第13日 2004年11月25日(木) 晴 <75番善通寺>
=休養日とし金刀比羅宮と満濃池へ=
5時25分起床、6時からのお勤めは大師堂にあたる御影堂で。
外からの参拝者が見える内陣に座る。吹きさらしなので外気が
入り寒い。団体客を含め50人くらいの宿泊者が参加した。
初めに管長から、「相手を認める心を持てば争いはなくなる」
とのお言葉があった。全員で読経後、管長ほか数人のお坊さん
揃っての声明(しょうみょう)が素晴らしいハーモニーで響き、心に
しみ入る。
お勤めの後、真っ暗な地下に下り、「南無大師遍照金剛」を唱え
ながら左側の壁づたいに進む「戒壇巡り」をする。お大師様誕生
地の真下では、弘法大師直々のお声での語りかけをお聞きする。
戒壇巡りを終えて朝食。連泊が可能になり、不要な荷物は部屋
に置き軽装で出る。まず京都のHさんと善通寺に参拝、読経を済
ませ、8時半に5人が集合する。
全員で、善通寺本堂にあたる金堂内陣に入り、本尊・薬師如来
の周囲を回って拝観する。境内には五重塔もある。
弘法大師生誕のころから繁茂していたという樹齢千数百年の
クスノキの大樹が2本立つていた。生命の尊さと偉大さを感じ
させる巨木である。
西側の御影堂にも参拝してから、市の中心街をJR善通寺駅に
向かう。
善通寺駅9時17分発琴平行きで隣の琴平駅へ。私が琴平に来
たのは昭和33年だったから、もう46年も前になり、その時のこと
はほとんど思い出せない。
土産物店などが並び、門前町らしい雰囲気あふれる参道から
大門をくぐって金刀比羅宮境内に入る。
583段ある階段の下の方にも土産物店が続く。足が不自由な
のか、駕篭で上がる人もいるが、あまり楽そうではない。
特別展を開催中の表書院や、国重文の豪壮な建物、旭社を過ぎ、
さらに上って御本宮に参拝する。
帰宅後、NHK総合TVで、数年に及ぶ御本宮解体修理の模様を
見て、大変な工事だったと知った。
さらに林間を785段上がって朱塗りが鮮やかな奥の院、厳魂社に
詣でる。海抜421mの地に明治38年(1905)建立の檜皮葺の
社殿。そばの岩場に天狗と烏天狗の面が彫られていた。
展望台からは眼下の家並みが一望できるが、讃岐富士は霞んで
いた。
御本宮まで下り、南側の建物にも回る。同行した5人のメンバー。
金毘羅さんは海の神様なので、船の絵を描いた安全航海祈願の
額がたくさん掲額された、吹き抜けの建物があった。
参道まで下り、2軒並ぶさぬきうどん店のひとつに入り昼食。つゆ
が無く、しょうゆを適量かけて食べる。麺は腰が強くておいしいが、
やはりつゆが欲しかった。
琴平駅に戻り、13時11分発の下りで次の塩入まで行く。地図を
持っていないので満濃池への道がよく分からないが、駅は無人で
聞く人もいない。駅前の案内板を見て見当をつけ左の方向に向かう。
今日も暖か。車は少なく、粒の付いたひこばえが色づく田園地帯
の車道を進む、途中で道標もみつかり、満濃池の堰堤横に着いた。
広い水面に周囲の松や色づき始めた広葉樹などが静かに影を映す。
満濃池は、弘仁12年(821)に弘法大師の指導でわずか3ヶ月に
して完成したと伝わる。その後、何回かの決壊と修復を繰り返し、
昭和34年(1959)に現在の規模になり、讃岐五市町の水田を潤し
ている。周囲約8.25㎞、面積約81ha、貯水量1540立方㍍で、
潅漑用ため池としては日本一だという。
そばにある別格霊場17番神野寺に参拝、読経する。納経帳の
番外・別格頁に空きがなくなったので、ここで別格用を購入した。
境内のもみじが数本、逆光に鮮やかな色を見せてくれる。
塩入駅に15時に戻ったが、次の上りは17時7分まで無い。タク
シーを呼んで善通寺正門前まで戻った。もう一度境内をめぐり、
16時過ぎ宿坊に入る。
軽装で休養をとったので肩のこりも消えた。少しだけかいた汗
を温泉で流したが、洗濯は休みとした。思いがけぬ金比羅参りと
弘法大師ゆかりの満濃池に行くことが出来、これもよいお仲間の
お陰と、5人お互いが感謝しあった。
今日もおいしく夕食をいただく。
〈コースタイム〉75番善通寺8:30ー境内参拝ー善通寺駅9:17=
琴平駅9:23ー金刀比羅宮ー奥の院10:45~11:07ー金刀比羅宮ー
琴平駅13:11(遅れ)=塩入駅13:25ー満濃池、別格17番神野寺
14:00~35ー塩入駅15:00~(タクシー)=善通寺正門前ー善通
寺一巡ー善通寺宿坊16時過ぎ
(距離 9㎞、歩行地 善通寺市、琴平町、満濃町、地図、丸亀、
池田、歩数 28,400)
=休養日とし金刀比羅宮と満濃池へ=
5時25分起床、6時からのお勤めは大師堂にあたる御影堂で。
外からの参拝者が見える内陣に座る。吹きさらしなので外気が
入り寒い。団体客を含め50人くらいの宿泊者が参加した。
初めに管長から、「相手を認める心を持てば争いはなくなる」
とのお言葉があった。全員で読経後、管長ほか数人のお坊さん
揃っての声明(しょうみょう)が素晴らしいハーモニーで響き、心に
しみ入る。
お勤めの後、真っ暗な地下に下り、「南無大師遍照金剛」を唱え
ながら左側の壁づたいに進む「戒壇巡り」をする。お大師様誕生
地の真下では、弘法大師直々のお声での語りかけをお聞きする。
戒壇巡りを終えて朝食。連泊が可能になり、不要な荷物は部屋
に置き軽装で出る。まず京都のHさんと善通寺に参拝、読経を済
ませ、8時半に5人が集合する。
全員で、善通寺本堂にあたる金堂内陣に入り、本尊・薬師如来
の周囲を回って拝観する。境内には五重塔もある。
弘法大師生誕のころから繁茂していたという樹齢千数百年の
クスノキの大樹が2本立つていた。生命の尊さと偉大さを感じ
させる巨木である。
西側の御影堂にも参拝してから、市の中心街をJR善通寺駅に
向かう。
善通寺駅9時17分発琴平行きで隣の琴平駅へ。私が琴平に来
たのは昭和33年だったから、もう46年も前になり、その時のこと
はほとんど思い出せない。
土産物店などが並び、門前町らしい雰囲気あふれる参道から
大門をくぐって金刀比羅宮境内に入る。
583段ある階段の下の方にも土産物店が続く。足が不自由な
のか、駕篭で上がる人もいるが、あまり楽そうではない。
特別展を開催中の表書院や、国重文の豪壮な建物、旭社を過ぎ、
さらに上って御本宮に参拝する。
帰宅後、NHK総合TVで、数年に及ぶ御本宮解体修理の模様を
見て、大変な工事だったと知った。
さらに林間を785段上がって朱塗りが鮮やかな奥の院、厳魂社に
詣でる。海抜421mの地に明治38年(1905)建立の檜皮葺の
社殿。そばの岩場に天狗と烏天狗の面が彫られていた。
展望台からは眼下の家並みが一望できるが、讃岐富士は霞んで
いた。
御本宮まで下り、南側の建物にも回る。同行した5人のメンバー。
金毘羅さんは海の神様なので、船の絵を描いた安全航海祈願の
額がたくさん掲額された、吹き抜けの建物があった。
参道まで下り、2軒並ぶさぬきうどん店のひとつに入り昼食。つゆ
が無く、しょうゆを適量かけて食べる。麺は腰が強くておいしいが、
やはりつゆが欲しかった。
琴平駅に戻り、13時11分発の下りで次の塩入まで行く。地図を
持っていないので満濃池への道がよく分からないが、駅は無人で
聞く人もいない。駅前の案内板を見て見当をつけ左の方向に向かう。
今日も暖か。車は少なく、粒の付いたひこばえが色づく田園地帯
の車道を進む、途中で道標もみつかり、満濃池の堰堤横に着いた。
広い水面に周囲の松や色づき始めた広葉樹などが静かに影を映す。
満濃池は、弘仁12年(821)に弘法大師の指導でわずか3ヶ月に
して完成したと伝わる。その後、何回かの決壊と修復を繰り返し、
昭和34年(1959)に現在の規模になり、讃岐五市町の水田を潤し
ている。周囲約8.25㎞、面積約81ha、貯水量1540立方㍍で、
潅漑用ため池としては日本一だという。
そばにある別格霊場17番神野寺に参拝、読経する。納経帳の
番外・別格頁に空きがなくなったので、ここで別格用を購入した。
境内のもみじが数本、逆光に鮮やかな色を見せてくれる。
塩入駅に15時に戻ったが、次の上りは17時7分まで無い。タク
シーを呼んで善通寺正門前まで戻った。もう一度境内をめぐり、
16時過ぎ宿坊に入る。
軽装で休養をとったので肩のこりも消えた。少しだけかいた汗
を温泉で流したが、洗濯は休みとした。思いがけぬ金比羅参りと
弘法大師ゆかりの満濃池に行くことが出来、これもよいお仲間の
お陰と、5人お互いが感謝しあった。
今日もおいしく夕食をいただく。
〈コースタイム〉75番善通寺8:30ー境内参拝ー善通寺駅9:17=
琴平駅9:23ー金刀比羅宮ー奥の院10:45~11:07ー金刀比羅宮ー
琴平駅13:11(遅れ)=塩入駅13:25ー満濃池、別格17番神野寺
14:00~35ー塩入駅15:00~(タクシー)=善通寺正門前ー善通
寺一巡ー善通寺宿坊16時過ぎ
(距離 9㎞、歩行地 善通寺市、琴平町、満濃町、地図、丸亀、
池田、歩数 28,400)