つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

菊の節句

2021年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム
9月9日、重陽の節句の日となりました。





お花屋さんが丁度大輪の白菊を届けてくださいました。

撫子も桔梗も、秋の花はみな好きですが、年々菊というお花の力強さ、謙虚さ、美しさ、香りというか匂いに魅力を感じます。

お軸は竹内栖鳳の「村居」を出しました。

今年もあっという間に、この作品の季節がやってきました。

つい最近まで、栖鳳の作品は大変上手いが深みが足りない。

波光、華岳や神泉のような凄みが足りないと思っていました。

ですから、少し栖鳳の所有作品を整理しようと佐橋と話していたところでした。

けれど、こうした「いつもより崖っぷち感の強い時」には、栖鳳の上手さが決して薄っぺらなものではないと感じられます。

それは、丁度、菊の花のような確かさのように思えます。


明日も店を閉めさせていただいて、土曜日には少し作品の掛け替えをさせていただこうと思っております。

病気が本人の「気づき」の機会なら、佐橋の病気は私自身にとっても「気づき」のチャンスなのだろうと思います。

ただ、気づいたところで私たちに修正の時間がどれほど残っているのだろうか?と疑ってしまったりするのが本音のところです。

そんな時、佐橋が昨日こんな言葉を私に送ってくれました。


「ただ今度はああしたい、こうしたいではなく、必然を導き出さなければならない、今はそのための時間だと思えるところまで来ました。」



60代、退院をしたらこうしたい!ああしよう!という欲求で自分を奮い立たせるのでなく、あの入院はこの結果を産むための必然だったのだと自分で深く納得できるような仕事、生き方をこれからしたい、そういう意味であろうと思います。


「気づき」は、今ではなく、未来のいつかの日に起こること。「あの時間には私にとってそういう意味があったのか」と深く納得のいく時の訪れを、佐橋とともに信じていたいと思います。

重陽の節句日に、皆様に優しい秋が訪れ、お障りない時間をお過ごしくださいますことをお祈りしています。








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ブログの更新

2021年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム
火曜日に総勘定元帳を完成させて会計士さんにお届けできたので、ホッと安心、昨日はお休みをいただきました。







元帳の表紙には毎年必ず絵葉書を貼っています。その年に私が通信面を書き損じた幾つかの絵葉書の中から一枚を選んでいます。

今年はセザンヌ!

どんなにミスが多くても、それなりに一生懸命に作成した経理資料を結局丁寧に見てくださるのは、佐橋でもなく、銀行さんでもなく、会計士の先生やあまり歓迎ムードではなく失礼ばかりですが、税務署員さんなのですね。

書き損じ葉書の救済とそうして見ていただく方へ気持ちとして、何となく始めたのがこの葉書貼りです。





さて、お休みをいただくといっても、佐橋の社会保険の手当の申請や病院に着替えを届けるなどして1日が過ぎてしまいますが、ブログの更新をしていないぞぉ〜そろそろ書かなくては!と思い、昨夜になって久しぶりにこの本を取り出しました。




高階先生は大変著名な方ですので、いくつかの評論を読ませていただいてきましたが、いつも私にはちょっと難しいのですね。
というか、この方の文体がどうも私には吸収?しにくいのです。特にいつも読みたいと思っている富岡鉄斎についての部分は
漢文も載っていて、そこでいつも止まってしまいます。
ですから、何度挑戦しても、読むところは一緒。新しいページになかなか進みません。



昨日も、秋らしく涼しくなったので少し長くお湯に温まろうと、この本をお風呂に持ち込みました。

が、危険!!

読んでいるうちに、浴槽の中で寝てしまいました💦

これは、現在1人暮らしをしている私には大変危険なことです。慌てて本を閉じてお風呂から出ました。

気づいてみると、いつもこの本をお風呂場に持ち込んではこうして読まずに出てきてしまっています。







ですからお気に入りのページは湿度でグチャグチャに波打ってしまっています。
高階先生、大変申し訳ございませんm(__)m

せめて、いくつか読ませていただいたうちの、大観についての記載を後日このブログに抜粋させていただき、もうお風呂場にこのご著書を持ち込まないようにしたいと存じます。










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