年明けに初詣も兼ねて、熱田神宮の宝物館に伺いました。
ちょうど宝物館では島根県(熱田神宮のご神体である「草薙神剣」が出現した地)に鎮座する出雲大社の
名宝展が開かれていました。
勾玉や太刀、特に国宝の秋野鹿蒔絵手箱の美しさには感激しましたが、やはり一番感動したのは
上の画像の「願開舟」です。
以下宝物館でいただいた資料の抜粋を載せさせていただこうと思います。
「願開舟」がんびらきふね 40.9㎝ 10.6㎝ 江戸時代 出雲大社蔵
木製・素木で中央に内刳りを施し横にずらして開閉する蓋をもった小型船である。
表面には蓋部に 出雲大社様 土佐本山助藤寅年男
船体部に 天明元年 丑の十月十七日 の陰刻銘があり
本体の内刳り部には 15枚の寛永通宝が納められている
土佐本山助藤は現在の高知県長岡群にある地名で、当時この村で疫病が流行した際
村人が出雲大社の加護を求めた
祈願成就するも遥か彼方に鎮座する同大社へのお礼参りは叶わず
代わりに初穂料として寛永通宝15枚を納め吉野川上流の小川から祈りを込めてこの舟を流した
はたして18か月後の天明3年4月27日出雲大社に近い稲佐浜に漂着し、無事同大社に奉納され
時の国造千家俊秀により本山村民の崇敬の念が御祭神に奉告されたという
併せて同大社より社人を現地に派遣し、ことの次第を調査したところ、同村に住む志和九郎左衛門
が願主であることが判明した
吉野川を下り、瀬戸内海を西に向かって漂い、日本海に面する稲佐浜に辿り着く、
その旅程は1000キロmに及ぶ
「御神慮」という言葉もあるが その土地土地の人々が本舟を打ち上げられているのを見つけ
出雲大社に届くように船首を向けて手を差し伸べたのであろう
先人のまごころと同大社への崇敬の篤さを物語る宝物である