、崇高なるものだけが精神性ではない。
人間の心のさまざま欲望や本能や感情まで真の人間の心をつかまえるのが
精神性の問題、いいかえるならば、芸術性の問題といってもよい。
精神性と芸術性は内容としては結ばれることが多い。
絵画における精神性、即ち何らかの心が作品のなかにあるかないかは比べれがすぐに
わかる。心の「ない」作品は長時間の鑑賞に耐えられない。「ある」作品は
もう一度でも二度でも見たくなる。鐘の音のように余韻さえついてくる。
それは何故か。底の深い心の世界の作品だから、何回観ても飽きない。
むしろ観るたびに観る人の心も深まってくる。逆に心のない作品は目先だけの
ことで終わる。丁度口あたりのよいガムと同じで味がぬければ捨てられて終わるのと
よく似ている。
本質と現象
人間を例をとれば仕事をしたり、遊んだり、病気をしたり、人それぞれ自由に振る舞っている。これらは人間の現象である。仕事、病気など現象即ち表皮を取り払えば人間そのものだけが残る。残されたものは、身体と心で、この二つは人間の本質である。