あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

3度目の四国遍路(後編)・愛媛その11

2011-04-15 16:14:48 | 3度目の四国遍路
 第11日 2011年3月6日(日)
 =65番三角寺、別格13番仙龍寺、14番椿堂=

 6時起床、6時45分から朝食をして、7時15分に蔦廼屋を出た。JR予讃線伊予土居駅発
7時22分発の上り電車で、7時33分に伊予三島駅に着く。

 昨日のゴール、伊予寒川駅から約4㎞をカットして、今日は伊予三島駅をスタート地とする。

 午後は雨の予報だが、まだ青空が見える。四国中央市役所前の、サークルKで弁当を仕入
れ、松山自動車道の南に回った。

 銅山川発電所の先にある戸川公園で小休止する。公園は、銅山川からの疎水完成を記念し
て設置したもの。疎水関係者の記念碑や、四国遍路者の供養塔などがある。


 上柏町の家並みを抜けて、りっぱな遍路石のところで、車道から離れる。用水沿いの遍路道
に入り、ミカン畑の間を上がる。


 高度が上がり、三島の町並みの展望が広がる。


 ウグイスの声を聞きながら林間を上がって、65番三角寺に着いた。


 参拝を終えて納経所で、これから行く別格13番仙龍寺への遍路道のことを訪ねたら、納経
所の奥様から、「遍路道は分かりにくいから、車道を行くように」と勧められ、そうすることにす
る。


 車道を1㎞ほどで、右に上がる車道へ。車のすれ違いがやっとのところもあるが、車の交通
量はほとんどない。樹林の切れ目から、遠望の得られるところがあった。



 緩やかに上がり、標高480mの堀切峠を越えてからは、緩やかに下る。

 三差路になっている中山口バス停で、国道319号へ。この付近から雨となり、ザックカバー
を付けてポンチョを被る。下って行くと、新宮ダムが見えてきた。


 水の少ない新宮ダム際に下り、西に500m余り進む。


 「四国総奥之院」の標石の横から急な石段を上がって、標高230mの山腹にある、別格霊場
13番の仙龍寺へ正午過ぎに着いた。

 弘法大師が42歳の弘仁6年(815)、岩窟にこもって修行した霊跡で、厄除大師、虫除大師
として、参詣者が多いようだ。

 本堂へは、靴を脱いで上がってお参りする。本尊は弘法大師なので、大師堂はない。

 納経所は、「昼食時間で不在」の表示があったので、私も本堂前のベンチに戻って昼食をする。
しかし、雨で気温が下がってきて寒い。


 納経所に戻り、さらに少し待って御朱印をいただく。後からご夫妻の参拝者があり、その納経
帳は、御朱印で朱に染まっていた。


 ダムサイトを東へ、ダム工事で水没したことを記す「吉野小学校跡地の碑」を過ぎ、少しずつ
上がってダムサイトから離れた。

 3.6進んで標高400m地点で堀切トンネルに入る。長さ1,259.5mを直線で抜けているが、
交通量はそう多くない。


 トンネルを出て西に向かって下り、1.5㎞ほどの半田集落で、三角寺からの車道に合した。
近くのゆらぎ休憩所で小休止する。



 棚田や集落などを見下ろしながら、東に少しずつ下る。半田集落に、ガレージがお遍路さん
休憩所になっているところがあった。


 高知自動車道下を通過し、別格霊場14番の椿堂に着く。その名の通り、境内にはツバキが
多い。歩き遍路は納経料はお接待、せんべいのお接待もいただいた。


 国道192号に出て県境の境目トンネルに向かうが、携帯のバッテリーが切れそうなので、急
ぎ今夜の宿、民宿岡田に連絡する。

 下川口バス停の先に、新しいヘンロ小屋37号しんきん庵・法皇があったので休み、パン2切れ
と水分補給をした。


 濃いガスが山肌を包む。県境まで緩やかな上りが続き、愛媛・徳島県境を貫く長さ855m
の境目トンネルを抜ける。


 吐く息が白く、トンネルを出たところの温度は6度を示すが、上り道で汗ばみ寒さは感じない。

 民宿岡田には18時6分に着いた。すぐに風呂に入らせてもらい、洗濯物は若おかみさんが
洗濯機に投入し、乾燥までしてもらった。

 遅く着いたので、先着の瀬戸市の60代の男性遍路さんが夕食を食べ終えた頃、私も食事
の部屋へ。その方は、毎年、誕生日の2月27日に遍路に出て、10日ほどの区切り打ちをさ
れているという。

 岡田の親父さんもお元気で、いつものようになごやかに、食後のひとときを過ごした。

 部屋の壁面には、泊まられ遍路の方からの写真がいっぱい。前回お世話になった際にお送
りした、私の写真も貼ってあった。

 【コースタイム】伊予三島駅7・35ーサークルK7・45~57ー戸川公園8・23~30ー遍路道へ
  8・50ー65番三角寺9・36~10・00ー堀切峠10・50ー中山口BS11・09~15ー古野BS11・52
  ー別格13番仙龍寺(昼食)12・05~13・07ー堀切トンネル入口14・11ーゆらぎ休憩所14・56~
  15・05ー別格14番椿堂15・45~16・10ーヘンロ小屋37号16・50~17・00ー境目トンネル入口
  17・28ー民宿岡田18・06

 (天気 晴後雨、距離 31㎞、歩行地 四国中央市、徳島県三好市、歩数 53,700、
  遍路地図 70ー1、70ー2、99ー1、72ー1)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その10

2011-04-13 18:21:46 | 3度目の四国遍路
 第10日 2011年3月5日(土)
 =別格12番延命寺へ=

 6時に起床、6時45分からのサービス定食は、おいしくて量も豊富で満足した。7時25
分に、西条ステーションホテルをスタートする。


 快晴でさわやかな朝、西条の町外れからは、残雪豊富な山並みが望まれる。


 国道11号を少しで、平行する旧道に入る。


 ため池の先から再び国道に出て、1㎞ほどで「旧街道」の表示のある旧道へ。萩生の
橋の手前に「萩生庵」と呼ぶ、民家の一角がお接待所兼無料宿泊所になっているところ
があった。

 立ち寄ってトイレを借りてから、ポットに入れて下さったお茶をいただいた。

 近くの上部乳部幼稚園に、第4代国鉄総裁だった、「十河信二(そごうしんじ)先生出生
地」の石碑がある。


 アーケードのある喜光地商店街を抜けたが、ご多分に漏れずシャッターを下ろした店
が多い。中ほどの広場では、野菜の青空市が開かれていた。


 この旧街道は、道路が狭いのに車の交通量が多く、すれ違い時には路側帯に入り込
んできて危ない。


 足谷川の国領橋を渡り、さらに1.5㎞ほど進み、旧街道を出たところの、スーパーM
2で、昼食を購入した。


 国道11号に入り、栗タルトの工場の先から、右に平行する遍路道へ。南側に続く深い
山並みを眺めながら進む。


 いったん国道に戻って間もなく、遍路地図にはない右下に平行する細い車道があった
ので回る。ここも車を気にせず歩けるのでよい。


 中ほど、お地蔵さんの並ぶそばにあった集会所風の建物、新四国二十二番地蔵堂の
軒先を借りて、昼食をする。


 新居浜市から四国中央市に入り、関の原から再び旧道へ。こちらも車の交通量は少
ない。関川の先で、行き交った奥様から、牛乳パックのお接待をいただいた。

 気温は10度前後かと思われ、手袋を外せないが、日差しがいっぱいの遍路日和で
ある。

 近くに3か所ほど、きれいな水をためた場所があった。くみに来た奥様に聞くと、南側
の山からの地下水が湧出したものだという。


 国道11号とJR予讃線の北側に回り、水のない川を渡る。




 近くの畑の紅梅が2本、花盛りだった。


 再度JRの踏切を越えて、別格12番の延命寺に着く。納経所は、大師堂の中にある。


 道路を隔てた東側に、「イザリ松」と呼ばれる枯れた松の巨木が、屋根の下に保管さ
れていた。弘法大師お手植えと、伝えられているものである。


 「俳人小林一茶宿泊 島屋跡」を過ぎ、JR伊予土居駅近くの蔦廼屋(つたのや)に
14時50分に着いた。ザックを預けて、その先まで今日の行程を延ばすことにする。

 古子川の先で、車で行き交った奥様から、名前入りののし袋のお接待をいただいた。
今日は、逆打ちの男性遍路3人とも行き交う。

 ザックは無いのだが距離が長くなり、歩みのピッチは上がらない。豊岡小の先の高台
まで進むと、前方に三島の大王製紙の煙突や、市街地が見えてきた。


 伊予寒川(いよさんがわ)駅前を通過し、さらに1㎞近く先で時計を見て、今日のゴー
ルとする。折り返し、伊予寒川駅には16時55分に着いた。


 17時9分発下り電車で伊予土居駅まで戻り、17時20分に蔦廼屋に入る。

 すぐに入浴でき、夕食は18時過ぎから。今日の宿泊者は私のみ。食前酒にビワ酒を
いただく。料理も皆、美味しかった。

 朝食は7時からとのことだが、7時22分の電車に乗りたいので6時45分に用意して
もらうことにする。

 宿の玄関を入ったところに、昭和初期から昭和60年まで近隣約100軒の生活用水に
供給したという、井戸が残されている。

 岐阜県白川村産のトチノキ木の巨木の飾り物もあり、壁面には写真や短歌の作品など
が貼られていて、古くからの旅館の、よきたたずまいが感じられる宿である。

 【コースタイム】西条ステーションホテル7・25ー室川の橋8・15ーファミリーマート8・45
  ~52ー荻生庵9・45~10・03ー足谷川10・54ースーパーM211・19~30ー道面の地蔵
  堂(昼食)12・10~40ー関川小13・27ー別格12番延命寺14・17~37ー蔦廼屋14・50~
  52ー村山神社入口15・29ーAコープ16・09ー伊予寒川駅入口16・33ー生協宇摩診療
  所前16・44ー(戻り)ー伊予寒川駅16・55

 (天気 快晴後晴、距離 31㎞、歩行地 西条市、新居浜市、四国中央市、歩数
  53,100、遍路地図 68ー1、68ー2、68ー3、70ー1)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その9

2011-04-10 22:14:29 | 3度目の四国遍路
 第9日 2011年3月4日(金)
 =60番横峰寺、64番前神寺=

 5時45分に起床、6時過ぎに朝食をいただき、不要な荷物は置いて、6時55分に
同行民宿「鈴」を出る。

 奥様から預かった地図を頼りに、小松の町中を南に抜ける。これから向かう南側
の山並みには、昨夜の雪がうっすらと望まれる。


 松山自動車道の下を通過し、林道本谷線に入って少しずつ上がる。


 大規模な採石場の付近からは、昨夜の新雪が木や道路際に積もっている。林道の
終点まで進み、すぐに61番香園寺奥の院からの、尾根を進む遍路道に合した。


 横峰寺へ4.6㎞の標識があり、尾根道を緩やかに上り下りする。



 3.3㎞地点からは、かなりの下りとなり、2.2㎞付近からは、ひとしきり上り道が
続く。


 一丁ごとに立つ、お地蔵さんの丁石にも雪が積もり、手袋をしていても手が冷たい。


 東側、黒瀬湖方面から上がってきた車道に出ると、路面のタイヤのわだちが凍って
いて滑るので、新雪の上を選んで進んだ。


 車道から60番横峰寺への下りも、滑らぬように注意して進む。標高745mの横峰
寺は、さすがに冷えていて、手が一層冷たい。

 境内は5~6㎝の積雪。奥の院星ヶ峰への道は誰も歩いていないようで、新雪を踏
んで上がる。


 雲が多くて、深い谷を隔てて南にそびえる石鎚山は、山腹が認識できる程度しか見え
ない。


 駐車場への道を経由して往路を戻る。3.6㎞点まで戻り、奥さんから借りた地図に
あった下りの遍路道へ。


 ウラジロの多い林を下っていったら、林道が90度カーブする橋のそばに出た。

 松山自動車道付近まで戻ると、正面に瀬戸内海の展望が得られる。


 宿には14時過ぎに戻り、お茶をいただきながら奥様の話を伺い、30分ほどで失礼
する。

 国道11号に出て、コンビニ・ローソンそばの喫茶・軽食のニュースコールで遅い昼食
をした。

 63番吉祥寺のそばの交差点から、南側を平行する旧道に回る。野々市のあたりに
白梅が咲き、ナノハナも咲き出していた。


 楢木の阿弥陀堂のところに、古木のフジがあり、その敷地について、共有財産である
ことを記した記念碑が立っていた。

 さらに1㎞ほど、前回参拝した石鎚神社があるが、今回は寄らず、その先の64番前
神寺(まえかみじ)に入る。本堂とその前の回廊は、新しくなっていた。



 国道11号とクロスして、北側の旧道を加茂川橋際まで進む。橋の手前のファミリーマ
ートで、今夜の夕食を仕入れ、水の少ない橋を渡った。


 西条の市街地に入り、17時55分にJR予讃線伊予西条駅前の西条ステーションホテ
ルに着く。

 受付の岡代表取締役(女性)が、「3~4年前にも泊まっていただきましたね」と、私の
ことを覚えていてくれた。

 【コースタイム】同行民宿鈴6・55ー松山自動車道下7・18ー林道本谷線7・33ー林道
  右折点8・01ー60番3・6㎞点8・32~38ー2・3㎞点9・17ーH660m点(車道へ)
  10・00ー60番横峰寺10・23~45ー奥の院11・00~08ーH660m点11・33ー2・3㎞点
  12・06~17ーH460m点(3・3㎞点)12・36ー林道左折点13・00ー同行民宿鈴14・02
  ~34ー喫茶ニュースコール(昼食)14・45~15・15ー阿弥陀寺15・55ー64番前神寺
  16・12~35ー加茂川橋際ファミリーマート17・17~28ー西条ステーションホテル17・55

 (天気 晴一時曇、距離 28㎞、歩行地 西条市、歩数 51,800、遍路地図 66ー1、
  66ー2、68ー1)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その8

2011-04-09 18:32:59 | 3度目の四国遍路
 第8日 2011年3月3日(木)
 =別格10番興隆寺、61番香園寺から63番吉祥寺=

 6時50分に起床し、7時半から朝食、朝食の席も3組4人のみ。料理を出す人に聞いた
ら、たまにこのようなこともあるとか。


 8時に、今治湯ノ浦ハイツを出発した。国道196号に出て、間もなく今治小松自動車道
の南側に沿った道に回る。世田薬師のあたりで、ウグイスが鳴く。

 JR予讃線を2回横断して、番外霊場の臼井御来迎(うすいごらいこう)へ。きれいな湧水
が流れ出るはずの池は、水はあるが流れにはなっていない。


 吉岡郵便局で、ジャンパーやマフラーなどを、ゆうパックで自宅に返送する。この後寒さ
が戻っても、厚手のシャツの上に着るものはないが、ザックを軽くするためなので、がまん
するしかない。


 安用で通常の遍路ルートを左に分け、丹原町に入る。古田から西山に向かっての上りが
続く。


墓地の傍らに立つ六角堂を過ぎ、さらにひとしきり汗をかいて上がる。


 弘法大師が青年の頃、この橋のことを詠んだという、御由流宜橋(みゆるぎばし)を渡り、
豪壮な山門をくぐる。



 さらに林間を、「院家墓地」とよぶ代々の住職の墓地、牛の姿をした牛石や、お楠狸と呼
ぶ古木などの横を上がり、標高275mにある別格霊場10番の興隆寺(こうりゅうじ)へ。


 本堂下の石垣は、文化3年(1806)に松山藩の寺社奉行により普請されたものとか。


 築城方式による立派な石垣である。本堂と銅鐘、宝篋印塔↓(ほうきよういんとう)は、
国の重文に指定されている。


 境内は冷えて寒いが、正午を過ぎたので、納経所に居られたご住職に断り、鐘楼のそば
のベンチで昼食をさせてもらう。

 往路を戻った墓地のあたりからは、行く手の家並みや雪の残る山肌が見える。


 上り道を左に分けて下ると、池の向こうに並ぶ、番外霊場久妙寺(くみょうじ)が望まれる。


 1㎞ほどで別格霊場11番の生木(いきき)地蔵である。お堂は小ぶりで老朽化していて、
再建のための寄進を求めていた。


 境内には、雨乞いに用いたという雨乞石があり、弘法大師が一夜にて生木に地蔵菩薩を
刻んだといわれ、「生木地蔵」の名の起こりの、枯れたクスノキが保存されていた。



 田園地帯を進み、中山川沿いに出て石鎚橋を渡る。一つ手前の通りを行くつもりが行き過
ぎてしまい、国道11号に出た。

 順路は60番横峰寺だが、標高745mの山上にあり時間的に無理なので、明日行くことに
した。

 車の多い通りを北へ進み、61番香園寺(こうおんじ)に入る。本堂は、四国霊場では異質
の、近代的な四角いコンクリート造り。


 左手から建物の2階に上がる。劇場のように並ぶ椅子の正面に、金色の大きな仏像が鎮
座し、その横に弘法大師像も祭られている。

 お堂の外には、子安大師堂があり、お宮参りの家族が来ていた。境内には、大きな山頭火
の歌碑が二つ並んでいる。


 国道11号に出て東へ、お遍路さん接待所のあるサラダ館前を通過し、JR伊予小松駅の
そばの62番宝寿寺(ほうじゅじ)に詣でる。境内はこぢんまりしていて、樹木も少ない。


 納経締め切りの17時が近いので、国道11号を急ぐ。63番吉祥寺に入り、先に納経所で
御朱印をいただいた後にお参りをする。参拝を終えたのは、17時を過ぎていた。


 境内には、「成就石」(じょうじゅいし)と呼ぶ穴の空いた石があり、目を閉じて金剛杖がこの
穴に通れば、願いが叶うのだという。


 小松駅前まで戻り、今夜の宿、同行(どうぎよう)民宿「鈴」へ。8畳2部屋のうちの奥の方に
入る。屋久杉だろうか厚みのある大きな木のテーブルが置かれ、奥様が焼いたという備前焼
などが並んでいる。

 18時過ぎからの夕食は、掘りごたつの部屋で。たちばな旅館で同宿だった、山形市の男性
遍路さんと再会した。

 【コースタイム】今治湯ノ浦ハイツ8・00ー世田薬師下8・43ー 臼井御来迎9・15~20ーそごう
  マート(三好)9・33~40ー吉岡郵便局10・07~19ー徳田BS11・05ー別格10番興隆寺(昼食)
  11・41~12・44ー久妙寺下13・15ー別格11番生木地蔵13・33~55ー石鎚橋東詰14・34ー61番
  香園寺15・32~53ー62番宝寿寺16・12~25ー63番吉祥寺16・41~17・02ー同行民宿鈴17・28

 (天気 晴後曇、距離 27㎞、歩行地 今治市、西条市、歩数 48,500、遍路地図 64ー2、
  64ー3、98ー2,66ー1、66ー2)

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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その7

2011-04-08 17:49:54 | 3度目の四国遍路
 第7日 2011年3月2日(水)
 =54番延命寺から59番国分寺=

 5時50分起床、6時30分に朝食をして、7時ちょうどにJR予讃線大西駅前の、
あさひや旅館を出た。


 車が多いが、広い歩道のある国道196号を東へ向かう。先行する男性遍路がひ
とり、途中で別の男性遍路に抜かれた。県道38号に入り、54番延命寺へ。


 二人は寺に先着していたが、どちらも無愛想で、言葉を交わす間もなく先に出て
行く。境内に、樹齢200年以上というツブラジイがあり、市の保存樹になっていた。


 西瀬戸自動車道の下を抜け、丘陵上の大規模な霊園、大谷霊園に上る。園内を
通過して東側に下り、大きな忠霊塔の横を抜けた。


 今治市の市街地に入り、JR予讃線のガードの北に出る。


 隣の別宮大山祇(べっくおおやまずみ)神社↑に参拝後、55番南光坊(なんこうぼ
う)へ、北側の山門から入る。


 境内は広く、幾つものお堂が並んでいる。参拝を終えて納経所へ。納経帳の文字
を見て、初回に記帳してくれたご本人と分かる。


 そのときの話や、境内で私が芭蕉句碑↑を撮ったのを見ていて、芭蕉句碑のこと
を書いた人の本を紹介してくれたり、一茶のことなど、話が途切れない。次の歩き
遍路の方が来たのを機に、失礼した。


 JR今治駅前から南へ、真っ直ぐに延びる道を進む。風が冷たくなり、手袋を着け
る。国道196号との交差点際のサークルKで昼食を購入した。

 間もなく、56番泰山寺(たいざんじ)である。


 そばの土産店で、前回同様暖かい甘酒のお接待をいただく。冷たい風に冷えたの
どにしみ通る。その先の、田んぼのあぜ道を抜ける遍路道は工事中で、少し迂回し
て通過した。

 蒼社川に出る直前、老人ホーム日高荘のそばに、ヘンロ小屋今治・日高41号が
出来ていた。


 傍らに、江戸時代の遍路無縁墓が並ぶ。


 川沿いに出て、少し先の信号のあるところの橋を渡り、対岸の川沿いを進む。鳥居
の上に、石がたくさん上がっているが、何のまじないなんだろうか…。そこに社殿は
なかった。


 すぐ先から、田んぼと斜面林との間の気持ちよい遍路道を進んで、57番栄福寺に
上がった。


 足腰のお守りがあったので、腰痛が治るよう、分けていただく。先着の若いペア遍路
が食べていた納経所前の石のベンチで、二人が出た後、自分も昼食をした。

 今日の昼食は、おにぎりである。


 南に向かい、犬塚池への上がり口も道路工事中だったが、断って通してもらう。池の
ところでにわか雨となり、ポンチョとザックカバーを着けた。でも、間もなく止んで青空が
広がってきた。

 仙遊寺に向かう車道の上り道に出た。次第に高度が上がり、途中からしまなみ大橋
が見えてきた。


 山門の先は急坂なので、そばの今治高校生の供養碑の横にザックを置き、58番仙
遊寺(せんゆうじ)まで軽身で往復して参拝する。


 北北東に下る林間の遍路道には、丸太の段の急坂もあるが、何か所かで、今治の町
並みや瀬戸内海などが望まれる。


 車道を横断して、吉祥寺付近まで下ると、すっかり好天となったが、やや風が強まる。
しばらくは、田園地帯と比較的新しい住宅地を進み、伊予富田駅の近くでJR予讃線を
越えた。

 県道156号沿いにあった国分寺郵便局で資金補充をして、59番国分寺に着く。


 参拝して納経後、境内にあった握手修行大師像に握手して、腰痛が治るようお願いを
する。


 JR予讃線の東を平行する県道156号を進み、長沢で国道196号に合する。さらに
1㎞ほど進んで道の駅今治湯ノ浦温泉↓の前で左折する。


 湯ノ浦温泉街に並ぶホテルの間を上がり、今治湯ノ浦ハイツに17時に着いた。

 洗濯機に洗濯物を入れてから大浴場へ。ひとり出た後は、私がひとり占め。しまなみ
街道の大展望を楽しみ、ジャグジー風呂で強い泡を腰に当て、腰痛の回復を図る。

 大食堂での夕食の席には、私のほかには若い男性1名と、未着の2分の料理が並ぶ
のみで、閑散としている。

 部屋は暖かくてトイレ付き、夕食も盛りだくさんで美味しい。今回で3度目だが、歩き遍
路にはもったいない宿だと、いつも思う。

 【コースタイム】あさひや旅館7・00ー54番延命寺7・48~8・07ー忠霊塔8・38ー55番
  南光坊9・02~30ー国道際サークルK10・08~14ー56番泰山寺10・20~39ーヘンロ小
  屋41号今治日高11・00ー57番栄福寺(昼食)11・30~12・10ー犬塚池12・30~35ー58番
  仙遊寺13・00~38ー国道196号交差点14・35ーそごうマート14・54~59ー国分寺局
  15・05~10ー59番国分寺15・20~40ー道の駅今治湯ノ浦温泉16・45ー今治湯ノ浦ハイ
  ツ17・00

 (天気 曇後快晴一時雨、距離 27㎞、歩行地 今治市、歩数 47,200、遍路地図
  62ー2、62ー3、64ー1、64ー2図)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その6

2011-04-03 21:10:46 | 3度目の四国遍路
 第6日 2011年3月1日(火)
 =番外霊場鎌大師を経て今治市大西町まで=

 6時20分に起床し、7時に朝食後、YHのペアレントに腰痛の施術をしてもらう。

 右手親指と人差指を固く結び、左人指指と中指のつけ根に円筒形の金属をあて、右手
を引っ張ること3回ほど。これで良くなったはずとのこと。確かに、痛みが退いたような気
がする。

 7時40分にYHを出た。伊予鉄道の市街電車で、道後温泉駅からJR松山駅前まで行く。


 松山駅発の、JR予讃線上り電車観音寺行きは1両のみ。腰痛対策で距離の短縮を図
るため、昨日の伊予和気駅より二つ先の光洋台駅まで行く。これで約5㎞短縮できた。

 線路に平行する県道347号に出て北に向かう。3㎞ほど進んだら雨となったので、
「メディコ21」のひさしを借りて、ザックカバーとポンチョを着けた。

 今日は暖かめなので、ジャンパー無しで、厚手のシャツの上に白衣でちょうど良い。


 「花へんろの町」の看板の立つ北条の町並みへ。市街地を抜けて立岩川の橋の先にあ
った、スーパー・マルナカで昼食と、調子の悪いライターの代替を求める。


 田園地帯に出て、間もなく、番外霊場鎌大師(かまだいし)に着く。


 雨は上がった。納経の御朱印とともに、ご住職の奥様から、アップルジュース缶のお接待
をいただく。

 なお、ご住職ご夫妻は、3月29日でこの寺から出られるとのこと。以後は納経印をいた
だけなくなるようだ。

 境内には、ヘンロ小屋27号鎌大師が出来ていた。

 標高80mの小さい峠を越えて、ミカン畑の間を下って行くと、淺海(あさなみ)の家並み
が望まれる。


 ナノハナの咲く田園地帯を過ぎて町並みへ。



 原地蔵堂のところで国道196号を横切り、瀬戸内海沿いの旧道に回る。町外れの、国道
に合する手前で昼食をした。これが、私の今日の昼食である。



 左手に広がる、海や漁港などを眺めながら進む。


 菊間ミカンの販売店を過ぎ、菊間の町並みが近づくと、大きな鬼瓦などを飾った製瓦工場
が続いている。


 その一角に「お接待処」があり、地元陶芸愛好会の方が造った、陶器製の「ぶじカエル」
や鬼瓦などが並んでいたので、ぶじカエルを一ついただいた。


 製瓦工場の前には、こんなユーモラスな瓦もあった。


 町並みの入口付近にある、「やくよけ大師霊場」で知られる、番外霊場遍照院(へんじょう
いん)に参拝する。この山門にも、大きな鬼瓦が奉納されていた。


 境内のテントであめを売る2人の高齢女性から、売り物であるたくさんのあめ玉入りの袋
を、お接待いただいた。

 国道と旧道とを時々行き交いながら、海沿いをさらに東に向かう。周辺には、立派な鬼瓦
をたくさん上げた民家が、何棟も見られる。



 複雑な配管や煙突の並ぶ、太陽石油四国事業所の横を通過し、緩やかに上がる。伊予
亀岡駅の先の旧道沿いの民家には、見栄えの良い松などの庭木が目に付く。


 大西町に入り、星の浦海浜公園で最後の休憩。湾の向こうの造船所付近に、大型タンカ
ーが幾つか並んでいた。


 JR大西駅への交差点際の広い敷地に、樹齢350年以上、樹高25mという、クスノキの
大木が枝を広げていた。

 もと大庄屋だった井手家のもので、屋根上に、天水瓶が二つ置いてあるのは、大阪の陣
の際、徳川方に味方した功績で、特別に認められたものとか。


 16時52分に、JR大西駅前のあさひや旅館に入った。初回にもお世話になった宿。
風呂、食堂、部屋とも新しくなっていた。

 夕食は18時過ぎから。今日の宿泊者は私のみ。魚の煮物や肉の鍋物など。料理は素朴
だが美味しい。初回の時と同様、ご主人がすべて対応された。

 ところで腰痛だが、午前中は直ったように思われたが、午後になるとやはり痛みが出て、
施術での完治とは行かなかった。

 【コースタイム】JR光洋台駅8・43ーメディコ219・23~28ーマルナカ10・15~35ー鎌大師
 10・53~11・20ー原地蔵堂12・05ー浅海の旧道・国道合流点(昼食)12・20~53ー遍路
 お接待所13・44~50ー遍照院13・56~14・15ー葉山バス停14・47ー伊予亀岡駅前15・17
 ー星の浦海浜公園16・10~20ーあさひや旅館16・52

 (天気 曇一時雨、距離 26㎞、歩行地 松山市、今治市、歩数 42,700、遍路地図
  60ー2、62ー1、62ー2)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その5

2011-04-02 20:37:36 | 3度目の四国遍路
 第5日 2011年2月28日(月)
 =松山市内の48番西林寺から53番円明寺まで=

 5時20分起床、6時にKさんと朝食を。昨夜からの雨は、朝方にはかなりの降り。雨具を
付けて6時55分に長珍屋を出たが、雨は止んでいた。

 別格9番の文殊院までは、昨日参拝しているので、遍路道を通らずに県道194号を進む。
近くの浄瑠璃町に、「衛門三郎の里」と記された建物があった。


 次の番外霊場の札始(ふだはじめ)大師堂には、「お大師様お泊跡」碑が立つ。

 着いたときには、先行するKさんが見えたが、その後、追いつくことは無かった。

 私が通過するときはいつも水のない重信川(しげのぶがわ)と、松山自動車道下を過ぎ、
番外霊場、杖ノ渕(じようのふち)に初めて寄る。

 きれいな湧水が豊富に湧き出る池を中心に、一帯は杖ノ淵公園になっている。


 48番西林寺(さいりんじ)はすぐ近く。大師堂は改築で新しい。



 納経所の近くの紅梅がよい彩り。止んでいた雨が、このあたりから再び降りだし、たちまち
本降りとなる。

 国道11号の先、久米小の塀際に、埴輪園があり、小さい埴輪がたくさん並んでいた。


 伊予鉄道を越え、県道40号に面した49番浄土寺も雨。長珍屋で求めたライターがなかな
か点火せず、手こずる。納経所の前の、ツバキとシダレ梅が見頃だった。

 本堂↑は国宝である。

 県道40号から、右手の車道へ。交通量が多いが歩道がなく、車のしぶきを浴びそう。でも、
近くの奥様が、民家の間を抜ける横道を教えてくれた。雨の中、本当にありがたいお接待だ
った。

 松山市街を見下ろす高台にある50番繁多寺(はんたじ)も、雨が激しくて参拝しにくかった。


 住宅地を抜ける次の石手寺への遍路道は、前回通った記憶が無く、裏道を抜けるコース
に変わったように思われた。

 51番石手寺(いしてじ)でも雨は止まず、手が濡れて、ローソクや線香に点火しにくい。
豊富な緑に囲まれ、幾つもの堂塔のあるこの寺は、いつも参拝者が多いのだが、今日は雨
のためか少なめだった。


 参拝を終え、少し戻って背後の坂を上がる。テニスコートの横を入り、今夜の宿・松山YH
(ユースホステル)↓にザックを預け、休む間もなく出る。


 台地を西に下って、伊佐璽波(いさにわ)神社のそばにあった、「いさにわ」という食堂で昼
食をした。


 道後温泉の前から、アーケードのある商店街を抜ける。その先は遍路標識に従い、一番山
側をたどる、遍路地図上の「甲コース」を進む。

 広い歩道のある県道20号に出て緩やかに上がる。県道に分かれ、山田池など三つの池の
そばを通過した。雨は、このあたりで止んだ。


 県道40号へ下り、番外霊場蓮華寺の山門のところに出る。寺は、山門から石段を上がった
上にある。この先の時間を考え参拝はせず、小休止して先に進む。


 国道196号を歩道橋で越え、大きなしめ縄の下がる橋水神社の横を通過する。


 JR予讃線の西に回り、大将軍神社を経て、52番太山寺(たいさんじ)へ。ザックは置いて
きたのだが、山門から本堂までの、450m続く上り坂がきつい。


 大師堂は改修工事中のため、本堂(国宝)に祭られていた。納経所のそばのしだれ梅が見頃
だった。


 16時前に納経を終え、県道183号を急ぐ。


 お陰で、53番円明寺(えんみようじ)にも無事参拝を済ませることができた。山門横には、
隠れ切支丹(きりしたん)の信仰に使われたともいわれる、キリシタン灯ろうがある。


 16時55分にJR予讃線伊予和気(いよわけ)駅に着いた。駅舎はカラフルで、モダンな造り。

 都合良く17時3分発の下り電車があり、松山駅まで行く。

 夏目漱石も乗った当時のSLが展示されている駅前から、市街電車で終点の道後温泉まで
行き、松山YHには18時2分に入った。

 部屋は301号室。ベッドが三つある部屋を一人で使う。家庭用のような風呂は、湯を入れな
くてはならないので、シャワーで汗を流して済ませる。

 18時30分頃夕食に。すでに若い人5人ほどと、歩き遍路など高年齢の人4人が食事中。

 遅れて食卓に着いたので、どの人がお遍路さんなのかは分からなかった。別室にパソコンが
4台あったが、洗濯機と乾燥機を使用したりして見る時間はなく、今日の行程のメモなどで21時
になった。

【コースタイム】長珍屋6・55ー札始大師堂7・36~45ー杖ノ渕8・10~18ー48番西林寺8・23~
 43ー49番浄土寺9・33~55ー50番繁多寺10・20~43ー51番石手寺11・20~47ー松山YHー
 12・12~15ー食堂いさにわ12・22~50ー古藤池西端13・44ー蓮華寺14・07~15ー大淵公園
 (大将軍神社)15・02~05ー52番太山寺15・25~57ー53番円明寺16・27~50ーJR伊予和気駅
 16・55

 (天気 雨後曇、距離 28㎞、歩行地 松山市、歩数 48,700、遍路地図 58ー1、58ー2、
  60ー1、60ー2図)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その4

2011-04-01 20:49:49 | 3度目の四国遍路
 2011年2月27日(日)
  =46番浄瑠璃寺から別格9番文殊院まで=

 6時20分に起床、7時に朝食をして、7時36分に国民宿舎古岩屋荘を出る。


 近くに幾つもそそり立つ巨岩、古岩屋の横を進み、昨日通った八丁坂下から住吉神社
までは、同じ道を戻る。途中の梅林の梅は、まだ固いつぼみだった。


 八丁坂下に、昨日は気づかなかったが、人間かカッパのように見える雪の固まりが残っ
ていた。


 県道12号の、峠御堂トンネル(623m)を抜けるが、トンネル内は歩道がないので、車
が来るとミニライトを点けて進む。


 トンネルまでの間では、これから岩屋寺を目指す、男性と若い女性のお遍路さんと行き
交った。

 久万高原町の町並みに入って北に向かう。町中のサークルKで弁当を仕入れ、周囲の
山並みや谷間の家並みなどを眺めながら、だらだら続く国道33号を上がる。


 町外れまでは歩道があったが、その先は歩道の無い区間と、用水溝の上の細い歩道で、
家の出入り口の前が低くなっていて歩きにくいところがあった。


 峠に近い、レストパーク明神↑で小休止した。標高710mの三坂峠には正午近くに着いた
が、昼食は峠を下ってからにする。



 杉林に入り、石畳の残る「久万街道」と呼ぶ古くからの街道を下る。木々の切れ間から行
く手の展望が開けるが、今日は暖かいので霞んでいて遠望は利かない。


 林間の下りがほぼ終わったところにある、古びた休憩舎で昼食に。

 下る途中、昨夜同宿の奈良市のKさんに抜かれたが、休憩舎では一足先に食事中だったの
で、一緒に食べ、Kさんは先行する。


 明治末期から大正期に建てられたという古い遍路宿、坂本屋↑の近くには、棚田と、つぼみ
のふくらんだシキミの畑が多く見られた。


 田んぼを見下ろしながらさらに下って、番外霊場網掛石へ。

 お堂の南側の10数本のツバキは、花がいっぱい。


 そばの家の背後に、たくさんの宿り木が付いたケヤキがあった。


 近くの梅林の梅も見頃で、ナノハナも花盛りになっている。


 今夜の宿は、46番浄瑠璃寺そばの長珍屋。ここも3度目だ。15時前に着いたので、荷物
を置いて少し先まで回ることにした。

 まずは、46番浄瑠璃寺に参拝。境内には樹木が多く、お釈迦様の説法石や仏足石など、
由緒ある石や石仏も多い。


 次の47番八坂寺までは1㎞足らず。独特の山門と新しい宿坊が目をひく。本堂は鉄筋造り。
地下にある万躰阿弥陀仏↓も、一巡して拝観した。


 水をたたえた池の横や、畑の中のうっそうとした森に囲まれた神社の前を通過し、別格霊場
9番の文殊院まで行く。


 境内に、弘法大師像と、遍路の父と呼ばれる衛門三郎夫妻の新しい石像があった。

 帰路は、幾分近い県道194号をたどり、長珍屋には16時45分に戻った。

 部屋は406号室だが、廊下から入るには、隣の407号室と共通の扉が手前にあるという、
変わった造りである。

 風呂は、激しく泡を吹き出すジャージー湯。大浴場に一人で入り、腰にジャージーを当てて、
回復を図るが、あまりよろしくない。

 夕食は18時から、奈良のKさんと一緒に、これからの宿の情報交換などしながら食べた。
ほかに、車で回る10人ほどのグループも一緒。佐渡の人、埼玉県蕨市の人などがおられた。

 食事を終えて立とうとしたら、右腰痛がひどくなっていた。

[コースタイム]国民宿舎古岩屋荘7・36ー八丁坂下7・56ーH570m点7・56ーH560m点
 8・30ー河合休憩所8・56~9・06ーサークルK10・00~05ー高殿神社10・21ーレストパーク
 明神11・12~18ー三坂峠11・52ー峠下の休憩舎(昼食)12・37~13・10ー網掛石13・55~
 14・00ー長珍屋14・50~53ー46番浄瑠璃寺14・55~15・13ー47番八坂寺15・37~53ー別格
 9番文殊院16・05~21ー長珍屋16・45
 
 (天気 晴一時雨(夜)、距離 26㎞、歩行地、久万高原町、松山市、歩数 45,300,
  遍路地図 56ー1、58ー1)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その3

2011-03-31 20:23:23 | 3度目の四国遍路
 第3日 2011年2月26日(土)
 =44番大宝寺から45番岩屋寺へ=

 5時20分起床、朝食は5時50分から、メニューも豊富だった。6時15分、山形市の男性と
一緒に、おかみさんの車で送ってもらい、落合トンネル東側を6時20分にスタートした。

 山形市の男性はペースが速く、どんどん遠ざかって行く。田渡川沿いの県道42号を東へ、
棚田のある大込(おおごみ)集落を過ぎ、少しずつ上がって行く。三島神社境内には残雪が
あった。


 今朝は気温が下がり、田や畑は霜で真っ白だ。


 上畝々(かみうねうね)で左へ上がる遍路道へ。集落を過ぎて林道が終わるあたりに、雪に
よる杉の倒木が数本散らかっていた。その先に「鴇田峠遍路道」の標識が立つ。



 杉木立の下の山道を上がる。右下に砂利採取場が見えると、間もなく下坂場(しもさかば)峠
(570m)。周辺は、崩壊した道路の工事中だった。

 下る車道の右手谷間にも、残雪が多い。標高520mの大師堂と表示された交差点を左折し、
森田集落を抜ける。道路際にいた男性に聞くと、この冬の積雪は60㎝くらいあったという。

 由良野集落から、右へ入る遍路道へ。すぐ先で道路工事中だったので、少し先を迂回する。
車道を離れた集落の外れに、簡素な休憩所があった。


 残雪の多いヒノキ林を上がり、高原状の一角を抜ける。さらにヒノキ林へ。


 弘法大師ゆかりのだんじり岩を過ぎ、間もなく標高790mの鴇田(ひわた)峠に着いた。

 昭和30年(1955)頃まで、茶屋があったという。この周辺も残雪が多い。


 滑らぬよう注意しながら、雪に覆われた林間を下る。車道に出たところに、東屋とトイレが
あった。


 再び林間を下って林を出ると、久万高原(くまこうげん)町の盆地が見下ろせる。


 久万郵便局のところで国道33号に出る。右折してJAのスーパーに寄り、昼食を購入した。

 それまでは、あまり感じなかったのだが、弁当などで1.5㎏ぐらい増えて、ザックが重く感じる。

 久万川を渡ったところに、最初の山門があり、そのあたりから南に、残雪豊富な山並みが望
まれる。


 1㎞足らずで44番大宝寺(だいほうじ)へ。寺への上りも、背の荷物がこたえる。山門には、
大わらじが奉納されていた。境内にも、かなりの雪が残っていた。

 境内には団体遍路が何組かいたので、昼食は別の場所ですることにした。寺の背後の、杉
林を抜ける遍路道に入る。

 この遍路道は初回に通っているのだが、予想外に上りが続き、けっこうきつい。県道12号の
峠御堂トンネルの東に出て、県道を下った河合休憩所で昼食にした。


 そばの住吉神社にも、雪が残る。県道を少しで、川の南側の遍路道へ。標高560m地点で
県道に出て、すぐ先から八丁坂への小さな流れ沿いの遍路道に向かう。

 このあたり、日陰にかなり雪が残り、凍っているところもあり、滑らぬよう杖を使って慎重に
進む。高見に出ると雪は消えた。

 八丁坂への登り口付近も、日陰のためかなりの残雪だ。ベンチで小休止して、八丁坂に向
かう。


 標高730mの八丁坂に上がって再び休む。樹間から、右手前方に残雪の山並みが望見で
きる。


 稜線を少し進むと、左斜面が切り開かれた一角からは、別の残雪の山並みが現れた。石鎚山
だろうか…。


 広葉樹林帯の、アップダウンの少ない気持ちよい遍路道が続く。落ち葉がいっぱいで、踏み
しめながら進むとカサコソと音がする。

 下りの傾斜が増し、杉の老木が増えてきた。垂直の岩の切れ目になっている逼割(せりわり)
行場を過ぎて、45番岩屋寺の山門をくぐる。

 参拝して納経後、大師堂のところで、今日同宿という奈良市の男性遍路と再会する。これから
逼割行場に上るとのことだった。

 たくさん続く「南無大師不動明王」ののぼりの間を抜けて、長い境内を直瀬川沿いに下った。
その先は、右岸に沿った遍路道に入る。

 この道も、あちこちに雪が残っていた。トチの樹林を過ぎ、雪解け水の清流を眺めながら進む。


 16時53分に、3度目の宿、国民宿舎古岩屋荘(ふるいわやそう)に着いた。

 部屋は211号室。暖房が入っていて暖かい。階段横に、ひな段が飾られていた。すぐに洗濯
機に洗濯物を入れて入浴する。夕食は18時から。ヘルシーなメニューだが、盛りだくさんで美味
しかった。

【コースタイム】落合トンネル東6・20ー室屋台バス停(大込)7・00ー三嶋神社7・11~15ー上畝々
 7・36ー下坂場峠8・09~15ー大師堂8・30ー鴇田峠9・35~45ー松山生協10・32~43ー44番
 大宝寺11・05~33ー河合休憩所(昼食)12・23~52ーH560m点13・20ー八丁坂下13・57~
 14・05ー八丁坂上14・28~38ー44番岩屋寺15・35~16・05ー古岩屋荘16・53

 (天気 快晴後晴、距離 26㎞、歩行地 内子町、久万高原町、歩数 49,800、遍路地図
  55ー1、56ー1図)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その2

2011-03-30 14:22:22 | 3度目の四国遍路
 最近の市内ウオーキングでは、スーパーを回るのが日課のようになっています。
東北関東大震災後、品薄になっている牛乳、納豆、ヨーグルト、アクエリアスなどが
入手できないか、いくつものスーパーを回って、確かめているからです。

 昨日は6つの、今日(3月30日)は7つのスーパーを回ってみました。牛乳はほぼ
以前のように出回るようになりましたが、納豆は限られた数しかなく、ヨーグルトは
どこにもありませんでした。

 昨日最後に回ったスーパーに、2リットル入りのアクエリアスがあったので、一つだ
け購入してきました。

 でも、わずかな食べ物しかなく、暖房もあるかなしで避難生活を送っておられる、被
災者の方々に比べれば、まだ恵まれているといわなければなりません。

 被災者の方々が、もとの生活に戻れる日が1日も早く来られるよう、お祈り申し上げ
ます。

====================================

 第2日 2011年2月25日(金)
 =内子駅から小田川、吉野川沿いに=

 5時40分起床、6時20分から朝食をして、7時25分頃ときわ旅館を出る。

 高校生の通学列車になっている伊予大洲駅7時50分発松山行きに乗り、内子(うちこ)
駅に8時6分に着く。

 ここから、昨年3月に区切りとした四国遍路後半の再開である。今日は、霊場への参拝
はないので白衣は着けず、菅笠もザックにくくりつけて出発する。


 下芳我邸↑など、古い建物の残る通りを抜け、国道56号に出た。コンビニ・サンクスで
弁当を仕入れ、小田川沿いへ。近くの道の駅内子フレッシュパークに寄ったら、ここにも
弁当はあった。


 小田川右岸沿いに走る、国道379号を上流に向かう。道路沿いのナノハナが咲き出し
ていた。




 長岡山トンネルを出たところにある、お遍路無料宿で休憩する。


 国道には、左側に幅広い歩道があり、車も少ないので安心して進める。上和田の柿選果
場前を通過した。内子町は柿の産地である。

 大瀬で国道は左岸に回るが、ここから右岸の旧道に入る。大瀬郵便局に寄り、チョッキ、
ロープなどをゆうパックで自宅に返送し、わずかながら軽量化を図った。


 いつも気にしながら通るのだが、今回もここ出身の作家・大江健三郎さんの生家は分か
らなかった。


 曽我十郎首塚登山口を過ぎると、番外霊場である千人宿大師堂↑と楽水(らくすい)大師堂
が続く。


 楽水大師堂のそばに、「筏(いかだ)の里川登」の説明板があり、その手前から国道を拡幅
していて、こちら側は旧道となっていた。


 新しい国道に出たところにあった、バス停でもある梅津休憩所で昼食とする。



 白い幹の、内子特産の柿畑が増える。道路上に、魔除けだろうか、わら細工などが下がっ
ていた。


 間もなく突合(つきあわせ)の分岐点へ。

 前回は右折して小田川沿いの小田に向かったが、今回は左折して吉野川沿いの国道379
号に入る。


 川沿いに、新しいヘンロ小屋38号内子があった。ほかに、国道沿いの内子町営バスの各
停留所は、ログハウスか東屋なので、どこも良い休憩所として使わせてもらえる。


 ゆうパックで一部返送したものの、午後になるとザックの荷が重く感じ、腰への負担もあり
ペースが上がらず、ゆっくりと進む。


 上田渡(かみたど)の薬師堂↑横に、ログハウスの休憩舎とトイレがあったので、最後の休憩
をした。

 午前中は雲が多かったが、正午前後から太陽が出て気温が上がったので、薄手のシャツ
だけになり、菅笠も被ることにした。


 「落合トンネルを出たあたりで電話をすれば迎えに行く」と宿から言われていたが、15時前
なのでそのまま川沿いを離れて砥部町(とべちよう)に入る。今日の宿、たちばな旅館には、
15時25分に着いた。

 建物は新しく、風呂も明るく使いよい。広い部屋に2人分の布団が敷いてあり、到着後間も
なく入浴できた。風呂場に、はかりがあったので、ザックとずだ袋の重量を量る。あわせて約
8㎏だった。

 腰痛がやはりきつく、明日の行程をどうしようか一考したが、予定通り国民宿舎古岩屋荘に
予約の電話を入れる。

 夕食は、17時20分過ぎから。同宿は、昭和19年生まれという山形市の男性のみ。4回目
の遍路で、通し打ちとのことだった。

 【コースタイム】内子駅8・10ーサンクス8・30~37ー道の駅内子8・43~48^中土橋BS9・16
  ーお遍路無料宿9・55~10・03ー大瀬郵便局10・53~11・03ー川口橋BS11・20~25ー千人
  宿大師堂12・00ー楽水大師12・11~15ー梅津休憩所(昼食)12・34~13・04ーへんろ小屋38
  号内子13・25~28ー新田八幡神社14・15ー落合トンネル入口15・00ーたちばな旅館15・25

 (天気 曇後晴、距離 23㎞、歩行地 内子町、砥部町、歩数 40,800、遍路地図 54ー2、
  54ー3、55ー1図)
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