あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(後編)・香川その3

2006-12-21 21:28:47 | 初めての四国遍路
 第13日 2004年11月25日(木) 晴 <75番善通寺>
 =休養日とし金刀比羅宮と満濃池へ=
 
 5時25分起床、6時からのお勤めは大師堂にあたる御影堂で。
外からの参拝者が見える内陣に座る。吹きさらしなので外気が
入り寒い。団体客を含め50人くらいの宿泊者が参加した。

 初めに管長から、「相手を認める心を持てば争いはなくなる」
とのお言葉があった。全員で読経後、管長ほか数人のお坊さん
揃っての声明(しょうみょう)が素晴らしいハーモニーで響き、心に
しみ入る。

 お勤めの後、真っ暗な地下に下り、「南無大師遍照金剛」を唱え
ながら左側の壁づたいに進む「戒壇巡り」をする。お大師様誕生
地の真下では、弘法大師直々のお声での語りかけをお聞きする。

 戒壇巡りを終えて朝食。連泊が可能になり、不要な荷物は部屋
に置き軽装で出る。まず京都のHさんと善通寺に参拝、読経を済
ませ、8時半に5人が集合する。

 全員で、善通寺本堂にあたる金堂内陣に入り、本尊・薬師如来
の周囲を回って拝観する。境内には五重塔もある。


 弘法大師生誕のころから繁茂していたという樹齢千数百年の
クスノキの大樹が2本立つていた。生命の尊さと偉大さを感じ
させる巨木である。


 西側の御影堂にも参拝してから、市の中心街をJR善通寺駅に
向かう。

 善通寺駅9時17分発琴平行きで隣の琴平駅へ。私が琴平に来
たのは昭和33年だったから、もう46年も前になり、その時のこと
はほとんど思い出せない。

 土産物店などが並び、門前町らしい雰囲気あふれる参道から
大門をくぐって金刀比羅宮境内に入る。


 583段ある階段の下の方にも土産物店が続く。足が不自由な
のか、駕篭で上がる人もいるが、あまり楽そうではない。

特別展を開催中の表書院や、国重文の豪壮な建物、旭社を過ぎ、
さらに上って御本宮に参拝する。

帰宅後、NHK総合TVで、数年に及ぶ御本宮解体修理の模様を
見て、大変な工事だったと知った。

 さらに林間を785段上がって朱塗りが鮮やかな奥の院、厳魂社に
詣でる。海抜421mの地に明治38年(1905)建立の檜皮葺の
社殿。そばの岩場に天狗と烏天狗の面が彫られていた。


 展望台からは眼下の家並みが一望できるが、讃岐富士は霞んで
いた。

 御本宮まで下り、南側の建物にも回る。同行した5人のメンバー。


 金毘羅さんは海の神様なので、船の絵を描いた安全航海祈願の
額がたくさん掲額された、吹き抜けの建物があった。

 参道まで下り、2軒並ぶさぬきうどん店のひとつに入り昼食。つゆ
が無く、しょうゆを適量かけて食べる。麺は腰が強くておいしいが、
やはりつゆが欲しかった。


 琴平駅に戻り、13時11分発の下りで次の塩入まで行く。地図を
持っていないので満濃池への道がよく分からないが、駅は無人で
聞く人もいない。駅前の案内板を見て見当をつけ左の方向に向かう。

 今日も暖か。車は少なく、粒の付いたひこばえが色づく田園地帯
の車道を進む、途中で道標もみつかり、満濃池の堰堤横に着いた。
広い水面に周囲の松や色づき始めた広葉樹などが静かに影を映す。

 満濃池は、弘仁12年(821)に弘法大師の指導でわずか3ヶ月に
して完成したと伝わる。その後、何回かの決壊と修復を繰り返し、
昭和34年(1959)に現在の規模になり、讃岐五市町の水田を潤し
ている。周囲約8.25㎞、面積約81ha、貯水量1540立方㍍で、
潅漑用ため池としては日本一だという。

 そばにある別格霊場17番神野寺に参拝、読経する。納経帳の
番外・別格頁に空きがなくなったので、ここで別格用を購入した。
境内のもみじが数本、逆光に鮮やかな色を見せてくれる。


 塩入駅に15時に戻ったが、次の上りは17時7分まで無い。タク
シーを呼んで善通寺正門前まで戻った。もう一度境内をめぐり、
16時過ぎ宿坊に入る。

 軽装で休養をとったので肩のこりも消えた。少しだけかいた汗
を温泉で流したが、洗濯は休みとした。思いがけぬ金比羅参りと
弘法大師ゆかりの満濃池に行くことが出来、これもよいお仲間の
お陰と、5人お互いが感謝しあった。

 今日もおいしく夕食をいただく。

〈コースタイム〉75番善通寺8:30ー境内参拝ー善通寺駅9:17=
琴平駅9:23ー金刀比羅宮ー奥の院10:45~11:07ー金刀比羅宮ー
琴平駅13:11(遅れ)=塩入駅13:25ー満濃池、別格17番神野寺
14:00~35ー塩入駅15:00~(タクシー)=善通寺正門前ー善通
寺一巡ー善通寺宿坊16時過ぎ

(距離 9㎞、歩行地 善通寺市、琴平町、満濃町、地図、丸亀、
 池田、歩数 28,400)
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四国遍路道ある記(後編)・香川その2

2006-12-20 21:10:04 | 初めての四国遍路
 3日間休みましたが、一昨年の四国遍路レポートを続けます。

 ==========================

 第12日 2004年11月24日(水) 晴
 <70番本山寺~75番善通寺>
 =お大師様誕生の地へ=
 
 5時50分起床、6時35分朝食。7時13分に若松屋別館を出て、
新琴弾橋の手前から財田川左岸堤防を東に向かう。対岸の道は
朝の出勤時で車が多いが、こちらは少なくて歩きやすい。


 北側の七宝山には日が差し込んできたが川沿いはまだ。今朝も
冷えて寒い。4つの橋を通過し、JR予讃線の下をくぐり、次の橋を
渡った突き当たりが、70番本山寺(もとやまじ)。門前に托鉢僧が
立っていた。

 広い境内には、国宝の本堂、四国では珍しいという五重塔など
がバランスよく配置されている。

 大師堂へは靴を脱いで上がり読経、お堂の背後に弘法大師修行
の岩屋があり、納経所も大師堂内。透かし彫りの重厚な木彫が
すばらしい。托鉢僧に100円托鉢して寺を出た。

 本山甲の町並みを抜け、国道11号に出ると車が多い。1㎞ほど
先で右側に旧道があったので入った。1㎞ほどの間で車は1台も
通らず、「四国のみち」にもなっており、こちらを通るのが正解だ。

 国道に戻り、間もなく西側の池の横に下り、1.5㎞ほど加茂の
町並みを進む。京都の女性もすぐ後に見えた。

 JR高瀬駅前通りの先で国道に出て、コンビニ、ポプラで昼食を
調達する。

 西側の県道221号に戻ると、すぐ先に京都の女性がいたので
追いつく。今日もうららかな小春日和、田園や古い民家の間の
気持ちよいへんろ道である。大屋敷集落を過ぎると上り道となり、
大門を過ぎて傾斜が強まる。

 弥谷山の山腹にある71番弥谷寺(いやだにじ)は、山門を入っ
て桜や杉、モミジなどの間を縫って、530段の石段を上がって
行く。予想外の上りで汗が出る。

 山門から最上部の本堂まで13分かかった。本堂からは南方の
眺めがよい。途中まで下りて大師堂に参拝する。

 山門の下に俳句茶屋という古い茶店がある。ショウガ湯のお
接待を受けたので草餅も食べる。名前の通り、茶屋の障子には
たくさんの句が墨書されていた。

 茶屋の少し先から南東へのへんろ道に入る。広葉樹林から竹
林へトラバース、さらに混交林を下って小さい池のほとりに出た。
南側に回って木の下にシートを広げて昼食にする。

 後からの善通寺宿坊での夕食時、誰かに、『あそこには「まむし
注意」の表示があったよ』と聞いたが、その時は気づかなかった。

 高松自動車道をくぐり、側道を少しで大池ともう一つの池の間を
進む。国道11号に出て東へ。県道48号に入り、三井之江バス
停横のへんろ道を進んで、72番曼陀羅寺に着いた。

 山門を入ったところに、昔の本堂に上がっていたという大きな
鬼瓦がある。本堂の前には、西行大師が昼寝したと伝えられる
昼寝石があるが、気づく人は少なそう。境内の桜が色づいている。


 ミカン畑の横を南に上がれば73番出釈迦寺(しゅっしゃかじ)
は近い。そう広くない境内に本堂と大師堂が並ぶ。

 納経所にザックを預け、奥の院に上がることにした。民宿岡田
で同宿だった京都の若人も、上がってきたとのことで行き違う。

 新しい奉燈石が並び、アジサイや丁石の間の簡易舗装の急坂
を上がる。弘法大師お加持水・柳の水があったので飲み、さらに
急坂を進むと出釈迦寺禅桜と呼ぶ、ここだけの八重の山桜が
あった。

 次第に広がる讃岐平野の展望を振り返りつつ上がる。西行法師
腰掛石を過ぎ、本堂の横から30分あまりで奥の院、拾身ヶ嶽禅定
(しゃしんがたけぜんじょう)に着いた。

 我排師山(481m)の鞍部にあり、讃岐平野や南側の山並みの
展望が絶景。

 弘法大師はここで、虚空蔵菩薩のご真言を百万回唱える求聞
持法を修めたという。

 200m奥には、弘法大師が7歳の時に我が身の価値を問い
かけて身を投げたが、天女に抱き留められたという断崖の行場
があるようだが、上り口が分からず行けなかった。20分あまり
で納経所まで戻り出釈迦寺を出る。

 曼陀羅寺の横を通り東へ。弘階池の北を回る。風もなく穏や
かな一日が暮れようとしており、自分の影が長く前方に伸びて
きた。

 甲山(87m)の東に回り、川沿いの74番甲山寺(こうやまじ)
に入る。山門の両側に白壁土蔵が続いている。境内はあまり
広くなくそぼくな寺だ。


 納経を終えたら、60番横峰寺で一緒になった東京のTさんが
着き、ミカンを2つもらう。

 先に出て南方に進み、16時40分、弘法大師誕生の地、75番
善通寺に着いた。

 道を挟んだ東西に老松が目につく広い境内。参拝は明日にして、
ちょうど到着した京都の若人、Hさんと宿坊に入る。今日の宿は
善通寺宿坊である。

 建物は大きく、部屋も8畳ある。温泉の大浴場で汗を流し、4台
ずつある無料の洗濯機、乾燥機を使わせてもらう。廊下やトイレ
は、人が近づくと照明がつくという省エネ設備になっている。

 民宿岡田に同宿した7人中の6人がまた揃った。京都のHさん
のほか、愛知のUさん、広島のHさん、東京のKさん、京都のIさん、
それに私である。

 17時半からの夕食をおいしくいただいた後も、19時近くまで話
がはずみ、広島のHさん以外の5人が、もう1泊して金比羅さんと
満濃池に行こうということになり、明朝、連泊をお願いすることに
した。暖房もよく利き、ふとんもきれいでよい宿坊である。

〈コースタイム〉若松屋別館7:13ー70番本山寺8:12~39ー高津
神社9:46ーコンビニ・ポプラ10:20~26ー71番弥谷寺11:16~12:02
ー俳句茶屋12:02~15ー高松自動車道北の池(昼食)12:31~50ー
72番曼陀羅寺13:22~ー73番出釈迦寺13:53~14:08ー奥の院拾
身ヶ嶽禅定14:40~55ー出釈迦寺戻り15:17~22ー74番甲山寺
15:58~16:18ー75番善通寺16:40ー善通寺宿坊16:45

(距離 28㎞、歩行地 観音寺市、豊中町、三野町、善通寺市、
 地図(1/5万) 観音寺、仁尾、丸亀、歩数 47,900)
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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その16/香川その1

2006-12-16 17:20:23 | 初めての四国遍路
 第11日 2004年11月23日(火) 快晴
 <66番雲辺寺~69番観音寺>
 =四国霊場の最高地へ上がり香川県へ=
 
 5時30分起床、おむすび2つのお接待をいただき7時8分に
民宿岡田を出る。親父さんが、見えなくなるまで見送ってくれた。


 濃いガスで視界は100mくらい。いよいよ四国霊場の最高地、
標高910mへの上りである。親父さんの話では、660m㍍まで
上れば、あとは車道だとのこと。徳島自動車道の下を抜け、山道
に入る。

 広葉樹の落ち葉道は直線的な急登が続くので、ゆっくりと上がる。
後発した同宿者に抜かれ、後方を追うようになる。木の間越しに
雲の上に出たのが分かり、日が差し込んできた。

 送電線の下を走る車道に出ると、南側の山並みに雲海が長く
たなびき、素晴らしい眺め。いつの間にか一緒になった同宿の
4人で感嘆しながら見る。


 以後しばらく一緒に車道をゆっくり上がる。途中2度ほど車道沿い
のへんろ道も通過、4人は少しずつ分かれ、下から2時間ほどで
66番雲辺寺に着いた。

 杉木立の並ぶ広い境内は、山上の聖地という雰囲気。高度もある
のでひんやりとした冷気(霊気?)を感じる。大師堂への道には石の
奉燈碑が並んでいる。次へ進むへんろ道では、五百羅漢がいろんな
表情で見送ってくれていた。


 2つ並ぶマイクロ波のアンテナ塔の下を過ぎると下り道となる。下り
は、雲辺寺ロープウェイ横から萩原寺への道もあるのだが、稜線を
さらに進んで新池、岩鍋池経由の道を選んだ。

 稜線上の歩きやすいへんろ道には県境の標識もなく、知らずの
うちに徳島県池田町から香川県観音寺市に入った。

 他の人はどんどん先に下ってしまい、同宿の京都の女性とゆっくり
と下る。樹林が切れて北側の展望が開けたところにベンチがあった
ので休む。1時間半ほどでミカン畑のそばの車道に下った。

 この辺りの田んぼに、大きなタマネギが土をかぶせずに植えてある。
作業中の家族が居たので聞いたら、京都の大手種苗業のタキイと
契約し、タマネギの種を取るために植え、収穫は来年7月とのこと。

 あちこちで放置した休耕田が目につく中、休耕田を活用した新し
い収益源として感心した。

 民宿青空の先で、京都の人は電話するというので先行する。番外
霊場白藤大師堂を通過、ひこばえの色づく田んぼを見下ろしながら
進む。今日もポカポカ暖かく、のどかな里歩き日和である。

 奥谷辺りには丁石がよく残されており、花を供えたり屋根をかけ
たりしていて、地元の人々の厚い信仰がうかがえる。


 水のない岩鍋池まで下ると前方の展望が開け、観音寺市街の東に
そびえる七宝山が島のように霞んで見える。大原自治会館前には、
元治元年(1864)銘の大きな常夜灯や石仏が並んでいた。

 12時15分、白木の山門に古い仁王と大わらじの納まった67番
大興寺に入る。山門の奥、石段下に樹齢1200年という大カヤと
大ケヤキが立つている。同宿だった男女3人が出入りし、後から
京都の女性も着いた。

 納経後、ベンチで昼食。また京都の女性だけとなり、一緒に出る。
一ノ谷池の南まで田んぼの間を進み、原町の住宅地に上がって
西に向かう。

 池之尻町の心光院に集会所のような建物があったので、ぬれ縁
で休憩させてもらった。

 高松自動車道の近くに、大多喜という手打ちうどんの店があっ
た。おむすび2つの昼食ではやや不足気味なので入ろうかと思っ
たが、この先、観音寺の納経に遅れてはと思い通過した。

 自動車道の北には、大小のケーブルドラムを並べてテーブルと
いす代わりにした「お遍路さん休憩所」が2か所あった。京都の人
はスーパー・マルショーに寄るというので先行する。

 観音寺市の中心街が近づく。JR予讃線を越えたところに元首相、
大平正芳記念館があった。市街に入りT字路を左折、すぐ先の
若松屋別館に15時半近くに着いた。

 荷物を預けて68、69番を打つことにする。おかみさんから、「公園
の展望台に上がって銭形も見てきたら」と、地図をもらう。


 財田川の新琴弾橋を渡り、琴弾八幡宮の東を進んで、68番神恵院、
69番観音寺へ。同じ境内に2つの霊場があるのはここだけである。


 神恵院の本堂は四角いコンクリート造りの新しい建物(上の写真)。
観音寺の大師堂前には太いクスノキがあり、大きく枝を広げていた。


 後方に上がり自動車道を回って、赤松の多い琴弾公園の最上部に
ある展望台に行く。


 眼下の有明浜に、寛永通宝を砂で形どった大きな銭形が見下ろせる。

 寛永10年(1633)、丸亀藩主歓迎のため一夜にして作ったと伝え
られ、「この銭形を見た人は、健康で長生きできてお金に不自由しな
くなる」といわれているとか。長生きはともかく、あとはそうあって欲しい。

 大きさは東西122m、南北90mの楕円形のようだが、展望台から
は丸く見える。

 ちょうど夕日がその左手に落ちようとしており、海面が金色に輝く。
自動車道をぐるりと回って琴弾八幡宮前に下り、橋を渡ろうとした
とき、太陽が沈んだ。


 16時57分、若松屋別館に戻り、古いががっちりした建物の3階の
間に荷を下ろす。前夜同宿の愛知の男性と京都の女性も一緒。無料
の洗濯機を借り洗濯をする。

 入浴が遅れ、18時からの夕食が、18時半過ぎとなり、食堂に行っ
たら4人の宿泊者はすでに食べ終えていた。感じの良いおかみさん
で、夕食もおいしかった。

〈コースタイム〉民宿岡田7:08ー稜線の車道へ8:19~21ーへんろ道入口
の三差路8:47ー66番雲辺寺9:03~35ー下り道のベンチ10:30~40ー
ミカン畑の車道へ11:02ー番外白藤大師堂11:30ー67番大興寺(昼食)
12:25~13:17ー大通寺14:15~22ー高松自動車道下14:35ー若松屋別館
15:26~30ー68番神恵院・69番観音寺15:40~16:23ー琴弾公園ー若松屋
別館16:57 

(距離 25㎞、歩行地 池田町、香川県観音寺市、地図(1/5万) 伊予
 三島、 観音寺、歩数 47,900)
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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その15

2006-12-15 18:40:47 | 初めての四国遍路
 第10日 2004年11月22日(月) 晴 <65番三角寺>
 =別格霊場・椿堂から徳島県へ=
 
 5時45分起床、6時20分朝食、7時7分に旅館つるやを出る。
 
 伊予三島駅の南に回り、国道11号バイパスにあるコンビニ・サー
クルKで昼食を買う。サークルKは何度目だろうか、同じメニュー
であきるが他にないので仕方ない。


 中曽根町からへんろ道に入る。松山自動車道の南に出て側道
を東へ、発電管理所の横で側道を離れた。

 水力発電所の先にあった戸川疎水記念公園で小休止。桜の下
に、遍路を供養した「文化の大乗妙典一石一字塔」や光明真言
二百万扁を記念した道しるべなどがある。


 車道を離れ簡易舗装の急坂を上がって行くと、背後に三島の
市街地が一望。製紙工場の煙突からまっすぐな煙が上がる。

 かなりの急坂が続くので折り畳み杖を出す。

 今朝、不要な荷物を宅配便で自宅に送り返したので、肩の負担
はいつもより軽く感じる。車道に出たら台風被害の崩落地があり、
車は通行止めになっていた。

 ほどなく65番三角寺。樹木の多い山の中腹にあり、落ち着いた
たたずまい。

 山門に下がる鐘を突いてから参拝、しかし、20数人の団体が
本堂、大師堂の参拝場所を占拠?し、ローソクや線香をあげる
のもはばかられ、待つ。

 あとから引率者が「待たせて済みません」と別のご夫婦に謝って
いたが、その気があるなら、他の参詣者の参拝できるスペースを
空けておくマナーが欲しい。

 境内に桜の古木があり、モミジの紅葉がよい彩り。若い寒桜も
咲いていた。女性、男性の歩き遍路もおり、前後して参拝、読経
する。

 下りの車道に入り、涼しい杉木立の間を抜けると、再び三島の
町並みと瀬戸内海の展望が広がる。


 平山集落の入口に、旅籠屋「島屋跡」の説明板、すぐ近くには
「土佐街道」の石碑と、へんろ道の標石、石仏などが並んでいた。

 下からの車道に合した下山田に、「ゆらぎ休憩所」という遍路休憩
所があったので休む。

 今夜同宿という女性遍路が先着していて先に出た。先方はるかに、
明日上がる雲辺寺の山並みが見えるが、あれを上るのはかなり
手強そうだ。


 稲を干すはさ掛けの並ぶ棚田の横を進む。横川の集会所のよう
な建物に、「万人幸福の栞十七か条」というのが掲げてあった。

 高知自動車道の法皇トンネル北側をくぐって古下田へ。この辺り
も棚田のひこばえが、収穫前のような黄金色の彩りを見せていた。
 
 のどかな里道。ポカポカとちょうどよい陽気が気持ちよい。

 別格14番霊場椿堂こと浄福寺に正午に着いた。弘法大師がこの
庵を訪れ、手にした杖をさして祈ったところ流行の熱病が去り、杖
から椿の芽が出て成長し、椿堂と呼ぶようになったという。

 先行の女性遍路がベンチで食事中。納経後、私も昼食をした。
途中で知り合ったらしい若い男性と中年男性の歩き遍路も来て先
に出る。いずれも今日同宿とのこと。

 国道192号に下り、車が高速で行き交う道を進む。歩道はある
のだが右、左と入れ代わりわずらわしい。ムクロジの実が黄色く
色づき始め、白い山茶花の咲く民家が多い。国道は金生川沿いに
進む。

 次第に上り道となり、両側の山並みは黄色系の色づきが始まっ
ている。七里バス停から南側のへんろ道に入った。

 細い車道の杉林を進むと、数戸だけの泉中集落に「峠口0.1㎞」
の表示がある。上がってみたら小さい祠があった。ここが愛媛・
徳島県境の境目峠らしい。東側は徳島県池田町である。

 一車線の車道を下って行くと、「中津山道」の古い石標が立つ。
境目トンネルを出た国道192号に下り、佐野の大宗谷バス停の
そばから左に入る。

 佐野小の先にあった今日の宿、民宿岡田に15時前に着いた。
宿のおやじさんに「早くて済みません」と言ったら、「もうみんな
着いていて、あんたが最後だよ」と言われた。

 申込みが遅かったのか部屋は裏手の三畳の間。でも、寝るには
十分なスペースだ。風呂も洗濯も一番最後になった。

 18時過ぎからの夕食には、いずれも初めてのひとり歩きの遍路、
男5人、女2人が集う。75歳と言うが、ご飯のお代わりを察して
サッと来てくれる身の軽い親父(岡田明)さんを中心に、この先の
宿や道筋の情報、おいしい讃岐うどんのことなど、賑やかな食卓。

 それぞれが持っている情報も出し合い、へんろ地図上に良い宿、
?の宿にマークしたりして、食事を挟んで一時間以上も話がはずみ、
大変楽しい夕食の席だった。

 男性は、犬山市の明治村で案内しているという人、同じ愛知県
の人、ひげをつけた広島の人、京都市内の31歳の若人、そして私、
女性は東京と京都の人である。

 部屋の壁には、宿泊した人たちからの写真がたくさん貼ってある。
その中に津軽三味線奏者・月岡祐紀子さんのものもあった。月岡
さんは、初めて泊まったときに、おかみさんから洗濯の仕方が悪い
と叱られたが、翌年来たらおかみさんは亡くなったと聞き泣いたと、
親父さんは話してくれた。

 結願後、日を改めてお礼参りしたいと考えていた高野山町石道
の地図があったので、1枚もらう。枚方市の大野さんが作成し、
置いて行かれたものである。

〈コースタイム〉旅館つるや7:07ースーパー・サークルK7:39~42
ー戸川疎水公園8:15~21ー65番三角寺9:25~10:00ー堀切峠へ
の三差路10:37ーゆらぎ休憩所10:58~11:20ー常福寺・椿堂(昼食)
12:01~56ー境目峠14:15ー民宿岡田14:57

(距離 20㎞、歩行地 四国中央市、徳島県池田町、地図 伊予
 三島、歩数 38,400)
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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その14

2006-12-14 21:27:58 | 初めての四国遍路
 第9日 2004年11月21日(日) 快晴後晴
 =古くからの街道をたどる=
 
 5時50分起床、6時10分部屋で朝食。宿帳の記入もなく、「早朝
は不在なので通用口から出て下さい」と昨日言われていたので、
キイをカウンターに置いて7時4分に西条グランドホテルを出る。

 国道11号を1㎞足らずでY字路を右へ、長屋敷集落に入る。
電源開発の変電所の先で室川を渡った。新しい大師堂のところに
六地蔵が並び、「六地蔵の接待跡」の標識が立っていたが、その
由緒は書いてなかった。

 国道11号に戻ると、上下各2車線で歩道も広くなっていたが、
それも伊予西条IC付近だけ、渦井川の橋の手前で上下1車線に
なった。間もなく新居浜市入り、喜来のY字路の「旧街道」の表示
に従い国道の南側に平行する旧道へ。

 岸の下集落で、前方から車で来た奥様からミカンを2つお接待
いただいた。萩生に入ると、街道の南側にあるお寺の塔の壁面に
目が描かれた変わった建物が見える。


 東川の手前に、「お遍路さん御休み所萩生庵」があった。民家
のガレージを接待所にしたもの。休ませてもらい用意してあった
ポットのお茶をいただき、置いたあったノートに記帳する。

 ノートによればこの庵は、高橋さんご夫妻が最近始められたもの。
写真を撮って出ようとしたら、奥様が出てこられた。

 気品あるお顔だちの方、お話ししたかったが、お出かけのため
呼んだタクシーが来ていたので、写真を撮らせてもらい失礼した。

 少し先の中萩小で、地区文化祭が始まろうとしており、周辺の
人たちが続々と集まってくる。さらに進んだ上部乳児保育園の
一角には、「旧国鉄第4代総裁十河信二出生地」の碑が立って
いた。


 宮原町のスーパーバリューで、トイレを借り昼食を買う。いつもの
コンビニ弁当と違う品があった。その先の喜光地商店街は、この
程度の町並みとしては珍しいアーケードになっており、中間の広場
で野菜などの青空市を開いていた。

 山下さんに寄るよう勧められた遍路用品の泰峰堂を探したら、
国領大橋の手前を南に入ったところにあった。しかし日曜日なの
で休業のため入れなかった。

 国領の町中で奥様から、「ジュースでも買って」と200円のお接待
をいただいた。客谷大橋北交差点の先からは、車の交通量が減っ
てひと安心。雲が次第に増え、風がちょっと冷たくなった。


 池田で声をかけてきた奥様は、息子さんが、わが所沢市の南、
東村山市に住み、大卒後、自転車で四国遍路をしたら良い会社
に就職できたと喜んでいた。

 この辺りは、きれいに仕立てた松が何本かある立派な家が多い。

 少しずつ上りとなり、新居浜ゴルフ場の横から松山自動車道の
側道に上がった。振り返ると新居浜市街の展望がよい。


 この先も、過日の台風被害による土石流の爪跡が何か所か見
られた。

 側道を1.5㎞ほどで下りとなる。捨て犬らしい3匹の子犬がつい
てきた。困ったな思ったが、300mほどであきらめてくれた。

 泉集落には、コンクリート製の水おけが何か所か見られ、きれ
いな水があふれ出ている。地名どおり、どこからかわき出る泉の
水を配水しているのだろうか。


 関川小の校門が開いていて、そばに石のベンチといすがあった
ので、無断で入り昼食をさせてもらう。横の桜は90年を越えている
と記され、見事な枝振りだ。

 歩き出して間もなく、自販機で飲物を買っていた男性の横を通
ったら、「何か飲物を買ったら」と、120円のお接待。今日は3人
もの方からお接待をいただいた。



 木の川集落にも土石流の跡が残っており、新居浜市周辺の災害
が大きかったことがうかがえる。

 国道11号とJR予讃線の北に回る。浦山川の常盤橋からは、
南側に重畳たる山並みが望まれ、一番奥が石鎚山かと思われた。


 再びJR線路と国道との間に入る。間もなく別格12番霊場延命
寺があったので参拝、読経する。新しい大師堂の堂内を反対側に
回ると、売店と納経所になっていた。

 延命寺はイザリ松千枚通本坊と呼ばれ、弘法大師ご巡錫の際、
1人の病難者が松のほとりにいたのをあわれみ、千枚通し霊符
を創設され一枚を授けたところ霊験により全快したという。


 道路の東にあったイザリ松と呼ぶ巨木は枯れ、太い根と幹の
一部が屋根をかけて保存されていた。

 近くの山内病院には、「俳人小林一茶宿泊 島屋跡」の石標が
立っていた。小林集落の民家の間から濃紺の瀬戸内海が見え、
小林東まで進むと、さらに展望が広がる。

 国道11号の南に出て、村山神社に寄る。延喜式内社で祭神は
斉明天皇と天智天皇とのこと。

 桜の葉の色づく境内に、旧土居町記念物の「村山神社のホルト」と
いう常緑樹の古木があるが、台風被害で幹の途中から折れていた。


 今日から四国中央市の市議選が始まったようで、選挙カーのスピ
ーカーがあちこちで聞こえる。この旧道にも山本○○候補の車が
入り、南側の通りとの間を行き来して4、5回抜かれる。あまりにも
音量が高いので3回目に抜かれたとき耳を押さえたら、次の時は
私の前後だけ声を止めて通過した。

 大地川の先の長田辺りも、きれいに仕立てた松を庭に植えた
平屋の民家が多い。天王集落に入ると、伊予三島の中心街や大王
製紙の煙突が見えてきた。かなり疲労がつのり足取りが遅くなる。

 正之森には、「森之翠」という銘酒の造り酒屋があった。伊予
三島駅前通りの旅館つるやに17時3分に着く。洗濯をして入浴する。

 日曜日のため板前さんが休みで食事はない。近くの中華料理店
で、ささやかな夕食をした。

〈コースタイム〉西条グランドホテル7:04ー西条IC入口7:52ー新居浜
市入り8:00ー萩生庵8:44~57ースーパー・バリュー9:28~35ー国領
大橋10:09ー新居浜ゴルフ場横11:02~17ー関川小(昼食)12:21~49
ー木ノ川の火の見13:11ー別格霊場12番延命寺13:37~14:00ー村山
神社14:46~58ー豊岡橋15:31ー大町集会所上15:42ー西浜16:00~05
ー寒川小16:19ー下具定の火の見16:39ー旅館つるや17:03

(距離 33㎞、歩行地 西条市、新居浜市、四国中央市、地図 
 西条、新居浜、伊予三島、歩数 58,000)
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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その13

2006-12-13 21:28:23 | 初めての四国遍路
 第8日 2004年11月20日(土) 快晴後晴
 <60番横峰寺、64番前神寺>
 =はるか石鎚山を拝す=
 
 6時10分起床、6時30分朝食。昨夜の夕食時、宿のご主人がデジ
カメで撮ってくれた写真に、メッセージを添えて引き伸ばしたのをもら
う。よい記念になり感謝。

 Iさんにご挨拶して7時10分に出る。Iさんは愛犬も一緒だった。

 昼頃には戻れるというのでザックは預ける。弁当も持たず山谷袋に
飲物を入れ、あとは地図ケースとウエストポーチだけの軽装で、標高
差約550mを往復できるのはありがたい。

 旅館の前の道を上の原集落に上がると、市天然記念物「上の原の
うすきもくせい」の表示があり、高さ10m以上の大きなモクセイが2本
立っていた。集落を過ぎ、黒瀬湖を左眼下に見下ろしながら少しずつ
上がる。


 ヘヤピンカーブの先から緩やかに下って行くと、台風の土石流で壊
された工場のような建物が無惨な姿をさらしていた。


 沢筋へ下り、左の鳶寄方面からの車道に合し、沢沿いに進む。この
辺りも杉の倒木や土砂のたい積が多く、台風渦が生々しい。


 有料道路の料金所を通過、最初の3段ヘヤピンカーブを上がる。
傾斜がそうきつくないのと、ザックがないので上り道も辛くない。車道
の崩壊箇所が残っていて、ブルドーザーが土砂をならしていたので、
挨拶して通らせてもらう。

 両側の展望が開け、小松町の町並みの向こうに燧灘が霞んで見え
る。2つ目、2段のヘヤピンカーブを過ぎ、3つ目のカーブ際、右側に
61番香園寺奥の院道へのへんろ標識があった。

 3つ目は、2段ほどヘヤピンを上がり、駐車場への分岐の先を下っ
て行くと、60番横峰寺が見えた。寺は標高745mの山の斜面にある。

 最初のお堂で、若い男性遍路が読経をしていた。境内も台風被害
の復興工事中である。


 大師堂と本堂はその先。鐘楼で鐘を打ってから本堂に参拝、読経
し、大師堂に戻る。納経所の奥様に、「天気がよいから石鎚山が見
えるかも知れないので、奥の院の星ノ峰にも回ったら」と言われ、
行ってみることにした。

 先着の若い男性遍路は、61番からのへんろ道を上がってきたとの
こと。思ったほどひどく荒れてはおらず、そう歩きにくいことはなかっ
たという。一緒に500mほど先の星ノ森に行く。

 杉木立の下に小さい祠があり読経。開けた南面に鉄製の小さい
鳥居があり、その向こうに四国の最高峰・石鎚山(1982m)が荒々
しい山容を逆光にさらしていた。

 若い男性は東京・目黒区のTさん(30)。10月3日から野宿中心の
歩き遍路をしているが、冬用の寝袋でないので野宿は寒いとのこと。

 近く再就職するが正社員にはならず、お金が貯まったらチベットに
行き、五体投地で知られた聖地の山を巡りたいという。

 すでに何回かインドを旅行し、昨年は屋久島の宮之浦岳に登り、
縄文杉も見てきてとか。東京・高尾山で滝行もしており、将来は屋久
島に住みたいという自然志向の頼もしい若人。石鎚山にもいずれ
登りたいという。

 彼といろいろ話したので、結局、横峰寺には1時間以上滞在した。
一緒にもとの道に戻り、再会を期待して香園寺奥の院道の下り口で
分かれた。

 往路を戻り、京屋別館で昼食をしてザックを受取り、12時43分に
出る。さらに松山自動車道まで昨日の道を下って坂元へ。


 ミカン畑を過ぎ、キク、フウセンカズラなどが咲く民家の間から
田んぼ道に出て、東に向かう。

 海側の集落や、田んぼを見下ろしながら進む。

 橘小の北の十字路に阿弥陀堂があり、西条市天然記念物、「阿弥
陀堂のふじ」が大きく枝を広げていた。

 JR石鎚山駅からの通りに立つ朱塗りの大鳥居を見ながら進むと、
右手に石鎚神社の標石があった。参拝することにして桜の参道を
上がる。りっぱな山門の奥に、大きな石に彫られた頌徳碑が幾つ
も並んでいた。


 石段を上がって本殿に参拝。高台なので、東北の西条市中心部
から北側にかけてのの展望がよい。

 祖霊殿の奥、山の斜面から神水がほこらに流れ落ちており、ペッ
トボトルに汲んで行く人もいる。境内のモミジが色づき始めていた。

 ほどなく64番前神寺。本堂は大師堂から石段を上がった奥。

 広い境内には樹木が多い。山門の前に、石鎚神社のと似たこま犬
があり、両者がもとは一体であったことがうかがえる。

 今日のお参りはここまで。さらに国道11号の南側に平行する
古くからの住宅地を東に向かう。温泉のある湯ヶ谷と奥の内集落
の間、右手斜面に、台風による大崩壊あとが残っていた。

 本堂西側の急斜面に墓地が並ぶ法明寺下を通過する。東原から
日明へと比較的新しい住宅地を抜けたら行き過ぎ、加茂川沿いの
国道194号を少し戻って加茂川橋で国道11号に出る。


 夕暮れが近くなり車の交通量が多い。天皇という貴い?地を抜け、
福武の西条グランドホテルに16時38分に着いた。

 名前から想像すると、大都市では私には泊まれそうにない立派な
名のホテル。前日おそるおそる料金を聞いたら素泊まり3500円と
聞いて安心して予約した宿だ。

 着いてみたら、3階建てのそぼくなビジネスホテル。入ると小さな
手芸品やアクセサリーなどが所狭しと並び、店番の若い女性が友人
の女性と話し込んでいる。その間を抜けて3階の部屋に入った。

 食堂はないので、近くのスーパーへ夕食、朝食の調達に行く。洗濯
機もないので洗濯も休んだ。

〈コースタイム〉温泉旅館京屋別館7:10ー蔦寄への三差路7:44ー料金
所7:52ー最初のヘヤピンカーブ下8:10~13ー香園寺奥の院下山口
8:50ー60番横峰寺9:06~ー奥の院星ノ峰10:00~20ー香園寺奥の院
下山口10:43ー料金所11:29ー温泉旅館京屋別館(昼食)12:07~43ー
松山自動車道下13:17ー阿弥陀寺13:50ー石鎚神社14:06~37ー64番
前神寺14:42~15:10ー西条グランドホテル16:38

(距離 30㎞、歩行地 小松町、西条市、地図 西条、歩数 50,000)
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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その12

2006-12-12 18:15:26 | 初めての四国遍路
 第7日 2004年11月19日(金) 晴 <61番香園寺~63番吉祥寺>
 =台風被害で迂回路へ=
 
 アラーム設定を間違えて携帯が鳴らず、6時45分に起床。部屋の窓
から、西側(写真)や北側、瀬戸内海方面の展望がよい。
 
 7時半からの朝食はバイキング。8時20分に出発する。

 今日は、本来なら60番横峰寺を目指すのだが、10月の台風被害で
横峰寺へのへんろ道は通行不能になっていた。一時、東側山麓の温泉
旅館京屋別館に仮納経所が設けられ、その後、さらに奥の横峰寺別院
に移動していたので、そちらに向かう予定だった。

 ところが最近、山下さんの情報で、東側の林道から横峰寺に上がれ
ることが分かり、61番から63番を先に打ち、温泉旅館京屋経由で
明日上がることにした。したがって今朝は、通常のへんろ道を外れて
61番へ向かう。

 雨上がりでいつもより暖かい。湯ノ浦ハイツ周辺のもみじは紅葉し
始めている。国道196号に出て1㎞足らず、世田薬師の標識に従い
右へ、線路を越えて県道159号に入る。南の山すそから霧が上が
っている。


 六軒家集落で再度線路の東に出た。国道では聞こえなかったが、
山下さんにいただいた鈴の音が聞こえる静かな住宅地。車もほとん
ど通らず国道歩きより気持ちよい。

 寺北川の自安橋の先で、逆打ちの若い女性遍路と会う。線路を越え
てまもなく、番外霊場臼井の水の小さいお堂があった。

 お堂の前と道路際のクスの下に清涼な清水が湧き出し、収穫した大
きなカブを手押し車で運んできた親父さんが、その清水で洗っていた。


 三好小近くのスーパー、ソゴウマートで昼食を買う。大洲藩の飛び地
だったこの地を、松山藩と領地交換した由緒を記してあった出張橋で、
真手川を、すぐ先で大明神川を渡り、Y字路を東に向かう。

 桑村でへんろ道に分かれ、地図で目指した道に入ろうとしたが、狭い
路地が多く分かりにくい。直線で南東に抜けるはずがS字状に回って
しまい、現状確認に少し手間取ったが、あまり大回りにはならずに
東丹原ICのそばに出た。

 県道144号に入ると、広い歩道で車も少なく安心。本郷川、崩口川
と小さい川を過ぎ、川幅広い中山川を渡る。正面に見える山のふと
ころに向かって進んだ。


 国道11号を越え、南側の山すそにある61番香園寺に着いた。
広い境内の奥に大きなコンクリート3階建ての本堂。鐘楼で鐘を突いて
いたら岡山のIさんから電話があり、経過を報告する。

 どこが本堂かよく分からず、とりあえず1階で読経し、2階の大聖堂
に上がった。どうやらこちらが本堂らしい。東京の築地本願寺のよう
に数百ものいすが並び、中央に金色に輝く大日如来像が鎮座している。
参詣者は無かった。

 大師堂は、子安大師堂と呼び、小さなコンクリート造りのお堂。
本堂との対比が極端だ。納経所と宿坊のある建物も3階建ての近代
建築。四国八十八箇所の中でも異色の霊場である。杉の木の下の
ベンチで昼食していたら、お参りに来た奥さんから、高知産だという
ミカンを2つお接待いただいた。

 東に向かい、小松町の中心街に入る。小松郵便局で資金補充し、
東京・小金井のMさんへ近況報告を記して投函した。


 JR予讃線伊予小松駅近くの62番宝寿寺へ。こぢんまりした境内。

 正面のお堂は修理中。右手の本堂と小さめの大師堂に参拝、読経。
国道11号沿いなので、境内は車の騒音が絶え間ない。

 その国道をさらに東へ進む。西条市に入り、宝寿寺から1.3㎞で
63番吉祥寺。本尊は、四国霊場ただ一つという毘沙門天。大師堂と
鐘楼のそばに大きなカシの木があった。


 国道11号の次の信号で右折、現在、60番へのただ一つの回り道
である県道142号に入る。松山自動車道を過ぎると、西条市街や
瀬戸内海の展望が開けてきた。

 台風被害で2車線のがけ側が崩落したところが3ヵ所あり、土のう
をたくさん積んで仮復旧してある。ガードレールはくねくねに折れ曲が
って下に落ちており、崩壊のすさまじさがしのばれる。


 60番を打ち終えて下る途中の若い男性遍路が休憩していたので、
道取りなどを聞く。黒瀬峠には、石鎚神社一の鳥居が道路をまたいで
立っていた。

 左下に黒瀬湖を見下ろしながら少し下り、温泉旅館京屋別館に16時
15分に着いた。入口に遍路用品の売店と食堂、奥に部屋などがある。

 外から見ると平屋のようだが、下にも2階あり部屋も多い。今日は私
の他はご夫婦1組のみ。でも明日は土曜日で混むようだ。

 洗濯をして温泉に入る。白く濁ったジャグジー湯に1人で浸かる。
木の建物もそぼくで、気持ちよい。

 夕食は、高槻市のIさんご夫妻と話しながらいただく。

 ご主人は2年前の今ごろ、1人で歩き遍路をされたとのことで、この
先おすすめの宿を教えてもらう。

 その時の遍路記をCDーROM化されている言われた。私のと交換を
お願いしたら、夕食後、さっそく部屋に届けて下さった。

 奥様とは車で回っておられ、今回は6回目で逆打ちとのこと。ここは
定宿だが、いつも団体で混んでいて、こんなに空いているのは珍しい
といわれた。

 今日は、後半の歩きで初めて、歩き遍路をした方との情報交換が
でき、有益な夜だった。

〈コースタイム〉今治湯ノ浦ハイツ8:20ー番外霊場臼井の水9:35~45
ーソゴウマート9:50~10:00ー明理川橋11:01ー61番香園寺(昼食)
12:16~13:22ー小松郵便局13:42~14:00ー62番宝寿寺14:02~20ー
63番吉祥寺14:40~15:05ー温泉旅館京屋別館16:15

(距離 22㎞、歩行地 今治市、東予市、小松町、西条市、歩数 
 38,400)
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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その11

2006-12-11 19:26:02 | 初めての四国遍路
 同じ県内、さいたま市内で6日に投函された郵便物が、5日目の今日、
着きました。一方、愛媛県大洲市からは、7日投函のものが届きました。

 郵政省の時代には、県内ならほぼ翌日には着いていました。郵政公社
になってから、普通郵便物の所要日数が、かなり増えたように思います。
 
 民営化される来年以降はどうなるのでしょうか。JRでは普通列車が
減り、新幹線や特急列車で行かないと不便になったように、郵便物も、
「急ぎなら速達郵便で」ということになりそうです。

 愛媛県大洲市からの郵便は、今回の遍路で最終日に泊まった宿から
です。ときわ旅館の若いご主人とおかみさん直筆で、遍路の結願を祈る
ものでした。暖かいお心づかいに感謝しながら読ませていただきました。

 以下のレポートは前回のもの。市町村名などは当時のままです。

 =============================

 第6日 2004年11月18日(木) 曇後雨
 <54番延命寺~59番国分寺>
 =雨のへんろ道を行く=
 
 6時10起床、7時朝食、7時20分宿を出る。そばのT字路際の空き地
に、太いクスノキが立つ。近くでゴミの分別中の方に聞くと、「役場の跡で、
その前は庄屋があったところ」だという。木はその頃からのものらしい。

 T字路から東に向かう道は、国道196号から入ってくる車が切れ目無い。
狭いのに国道のバイパスとして使うのだろうか。

 その国道に出たら、やはり松山方面への車が途切れない。1㎞くらい先
の宅間交差点で旧道に入る。黒服の逆打ち女性遍路が、そばのガソリン
スタンドに入っていった。

 今日の初打ちは54番延命寺。寺の手前で、背の高い逆打ちの男性遍
路と行き交う。山門が2つあり、2つ目は旧今治城の山門を移設したのだ
という。

 境内に越智孫兵衛の墓がある。元禄時代の庄屋で、松山藩の重税を、
翁の尽力で下げてもらうなど、郷土の発展、福利増進に努めた人とか。
境内の遍路用品店で、女性遍路が白衣を盛んに勧められていた。

 へんろ道は北から東へ向かう。墓地の間を上がると南方の展望が開け
る。「越智孫兵衛顕彰碑」と刻まれたりっぱな石碑があった。

 西瀬戸自動車道の手前、北側の山すそで大規模な造成工事中。近く
の人に聞くと、市の住宅団地の造成中だという。「こんなところに来る人
はいないよ」と批判、私が見ても場違いの感じだった。

 坂を上がり、霊園の間を回ってから下り、北日吉町で国道196号に
出る。左手高台に見える城のような大きな建物はなんだろう?。

 JR予讃線のガードをくぐって南光坊に向かうが、西側にりっぱな社殿
が見えたので先に寄ることにした。

 大山祗神社で、和銅年間(708~)の勧請という古社。檜皮葺の古い
社殿は天正3年(1575)再建という。北側の別の神社の社殿横には、
樹高17m、樹齢300年以上という見事なクスノキが立っていた。

 東側の55番南光坊の山門は北側にあり、国道317号から入る。山門
には、金色の新しい仁王像が立つ。

 本堂、大師堂のほか、金刀比羅宮、薬師堂などがあり、市街地の真ん
中にあるが広い。

 南に向かい、今治駅東口に出て、駅前の通りをまっすぐ2㎞余り進む。
途中の明徳高と今治西高の間で雨となった。民家の広い屋根下を借りて
雨具を着けた。

 国道196号との交差点にあったコンビニ、サークルKで昼食を買う。

 間もなく56番泰山寺。白い土塀に囲まれているが、山門はない。

 本堂と大師堂の間に新しい宿坊があった。


 参拝を終わり東へ、田んぼの中のへんろ道を進む。国道196号を越え
て蒼社川に出る手前に、へんろ無縁墓地があった。10数基の古い墓が
並び、沢山のマリーゴールドが慰めるように咲いていた。

 蒼社川の山手橋を渡る。川底は赤っぽい砂、次の川も同様だった。
へんろ道は、八幡山の山すそと田んぼの間の気持ちよい草道を進み、
左に入って57番永福寺に着く。

 ここも山門はない。本堂には鶴の彫刻、大師堂はさらに精巧な龍の
彫刻が目についた。


 南に向かい、大塚池の東を上がる。池のほとりに立つ数本の古いクス
が、この池の歴史を感じさせてくれる。


 車道に下ってミカン畑の間を進み、再び上り坂となる。


 58番仙遊寺は、山門を入って9分ほど、くねくねした急な石段の上り
で、大汗をかく。山上の本堂前に、白とピンクの山茶花が咲いていた。
境内のモミジも色づき始めている。

 東屋の所まで戻り、右手(西側)の山間をたどるへんろ道に入る。
下り道は、一昨日、山下さんが仙遊寺での修行で作業したと聞いて
いたが、ササ、ウラジロ、松の枝などが刈り払ってあり、お陰で濡れず
に下れた。

 谷集落を抜け、吉祥禅寺の下を進んで右からの車道と合し、2㎞ほど
住宅地を北東に進む。JR予讃線伊予富田駅の東で踏切を越え、県道
156号に出た。

 予讃線に平行して進んで頓田川を渡る。「従是西今治領」の標石の先
に59番国分寺があった。

 ここも山門が無い。本堂と大師堂は直角に立つ。境内に、等身大の
修行大師握手像がある。大師と握手してお願いをするとかなうというが、
「お大師様も忙しいので、お願いは一つだけに…」と書いてあった。

 大師堂の屋根は修理中。

 16時過ぎ、今日の予定を打ち終え、再び県道156号に出る。暗く
ならないうちにと先を急ぐが、疲れが出てスピードは上がらない。靴も
濡れてきた。

 右からの国道196号に合すると、歩道が広くなり安心して歩ける。
今治湯ノ浦ICに近い、道の駅今治湯ノ浦温泉の所を左折。りっぱな
ホテル群の奥に、宿泊先の今治湯ノ浦ハイツがあった。

 17時17分着。濡れた衣類をコインらインドリーで洗濯中に温泉に
入る。20~30人は入れる大浴場だが一人だけでもったいない。
雨に濡れた体と疲れを温泉に浸かって回復させる。


 夕食は大食堂で。今日の宿泊客は私のほか、2人×4組と4人の
グループのみ。これでは公共の宿の経営も苦しそう。しかも私は遍路
特別料金で割安。申し訳ない気もするが、たまには良いかとも思う。

 夕食後、連れ合いに初めての電話をする。歩行メモを整理していた
ら23時半になった。

〈コースタイム〉あさひ旅館7:20ー大池7:40ー54番延命寺8:10~35ー
大山祗神社9:35~39ー55番南光坊9:40~10:05ー今治西高10:36ー
56番泰山寺11:04~20ー57番栄福寺(昼食)12:10~53ー58番仙遊寺
13:30~14:16ー伊予富田駅南の右折地15:15ー59番国分寺15:40~
16:07ー今治湯ノ浦ハイツ17:17

(距離 27㎞、歩行地 大西町、今治市、玉川町、地図 今治東部、
 西条、歩数47,800)


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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その10

2006-12-10 22:36:17 | 初めての四国遍路
 雨も上がり好天となり、昼過ぎ、買い物に出かけました。

 なんだか肩と足が軽く感じられます。それもそのはず、1か月近く、
毎日8~9kgの荷を背負って歩いていた生活から解放されたわけ
ですから…。

 引き続き、1昨年秋のレポートを続けます。

 ===========================
 
 第5日 2004年11月17日(水) 晴 <53番円明寺>
 =鎌大師で山下さんと=
 
 6時10分起床。7時に朝食をして、7時半ホテルを出る。松山駅
7時46分発で、7時57分に伊予和気駅(下の写真)に着く。


 今日の最初は、近くの53番円明寺。

 境内は、そう広くないが正面に本堂、左手前に大師堂など、こぢん
まりとお堂が配置されている。

 JRの東に出て北東に向かうが、道路工事中の所を早く曲がってしま
い、少し回り道となる。昨日もそうだが、道路工事の所はよく注意しな
いと道を間違える。

 国道183号に戻り、跨線橋でJRを越える。次の堀江駅でトイレを
借用。駅舎は有蓋貨車を転用したもので、もちろん無人である。


 町外れに出ると海が見え始め、すぐに海岸沿いになる。防波堤に
ウミウとカモメが休んでいた。粟井坂の突端に、「海鮮北斗」という大き
な建物、近くに大師堂があったが拝礼のみで通過する。

 河原集落にも大師堂があった。粟井川の先で国道はJRの東側に回
ったが、遍路道はまっすぐに海沿いの県道179号を進む。だがこの道、
歩道があってもU字溝の上だったり、歩道の無いところもあり、歩きやす
いとはいえない。

 毎日メールで情報交換している逆打ちの山下さんと今日会えることに
なり、携帯で連絡を取り、11時半頃、この先の鎌大師で落ち合うことと
した。

 北条の市街地に入り、コンビニ、サークルKで2人分の弁当を調達、
JR予讃線の東に回り、市役所前を経て立岩川を渡る。鴻之坂の上り
口にある番外霊場鎌大師に、11時35分に着いた。

 5分と違わずに山下さんも到着。日焼けした血色のよい顔はお元気
そうで、すでに2週間の遍路旅にも、疲れのないことが感じられた。

 買ってきた弁当で昼食後、情報交換。私はまだ5目なので、もっぱら
山下さんから有益な情報をいただき、さらに、サポートメール「竜馬16」
のグループのことなどもお聞きした。

 57番栄福寺で入手したというかわいい鈴をいただき、早速ザックに
着ける。2時間近くも話がはずみ、この先、お互いの元気を祈って鎌
大師を出た。

 鴻之坂の上り坂で、北条市のマンホールふたに、「腰折といふ名も
をかし春の山」との句が記されているのに気づいた。


 坂を下って行くと、ミカン畑の斜面の向こうに浅海原の町並みと瀬戸
内海の展望が開けてきた。


 JR予讃線の線路の先で国道196号に入り、浅海駅前通りの先で
海岸寄りの旧道へ。自生のツワブキの花がきれいに咲いている。この
通りにも、松山市内で見たような精巧な鬼瓦を乗せた家が多い。


 再び国道に出て岬を回る。岬の部分だけ歩道が無く、猛スピードで
通過する車が恐かった。

 北条市から菊間町に入る。漁船の並ぶ田之尻漁港横を通過、次の
岩童子から水尻辺りには、菊間瓦と呼ぶ瓦工場が多く、2階建ての
屋根までの高さの鬼瓦を飾った工場もあった。


 水尻に、弘法大師厄除け別願所、遍照院があったので参拝、読経
して休憩する。
 
 鐘楼のある山門の屋根には、やはり大きな鬼瓦が上がっていた。

 山下さんに寄るように勧められた「かわら館」は、菊間駅西側の
踏切を越えた丘陵下にあった。ねずみ色の瓦屋根と白壁が真新しい
4階建て。

 最上階は郷土作家の絵画など芸術作品、3階以下に社寺の古い鬼
瓦、雌雄2面の大鬼瓦を乗せた遍照院の山車、全国の瓦産地の紹介、
菊間瓦の説明などが展示されていた。

 遍路中、このような初めての地の産業を知ることは、私の楽しみ
の一つである。

 菊間駅の東側から国道に戻る。葉山まで進むと、行く手に太陽
石油のタンクと煙突群が林立している。高田で海沿いの旧道に入る。
 海には島影が一つ、海岸沿いにも瓦の製造工場が並んでいた。


 川沿いに国道まで戻り、太陽石油横の坂を上がる。17時近くなり
日が陰って冷えてきた。伊予亀岡駅周辺も線路寄りの旧道を抜ける。
大西町に入ると、「タオルと造船の町」の看板が立っていた。

 宿で翌朝聞いたら、造船は来島ドック、タオルは今治とともにこの
町の主産業だという。

 別府の町並みも旧道へ。ここも鬼瓦の上がった家が目につく。とう
とう暗くなり、三日月が高く上がった。危ないのでペンライトを点けて、
前方からの車に照らしながら急ぐ。

 大西町の中心街に入り、18時ちょうど、大西駅前のあさひ旅館に
着いた。

 早速洗濯機を借り、洗濯中に入浴。部屋、風呂とも清潔。浴槽は
家庭用のステンレス製。19時過ぎ夕食をいただく。主食はカレー
ライスだが、コイの頭煮、アジの天ぷらなどおかずは十分だった。

 宿泊客の対応は背の高く元気なご主人が切り盛りしているようで、
翌朝もおかみさんは姿を見せなかった。遍路客は私だけ、ほかに
工事の人だろうか3人いたが、1人は素泊まりのようだった。

〈コースタイム〉松山東映ホテル7:30ー松山駅7:46=伊予和気駅
7:57~8:00ー53番円明寺8:05~33ー堀江駅(WC)9:09~10粟井坂
の大師堂9:40ー蓬福寺大師堂10:06ー柳原駅入口10:30ー鎌大師
(山下さんと昼食・懇談)11:35~13:21ー朝海原駅入口14:05ー岩童子
14:58ー遍照院15:04~20ーかわら館14:26~48ー伊予亀岡駅入口
16:45ーあさひ旅館18:00

(天気 晴、距離 31㎞、地図 三津浜、松山北部、今治西部 
 歩行地 松山市、北条市、菊間町、大西町、歩数 51,800)

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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その9

2006-12-09 21:45:01 | 初めての四国遍路
 昨日夕方帰宅しました。今日は1日冷たい雨、四国遍路ではあまり
感じなかった、寒さが気になります。

 1か月余り中断していた、2年前の四国遍路後半のレポート続きを
再開します。今年ではありませんので、お間違えの無いよう。

 ============================

 第4日 2004年11月16日(火) 晴
 〈47番八坂寺~52番太山寺〉
 =松山市内を抜ける=
 
 5時40分起床。6時朝食、坊さんのいる団体はもう終えていた。
6時45分に出発。宿の前、昨日参拝した46番浄瑠璃寺は一礼して
西に抜ける。

 へんろ道を0.9㎞で47番八坂寺へ。鐘を突いてから参拝、読経。
本堂はコンクリート造り。カシの古木が何本かあるが、開放的な境内だ。

 ちょっと変わった山門の天井に、天使が描かれていた。

 北に向かい池の角を進む。市街地には陽が差しているが、ここはまだ
なので寒い。畑に50㎝くらいも茎の伸びたキャベツのような野菜が
ある。

 春にもどこかで見た記憶があるが、何だったろうか。

 恵原町に、別格霊場9番の文殊院があったので参拝して読経。四国
霊場を開祖した河野衛門三郎の菩提所で、衛門三郎の新しいと石像が
立つ。
 
 納経所で熱いお茶のお接待をいただいた。

 恵原町の住宅街は、狭い道路沿いに精巧な鬼瓦をあげた家が多く、
落ち着いた雰囲気の町並み。次の今市には、大宮八幡の先に札始大師
堂があり、「お大師様お泊まり所」と記されていた。


 川幅500mくらいある重信川の久谷大橋を渡り、車がめったに通ら
ぬ松山自動車道の下を進む。南高井町の交差点先にも、小さい大師堂
があった。

 すぐ北が48番西林寺。門前にきれいな川が流れている。その上を
石橋で渡って山門をくぐる。
 
 納経所前の庭は、松やモミジがよく手入れされていた。

 西に抜け、高井公園前の内川沿いに進む。滋賀神社前の流れには細長
い貝が多く、ハヤだろうか、小さい魚も沢山泳いでいた。


 松山リハビリテーション病院横を北に、小野川の遍路橋を渡る。久米
小の横を抜けて伊予鉄道久米駅の東を進むと、突き当たりが49番浄土
寺である。

 本堂は室町時代の代表的建造物で国重要文化財。納経所へ行く古い
土塀が傾き、今にも倒れそう。楠の下に子規の句碑があった。

 この先、市内各所の寺に句碑があり、松山市が俳句の町だということ
を実感する。

 西北にある日尾八幡神社にも参拝する。日本3大八幡のひとつとか。

 天平勝宝4年(752)、大分の宇佐八幡から勧請し、孝謙天皇の勅願
所となったという古社。

 145段の石段、背のザックが重い。太いしめ縄のあがったりっぱな
社殿に、剣道スポーツ少年団の掲額が幾つも奉納されていた。

 次の繁多寺に向かう道、車が多いのに歩道が無い。墓地の間を進む
へんろ道に入ってホッとする。

 ミカン畑の横を抜けて、50番繁多寺に上がる。高台にあり、境内の
広場からは松山市街の展望がよい。背後の森は、広葉樹や杉がうっそう
と茂っている。


 山すそを西に向かう。桑原八幡の先は道路工事中でちょっと分かりに
くい。

 畑寺から東野の住宅地を北に進み、石手川の遍路橋を渡り、51番
石手寺に着いた。

 10月28日から11月20日まで菊花灌頂中とあり、本堂の前など
がきれいな菊で彩られ、各お堂には、五色の幕が下がっている。

 灌頂とは、仏教の儀式で頭に水を注ぐことらしい。広い境内は参詣客
が多い。

 期間中、大師堂のお大師様と参拝者は、三色のひもで縁を結ばれる
ようになっている。また、この期間、本堂内も拝観できるとのこと。
大師堂から入り、手まりの絵が並ぶ絵馬堂を経て本堂内を一周する。
本堂内、仏様の回りも菊で飾られていた。

 正午を過ぎたので、門前にあったみよし食堂に入り昼食とし、名物、
梅こんぶうどんを食べた。

 山すその道を西に向かう。道後温泉街の手前にある伊左爾波神社に
135段の石段を上がって参拝。檜皮葺の本殿や回廊は、鮮やかな朱
塗り。回廊には、りっぱな御輿が保管されていた。


 道後温泉の旅館街からアーケード街を西に抜け、御幸寺山のふもとを
進む。護国寺の先、御幸寺の前に一草庵というのがあった。昭和15年
10月に没した放浪の俳人、種田山頭火終焉の地で、山頭火の句など、
資料を展示している。

 ちょうど帰ってきた管理人の方から、「寄って行きませんか」と言わ
れたが、先の予定もあり、外の句碑を見ただけで失礼する。

 松山大のグランドやキャンパスの間を抜け、国道56号に出る。市街
地だが、国道沿いの流れもきれいで、ハヤと思われる小魚が沢山泳いで
いた。

 山越1丁目の歩道橋を越え、少し戻って西に向かい、久万ノ台まで
まっすぐに進む。

 松山西高と池の間に出るつもりが、手前で右に入ってしまい、少し
回り道して高校の北側から池のそばに出た。夏ミカン畑の先、少年鑑別
院や松山学院前を過ぎ、JR三津浜駅を跨線橋で越える。

 駅西側の、新しくて広い県道19号から、松ノ木で県道183号に入
り北に向かう。坂を上がり、ゴルフ場の西からはへんろ道へ。ミカン畑
の間を下り、52番大山寺一の門の門前を進む。

 この寺は参道が長く、仁王門から納経所前を経て、本堂まで570m
ある。17時の納経締め切り時刻に間に合わせねはと急ぐが、上り坂で
ザックが肩に重い。

 古い様式の本堂は国宝。仁王門も国重文で、ほかの建物もみな古い。

 朝早く宿を出た坊さんグループの一行が後からやってきた。どうやら
44番、45番もまわってきたようだ。それにしても、歩いてきた私と
一緒になるとは…。

 納経も間に合い、車の多い県道183号を北東に急ぎ、17時17分、
JR伊予和気駅に着いた。

 17時34分発松山行き予讃線に乗り、18時過ぎ、松山駅に近い松山
東映ホテルに入る。

 事前に連絡をとっていたFさんが18時半に来た。Fさんとは、20年
前、職場が一緒だった。近くの和食料理店で21時過ぎまで夕食を食べ
ながら懇談する。

 今日は涼しく、納経を急いだ大山寺以外は汗もかかず、遅いこともあり、
洗濯は無しとする。それでも就床は23時近かった。

〈コースタイム〉民宿長珍屋6:45ー47番八坂寺7:00~20ー文殊院7:34ー
札始大師堂8:17~25ー48番西林寺8:52~9:15ー49番浄土寺10:05~35
ー日尾八幡社10:39~49ー50番繁多寺11:08~33ー51番石手寺12:11~55
ーみよし食堂(昼食)13:00~20ー一草庵14:10~13ー松山学院先の小公園
15:19~28ー52番太山寺16:15~47ーJR伊予和気駅17:17~34=松山駅
17:42ー松山東映ホテル18:05頃

(距離 27㎞、地図 松山南部、松山北部、三津浜、歩行地 松山市、
歩数 48,800)
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