以前斎藤典彦先生の作品「こまやま」をお求め頂いたお客様よりメールをいただきました。
そのメールと「こまやま=高麗山」についてご紹介させていただきたいと思います。
佐橋様
最近北の方へ行く用がないのでご無沙汰しています。
さて、先日、10月1日の朝日新聞の土曜版を見ていたら、高麗山のことが取り上げられていました。
今の埼玉県辺りに8世紀ごろ高麗郡が置かれたこと、玄武若光という高麗の王子が、(例の斉藤さんの絵にある高麗山の麓?山頂?の)高来神社に上陸し、北へ向かい高麗郡ヘ行ったというようなことなどが触れてありました。
やはり、「こまやま」は高麗山だったんだなと納得した次第です。
「最近北の方へ行くことがないのでご無沙汰しています。」
なんと素敵な書き出しでしょう。
北の方?
お客様のお勤め先から高岳の当店の方角ということですね。
早速朝日新聞を取り寄せることから始めました。
ちょうど一昨日「無眼界展Ⅲ 11月3日~12日」の広告を載せて頂こうと
中部朝日広告さんとお会いしていたので、お願いしてみると
すぐに1日土曜版を届けてくださいました。
この記事によると
○高句麗とは中国東北部から朝鮮半島北部にかけて668年まで約700年間存在した古代国家であり、日本では高麗(こま)と呼ばれ、
多くの高句麗人が日本に渡って来たといわれていること
○続日本書紀には716年、上総(かずさ)など東国7国に住む高麗人1799人を武蔵国に移住させ、
高麗郡を建都したこと(現在の埼玉県日高、飯能市一帯)
○この埼玉県日高市の高麗神社から約70キロ南。
神奈川県大磯町にも高麗王、若光の伝説が残り、町内の「高麗山=こまやま」の麓にはかつて高麗神社と称した高来(たかく)神社が立つこと。
などが書かれています。
また
埼玉県高麗神社はその若光(高麗王)を主祭神として祭り、高麗家系図によると宮司は若光の子孫が代々務め、現在の高麗文雄さんで60代目。
日本で脈々と高句麗の血をつないできたことになるが、鎌倉幕府が滅亡した前後には戦乱に巻き込まれ、断絶の危機もあったこと。
その後は「戦に参加しない」を家訓とし代々高麗家を守ってきた
という文面もあり大変感動しました。
今年は高麗郡建都1300年を記念し、様々なイベントが企画されているそうです。
大磯町こまやまの麓の高来神社から、埼玉県日高市の現在の高麗神社までを歩くウォークイベントまで開催され、多くの方が参加されたとありました。
「こまやま」について、このアドレスから更に詳しい情報を得てみると。。
当店からお求め頂いた作品の題材「こまやま」の名前の由来を推察され、今回この記事で高麗の王子が辿った道に
思いを馳せてくださったお客様のお気持ちが私にも十分実感され、一枚の絵から広がる心の世界に喜びを感じました。
早速斎藤先生にもお知らせしたいと思います。
ここから南でお仕事のお客様、メールを誠にありがとうございました。
またお会いできますのを楽しみにいたしております。
斉藤典彦 4号 「こまやまー秋」 今日の佐橋美術店の応接間より
※先日佐橋がお邪魔した、斎藤典彦先生と奥様の斎藤佳代さんの作品がご覧になれる展覧会のご紹介です。
大阪伊丹市 柿衛文庫 「歩く詩人 ワーズワスと芭蕉」 11月3日まで
イギリスの詩人ウィリアム・ワーズワス(日本ではワーズワースでお馴染み)と芭蕉の作品と、
その両者の共通点「歩く」「旅」のキーワードをテーマに日英の各分野の現代作家が作品を制作、展示するという内容です。