東京では二つの展覧会を鑑賞し、名古屋に戻りました。
時間がなかったので同じ日に、足早に・・
しかも、ボッティチェリ展とモランディ展という「イタリア」という共通語以外
なんの脈絡もない意外な組み合わせの二つです。
けれど・・何だかとても良い時間を過ごさせて頂きました。
イタリアルネッサンスの巨匠サンドロ・ボッティチェリ(1444~1510年)の作品は以前から本物をまとめて観てみたいと思っていました。
画集ではわからない部分で、多分、私の好きな画家なのだろうなぁという予感がありました。
土曜日でしたので混雑を覚悟して伺いましたが、
ちょうど3月から同じ上野の西洋美術館で「カラヴァッジョ展」が始まったばかりでしたので
混雑はそちらに流れ、都美術館は人込みで作品が見られないという状況ではありませんでした。
本物は、やはり素晴らしかったです。
ボッティチェリの作品をご覧になって 「嫌い」とか「あまりよくない」とおっしゃる勇気のあるかたも
居ないと思いますが
私にはドーンと心に響くものがあり、観ていて何度か泣いてしまいました。
一言でいうと、「情感」
それから「この人はどんなに絵を描くことが好きだったのだろうか?」という「幸福感の共有」
描かれる人々の眼に手に、足の指に、全てに表情があり、丁寧に描かれる色彩にも
心が満たされていきます。
絵を描く職人であり続けながら、絵を描きつづけて芸術家になっていくこと。
いつの時代も変わらない画家の宿命を深く感じ、考えさせられる時間でした。
そして、そして
20世紀イタリアを代表する画家、ジョルジュ・モランディ(1890~1964年)
私はこの作家のことを何も知らずに出かけました。お恥ずかしながら~です。佐橋に「観ておいたほうがいいよ」と言われ。。
しかも、ボッティチェリのあとに。
東京駅のステーションギャリ―の展示室に入ったとたん、
一番強く感じたのは、「瞑想の世界にいるようだ」ということです。
私は時々ですが、自分の混乱を鎮めたいとおもうとき、瞑想をします。
始めてみると 瞑想というのはとっても簡単で、でもとっても難しいものだということがわかりますが、
上手くすると、「あら?無?」という感覚を味わうことができます。
雑念がふと途切れる瞬間というか、次の雑念がわいてくる間の時間のようです。
上級者はどのような境地にたどり着くのかは皆目見当がつきませんが、
モランディを一目見たとき、「この人瞑想しているのかな?」とまず感じました。
或いは観ている私が瞑想状態になったのかもしれません。
モランディは、まず長い画家人生で、ほとんど同じものしか描いていません。
殆どが静物。瓶や器。
そして、少しの風景。ほとんど売りには出さなかったという花。
こんな展覧会も初めてです。
けれど、どんどん鑑賞をすすめ、静の世界に入っていくと、
瓶やコップが人に見えてきて、愛おしくなり、こちらもまた心が満たされていくのを強く感じ不思議でした。
色彩の美しさ。ほんとに美しい、その色彩の醸し出す、「ゆらぎ」
「静」というのは決して一点に止まっている状態をいうのでなく、
つねに小さな揺らぎなかでバランスをとっている状態の事を指すのだと、モランディの作品を観ると実感させられます。
この小さなゆらぎの連続の世界こそ、瞑想的な世界なのかもしません。
ぜひ、もう一度観てみたい展覧会です。出来たら今度は佐橋と一緒に観たいと思います。
そして、この上の絵葉書にあるような瓶花の作品、欲しい~~~
ボッティチェリ展 東京都美術館 4月3日まで
ジョルジュ・モランディ 終わりなき変奏 東京ステーションギャラリー 4月10日まで
時間がなかったので同じ日に、足早に・・
しかも、ボッティチェリ展とモランディ展という「イタリア」という共通語以外
なんの脈絡もない意外な組み合わせの二つです。
けれど・・何だかとても良い時間を過ごさせて頂きました。
イタリアルネッサンスの巨匠サンドロ・ボッティチェリ(1444~1510年)の作品は以前から本物をまとめて観てみたいと思っていました。
画集ではわからない部分で、多分、私の好きな画家なのだろうなぁという予感がありました。
土曜日でしたので混雑を覚悟して伺いましたが、
ちょうど3月から同じ上野の西洋美術館で「カラヴァッジョ展」が始まったばかりでしたので
混雑はそちらに流れ、都美術館は人込みで作品が見られないという状況ではありませんでした。
本物は、やはり素晴らしかったです。
ボッティチェリの作品をご覧になって 「嫌い」とか「あまりよくない」とおっしゃる勇気のあるかたも
居ないと思いますが
私にはドーンと心に響くものがあり、観ていて何度か泣いてしまいました。
一言でいうと、「情感」
それから「この人はどんなに絵を描くことが好きだったのだろうか?」という「幸福感の共有」
描かれる人々の眼に手に、足の指に、全てに表情があり、丁寧に描かれる色彩にも
心が満たされていきます。
絵を描く職人であり続けながら、絵を描きつづけて芸術家になっていくこと。
いつの時代も変わらない画家の宿命を深く感じ、考えさせられる時間でした。
そして、そして
20世紀イタリアを代表する画家、ジョルジュ・モランディ(1890~1964年)
私はこの作家のことを何も知らずに出かけました。お恥ずかしながら~です。佐橋に「観ておいたほうがいいよ」と言われ。。
しかも、ボッティチェリのあとに。
東京駅のステーションギャリ―の展示室に入ったとたん、
一番強く感じたのは、「瞑想の世界にいるようだ」ということです。
私は時々ですが、自分の混乱を鎮めたいとおもうとき、瞑想をします。
始めてみると 瞑想というのはとっても簡単で、でもとっても難しいものだということがわかりますが、
上手くすると、「あら?無?」という感覚を味わうことができます。
雑念がふと途切れる瞬間というか、次の雑念がわいてくる間の時間のようです。
上級者はどのような境地にたどり着くのかは皆目見当がつきませんが、
モランディを一目見たとき、「この人瞑想しているのかな?」とまず感じました。
或いは観ている私が瞑想状態になったのかもしれません。
モランディは、まず長い画家人生で、ほとんど同じものしか描いていません。
殆どが静物。瓶や器。
そして、少しの風景。ほとんど売りには出さなかったという花。
こんな展覧会も初めてです。
けれど、どんどん鑑賞をすすめ、静の世界に入っていくと、
瓶やコップが人に見えてきて、愛おしくなり、こちらもまた心が満たされていくのを強く感じ不思議でした。
色彩の美しさ。ほんとに美しい、その色彩の醸し出す、「ゆらぎ」
「静」というのは決して一点に止まっている状態をいうのでなく、
つねに小さな揺らぎなかでバランスをとっている状態の事を指すのだと、モランディの作品を観ると実感させられます。
この小さなゆらぎの連続の世界こそ、瞑想的な世界なのかもしません。
ぜひ、もう一度観てみたい展覧会です。出来たら今度は佐橋と一緒に観たいと思います。
そして、この上の絵葉書にあるような瓶花の作品、欲しい~~~
ボッティチェリ展 東京都美術館 4月3日まで
ジョルジュ・モランディ 終わりなき変奏 東京ステーションギャラリー 4月10日まで