椿はつぼみをつけるまでは楚々として上品な姿を保っていますが、ある時期を迎えると一斉に開花をはじめ、驚くような数の花をつけ、上品の姿はおろか、なぜか少しグロテスクな印象を見る者に与えます。
そして、咲いた花はやがて生気を失い、色あせるまでギリギリ樹木にぶら下がり、やがてまたほぼ一斉に落下します。
寺田寅彦は「藤の実」という作品で、5月に咲くあの美しい藤の花が、秋になると驚くほどの威力でそのさやから実を飛ばすこと、しかもそれもある時期に突然一斉に行われることに触れ、椿の落下、銀杏の落葉、しいては山火事などの災害、人のケガや病気の亢進などにも「潮時」というものがあるのではないかと述べています。
物理学者であった寺田が、随筆や俳句にもすぐれた作品を残したのは有名ですが、この「藤の実」を読むとき、「近代日本」の思想というものを強く感じ、何か少しホッとするような気持になります。
人が自然の中にいた、自然の一部であるという実感を持っていたのだと思います。
明日店の図書室に並ぶいくつかの画集を開けば、近代日本の画家たちの誰かが、今私が自宅の裏庭の一本の椿の木に感じている「気配」を、見事に表現してくれているでしょう。
例えば徳岡神泉の椿など。
この共感、信頼感こそ近代日本絵画の素晴らしさだと思っています。
いよいよ三月も最後の週になりました。今週もどうぞよろしくお願い致します。
藤の実の実験動画↓