2017年1月18日(水)
続いていた寒波が幾分緩み、最高気温は10℃くらいと予想されたので、武蔵五日市七
福神巡りに出かけた。
五日市は東京の奥座敷に位置し、古くは山と平地を結ぶ商業地として栄え、現在は秋川
渓谷の玄関口として多くの観光客で賑わっている。歴史と自然に彩られたこの街に、平成
22年(2010)の新春から誕生したのが「武蔵五日市七福神」である。
JR五日市線の終点、武蔵五日市駅に9時39分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/3c/63287fe6b7b566e0d3e189f14eee2520.jpg)
改札前のコンビニで弁当を求め、駅に接した五日市観光案内所に行くが、水曜日は休み
でドアは閉じている。9時45分に駅を出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/4a/422d5a1769fc44411c0e9922751bf455.jpg)
町中にあるマンホールのデザインは、旧五日市町時代のものと、あきる野市になってか
らの2醜類がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/c9/6570cd90068ecde134ae173213a3b490.jpg)
駅前のT字路から東に延びる都道7号・五日市街道を少しで、舘谷の家並みを抜ける旧
道に入り、最初の七福神、弁財天の正光寺(しょうこうじ)へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/cb/a9e78c55bbc221ed1831fc16a671b3ee.jpg)
正光寺は秋川流域で唯一の時宗の寺院で、嘉元3年(1305)の開創と伝えられてい
るとか。どっしりした本堂は平成14年(2007)の再建という。
琵琶を弾く弁財天像は、方形屋根のお堂に祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/d6/0bfd7e2cd6849ee3fdcf53a438df437c.jpg)
北側の五日市街道を横断し、すぐに三内橋で秋川の支流を渡る。秋川左岸沿いを少しで、
大悲願寺への道標に従い左の細道を上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/f7/61a917b0e607a851c293f4495a0b52d1.jpg)
JR五日市線の踏切近くからふり返ると、正光寺周辺や背後の山並みなどの展望が一望
できる。
踏切を越えれば大黑天の大悲願寺(だいひがんじ)は近い。山門の前に、白梅がチラホ
ラと咲き出していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/28/6066a1eec916e59155b95a2f1e6232f3.jpg)
大悲願寺は、建久2年(1191)に源頼朝の命を受けた平山季重(すえしげ)が建立
したとのこと。15世僧正秀雄(しゆうゆう)は伊達政宗の末弟で、その縁で訪れた政宗
が境内に咲く白萩に心を引かれ、後日所望した書簡が残っているという。
多摩新四国八十八ヶ所第59番札所で、東国花の寺百ヶ寺第11番寺院でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/dd/4159fc335b9b2d2cf644fb8bf6cc16bc.jpg)
山門を入った正面の「無畏閣(むいかく)」と呼ぶ観音堂にには、国重要文化財の阿弥
陀三尊像が安置されているとか。正面欄間の彫刻も見事なもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/96/146b6cfa25b0599309b29505688d07eb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/71/4062d2f8948a294cc3d31a7981844cb4.jpg)
書院造りの本堂は右手にあり、元禄8年(1695)の建築で都の有形文化財。歴史を
感じられる大黑天は、本堂右手の玄関の中に祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/01/b12da75a210b30e0c71986389793b655.jpg)
玄関前の縁台には、乾燥中の切り餅が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/4f/6c841a89b3f49617fc816fd609dbb24f.jpg)
うっそうとした杉木立などに囲まれた広い境内には、四国霊場八十八か所のご本尊の石
像が巡拝できる、新しいお砂踏み霊場が設けられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/58/0b1528dbfec6478698d7871917031194.jpg)
ちなみに、私はこの大悲願寺には以前に2度ほど来たことがあり、第二次大戦末期には
新宿中村屋の創業者である相馬愛藏(そうまあいぞう)と国光(こっこう)夫妻が疎開し
ていたことを、臼井吉見の大河小説「安曇野」で読んだことも思い出す。
山門前を南へ、JR五日市線の先で急石段を下り、五日市街道の旧道に出て駅に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d8/bc3252c50a7295a4746ee3ab3c8c6f63.jpg)
近くの民家のナンテンとキンカンが鮮やかな彩り。三内橋の手前で右折して五日市線に
平行する旧道へ。ロウバイの咲く民家もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/b5/2325dfd85c2bc4f130d66f006c6be0f3.jpg)
北からの都道3号に合して五日市駅前に戻り、五日市の中心街を抜ける都道33号・桧
原(ひのはら)街道を西進する。
「五日市ひろば」と呼ぶ小公園の道路際に「五日市の市神様(いちがみさま)」の説明
板があり、五日市の市のことが記され、傍らに大きな自然石が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/fb/72d275a7324291de180e4c061c9f9d98.jpg)
すぐ先の「寿美屋」と呼ぶそば店の横のお堂が、恵比寿天の下町(しもちょう)地蔵堂。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/02/757e954ab482a3621c56ba2812d0fc1b.jpg)
そばに「子育地蔵尊」の説明板があり、地蔵尊は五日市下町女人27人により元禄12
年(1699)に造立されたとのこと。傍らにそのことが刻まれた台石らしい自然石があ
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/59/22f81d85c8116d114118dbe8b530b615.jpg)
お堂内には、その子育地蔵ともう一つの地蔵さんが見えたが、恵比寿天は確認できなか
った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4f/b9106b4e243d6a2521a2cd380b296418.jpg)
五日市郵便局の先のT字路に阿伎留(あきる)神社への道標があったので、立ち寄るこ
とにした。細い通りを南進し、左カーブする地点の南側一帯が阿伎留神社の深い森になっ
ていた。
阿伎留神社は、延長5年(927)の延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちよう)に
記された、武蔵国多摩8座の筆頭に挙げられた「式内社」と呼ぶ古社。鎌倉時代以降は源
頼朝、足利尊氏、後北条氏から神領が寄進され、徳川家康からは御朱印10石を寄せられ、
以後代々の将軍からの朱印状12通が残っているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/15/bf1c1ea73c4062e7176652f4f40ff097.jpg)
現在の拝殿、本殿は明治21年(1888)の完成、大鳥居を入って正面の神楽殿↓も
立派な造り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/38/bfc2941aa0cad55afff0b37c8a05ccf0.jpg)
御輿蔵(みこしぐら)には、きらびやかな神輿(みこし)が10基近く並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/09/da6d840543f199b889f3ea38d30dd9ab.jpg)
森に囲まれた境内には幾つもの摂社が点在しているが、大鳥居近くのこの「占方神社」
の名は私にとっては初めてのよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4f/e7b4bee7ae1179f04136735d48cc4dc7.jpg)
桧原街道に向けて戻り、すぐ手前に平行する細道を西進、少し下がってさらに進んで福
禄寿を祭る玉林寺(ぎょくりんじ)へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/26/ba3044f605ca9dfd9ff45b651810fb40.jpg)
玉林寺は定和3年(1347)の開山、本堂は弘化5年(1847)の建立で、内陣に
は草木花鳥や龍を描いた48枚の天井絵があるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/eb/81f30f0b31dbdeb272911a35d5f48c35.jpg)
山門前に新しい仁王像が立ち、境内はよく整えられた植栽が多くて気持ちよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/da/ed2b506b6564346cd2115166f48df0f9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/cb/5debdd2ed3ce1558a960672c1eddb068.jpg)
中央部には石庭もあり、福禄寿は新しいお堂に祭られていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/b2/08c8bea3e2052d790aefe080c6ad3e1c.jpg)
先ほどの下町地蔵堂と、次の番場地蔵堂の朱印所もここになっている。3つの御朱印を
頂き、番場地蔵堂への道も教えていただいた。
西側の小さい山門を出て、広い墓地の間の斜面を北に向かって上がる。墓地の右手斜面
上部には大きな新しい石像が見えるが、何の像かは分からない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c2/c2fea6f2f643c77e4984256a7b70ce70.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/44/23fd85951cc3ba48e30eda13d16b7bed.jpg)
墓地の上部、白壁の間の門を出た上の新しい小さなお堂が番場地蔵堂で、毘沙門天が祭
られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/5e/3a8df847cf42e117018f5f93b09061b2.jpg)
玉林寺境内に戻り、東側の山門を出て西へ、スイセンの咲く秋川左岸沿いに少しで佳月
橋際に出た。石積みの場所があったのでここで昼食とし、弁当を広げる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/8e/3d1d56f9762c1ac59da74890dca52123.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/39/40b55042da37901d092ec8551e1b7fea.jpg)
12時42分に食事を終え、佳月橋を渡って小和田集落の西端に入った。上の写真は橋
からの上流側、下は下流側の眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/1f/68d347090820c67f84f7129d1a7dbdc6.jpg)
南に高い斜面に向かって少し上がり、「秋川渓谷リバーティオ」の看板に従い西に向か
う。家並みが終わって間もなく、杉木立の中に木造のコテージの並ぶ秋川渓谷リバーティ
オがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/f2/4ec8a2a2395679f3efebd17fac366590.jpg)
その先は舗装が切れて細い山道となり、薄暗い杉並木の下を進んで行くと秋川右岸から
次第に離れて高みに上がって行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/9f/36fe845a06faea965e7c1d25ce406e2c.jpg)
道がこの先続くか不安になりながらも進むと下りとなり、「この先工事中で通行止」の
看板もあった。
ダメなら戻ろうと下ったら、「かたらいの路 秋川丘陵コース」の案内図があり、すぐ
先の橋で秋川支流を渡れるようになっていてひと安心。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2b/78074ecd7b53bac5affe6ce862b30fcc.jpg)
その先にももう一つ橋があり、いずれも鉄製の欄干の塗り替えを終えたばかり。これが
工事中だったと分かる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/52/57dec517afd2e043f8b071ea2c800ab7.jpg)
すぐ先の斜面を上がると、桧原街道にかかる沢戸橋の西に出た。街道は90度右カーブ
して本郷集落を直進し、右手に「喜正」と記された造り酒屋が目に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/b7/1a12a0db899096de494b113b793c8229.jpg)
その先のT字路を左へ、次のT字路を左折して戸倉小際に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/69/0580ec72c51f540a9fa9b21b8d6748a1.jpg)
その北側から「寺坂」と呼ぶ急坂を上がり、水道タンクのある都水道局戸倉給水所前を
進み、布袋尊を祭る光源寺(こうげんじ)の山門前に着いた。傍らに「都史跡 戸倉城跡」
の説明板が2つ並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7a/031c91e93d21406330877a614d8985db.jpg)
光源寺は、室町幕府の初代将軍、足利尊氏が開基という禅寺。尊氏が擁立した後光厳天
皇がまだ親王のとき、南朝方に追われて5年ほど隠れ住んだ旧跡といわれているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/16/fb9886926fda1eb66d2263862e6440cd.jpg)
にこやかで大きな布袋像は、山門を入った左手に露座で祭られていた。本堂は正面にあ
り、山を背にした境内は閑静なたたずまい。
山門を出て東側の斜面には、都指定天然記念物「光厳寺のヤマザクラ」が4本立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/2a/49d48fa1deb85d61fad2daf0a4703c1c.jpg)
一番南のサクラは、幹周5.33m、枝張り東西25m、南北18mで、樹齢は400
年以上と推定される巨樹。地元では「光厳寺の大桜」と呼ばれ親しまれているという。
ほかの3株は手前の招魂碑近くに立ち、いずれも幹周2m以上の古木である。
光厳寺からの下り道、東方の谷間に五日市の家並みや、遠くにはビルも望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/67/6404e152593973b363272a953c82e69c.jpg)
西戸倉集落を北に下り桧原街道を横断、坂下集落を抜けて閑静な秋川左岸の旧道に回ろ
うとしたが、家並みが途切れた先を下るも橋が無い。桧原街道に戻り、街道を進むことに
した。
どうやら坂下集落のY字路で橋とは違う道に入ったようだ。でも、桧原街道も川側に歩
道があり、車の交通量も少ないので煩わしさは感じない。
1㎞足らずで十里木(じゅうりぎ)交差点に出た。桧原街道を左に分けて都道201号
へ。すぐ先の十里木駐車場際に、武蔵五日市七福神のたすきを掛けた大きな石像が立って
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/c0/99605628d4c92d813087a5ce8e658ef3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/af/3516379ced0077154fa3a4a3b98b066e.jpg)
秋川が大きく90度カーブする近くで落合橋を渡り、秋川の支流、養沢川の左岸沿いに
ある落合集落へ。日本酒の直売や料理を味わえるやまざき酒舗前を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a8/8b5b0ec5f899f3e3a765f0b37e7af1f0.jpg)
間もなく、養沢川↑の広い河原に最後の徳雲院(とくうんいん)が見えてきた。都道か
ら階段を下り、すっかり陽が陰って寒々しいが開放的な境内に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/91/1c3702bf483278215968cc575cf98186.jpg)
徳雲院は、戦国時代に先ほどの光厳寺の21世、雲英台東堂和尚の開山とされるが、昭
和9年(1934)以前は無住のときが長かったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/6f/94b1ce042c6ecad38aff863b1c25e6ee.jpg)
境内は梅が多いが、まだ枯れ枝のまま。本堂横の庫裡(くり)で最後の寿老人の御朱印
をいただき、記念にとタオルも下さった。
本堂内には肝心の寿老人が見えないので聞くと、階段近くにあるという。庫裡の外の温
度計は3℃だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/2e/df283e9a1de17e46f2765926f20181d0.jpg)
梅の木の多い東側に回り、階段を背にした小さいお堂に祭られた新しい寿老人に参拝し、
15時ちょうどに七福神巡りを終える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/03/01dd4ec17554eac7a734fd4a3ea7f2b2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/74/c7e50b67e3237b5db44e3019ebab3505.jpg)
墓地のミツマタがたくさん花を見せ、モクレンらしいつぼみもかなりふくらんでいる。
往路を十里木交差点まで戻り、桧原街道側にある十里木バス停に行くも、次のバスは
15時39分までない。
さらに1.5㎞余り戻って本郷集落の戸倉バス停に15時32分に着き、今日のゴール
とした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/4a/64919757263d26ce66c5ff3cfe0f2c00.jpg)
9分後に来た西東京バスに乗り、JR五日市駅には15時50分に着いた。
最高気温は10℃近くかと思われるが、風も無く日中の日差しは暖かに感じ、ほかに七
福神巡りの人に会うこともなく、山里の集落と五日市の町中をめぐる静かな七福神巡りだ
った。
(天気 快晴後晴 距離 12㎞、地図(1/2.5万) 五日市、歩行地 あきる野市、
歩数 25,700、累積標高差 約690m)
いただいた記念色紙。色紙代は300円、御朱印は1か所200円ずつで、1月末日ま
では各寺院で押印してもらえる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/1f/eb8e969a92e807fa43adf37cd6c0d7fe.jpg)
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続いていた寒波が幾分緩み、最高気温は10℃くらいと予想されたので、武蔵五日市七
福神巡りに出かけた。
五日市は東京の奥座敷に位置し、古くは山と平地を結ぶ商業地として栄え、現在は秋川
渓谷の玄関口として多くの観光客で賑わっている。歴史と自然に彩られたこの街に、平成
22年(2010)の新春から誕生したのが「武蔵五日市七福神」である。
JR五日市線の終点、武蔵五日市駅に9時39分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/3c/63287fe6b7b566e0d3e189f14eee2520.jpg)
改札前のコンビニで弁当を求め、駅に接した五日市観光案内所に行くが、水曜日は休み
でドアは閉じている。9時45分に駅を出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/4a/422d5a1769fc44411c0e9922751bf455.jpg)
町中にあるマンホールのデザインは、旧五日市町時代のものと、あきる野市になってか
らの2醜類がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/c9/6570cd90068ecde134ae173213a3b490.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/b4/ec9749d0a44487447bf65c30f7285782.jpg)
駅前のT字路から東に延びる都道7号・五日市街道を少しで、舘谷の家並みを抜ける旧
道に入り、最初の七福神、弁財天の正光寺(しょうこうじ)へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/cb/a9e78c55bbc221ed1831fc16a671b3ee.jpg)
正光寺は秋川流域で唯一の時宗の寺院で、嘉元3年(1305)の開創と伝えられてい
るとか。どっしりした本堂は平成14年(2007)の再建という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/fa/a0296dfa1d874fcac7f8dd077940894c.jpg)
琵琶を弾く弁財天像は、方形屋根のお堂に祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/d6/0bfd7e2cd6849ee3fdcf53a438df437c.jpg)
北側の五日市街道を横断し、すぐに三内橋で秋川の支流を渡る。秋川左岸沿いを少しで、
大悲願寺への道標に従い左の細道を上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/f7/61a917b0e607a851c293f4495a0b52d1.jpg)
JR五日市線の踏切近くからふり返ると、正光寺周辺や背後の山並みなどの展望が一望
できる。
踏切を越えれば大黑天の大悲願寺(だいひがんじ)は近い。山門の前に、白梅がチラホ
ラと咲き出していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/28/6066a1eec916e59155b95a2f1e6232f3.jpg)
大悲願寺は、建久2年(1191)に源頼朝の命を受けた平山季重(すえしげ)が建立
したとのこと。15世僧正秀雄(しゆうゆう)は伊達政宗の末弟で、その縁で訪れた政宗
が境内に咲く白萩に心を引かれ、後日所望した書簡が残っているという。
多摩新四国八十八ヶ所第59番札所で、東国花の寺百ヶ寺第11番寺院でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/dd/4159fc335b9b2d2cf644fb8bf6cc16bc.jpg)
山門を入った正面の「無畏閣(むいかく)」と呼ぶ観音堂にには、国重要文化財の阿弥
陀三尊像が安置されているとか。正面欄間の彫刻も見事なもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/96/146b6cfa25b0599309b29505688d07eb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/71/4062d2f8948a294cc3d31a7981844cb4.jpg)
書院造りの本堂は右手にあり、元禄8年(1695)の建築で都の有形文化財。歴史を
感じられる大黑天は、本堂右手の玄関の中に祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/01/b12da75a210b30e0c71986389793b655.jpg)
玄関前の縁台には、乾燥中の切り餅が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/4f/6c841a89b3f49617fc816fd609dbb24f.jpg)
うっそうとした杉木立などに囲まれた広い境内には、四国霊場八十八か所のご本尊の石
像が巡拝できる、新しいお砂踏み霊場が設けられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/58/0b1528dbfec6478698d7871917031194.jpg)
ちなみに、私はこの大悲願寺には以前に2度ほど来たことがあり、第二次大戦末期には
新宿中村屋の創業者である相馬愛藏(そうまあいぞう)と国光(こっこう)夫妻が疎開し
ていたことを、臼井吉見の大河小説「安曇野」で読んだことも思い出す。
山門前を南へ、JR五日市線の先で急石段を下り、五日市街道の旧道に出て駅に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d8/bc3252c50a7295a4746ee3ab3c8c6f63.jpg)
近くの民家のナンテンとキンカンが鮮やかな彩り。三内橋の手前で右折して五日市線に
平行する旧道へ。ロウバイの咲く民家もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/b5/2325dfd85c2bc4f130d66f006c6be0f3.jpg)
北からの都道3号に合して五日市駅前に戻り、五日市の中心街を抜ける都道33号・桧
原(ひのはら)街道を西進する。
「五日市ひろば」と呼ぶ小公園の道路際に「五日市の市神様(いちがみさま)」の説明
板があり、五日市の市のことが記され、傍らに大きな自然石が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/fb/72d275a7324291de180e4c061c9f9d98.jpg)
すぐ先の「寿美屋」と呼ぶそば店の横のお堂が、恵比寿天の下町(しもちょう)地蔵堂。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/02/757e954ab482a3621c56ba2812d0fc1b.jpg)
そばに「子育地蔵尊」の説明板があり、地蔵尊は五日市下町女人27人により元禄12
年(1699)に造立されたとのこと。傍らにそのことが刻まれた台石らしい自然石があ
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/59/22f81d85c8116d114118dbe8b530b615.jpg)
お堂内には、その子育地蔵ともう一つの地蔵さんが見えたが、恵比寿天は確認できなか
った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4f/b9106b4e243d6a2521a2cd380b296418.jpg)
五日市郵便局の先のT字路に阿伎留(あきる)神社への道標があったので、立ち寄るこ
とにした。細い通りを南進し、左カーブする地点の南側一帯が阿伎留神社の深い森になっ
ていた。
阿伎留神社は、延長5年(927)の延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちよう)に
記された、武蔵国多摩8座の筆頭に挙げられた「式内社」と呼ぶ古社。鎌倉時代以降は源
頼朝、足利尊氏、後北条氏から神領が寄進され、徳川家康からは御朱印10石を寄せられ、
以後代々の将軍からの朱印状12通が残っているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/15/bf1c1ea73c4062e7176652f4f40ff097.jpg)
現在の拝殿、本殿は明治21年(1888)の完成、大鳥居を入って正面の神楽殿↓も
立派な造り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/38/bfc2941aa0cad55afff0b37c8a05ccf0.jpg)
御輿蔵(みこしぐら)には、きらびやかな神輿(みこし)が10基近く並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/09/da6d840543f199b889f3ea38d30dd9ab.jpg)
森に囲まれた境内には幾つもの摂社が点在しているが、大鳥居近くのこの「占方神社」
の名は私にとっては初めてのよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4f/e7b4bee7ae1179f04136735d48cc4dc7.jpg)
桧原街道に向けて戻り、すぐ手前に平行する細道を西進、少し下がってさらに進んで福
禄寿を祭る玉林寺(ぎょくりんじ)へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/26/ba3044f605ca9dfd9ff45b651810fb40.jpg)
玉林寺は定和3年(1347)の開山、本堂は弘化5年(1847)の建立で、内陣に
は草木花鳥や龍を描いた48枚の天井絵があるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/eb/81f30f0b31dbdeb272911a35d5f48c35.jpg)
山門前に新しい仁王像が立ち、境内はよく整えられた植栽が多くて気持ちよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/da/ed2b506b6564346cd2115166f48df0f9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/cb/5debdd2ed3ce1558a960672c1eddb068.jpg)
中央部には石庭もあり、福禄寿は新しいお堂に祭られていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/b2/08c8bea3e2052d790aefe080c6ad3e1c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/a8/ef30849884afa1d4619a212170807d4a.jpg)
先ほどの下町地蔵堂と、次の番場地蔵堂の朱印所もここになっている。3つの御朱印を
頂き、番場地蔵堂への道も教えていただいた。
西側の小さい山門を出て、広い墓地の間の斜面を北に向かって上がる。墓地の右手斜面
上部には大きな新しい石像が見えるが、何の像かは分からない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c2/c2fea6f2f643c77e4984256a7b70ce70.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/44/23fd85951cc3ba48e30eda13d16b7bed.jpg)
墓地の上部、白壁の間の門を出た上の新しい小さなお堂が番場地蔵堂で、毘沙門天が祭
られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/5e/3a8df847cf42e117018f5f93b09061b2.jpg)
玉林寺境内に戻り、東側の山門を出て西へ、スイセンの咲く秋川左岸沿いに少しで佳月
橋際に出た。石積みの場所があったのでここで昼食とし、弁当を広げる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/8e/3d1d56f9762c1ac59da74890dca52123.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/39/40b55042da37901d092ec8551e1b7fea.jpg)
12時42分に食事を終え、佳月橋を渡って小和田集落の西端に入った。上の写真は橋
からの上流側、下は下流側の眺め。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/1f/68d347090820c67f84f7129d1a7dbdc6.jpg)
南に高い斜面に向かって少し上がり、「秋川渓谷リバーティオ」の看板に従い西に向か
う。家並みが終わって間もなく、杉木立の中に木造のコテージの並ぶ秋川渓谷リバーティ
オがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/f2/4ec8a2a2395679f3efebd17fac366590.jpg)
その先は舗装が切れて細い山道となり、薄暗い杉並木の下を進んで行くと秋川右岸から
次第に離れて高みに上がって行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/9f/36fe845a06faea965e7c1d25ce406e2c.jpg)
道がこの先続くか不安になりながらも進むと下りとなり、「この先工事中で通行止」の
看板もあった。
ダメなら戻ろうと下ったら、「かたらいの路 秋川丘陵コース」の案内図があり、すぐ
先の橋で秋川支流を渡れるようになっていてひと安心。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2b/78074ecd7b53bac5affe6ce862b30fcc.jpg)
その先にももう一つ橋があり、いずれも鉄製の欄干の塗り替えを終えたばかり。これが
工事中だったと分かる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/52/57dec517afd2e043f8b071ea2c800ab7.jpg)
すぐ先の斜面を上がると、桧原街道にかかる沢戸橋の西に出た。街道は90度右カーブ
して本郷集落を直進し、右手に「喜正」と記された造り酒屋が目に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/b7/1a12a0db899096de494b113b793c8229.jpg)
その先のT字路を左へ、次のT字路を左折して戸倉小際に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/69/0580ec72c51f540a9fa9b21b8d6748a1.jpg)
その北側から「寺坂」と呼ぶ急坂を上がり、水道タンクのある都水道局戸倉給水所前を
進み、布袋尊を祭る光源寺(こうげんじ)の山門前に着いた。傍らに「都史跡 戸倉城跡」
の説明板が2つ並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7a/031c91e93d21406330877a614d8985db.jpg)
光源寺は、室町幕府の初代将軍、足利尊氏が開基という禅寺。尊氏が擁立した後光厳天
皇がまだ親王のとき、南朝方に追われて5年ほど隠れ住んだ旧跡といわれているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/16/fb9886926fda1eb66d2263862e6440cd.jpg)
にこやかで大きな布袋像は、山門を入った左手に露座で祭られていた。本堂は正面にあ
り、山を背にした境内は閑静なたたずまい。
山門を出て東側の斜面には、都指定天然記念物「光厳寺のヤマザクラ」が4本立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/2a/49d48fa1deb85d61fad2daf0a4703c1c.jpg)
一番南のサクラは、幹周5.33m、枝張り東西25m、南北18mで、樹齢は400
年以上と推定される巨樹。地元では「光厳寺の大桜」と呼ばれ親しまれているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/e6/4c515c0fc0feba4f6ca60637342d8745.jpg)
ほかの3株は手前の招魂碑近くに立ち、いずれも幹周2m以上の古木である。
光厳寺からの下り道、東方の谷間に五日市の家並みや、遠くにはビルも望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/67/6404e152593973b363272a953c82e69c.jpg)
西戸倉集落を北に下り桧原街道を横断、坂下集落を抜けて閑静な秋川左岸の旧道に回ろ
うとしたが、家並みが途切れた先を下るも橋が無い。桧原街道に戻り、街道を進むことに
した。
どうやら坂下集落のY字路で橋とは違う道に入ったようだ。でも、桧原街道も川側に歩
道があり、車の交通量も少ないので煩わしさは感じない。
1㎞足らずで十里木(じゅうりぎ)交差点に出た。桧原街道を左に分けて都道201号
へ。すぐ先の十里木駐車場際に、武蔵五日市七福神のたすきを掛けた大きな石像が立って
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/c0/99605628d4c92d813087a5ce8e658ef3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/af/3516379ced0077154fa3a4a3b98b066e.jpg)
秋川が大きく90度カーブする近くで落合橋を渡り、秋川の支流、養沢川の左岸沿いに
ある落合集落へ。日本酒の直売や料理を味わえるやまざき酒舗前を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a8/8b5b0ec5f899f3e3a765f0b37e7af1f0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/50/8a9cb54379979284723a58ee8da30f12.jpg)
間もなく、養沢川↑の広い河原に最後の徳雲院(とくうんいん)が見えてきた。都道か
ら階段を下り、すっかり陽が陰って寒々しいが開放的な境内に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/91/1c3702bf483278215968cc575cf98186.jpg)
徳雲院は、戦国時代に先ほどの光厳寺の21世、雲英台東堂和尚の開山とされるが、昭
和9年(1934)以前は無住のときが長かったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/6f/94b1ce042c6ecad38aff863b1c25e6ee.jpg)
境内は梅が多いが、まだ枯れ枝のまま。本堂横の庫裡(くり)で最後の寿老人の御朱印
をいただき、記念にとタオルも下さった。
本堂内には肝心の寿老人が見えないので聞くと、階段近くにあるという。庫裡の外の温
度計は3℃だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/2e/df283e9a1de17e46f2765926f20181d0.jpg)
梅の木の多い東側に回り、階段を背にした小さいお堂に祭られた新しい寿老人に参拝し、
15時ちょうどに七福神巡りを終える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/03/01dd4ec17554eac7a734fd4a3ea7f2b2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/74/c7e50b67e3237b5db44e3019ebab3505.jpg)
墓地のミツマタがたくさん花を見せ、モクレンらしいつぼみもかなりふくらんでいる。
往路を十里木交差点まで戻り、桧原街道側にある十里木バス停に行くも、次のバスは
15時39分までない。
さらに1.5㎞余り戻って本郷集落の戸倉バス停に15時32分に着き、今日のゴール
とした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/4a/64919757263d26ce66c5ff3cfe0f2c00.jpg)
9分後に来た西東京バスに乗り、JR五日市駅には15時50分に着いた。
最高気温は10℃近くかと思われるが、風も無く日中の日差しは暖かに感じ、ほかに七
福神巡りの人に会うこともなく、山里の集落と五日市の町中をめぐる静かな七福神巡りだ
った。
(天気 快晴後晴 距離 12㎞、地図(1/2.5万) 五日市、歩行地 あきる野市、
歩数 25,700、累積標高差 約690m)
いただいた記念色紙。色紙代は300円、御朱印は1か所200円ずつで、1月末日ま
では各寺院で押印してもらえる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/1f/eb8e969a92e807fa43adf37cd6c0d7fe.jpg)
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